第28話
キロードはなにもできずに、呆然と二人の空中戦を眺めていた。
ビルの壁際まで追い詰められたセルフィが回避する。ルオーネがビルの壁に突っ込むようにして轟音を撒き散らしながら着地した。窓ガラスや壁から突き出ていた看板が破壊される。ルオーネがビルの壁を蹴った勢いで、再びセルフィを追いかける。
ルオーネが蹴ったコンクリート壁が割れて砕け、大きな塊となって、ガラスや看板の破片と一緒になって落下していく。その直下には逃げ惑う人々の姿があった。
それを見たキロードの目と口が丸く開かれる。叫喚を上げながら逃げ惑う人々の中に、さっきトイレに行く途中で出会った『モンスター娘だって恋がしたい!』のヒロインたちのコスプレをしていた三人組の姿があった。岩石のような大きさのコンクリート塊が、三人の頭に直撃しようとしていた。
キロードは一瞬、助けるかどうか迷った。ブレイブエナジーで身体能力を強化したとしても、あの大きさのコンクリート塊をどうにかできる確信が持てなかったからだ。助けに行ったら、もしかしたら自分も死ぬかもしれない。そう思うと、キロードの足は動かなくなった。
「どうせおれっちには無理だ。きっと助けられない」
助けに行かない言い訳を考え始めるキロード。
『自分で自分を否定していたら、幸せはやって来なくなるんだぞ』
ヴァニアスの言葉が脳裏をよぎる。
モン恋のヒロインたちのコスプレをしている三人を見ていたせいか、モン恋の主人公ファレルのことが想起される。
――モン恋のファレルだったら、迷わず助けに行くんだろうなあ。それで助けた後に、あの子たちから好かれるようになるんだ。
モン恋を最新刊まで読破したキロードは、なぜ冴えない見た目をしているにも関らず、主人公ファレルがヒロインたちに好かれるようになるのかを理解していた。それはファレルがヒロインたちのために、体を張って奔走したり、時には命がけでヒロインを守ろうとするからだ。
ラウネのコスプレをしていた少女の言葉が蘇る。
『見た目なんてどうでもいいんだよ。わたしはイケメンよりも、ファレルみたいに自分のために一生懸命になってくれる男の子の方が好きよ』
キロードの目つきが凛々しいものに変わる。
「ヴァニアス先輩の言う通りだ。やってみないとわからないじゃないか! 変わりたい! おれっちこんな自分はもう嫌なんだ! 変われるかもしれないチャンスが今目の前にあるんだ! うおおおおお!」
優香たち三人が自分たちの真上から、岩石並のコンクリート塊が降ってきていることに気づき、甲高く叫びながら頭を抱えて目を瞑る。
ブレイブエナジーによって強化された足で、キロードは超人的な俊足を発揮した。数十メートルの距離を一気に詰め、優香たちに肉薄する。そして両手を突き上げ、降ってくるコンクリート塊を迎え撃つ。巨人の拳に叩きつけられたかのような衝撃。キロードの両足がアスファルトの地面に突き刺さる。
優香たちが恐る恐る目を開ける。そして眼前の光景に目を瞠った。
太った女装コスプレ少年が、ドデかいコンクリート塊を支え持っていた。
「君はさっきの……」
「いいから早く逃げて……!」
慌てて優香たちが走り出す。そして三人がコンクリート塊の傘から出る。
「う、うおおおお!」
それを見届けたキロードは、渾身の力を込めてコンクリート塊を自分の傍に投げ捨てた。
土埃を上げて地響きを鳴らした後、コンクリート塊は静かになった。
死ぬかもしれないという恐怖に立ち向かったキロードの両足は、未だ震えていた。しかしそんなキロードの心は昂揚を感じていた。
「やった……! やったぞ! おれっちだってやればできるんだ!」
おれはルオーネとセルフィの空中戦を固唾を呑んで見守っていた。
ルオーネに吹き飛ばされていたヴァニアスが、おれの傍までやってきた。
「ヴァニアス! 大丈夫か!?」
ヴァニアスは苦しそうに腹を押さえている。
「なんとかね……」
おれはヴァニアスに詰め寄る。
「どうすりゃいいんだ! このままだとセルフィが……!」
「勝てるとすれば、方法は一つ。ぼくとセルフィがキスをするんだ」
そういえば相思相愛の者同士でキスをしたら、ものすげえ量のブレイブエナジーがチャージできるって、セルフィが言ってたな。
ヴァニアスがセルフィに向かって声を張り上げる。
「セルフィ! こっちに来るんだ! そしてぼくとキスをするんだ!」
セルフィが声に反応して首肯する。そして、こちらに向かって移動しようとする。しかしそのセルフィの前にルオーネが立ちはだかった。
「行かせませんわよ」
セルフィがルオーネの横を通り抜けようとするが、体躯の大きさと飛翔スピードで勝るルオーネが、すぐに正面に回り込んで通さない。
ルオーネが前足を顎の下に添えて哄笑する。
「通れるものなら通ってみせてくださいましな! オーッホッホッホ!」
セルフィが歯噛みするが、どうすることもできない。
「グラビトンハンマー!」
突如キロードの声が辺りに響き渡った。
ルオーネの真下で、キロードが両手に持った大きなハンマーを地面に叩きつける。
次の瞬間、ルオーネが地面に落下した。
「わああああ!」
轟音と共に、アスファルトが爆砕して陥没する。
土煙がもうもうと立ち込める中で、ルオーネは地に伏していた。
そのルオーネが、鈍重な動きではあったが、グラビトンハンマーの効果範囲の外へと少しずつ這いずって行く。
「キロード、どうしてあなたに、今のわたくしをここまで拘束するほどの力が!?」
「おれっちは自分が情けない! お前に騙されてるかもって思いながらも、ついさっきまでお前なんかの言うことを信じようとしていた自分が恥ずかしい! セルフィさん! ヴァニアス先輩! 今の内に、さあ早く!」
セルフィが一直線にヴァニアスの元まで飛んで来た。足元の魔法陣を解除して、ヴァニアスの隣に並ぶ。
「セルフィ、いいかい?」
「はい。ヴァニアス様」
セルフィが目を瞑る。
ヴァニアスがセルフィの両肩に両手を乗せる。
そして二人はキスをした。
それを傍で見ていたおれの胸がチクリと痛む。
二人が顔を離し、同時にブレイブウォッチを確認する。そして目を瞠る。
「少しも溜まってないだって!?」
「もう一度やってみましょう」
二人が再びキスをする。そしてブレイブウォッチの時計盤を確認する。
「なぜだ!? どうしてチャージできないんだ!? もう一度だ!」
二人が再度キスをする。しかしチャージ量を確認した二人の顔から困惑の色は消えなかった。
ふとセルフィがおれの顔を見つめる。そのままじっと見つめてくる。
「まさか、そんなわけねえだろ……」
ヴァニアスが見つめ合うおれたちの顔を、交互に見遣る。
「試してみてくれ」
「ヴァニアスまでなに言ってんだよ。冗談を言ってる場合じゃねえだろ」
「ぼくは冗談で言ってるんじゃない。さあ、セルフィとキスをするんだ」
「でも……」
「試す価値はある! 時間がない! ルオーネが拘束から逃れかかってる! さあ早く!」
ルオーネの方を振り向く。ヴァニアスの言う通り、ルオーネはグラビトンハンマーの拘束から逃れかかっていた。
「ヴァニアス様……」
申し訳なさそうな表情をして、セルフィがヴァニアスを見上げる。そんなセルフィにヴァニアスが笑いかける。
「ぼくのことは気にするな。悠人とキスをしてみてくれ」
セルフィが首肯した。
もう、やるしかないらしい。
見つめ合ったまま、おれとセルフィが互いに歩み寄る。そして目の前まで来たところで立ち止まる。
「ほんとにいいんだな?」
「うん……」
「じゃあ目瞑れよ」
セルフィが目を瞑って顔を上向ける。
おれはセルフィの両肩に両手を乗せる。
そのまま顔を近づけ、唇を重ねた。
目を瞑っているおれのまぶたが強烈な光を感じる。
目を開けると視界いっぱいに、赤面したセルフィの顔が広がる。多分、おれも似たような顔色になっているに違いない。
顔を離し、思わず目を逸らす。
「オーッホッホッホッホ! お待たせしてしまってごめん遊ばせ!」
ついにグラビトンハンマーの拘束から抜け出し、悪魔のような翼をはためかせて飛んできたルオーネが、おれたちの眼前に降り立つ。
「さあ、裸になってブレイブエナジーを溜めたわたくしと、ヴァニアス様とキスをしてブレイブエナジーを溜めたあなたのどちらが強いか勝負ですわ!」
グラビトンハンマーによって拘束されていた時、ルオーネはこちらに臀部を向けていた。だからおれたちのやり取りを見ていなかったんだろう。
顔を俯けているセルフィが、静かな声を出す。
「ヴァニアス様とキスしたけど、ブレイブエナジーはチャージできなかったわ」
「どういうことですの?」
「わたしが浮気したみたい」
ルオーネが驚愕する。
「な、なんですって!? あなたヴァニアス様と恋人同士になっておきながら、他の殿方に気が向いたとおっしゃるんですの!? 有り得ませんわ! まさかあなた、この異世界に住む、異世界人の殿方に恋をしたんですの? ヴァニアス様よりも魅力的な殿方が異世界人の中にいるですって!? 一体そんな殿方がどこにいると言うんですの?」
ルオーネが前足を額の上にやりながら、辺りをきょろきょろと見回した。
もうみんな逃げてしまって、近くにいる異世界人の男はおれ一人しかいない。でもヴァニアスよりもルックスでかなり劣っているおれなわけがないとでも思っているのか、ルオーネの眼中におれは入っていないらしい。
ルオーネがセルフィの異変に気づく。
「おや? あなた体が震えているじゃありませんの! 起死回生のヴァニアス様とのキスでブレイブエナジーをチャージできなくて、勝ち目がないと悟って、今から訪れる死の恐怖を感じて震えているんですのね! でも安心してくださいまし。その恐怖もなにもかも感じられないように、すぐに息の根を止めて差し上げますわ! オーッホッホッホッホ!」
未だ俯くセルフィの頭上で、ルオーネが前足を振り上げる。ギロチンのような鋭い爪が、陽光を反射してキラリと光る。
セルフィが俯きながら、なんかぶつぶつ言っている。
「ん? なにか言い残すことがありまして?」
ルオーネが前足を耳の横に添えて、セルフィに耳を近づける。
セルフィが顔を上げ、そしてルオーネに向かって杖を突き出した。
「わたしがあんたみたいなブサイクのことを好きになるわけないじゃないのよ――!」
セルフィの杖から超極太の火柱が放出される。まるで杖の先から周囲に林立するビルの一つが飛び出したかのような太さだった。
「ぎゃあああああああ!」
ルオーネが火柱に飲み込まれる。
火柱が消えると、人間の姿に戻ったルオーネが地面に落下した。
「勝った……」
呟き、振り返ったセルフィと目が合う。
おれたちはすぐに目を逸らす。
「ブ、ブレイブウォッチの故障よ。そうに違いないわ」
「そうか」
「そうよ」
それきり会話が途切れて気まずい沈黙が訪れる。
その沈黙をヴァニアスが破る。
「セルフィ、ブレイブウォッチは嘘を吐かない。ぼくたちの恋は終わったんだ」
「ヴァニアス様、ごめんなさい」
申し訳なさそうな顔をして、セルフィが頭を下げる。
「謝らなくていい。ぼくの心も、他の女性に向いてしまっているんだから」
おれとセルフィが顔を見合わす。
それって……。
「さあ、後始末をしよう」
ヴァニアスはそう言って、ブレイブウォッチを操作し、制服の青いマントを取り出すと、それを裸で気絶しているルオーネの体に覆い被せた。更にロープを取り出すと、それでルオーネの体を縛り上げる。
ヴァニアスがルオーネを肩に担ぎ上げる。そして逃げるでもなく、立ち尽くしているキロードの方に向かって歩き出した。おれたちも後に続く。
その頃になると、周囲の建物の中に避難していた人たちが、バトルが終わった気配を感じ取り、恐る恐る建物の外へと出てきていた。ぞろぞろ出てくる人々の中に、ユウカリンと村上さんと笹原さんたちの姿もあった。
三人はキロードの姿に気がつくと、キロードの傍まで駆け寄ってきた。
ユウカリンが口を開く。
「さっきは助けてくれてありがとう」
村上さんと笹原さんもお礼を述べる。
「さっきの君、格好良かったよ。わたし惚れちゃうかも」
「か、格好良いだなんてそんな、照てるなあ」
赤面したキロードが片手を後頭部にやる。
「あれ? 君の顔、どこかで見たような……」
ユウカリンがなにかに気づいたように、キロードの顔をまじまじと見つめる。キロードがさっきまで被っていたお面はなくなっていた。バトルのどさくさでどこかにいってしまったんだろう。
ユウカリンが目を見開く。
「あ! 思い出した! ネットで見たプールではみチンしながら暴れた人だ!」
キロードがプールではみチンして暴れていた時、周囲にいた客たちが、スマホを使って写真やら動画を撮影していた。そしてそれがネットにアップロードされて、話題になっていた。
ユウカリンたち三人が顔を引きつらせて後ずさる。そして、
「い、いやあ! 変態君だったー! だから女装コスプレしてたんだ!」
ユウカリンたち三人は、キロードの前から猛ダッシュで逃げて行った。
キロードはユウカリンたちの背中に片手を伸ばし、そしてがっくりと肩を落とした。
ロープを持ったヴァニアスがキロードに近づく。
キロードは抵抗することもなく、素直に両手を差し出した。その手をヴァニアスがロープで縛る。
キロードがおれたちに向かって頭を下げる。
「セルフィさん、殺そうとしてすみませんでした。皆さんにもご迷惑をおかけしました。本当にすみませんでした」
「それじゃあ、帰るとするか」
ヴァニアスが言った。
おれは訊かずにはいられなかった。
「また会えるんだよな? おれたち」
「特に理由もなく異世界に転移することは、わたしたちの世界の法律で禁止されているわ。でも今回の事件について、当事者のわたしたちは実地検分を行うために、またこの世界にすぐに来ることになるはずよ」
やっぱり自由に行き来することはできないのか。でもまだ会える機会はあると聞いて、おれはとりあえずほっとする。
今回の事件のことを、四人が通う学院の学院長に報告するために、四人は白く光る壁の中に消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます