第30話


 夏休みが終わった。

 二学期の初日、登校していると前方に、仲睦まじく手を繋いで歩いている孝太と逸見さんの姿を発見した。

 驚いたおれは二人に駆け寄り、声をかけていた。

「孝太!」

「お、久しぶりだな悠人。おはよう。今日はセルフィさんはいないのか?」

「うん、まあな。ってそんなことよりどうしたんだよ。別れるんじゃなかったのか?」

「実はセルフィさんに色々言われてから、二人で話し合って、やっぱり別れないことにしたんだよ。セルフィさんの言う通りで、おれあの時本当は伊代と別れたくないって思ってたのに、おれと別れないでくれって伊代に縋りつく格好悪い姿を、伊代に見られたくなかっただけだったんだ。伊代の別れ話を受け入れようと思うって言ってたのは、つまり格好つけてたっていうか、強がってただけだったんだよな。でもセルフィさんにビシッと言われて、強がって自分の気持ちを押し殺してる方が格好悪いんじゃないかって思うようになったんだ」

「わたしもピアノのことで頭がいっぱいいっぱいになってたけど、あの子に言われて冷静になって考えてみたら、やっぱりわたし孝太のことが好きだし、別れたくないって思ったの。わたしは正直、今でもあの子に

ムカついてる。頑張れない根性なしだって言われてね。そんなことない、わたしはもっと頑張れるってとこを見せて、あの子を見返してやりたいっていう気持ちもあって、別れたくないって孝太に言ったの」

「おれたちセルフィさんには感謝してるんだ。今度セルフィさんに会ったらよろしく伝えといてくれよ」

 おれではこうはいかなかった。おれじゃあ二人を復縁させるなんて絶対にできっこなかった。むしろ孝太に相談された時に、おれは別れることを勧めてすらいた。

 おれはセルフィの人間としての魅力を改めて感じた。

 あいつの言い方はかなりきつかったけど、ただ悪口を言ってたわけじゃなかったんだ。あの時のことを思い返してみても、あいつのあの言動はやっぱりお節介すぎると思うけど、あいつはあの時、孝太と逸見さんにアドバイスをしていたんだ。

 あいつはおれには絶対にできなかったことをしてのけた。セルフィお前すげえよ。

 手を繋いで笑い合っている孝太と逸見さんに、改めて視線を向ける。

 恋に対して努力して、前に進もうとしている二人の姿は、なんだかキラキラしていて眩しくて、輝いているように見えた。

 そんな二人の姿を見て、おれも自分の恋を頑張りたいと一瞬思った。でも孝太と逸見さんの抱えていた問題と、おれとセルフィの問題は規模が違いすぎる。

 二人はお互いが相手のことを本当に好きだったから、別れずに付き合い続けるという選択肢を選んだのだと思う。あんまり好きじゃなかったんなら別れていたはずだ。だったらおれはどうなんだろう? おれがクオンに行く決意をするかどうかは、おれがどれだけセルフィのことを好きかどうか、その気持ちの大きさによって決まることなんじゃないだろうか。おれは今の生活を捨ててまで、セルフィのことを手に入れたいと思っているのだろうか? まだ迷ってるということは、そこまで好きじゃないということになるんじゃないのか? でも誰だって今のおれと同じ状況になったらなら、少しは迷うはずだ。だったらやっぱりおれのセルフィに対する気持ちは嘘じゃないってことになる。おれは本当にセルフィのことが好きなんだと信じてもいいはずだ。でもおれがセルフィと過ごした日々は、数日という短い時間だ。おれのセルフィに対する恋心は、もしかしたら一瞬の気の迷いなのかもしれないとも思ってしまう。仮に今の生活を捨ててクオンに行ったとして、一度向こうに行ったらもうこっちには二度と戻ってくれないというのに、行った後にセルフィに対するおれの気持ちが冷めてしまったらどうしようっていう恐怖もある。

 おれは一人の女の子を、ずっと愛し続けることができるのだろうか? 父さんを愛し続けられず、浮気してしまった母さんの血が体の中に流れているおれにできることなのか。そんな自信も保障も、どこにもなかった。


 おれは結婚式場に来ていた。

 式が始まる前、おれは母さんのいる控え室に向かった。

 控え室に入ってきたおれを見て、ウェディングドレス姿の母さんが瞠目した。

「悠人……!」

 セルフィに恋をして、今の生活を捨てて異世界に行くかどうかで迷うようになったおれは、浮気して家を出て行った母さんの気持ちが少しは理解できるようになっていた。

 母さんのことを完全に許す気にはまだなれない。強い憎しみもまだ残っている。だけど、結婚式を祝うくらいのことはしてもいいと思ったんだ。それから、母さんに訊きたいことがあるという打算もあった。

「お母さんを驚かせようと思って、お兄ちゃんが来ること内緒にしてたんだ!」

 おれは綾に結婚式に出席する旨を伝えて、綾から結婚式の日時を聞いていた。

 おれは母さんに歩み寄った。

「結婚おめでとう」

 おれが祝うと、母さんは両の瞳からぼろぼろと涙を零した。

「ありがとう……!」

 それからおれは、遊園地で修一さんに失礼な態度を取ったことについて、修一さんに深く頭を下げて謝罪した。修一さんは頼りなさそうな笑顔を浮かべながら許してくれた。 

 結婚式が始まり、たくさんの人たちから祝福される母さんは、本当に幸せそうだった。

 式が終わり、母さんと二人きりになったタイミングで、おれは切り出した。

「おれ今、好きな人がいるんだ。だから母さんの気持ちが少しはわかるようになったから、今日来たんだ」

「そう」

「母さんは、どういう気持ちで修一さんの方を選んだんだ? 父さんやおれたちとの生活を捨てることって、恐くなかった?」

「勿論恐かったわよ。シュウ君は若くて経済力がない人だったから、シュウ君を選んだら生活面で苦労することになるってわかってたし。だから、あなたたちとの生活を捨てることに未練がなかったわけじゃないけど。わたしはそれでもシュウ君と一緒になりたかった」

「迷った挙句、修一さんと一緒になることを選ぶって決意したのは、一体なにが決め手だったんだ? それだけ修一さんのことが好きだったってこと?」

「そうね。確かにシュウ君のこと好きだったけど、それでも相当悩んだわ。経済力のないシュウ君との生活よりも、金銭的に余裕があるあなたたちのお父さんと暮らしてた方が、もしかしたら幸せだったのかもしれない。シュウ君を選んだことを後悔する日が来るかもしれない。でもどっちを選んだ方が幸せになれるかなんて、誰にもわからないでしょ? やってみないとわからないことだし。とにかくわたしはあの時悩みに悩んで、後悔しないように生きようって思ったの。それでシュウ君を選んだのよ」

「修一さんと出会ってどれくらいで決断したんだ?」

 あの頃おれはなにも聞きたくなくて、毎日家から逃げていたから、母さんと修一さんのことについて、ほとんどなにも知らなかった。

「三ヶ月くらいかな」

「早っ! そんなに短くてよく決断したな!」

「なに言ってるの。愛の深さと時間は比例しないわ」

「そうなのか?」

「そうよ」

 母さんは即答した。

「修一さんに対する気持ちが、一瞬の気の迷いかもしれないとは思わなかったのかよ」

「付き合いが長い友達が親友とは限らないでしょ?」

 確かに。知り合ったばかりなのに妙に気が合う奴っていうのはいる。

「誰と結婚しようが、ずっと相手を好きで居続けられる保障なんてないの。この人だ! って思った人と結婚するしかないのよ。じゃないと結婚なんて一生できないわよ。それで離婚したんだったら、それはもうしょうがないと思うわ」

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