第23話
ジュースを買いに行って戻ってきた涼子とヴァニアスは、なんだかとても楽しそうだった。なんかあったのかな?
手渡されたジュースを飲みながら歩いていると、ヴァニアスが言った。
「悪いんだけど、涼子と二人で行動させてくれないかい? 暫くの間だけでいいんだ」
「おれは別にいいけど」
セルフィは確実に嫌がるはずだ。自分の彼氏が他の女と二人っきりで一緒にいたい、なんていう申し出を承諾する彼女なんて、そうそういるわけがない。
「わたしも構いません」
おれは驚いてセルフィに顔を向けた。
「そうか。ありがとう。じゃあ、後で合流しよう」
ヴァニアスは涼子と二人で歩いていってしまった。
「いいのかよ。行かせて」
素に戻ったセルフィが言う。
「問題ないわ。ヴァニアス様が浮気なんてするわけないし。さ、わたしたちも行きましょ」
「お、おう」
歩き出したセルフィにつられて、おれも歩き出す。
どういう心情なんだ? 自分が他の女に負けるはずがないっていう余裕なんだろうか? よくわからん。
「ねえ、あれなに?」
セルフィが指さす先を見る。
「あれはアイスクリーム屋だ」
店員からアイスクリームを受け取った客たちが、アイスクリームを舐めながら歩いていく。
「おいしいの?」
おれは首肯する。
「アイスクリームを嫌いな奴なんて、ほとんどいないと思うぞ」
「ふうん。折角だから、食べてみようかしら」
アイスクリームを買ったおれたちは、アイスクリームを舐めながら園内を散策する。
「おいしい!」
「だろ?」
初アイスクリームを食べたセルフィが柔和に笑む。幸せそうな笑顔だった。
視界を前方に戻したおれの足が止まる。
おれの横を歩いていたセルフィが振り向き、おれの視線の先に顔を向ける。
そこにいたのは綾と母さんと、それから男の人が一人。おそらくあれが母さんの浮気相手、今の夫なのだろう。
三人は、まるで母さんの浮気なんてなかったかのように、幸せそうな笑顔を咲かせて談笑しながら歩いている。
綾が目ざとくおれに気づいた。
「あ、お兄ちゃん!」
綾が三つ編みを揺らしながら、おれたちのところに駆けて来る。
「お兄ちゃんも来てたんだ」
母さんと浮気相手もこっちに来る。
「今日はお母さんとお父さんの仕事がどっちも休みだから、三人で来たんだ」
綾が浮気相手をお父さんと呼んだのを聞いた瞬間、おれはそれがとても嫌に感じた。胸の辺りがかき回されるような、酷い違和感を覚える。
お父さんと呼んでいるということは、綾は母さんの浮気相手であるこの男を受け入れているということだ。
――おれたちの父さんはそいつじゃないだろ!
おれは心の中で叫んだ。
綾は母さんを許して新しい家庭環境に馴染んでいるのに、悪いことである浮気をした母さんのことを、未だに許せていないおれの方が悪いみたいに思えて、疎外感を感じる。
綾がおれの隣のセルフィに目をやる。
「お兄ちゃんの彼女?」
「「違う!」」
おれとセルフィは同時に断固否定した。
おれは母さんの隣に立つ男に改めて視線を送る。
二十代半ばとは聞いていたが、想像していたよりも若く見えた。人当たりが良さそうな雰囲気の男だった。
おれが睨むようにしてじっと見ていると、男がなんだか頼りなさそうな笑みを浮かべながら、おれに話しかけてきた。
「悠人君だよね? 初めまして、修一です。今まで会う機会がなくて、あいさつが送れてごめん」
これまで何度か綾がこの男とおれを会わせる場を設けようとした。でもおれはそれをずっと拒み続けていた。だからおれがこの男と顔を合わすのはこれが初めてだ。
おれは無言で会釈だけを返す。
それだけで会話は終了し、気まずい沈黙が広がる。
綾が助け舟を出そうとする。
「あ、そうだ。折角こうして会ったんだから、記念に写真撮ろうよ。いいでしょお兄ちゃん」
綾がおれの返事を待たずに携帯電話を取り出す。
「それいいわね」
「グッドアイディアだよ綾」
母さんと修一も乗り気になる。
おれは腹の中が煮えくり返っていた。
「一体何の記念だよ。崩壊して複雑になった歪んだ家族の記念写真かよ」
おれは吐き捨てるように言った。
「ちょっとお兄ちゃん!」
おれは修一を睨みつける。
「おいお前、さっきからなにヘラヘラ笑ってんだよ。お前のせいでおれの家族がめちゃくちゃになったんだぞ! 謝れよ!」
おれの怒号が響き、周囲の客たちの視線がおれたちに集まる。
「それについては、悪いと思ってる。本当にごめん」
真顔になった修一が、おれに向かって深々と頭を下げる。
「なんでお前らと記念写真なんか撮らなくちゃいけねえんだよ! 気持ち悪いんだよ! 意味わかんねえよ! 自己中過ぎんだろ! お前らと仲良くなんかできるわけねえだろ!」
おれは怒りに任せ、母さんに向かってアイスクリームを投げつける。
アイスクリームの部分が母さんのお腹に当たり、緩慢な動きで落下していく。
おれは四人を置き去りにして、大股で歩き出した。
後ろからセルフィの声が飛んでくる。
「あんた、お母さんっ子だったんでしょ?」
「あ!?」
イラついているおれは、セルフィに対しても乱暴な言葉をぶつけてしまう。
早歩きのおれの後ろをセルフィが付いて来る。
「好きだった分、裏切られた時に相手に抱く憎しみの量って増えるから。あんたお母さんのこと大好きだったんだろうなって思って」
「お前に関係ねえだろうが!」
「お母さんに対するもやもやした気持ち、誰かに話したことあるの? こんなヘビーな話、言いづらいことだし。事情を知ってる周りの人たちも、気を使って訊かないようにするし。あんた長男だから、妹にも言えなかっただろうし、あんたまだ誰にもこの話してないんでしょ」
「だったらなんだってんだよ!」
「わたしが聞いてあげる」
「はあ!? いきなりなに言い出すんだよ」
「誰かに話すだけでも気が楽になるわよ」
「いいってそんなの恥ずかしいし」
「ついさっきわたしの前であれだけの醜態晒したんだから、今更恥ずかしがる必要なんてないでしょ?」
確かにこいつの言う通りだ。おれの歩く速度が緩む。
そのまま暫く歩いていると、血が上っていたおれの頭が段々と冷静さを取り戻していく。
「とりあえずここに座りましょ」
促されるまま、近くにあったベンチに二人で座る。
色んな想いが渦巻いていて、一体どこからどういう風に話せばいいのかわからない。
おれはなかなか話の糸口を見つけられず、黙り込み続けた。
そんなおれを急かすこともなく、隣に座るセルフィは、おれが話し始めるのをずっと待ってくれている。
おれたちの前を楽しそうに笑いながら、何人もの人達が通り過ぎて行った。
そうしてようやくおれは口を開いた。そしてぽつぽつと話し出す。
おれの要領を得ない話を、セルフィは「うん。うん。うん」と相づちを打つだけで、余計な口を挟まず聞いてくれた。
「お前の言うとおりで、おれ、母さんのこと大好きだった。母さんが浮気して、母さんのことが信じられなくなって、でも、母さんのことを嫌いになりきれなくて。母さんのこと嫌いなのか、今でも好きなのか自分でもわからなくて。今の母さんにどう接していいのかも、正直わからないんだ」
話していると、母さんに対する憎しみと同時に、昔母さんに優しくされた時の記憶も呼び起こされて、おれの瞳から止めどなくぼろぼろと涙が流れ出る。
泣きながら話し続けるおれのことを、セルフィは笑うこともなく、ずっと話を聞いてくれた。
話し終わり、おれは服の袖で涙を拭った。
「みっともないとこ見せちまったな」
「わたしはなにも見てないわよ」
話している最中、セルフィはずっとおれの方に顔を向けなかった。多分気を遣ってくれたんだと思う。
横からハンカチが差し出される。おれはそれを受け取り、涙を拭いた。
こいつのことだから、話してる途中でいつもみたいに説教してくるんじゃないかと思ってた。でも、してこなかった。
こいつはいつも言いたいことをズバズバ言う奴だけど、別に人に気を使えない奴ってわけじゃなかったらしい。
「少しは楽になった?」
「ああ、おかげですっきりした」
「ならよかった」
涙を拭き終わったおれに、セルフィが笑顔を向けてくる。
おれはその笑顔に優しさと、それから包容力を感じた。
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