第31話


 そしてあっという間に月日は過ぎ、セルフィにおれの出した答えを伝える日、『池袋ハロウィンコスプレフェス』当日がやってきた。

 だというのに、おれはまだどうするか決めかねていた。頭がパンクするほど懊悩しても、答えは出せなかった。

 それでも今日がセルフィと会える最後の日になるかもしれないんだ。とにかくセルフィに会って話すため、おれは涼子と二人でイベント会場へと向かった。

『池袋ハロウィンコスプレフェス』の会場に着いた。今の時刻は待ち合わせの時間である十四時の少し前。

 イベント会場はコスプレイヤーと観客たちでごった返していた。どこから沸いて出てきたんだと思ってしまうくらいの、信じられない人の多さだった。

 イベント会場に集結したコスプレイヤーたちは様々なコスプレをしていた。パンプキンモンスター、悪魔、魔女などのハロウィンらしいコスプレから、ハロウィンとは関係がないアニメやゲームのコスプレをしている人たちもいる。あまり完成度が高くないコスプレイヤーから、素晴らしく完成度の高いコスプレイヤーまで、実に多種多様だ。

 おれと涼子は待ち合わせ場所に到着した。

 どこに行っても人だらけで、おれたちの待ち合わせ場所も例外ではなかった。

 そこにグランベリー高等学院の制服姿のヴァニアスが立っていた。

「ヴァニアス!」「久しぶり!」

 おれたちが声をかけると、ヴァニアスが破顔した。

「やあ、二人とも。会いたかったよ!」

 おれたちは駆け寄った。

「セルフィは?」

 周囲を見回すが、セルフィの姿が見当たらない。

「それが、ぼくもわからないんだ。ずっと一緒に行動してたわけじゃないけど、校外学習に出発する時に姿を見かけたから、この会場に来てはいるはずだと思うんだが。自由行動になってから、ぼくは一人でここに来たんだ。もう少ししたら、セルフィも来るんじゃないかな?」

 確かに、まだ約束の十四時になってない。暫く待つことにする。

 十四時三十分を過ぎてもセルフィは現れなかった。

 妙な胸騒ぎがした。

「おれちょっと探してくる」

 おれは待ち合わせ場所を離れて、セルフィを探しに行くことにした。


 悠人がいなくなった待ち合わせ場所で、涼子はヴァニアスと正対して見つめ合っていた。

 涼子が、悩んだ末に出した結論を口にする。

「ヴァニアス、わたし色々考えたんだけど、そっちに行っちゃったら、蓮兄ちゃんにお花をお供えしてあげることもできなくなっちゃうし。わたしクオンには行けない。ごめん」

 ヴァニアスは優しく微笑んだ。

「そうかい。ぼくとしては涼子に来て欲しかったけど、重大な決断だし、涼子が決めたことだ。こればっかりは仕方がない。涼子の出した答えをぼくは受け入れるよ。無理を言って困らせてしまってすまなかったね」

「初恋は実らないって言うけど、ほんとだね。わたしにとって、ヴァニアスが初恋だった」

「ぼくがこっちの世界に来られればいいんだけど」

「そんなことされたら、わたしが困っちゃうよ」

「ははは。そうだね」

「わたしに恋を教えてくれたヴァニアスのこと、わたし絶対に忘れないから」

「ぼくもだよ。君のこと、忘れない」

 数瞬、見つめ合う。それからヴァニアスが言った。

「じゃあぼくは、すぐにクオンに帰らなくちゃいけないから、さようなら涼子。短かったけど、素敵な恋をありがとう」

 ヴァニアスが踵を返す。そして立ち去っていく。

「ヴァニアス、忘れ物!」

 涼子がヴァニアスの背中に向かって駆け出した。

 振り向いたヴァニアスの首に跳んで抱きつき、そして唇を重ねた。

「わたしのファーストキス、あげるの忘れてた」

 顔を離すと、ヴァニアスが破顔した。

「女の子の方からキスされたのは初めてだよ。今のキスが、今までしたキスの中で一番素晴らしかった!」

「嘘でもそう言って貰えたら、わたしも嬉しいよ」

「嘘じゃないさ。ぼくが女性を褒める時に、嘘を吐かないって知ってるだろう?」

「あはは。そうだったね」

 二人は強く抱きしめ合い、そして再びキスをした。


 焦燥に駆られながら、おれはセルフィを探して走り回っていた。周りは見渡す限りに人だらけで、あいつの姿はなかなか見つけられない。

「セルフィ! セルフィ!」

 息が切れ、その場に立ち止まって両手を膝につく。暫し休憩し、顔を上げる。するとおれの視界前方にセルフィの姿があった。いつも通りの制服姿のあいつが、向こう側からこちらに向かって、一人で歩いてくる。その姿を認めて、おれはほっとした。

 おれは正面からやってくるセルフィに駆け寄りながら声をかけた。

「おーい、セルフィ!」

 セルフィと目が合った。セルフィはおれからすっと目を逸らすと、何事もなかったかのように足を止めずに歩いていき、そしておれとすれ違う。

 振り向くがセルフィはどんどん歩いて行ってしまう。

 え……? なんで? なんで無視するんだよ。……まさか、忘却丸を使っておれのことを忘れたのか? 今のセルフィの行動、そうとしか思えない。

 おれの心が一気に暗い気持ちになった。

 でもどうしておれのこと忘れようと思ったんだよ。お前がもう一度おれに会いたいって言って、校外学習の行き先をわざわざここに変更してもらったんじゃないか。だったらせめて、おれの答えを聞いてから忘れれば良かったじゃねえか。なんで答えを聞く前に忘却丸を使っちまったんだよ。……もしかして、おれが浮気して家を出て行った母さんを恨んでるって話を、泣きながらあいつに話したからか。母さんを恨んでるおれが、母さんと似たような行動を取るわけがない。クオンに来てくれるわけがない。だったら忘れようって思って、それで忘れたのか。あいつもおれと同じように、色々考えた上で、おれのことを忘れるっていう決断をしたのか。

 まだわからない。なにかの間違いかもしれない。話しかけて確かめるべきだ。そう思うのに、本当に忘れられていたらどうしようって考えると、なかなかセルフィに話しかける勇気が出ない。でも、今を逃したら、訊く機会すらなくなるんだ。

 おれは足を動かし、セルフィを追いかけた。

「セルフィ!」

 もう一度声をかけると、セルフィの肩がビクッ! と跳ねた。

 正面に回り込む。

「おい待てって!」

 セルフィがやっと立ち止まる。

「あんた誰?」

 そうのたまうセルフィの目は泳いでいた。それを見てほっとする。

「おれだよ。悠人だ」

「悪いけど人違いじゃないかしら。わたしはあなたのこと知らないわ」

 セルフィがおれの横を通り抜けようとする。

 おれはセルフィの腕を掴んだ。

「待てよ。おれのこと覚えてるんだろ。こっち見ろよ。目が泳いでるぞ。相変わらず芝居が下手だな。お前に女優の才能はねえ。ぶりっ子の演技もあからさますぎて下手くそだしな。それにしてはルクスの芝居はうまかったな。そうか、お前は芝居が下手なんじゃなくて、自分を偽ることが下手なんだ」

 セルフィの瞳に涙が溜まる。

「うるさい! 放しなさいよ!」

 おれはセルフィの腕から手を放した。

「どうして忘れてるフリなんかしたんだよ」

「……もしあんたがクオンに来る気になってたら、わたしのために今の生活全部を捨ててもらうことが心苦しくて。わたしがあんたのこと忘れてるって、あんたに思わせられれば、さすがにあんたもわたしのこと諦めて、クオンに来る気もなくなると思ったから」

「だったらなんで忘却丸を使って、本当におれのことを忘れなかったんだよ」

 セルフィの翡翠色の瞳から、涙が零れ落ちる。

「忘れようと思ったけど、でも、初めて本当のわたしを好きになってくれたあんたのことを、どうしても忘れたくなかったのよ」

 次々に涙を溢れさせるセルフィ。

「あんたのこと好きだから、クオンに来て欲しいけど、あんたに悪いし、来て欲しくないっていう気持ちもある。あんたのことを忘れたら、悩むこともなくなって楽になれるけど、初めて素のわたしを認めてくれたあんたのことを忘れる勇気もない。もうわたし、どうしたらいいのかわかんない……!」

 セルフィがおれの胸に縋りつき、嗚咽を漏らして泣きじゃくる。

 おれのセルフィに対する想いが弱いわけじゃない。おれは本気でセルフィのことが好きだ。それなのに修一さんとの新たな生活を選んだ母さんと違って、決断し切れないおれは意気地なしの臆病者なのか。そう思うと家を出て行った母さんを憎んでいたはずなのに、その母さんができたことができないことに対して自己嫌悪を感じる。でもやっぱり母さんの行動に対する嫌悪感も拭いきれないし、同じ行動をしたくないから決断できないのか。様々な思念がおれの中で渦巻いていた。

 答えを伝えられる機会は今日しかないっていうのに、どうするべきか、まだ答えを出せていなかった。

 でも今、おれの目の前で泣いているセルフィを見てわかった。こういうことは、どれだけ時間をかけて考えても答えが出ないんだ。後一ヶ月、後一年、考える時間を与えられたとしても、たぶん決められない。だったらどうすれば決められるのか。それはもう勢いだと思った。目の前にどうしたらいいのかわからなくて泣いているセルフィがいる。そんなセルフィを助けたいと今強く思っているこの勢いで決めるしかないんだと思う。

 おれは覚悟を決めた。

「おれ、クオンに行くよ」

 セルフィが顔を上げて目を見開く。

「本当にいいの? これからもずっとわたしのことを好きでい続けられる保障なんてないのよ? クオンに来てからわたしのことを好きじゃなくなったらどうするつもりなのよ。一度来たら帰れないのよ?」

「そんなの知るかよ。世界で一番好きだと胸を張って言える女の子が、今おれの目の前で泣いている。理由なんてそれで充分だろ」

 おれはセルフィの背中に腕を回して、強く抱きしめる。

「バカ。ブサイクのくせに格好つけすぎよ」

 セルフィの腕がおれの背に回される。

 泣き笑いの表情を浮かべたセルフィと見つめ合う。

 そしておれたちはキスをした。

 周囲にたくさんいるイベント参加者たちから、冷やかしの声が飛ばされる。でも今だけは気にせず、おれたちはいつまでもいつまでも唇を重ね合わせ続けた。

 

   ◆◇◆◇◆

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