第22話


 セルフィとヴァニアスがマンガ喫茶に向かったが、そこにキロードの姿はなかったらしい。

 二人が戻ってきてから、おれたちはみんなで遊園地に行くことにした。

 女は男よりも身支度に時間がかかるらしく、おれとヴァニアスは、おれの家の前で待たされていた。

 おれの家からセルフィが、隣の涼子の家から涼子が出てきた。

「お待たせ!」「お待たせしました」

 セルフィは昨日買った洋服に着替えていた。

 出てきたセルフィの姿を見たヴァニアスの顔が綻ぶ。

「それは異世界の民族衣装かい? とてもよく似合っているよ! まるで服たちが、君の美しさを引き立たせるために、あつらえられたかのようだ! 君はどんな格好をしていても眩しすぎるよセルフィ!」

「ありがとうございます」

 セルフィが笑顔を咲かせて、スカートを摘んで持ち上げ、膝を少し折り曲げる可愛らしい仕草をしてみせる。

 そのやり取りを見ていた涼子が、両手で自分の頬を包む。

「わあ! ヴァニアスって女の子をストレートな言葉で褒めるのね! ロマンティックで素敵! ねえ悠人、今日のわたし、どうかな?」

 涼子がおれの前で両手を広げてくるりと回る。褒めて、と言ってるんだろうな。

「ん、いつも通りで、可愛いと思うぞ」

「この服、悠人の前で着るの初めてなんだけどっ! いつも通りで可愛いってなによ! それ褒めてないじゃん! もうっ! いいなあセルフィは、あんな風に褒めてもらって。羨ましい!」

 いつも可愛いという意味を込めて褒めてみたんだけど、なぜか怒らせちまったみたいだな。普段、褒め慣れてないから、たまに褒めてみるとうまくいかない。

「それじゃ行くか」

 おれが出発しようとすると、涼子が待ったをかける。

「ちょっと待って。悠人、ハンカチ持った? 財布忘れてない? あ、戸締りはちゃんとしてきた?」

「持ってきたし、戸締りもしてきたって」

 涼子のいつもの過剰な確認に、うんざりした声を出す。

「ほら、襟が曲がってるよ」

 涼子がおれの服の襟を正そうとする。

 おれは涼子の手を払いのけて自分で正す。

「いいって自分でやるから」

 そんなおれたちのやり取りを見ていたヴァニアスが、白い歯を見せる。

「ははは! しっかり者の姉が弟の世話をしているみたいだね」

「じゃ、行こっか。悪いんだけど、お花屋さんに寄らせて」

 涼子の言葉に、そういえば今日は蓮兄の月命日だったことを思い出す。

 おれたちは少し寄り道して、花屋で涼子が花を買った後、とある交差点に来ていた。

 涼子が花を、交差点の通行の邪魔にならない脇に供える。そして目を瞑って手を合わせる。

 おれも手を合わせて目を瞑る。

「なにをしているんだい?」

「わたしのお兄ちゃんが昔、ここで車に轢かれて亡くなったの。こうやって手を合わせるのは、亡くなった人の冥福を祈る時にするポーズなんだよ。良かったらセルフィとヴァニアスも、お兄ちゃんのために手を合わせてあげて」

 二人はおれたちの見よう見まねで、手を合わせて目を瞑った。


 遊園地に到着し、おれたちは大いに楽しんでいた。

 お化け屋敷に入っていたおれたちは、出口に到着した。

「わたしとっても恐かったです」

 セルフィはヴァニアスの腕にしがみついていた。

「ははは! セルフィは怖がりだな。あんなの子供だましじゃないか」

 中に入っている最中、セルフィはきゃあきゃあ叫びっぱなしだった。

 セルフィの奴、本当に恐かったのか? もしかしたら猫を被ってるから、恐がるか弱い女の子を演じているだけなのかもしれない。

 お化け屋敷から離れると、セルフィはようやくヴァニアスの腕から離れた。

 どっちだったんだろうと思いながら、おれはセルフィのことを見つめる。

 それに気づいたセルフィと目が合う。

「どうかしたんですか悠人さん。わたしの顔になにかついてますか?」

 近くにヴァニアスがいるせいで、おれにも猫被りの態度を取るセルフィ。

 セルフィが猫を被ってることをヴァニアスに隠しているから、おれは気を遣ってヴァニアスに聞こえないように答える。

「素のお前を知ってる分、猫被ってる時のお前ってアホに見えるんだけど」

「誰がアホよ!」

 思わず素を出してしまうセルフィ。

「ん? どうかしたかい?」

「な、なんでもないんです! おほ、おほほほほ……」

 セルフィは下手くそな芝居で誤魔化した。

「? そうかい。さあ、次はどのアトラクションに行こうか」

 誤魔化すことに成功したセルフィが、次の行き先をヴァニアスと相談し始める。

 ヴァニアスの前でセルフィが猫を被るのは、セルフィがヴァニアスのことを好きで、ヴァニアスに気に入られたいからだ。つまりあいつがおれの前で猫を被らないのは、おれがあいつに全く相手にされてないってことだ。

 ヴァニアスの前で猫を被るセルフィを見ていたおれは、ショックを受けて落ち込んだ。

 …………おいおい、なにショック受けてるんだよおれ。なんで落ち込む必要があるんだ? 三次元の女の子なんかどうでもよかったはずだろ? 一体おれ、どうしちまったんだろう。やっぱり熱があるのかもしれない。


 ヴァニアスと二人で、次はどの乗り物に乗ろうか相談していたセルフィの前で、男が空き缶をゴミ箱に向かって投げ捨てた。

 しかし外れて道に転がる。

 セルフィは咄嗟に空き缶を拾って、その頭に投げつけて説教してやりたい気持ちになった。でも今はヴァニアスの前なので自重することにした。

 セルフィは道に転がった空き缶を拾うと、ゴミ箱に捨てた。

「マナーの悪い人ですね。きちんと捨てておかないと、誰かが踏んでしまったら、転んで怪我をするかもしれないのに」

 ヴァニアスがセルフィに微笑みかける。

「セルフィ、君は容姿が美しいだけじゃなく、他人を気遣える優しい心も持ち合わせているんだね」

「そんな、褒めていただくほどのことではありません。当然のことをしただけです」

 セルフィは今、嘘は言っていなかった。でも素の自分だったら、同じ内容のことを、空き缶を捨てた男に、もっとボロクソな言い草で説教していたところだ。

 もし今、素を出して男を説教していたとしたら、そんなセルフィを見たヴァニアスは、同じように褒めてくれただろうか?

 ヴァニアスに褒められたのは本当の自分ではない。だからセルフィは褒められたというのに、ちっとも嬉しく感じてはいなかった。

 ――本当のわたしはヴァニアス様の思っているような女の子じゃない。褒めてもらいたいのはそこじゃない。わたしが褒めてもらいたいのは、先日悠人が褒めてくれた素のわたし。

 遊園地に来てからヴァニアスにべったりとくっつき、色んなアトラクションに乗って遊んでいるけれど、猫を被ってヴァニアスと一緒にいても、あんまり楽しくない、とセルフィは感じていた。猫を被ることはやはり精神的に消耗する。セルフィはヴァニアスと一緒にいることで、疲れを自覚していた。

 ――昨日悠人と一緒にショッピングモールに行った時の方が、あいつには気を遣わないから楽だし、ヴァニアス様と一緒に過ごしてる今日よりも、よっぽど――

 そこまで考えたセルフィは頭を振って思考を散らした。


「喉渇かない? ジュース買ってこようか?」

 涼子の問いかけに、おれたち三人が賛同する。

「じゃあ、わたし買ってくるね」

「一人で全員分を持つのは大変だ。ぼくも行くよ」

「ありがとう」

 涼子はヴァニアスと連れ立って、フードコートに向かった。そして飲み物を売っている店の前で並ぶ。

「ヴァニアスはなに飲む?」

「この世界にどんな飲み物があるのか、ぼくはよく知らないから、オススメがあったら教えてくれないかい?」

「そうだねえ、なにがいいかなあ? あ、そうだ。クオンに炭酸飲料ってある?」

「タンサン?」

「ないんだったら飲んでみたら? おいしいよ」

「じゃあそれにするよ」

 ヴァニアスは涼子に勧められたコーラを購入した。

 二人とも片手に一つずつ、二人分の飲み物を持って歩きながら話す。

「炭酸は抜けると不味くなっちゃうから、今飲むのが一番おいしいんだよ」

 涼子が自分の分のコーラを飲んでみせる。

「あー、おいしい!」

 それを見たヴァニアスも真似して飲んでみる。

 ヴァニアスが鼻の上に皺を寄せる。

「鼻がツーンとするけれど、シュワーっとして爽快な喉越しだね! 美味だよ!」

 感想を聞いた涼子が笑顔になる。

「でしょ? わたしも好きでよく飲むんだ。ゲプッ!」

 ゲップをした涼子を見て、ヴァニアスが目を丸くした。

「ゲップ出ちゃった。炭酸飲んだらわたし必ず出るんだよね」

 涼子は恥ずかしがることもなく、しれっとしている。

「ぼくの前でゲップをした女性は君が初めてだよ」

「え、そうなの?」

 ヴァニアスが首肯する。

「ぼくの周りにいる女の子たちは涼子と違って、みんなもっと可愛らしいというか、女の子らしい振る舞いをする子たちばかりなんだ」

 涼子が頬を膨らませる。

「なにそれ、まるでわたしが可愛くないみたいじゃん」

「そういう意味で言ったんじゃない。君は素敵な女性だ。さばさばしてる涼子は話しやすくて、ぼくの周りにいる女の子たちよりも君と話している方がとても楽しい。それに涼子、君は美しい女性だよ。学院寮のぼくの部屋に飾っている花たちよりも、君の方がよっぽど綺麗だ」

「ゲップするのに?」

「ああ。鏡の中をのぞいて見るといい。君が映るだけで、ただの鏡が一瞬にして美麗な絵画に変わるから」

 涼子の頬が朱に染まる。

「そんなキザなこと言って、恥ずかしくないの?」

「女性を素直に褒めることの、なにが恥ずかしいって言うんだい?」

 ヴァニアスは当然のことのように、しれっと言った。

「ヴァニアスはお世辞でキザなことを言ってるんじゃないんだね」

「君の言う通り、ぼくはお世辞は言わない主義なんだ。その人の良いと思ったところを、思った通りにそのまま口にしているだけさ」

「男の子に今みたいにストレートな言葉で褒められたのって、わたし初めて。悠人は絶対にああいうこと言わないし。キザでちょっとこそばゆかったけど、嬉しかったよ」

 涼子がパッと笑顔を咲かせた。

 二人の前を、小さな女の子がはしゃぎながら走って横切ろうとした。

 女の子がつまづいて転ぶ。手に持っていたジュースが地面に転がり、中身が零れてしまった。

 女の子が顔を歪めて泣き出す。

 慌てて涼子とヴァニアスが介抱するために近寄ろうとするが、二人より早くやって来た男の子が、女の子の傍にしゃがみこんだ。

「大丈夫か? だから走るなって言っただろ?」

 お兄ちゃんらしき男の子がポケットから絆創膏を取り出し、女の子の擦りむいた膝に張る。

 そして女の子を立たせて、服について汚れを払い落としてやる。

「ジュース零れちゃった! ジュース! ジュース!」

 女の子は依然として泣き止まない。

「しょうがない奴だな。ほら、兄ちゃんのやるから、もう泣くな」

 男の子が自分のジュースを女の子に差し出す。

「うん。ありがとう」

 ようやく泣き止んだ女の子が、目元を拭いながら受け取った。

「よしよし、泣き止んだな。チエミはいい子だな」

 男の子が女の子の頭を優しく撫でる。

「二人とも、どこ行ってたの! 探したのよ」

 二人の母親らしき女性が駆け寄ってきた。

「チエミがジュース飲みたいって言うから買いに行ってたんだ」

「そう。でも今度から買いに行く時は、お母さんに言ってからにしなさい」

「はーい」

 二人は母親と手を繋いで歩いて行った。

 微笑ましそうに見ていたヴァニアスが口を開く。

「今の子達、まるで兄が涼子で、妹が悠人みたいな兄妹だったね」

 涼子が首を横に振る。

「ううん。わたしはどっちかっていうと、チエミって子に似てるんだ」「涼子がかい?」

「うん。わたしはいつも蓮兄ちゃんにわがまま言って、世話を焼かせる、お兄ちゃんっ子の甘えん坊だったんだ。泣き虫で甘えん坊のわたしの面倒を、蓮兄ちゃんがいつも見てくれてた。誕生日に買ってもらったウサギのぬいぐるみが、当時のわたしのお気に入りで、いつもそのぬいぐるみを持って、蓮兄ちゃんと一緒に遊んでた。ある日公園に遊びに行って、家に帰ってきたら、公園にウサギのぬいぐるみを忘れてきたことに気づいて、わたし泣いちゃって。そしたら蓮兄ちゃんが取ってきてやるから待ってろって行って、わたしの代わりにぬいぐるみを取りに行ってくれたの。その帰りに蓮兄ちゃん車に轢かれちゃって。わたしがしっかりしてなかったから、蓮兄ちゃんは死んじゃったの。だからわたし、しっかり者になろうって決めたんだ。ちょうど隣の家に住んでた悠人がずぼらな奴だったから、悠人の世話をすることで、しっかり者になろうと思って、今もそれを続けてるんだよ。周りから世話焼き女房とかってからかわれるけど、わたし別に悠人のこと好きじゃないんだ。悠人の世話をしてるのは、悠人の家庭の事情を知ってるだけに、悠人のことが心配だからっていう理由もあるけど。わたしは蓮兄ちゃんに対する罪滅ぼしを、悠人を使ってやってるだけなんだよ」

「それって、いつまで続ける気?」

「わかんない。蓮兄ちゃんよりもしっかり者になれたって、自分で思えるまでやろうって思ってたけど、いくらやっても思い出の中の蓮兄ちゃんを超えることができないんだよね」

「涼子の中でお兄さんが神格化されてしまっているんだね。もしかしたら一生お兄さんを超えられないかもしれない。涼子が気の済むまで続ければいいと思うけど、たまには息抜きした方がいいかもね」

「息抜き?」

「だってそうだろう? 涼子は生来、甘えん坊だった。そんな涼子が今は無理してしっかり者になろうと頑張っている。それはとても疲れることだと思うけど?」

「確かに疲れるよ。やめたくなることも度々ある。でもやめられないの。やめてしまったら、わたしはあの時から成長してない、蓮兄ちゃんに甘えてた頃のダメなわたしになっちゃうから」

「だったら、ぼくの前でだけ甘えん坊に戻ればいい」

「え?」

「ぼくは女性に甘えられるのが好きだからね。クオンじゃぼくの周りにいる女の子たちが、ぼくの身の回りの世話を甲斐甲斐しくしてくれるけど、ぼくは本当はされるよりも、自分から女性になにかをしてあげる方が好きなんだよ。クオンじゃぼくがなにかをしてあげようとしたら、周りの女の子たちが滅相もないとか言って、それを許してくれないんだけどね」

「ほんとにいいの?」

「ああ、遠慮なんかいらないさ。今日はぼくが涼子の兄だと思って、思いっきり甘えてくれ!」

 笑顔のヴァニアスが大きく両手を広げてみせる。

 少し照れながら、涼子がおずおずと言う。

「じゃあ、いい子いい子して。わたし蓮兄ちゃんにいい子いい子されるの好きだったから」

「お安い御用さ!」

 ヴァニアスが涼子の頭をポンポン優しく叩く。

「久しぶりにしてもらったけど、やっぱり嬉しいね」

 涼子の顔が綻んだ。

「ああ、ぼくの心は今、とても嬉しい気持ちで満たされているよ。やはりぼくは女性に甘えられる方が性に合っているみたいだ」

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