第21話


 夕飯の後片付けが終わり、リビングに行くと、ソファに座ってテレビを見てくつろいでいた涼子が言った。

「そういえば悠人、あんた最近耳掻きした?」

「いや、してねえけど」

「じゃ、してあげるよ。こっちおいで」

 涼子がソファから床に座り込み、自分の太ももを叩く。

 おれは耳掻きを持って涼子の傍に寝そべって、涼子の膝の上に頭を乗せようとした。

「いでっ!」

 背中に激痛が走る。

 振り向くと、おれの背後にセルフィが立っていた。爪先でおれの背中を蹴ったらしい。

 おれはセルフィを睨め上げる。

「いきなりなにすんだよ!」

「あんた、涼子にそんなことまでしてもらってるの?」

「そうだけど、それがなんだって言うんだよ」

「涼子に世話かけすぎよ。それくらい自分でやりなさいよ」

 涼子がセルフィを制する。

「いいんだって、いつものことだもん。わたしももう慣れっこだよ」

 おれは再び涼子の膝の上に頭を乗せようとする。

「でっ!」

 またしてもセルフィがおれの背中を蹴った。

「なんだよ! 涼子がいいって言ってるだろ?」

「な、なんかムカついたのよ」

 怒り顔のセルフィが、おれを蹴った理由がわからず戸惑っているように目を泳がす。

「はあ? なんだよそれ」

 セルフィは鼻を鳴らすと、リビングから出て行った。

 そんなセルフィの背中を不思議そうに見つめていた涼子が言う。

「セルフィどうしたんだろうね?」

「おれが聞きてえよ」

 おれが頭を涼子の膝の上に乗せると、涼子は耳掻きを始めた。おれはそのまま、今日あったことを涼子に話した。

 ブレイブエナジーを溜めるためにおれたちが行った、恥ずかしい行動を聞く度に、涼子は笑った。

「あははは! おっかしい!」

 おれもつられて笑顔になって饒舌になる。

 耳掻きが終わって体を起こす。

「今日の悠人、二次元の話してる時よりも楽しそうな顔してる」

「え、そうか? そんなことないと思うけど」

 涼子が首を横に振る。

「毎日悠人のことを見てるわたしが言うんだから間違いないよ」

「そっか。お前がそこまで言うんなら、そうなんだろうな」

「本当に楽しかったんだね」

「まあな。今日は楽しかったよ。凄く」

 セルフィと一日一緒に過ごして。……あれ? 二次元の女の子にしか興味がないおれが、三次元の女の子と遊んで凄く楽しかっただなんて、なに言ってんだろおれ。どうなってんだこれ? 

「どうかした?」

「え、いや、なんでもない」

 今日のおれどうかしてるのかな? もしかしたら熱があるのかもしれない。念のため後で体温を計っておこう。


 次の日の朝、三人で朝食を食べていると、インターホンの音が鳴り響いた。

「誰か来たみたい」

 涼子が箸を置いて玄関に向かう。

 ここはおれの家なんだから、おれが出るべきなんだろうけど、涼子が出るのはいつものことだから気にしない。

 玄関の扉が開く音がする。

 来客の声がダイニングにいるおれたちにも届く。

「ぼくはヴァニアス。セルフィという赤髪の美少女を探している」

 おれとセルフィは顔を見合わせた。そして二人して箸を置いて、玄関へと向かう。

 玄関の扉の先に、一人の美少年が立っていた。

 セルフィを襲ってきた太った少年と同じ服装をしている。唯一マントの色だけが違っていて、青色だ。

 恐ろしく美しく整った相貌の美少年は、セルフィを見た瞬間、白い歯を見せて破顔する。

「セルフィ!」

「ヴァニアス様!」

 二人は駆け寄り、セルフィがヴァニアスに抱きついた。

「やっと会えた!」

「ヴァニアス様ならきっと、わたしを迎えに来てくださると信じていました」

 笑顔を咲かせて喜び合う二人。

 この美少年がヴァニアスか。セルフィが言っていた通り、おれとは大違いの超イケメンだな。

 ヴァニアスから離れたセルフィが、おれたちを紹介して、あいさつを交わす。

 涼子が快活な笑顔を浮かべて言った。

「涼子です。ヴァニアスって王子様みたいだね」

 ヴァニアスが目を瞠る。

「驚いた。女の子に呼び捨てにされるなんて初めてだ」

「呼び捨て嫌だった?」

 ヴァニアスが笑顔で首を横に振る。

「嫌じゃない。ぼくの周りにいる女の子たちは、みんなぼくのことをヴァニアス様って呼ぶから、呼び捨てが新鮮で驚いただけさ」

 涼子は昔から、男女問わず誰に対しても、さばさばした態度で接し、心の距離を詰めて、すぐに他人と打ち解けることが得意な奴なのだ。

 一通りあいさつが済むと、ヴァニアスが言った。

「セルフィが世話になった。ではセルフィ、帰ろうか」

「そのことなんですがヴァニアス様、わたし頑張ってブレイブエナジーを溜めてるんですけど、まだビッキーを使えるまでには溜まっていなくて」

「平気さ。ぼくのブレイブエナジーを使えばいい」

「え?」

「ぼくのブレイブウォッチを君が装着すればいいんだ。ぼくのブレイブエナジーのチャージ量なら、今すぐにでもビッキーが使えるはずさ。さあ、ぼくたちの世界に帰ろう」

 ヴァニアスが腕からブレイブウォッチを外し、セルフィに差し出す。

 セルフィがおれを振り返り、困った表情をしておれを見つめる。

 おれの胸に急激な寂しさが広がる。数日一緒に過ごしたから、情が移ったらしい。まだ帰らないでくれって思ってしまう。

「ヴァニアス様のブレイブエナジーを使うのは、ヴァニアス様に悪いですし、ブレイブエナジーくらい自分で溜めます」

「遠慮する必要はない。だってそうだろう。ぼくたちは恋人同士なんだから」

「せ、せっかくこちらの世界に来たのですから、わたしもう少しこちらの世界を観光していきたいんです。ダメですか?」

「そうか。君がそう言うならそうしよう。でも学院の勉強が遅れるとまずいから、少しの間だけだよ」

「ありがとうございます。ヴァニアス様」

 一瞬、ほっとした表情を見せたセルフィと目が合う。セルフィはすぐにおれから目を逸らした。

 おれも内心ではほっとして胸を撫で下ろしていた。

「ヴァニアス様。今はどちらに?」

「マンガ喫茶というところに泊まっているんだ」

「悠人さん」

 猫を被ったセルフィが、おれをさん付けで呼ぶことに激しく違和感を覚える。

 豹変したセルフィを見て、さっきから涼子がぽかんと口を開けていた。

「別にいいぜ。一人増えたところで大差ないし」

 元々四人で暮らしていたこの家には部屋も余ってるしな。

「すまない。世話になる。あ、そうだ。キロードという一年生もこちらの世界に来ているんだ。君を探すのを手伝ってくれたんだ。彼もここに呼んでもいいかな?」

「わたしを探すのを手伝った? それってどんな方なんですか? もしかして、背が低くてふくよかで、手と足が短くて、緑色の髪をした方なんじゃありませんか?」

「なんだ、知り合いだったのかい?」

「そのキロードという方がわたしのことを騙して誘いだし、わたしをビッキーの中に突き飛ばしたんです。こちらの世界でも、わたしのこと殺そうとしてきたんです」

 ヴァニアスが目を瞠って驚く。

「なんだって!? それは本当かい? キロードが? 一体なぜ?」

「キロードは戦士タイプですから、ビッキーを行使した協力者が他にいます。それはおそらくルオーネ先輩かと」

「それこそ有り得ない!」

 大仰な身振りで驚愕を露わにするヴァニアス。

 猫を被っているセルフィとヴァニアスを見ていると、なんだかミュージカルを見せられている気分になるなあ。

「自分からヴァニアス先輩を奪ったわたしのことを恨んでの犯行だと思います」

「彼女はそんな酷いことをする人間じゃない!」

「わたしには他の心当たりはありません」

「まさか、信じられない……」

 

 キロードが『モンスター娘だって恋がしたい!』を最新刊まで一気に読破し終えた時には、朝を迎えていた。

 その間、ヴァニアスはマンガ喫茶に帰ってこなかった。

 どうしたんだろうと考えて、キロードはハッとした。

「まさか! セルフィと合流したんじゃ……!」

 キロードは慌ててブレイブウォッチを操作し、ハイリンクミラーを取り出した。そしてミラーを操作し、ハイリンクミラーの欠片をつけたセルフィの様子を確認する。

 ミラーに映し出されたのは、セルフィがヴァニアスに抱きついて、再会を喜んでいる場面だった。

「どうしよう……」

 キロードは手で顔を覆った。

 これはさすがにまずい事態だった。ルオーネに報告するべきだが、やっぱり怒られるのは嫌だ。

 キロードは暫く悩んだが、元の世界に帰るためには、ルオーネにビッキーを使ってもらう必要がある。こうして悩んでいても、いつかは連絡を取らなければならない。

 キロードは意を決して、ルオーネに連絡を取ることにした。

 ルオーネに連絡を取ろうとキロードがミラーを操作しようとした瞬間、ミラーが光った。ルオーネからの連絡だ。

 ミラーをタッチし、そこにルオーネが映しだされた瞬間、ルオーネの怒声が飛んできた。

「あなた一体なにをしていたんですの!? 二人が再会してしまっているではありませんの!」

「申し訳ありません! ここに帰ってきたらヴァニアス先輩がいなくなってて、気づいたら再会してて……」

「遊泳施設でも殺し損ね、またしてもわたくしに連絡も寄こしてこないばかりか、わたくしからの連絡にも今の今まで出なかったですし、あなた全く役に立ちませんわね!」

「申し訳ございません。次こそは必ず」

「あの女一人を殺せなかったというのに、ヴァニアス様と合流してしまった今、あなたに勝ち目なんてあるわけないじゃありませんの! もういいですわ! こうなったらわたくしがそちらに行って、あの女を殺して差し上げますわ!」

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