第18話


「ふう。満足したわ」

 十回目のウォータースライダーを滑り終えたセルフィは、水の中からプールサイドに上がった。

「次はなにをしようかな? そう言えばあっちにはまだ行ってなかったわね。なにがあるか知らないけど、とりあえず行ってみようかしら」

 セルフィが適当にぶらついていると、なにやら周囲がざわついていることに気づいた。

「どうしたのかしら?」

 周囲を見回す。そして知っている顔を見つけた。

「あいつは、あの時の!」

 そこにいたのは水着姿のキロードだった。なにやら激しく赤面しているキロードが、短い手足と、丸々と太った醜い体を晒して歩いている。

 周囲の人々は、キロードを見て笑ったり、手で顔を覆ったり、顔を背けたりして騒いでいる。キロードの太った醜い体を見ての反応にしては、いささか不自然だった。

 セルフィは注意深く目を凝らした。そして異変に気づいてしまった。

 赤面したセルフィがキロードからバッ! と目を背ける。

 キロードは、水着の足を出す部分から、アソコをはみ出させていた。所謂はみチンである。

「なっ! なにやってんのよあいつ!」

 理由は明白だった。ブレイブエナジーを溜めるために決まっていた。

 通報を受けた数名の監視員がキロードの前にやってきた。

「そこの君、水着をきちんと着用しなさい!」 

 キロードは監視員を無視して、なにかを探すように周囲を見回しながら闊歩を続ける。

「取り押さえるぞ!」

 注意を無視したキロードを取り押さえようと、監視員がキロードに近づいた。

 しかしキロードが軽く手で押しただけで、監視員たちは十メートル以上飛ばされて、水飛沫を上げながらプールの中に落っこちた。

 戦士タイプの勇者及び勇者見習いは、魔導士タイプの勇者及び勇者見習いと違って魔法が使えない。しかし、戦士タイプはその代わりにブレイブエナジーを使って、身体能力を強化することが可能だ。

 衆人環視の中で、はみチン姿を晒すことによって溜めたブレイブエナジーを使い、身体能力が強化された今のキロードは強かった。

 キロードが視界にセルフィを捉えた。

 ブレイブウォッチを装着していないセルフィが、分が悪いと見て咄嗟に逃げようとする。

 しかしキロードは数十メートルの距離を一飛びして、セルフィの前に着地した。

「やっと見つけた。今日こそは死んでもらうからね。そのために、さすがに恥ずかしくて全裸にはなれなかったけど、大勢の人前ではみチンしてるんだから。ん? ブレイブウォッチを着けてないじゃないか。油断して外して遊んでたのかい?」

「くっ!」

 セルフィが踵を返して逃走を試みる。

「逃がさないよ」

 キロードがブレイブウォッチを操作し、だるま落としに使うような、大きなハンマーを出現させた。そしてそれを掴み取る。

「グラビトンハンマー!」

 キロードがハンマーをプールサイドに叩きつけた。

 地面が揺れ、逃げようとしていたセルフィや、近くにいた人たちがプールの中に落下する。

 水の中に落ちたセルフィの体が、加重力によってプールの底に押さえつけられる。

 逃れようともがくが、体が重くて、その場から体を起こすことさえできなかった。

 セルフィの口から放出された大量の泡が、水面に向かって競争を始めた。


「うおおおおお!」

 おれは明美さんと涼子からできるだけ遠ざかるために、猛然とダッシュしていた。

「なんだ?」

 そんなおれの目に、異様な光景が飛び込んできた。

「あいつはあの時の!」

 セルフィと出会った時に、セルフィと戦った太った少年が、ドデかいハンマーをプールサイドに振り下ろした体勢で静止している。

 しかもよく見るとあいつ、はみチンしてるじゃねえか!

 そして少年の周囲にいる人たちが、なぜかプールサイドで這いつくばっている。

 おれは少年の方に進路を変える。

 走りながらどういう状況か考えてみる。はみチンしているのはブレイブエナジーを溜めるためだろう。そして少年の態勢と周囲で這いつくばっている人たち、あれは多分斬撃を飛ばした時みたいに、なにかの技を使っているんじゃないだろうか。

 遠巻きに見守っている大勢の野次馬に近づいて訊いてみる。

「なにがあったんですか?」

「よくわからないんだけど、あいつがハンマー出して叩きつけた途端に、あいつの近くにいた人たちが倒れて動けなくなったんだ。それに、プールの中でも何人かが溺れてるらしいんだ。さっき監視員が助けに行ったんだけど、なぜかプールから上がってこないんだ」

 少年が立っている場所は、流れるプールの縁だ。あの技が一定範囲内にいる人たちを動けなくする技だとすれば、効果範囲内のプールの中にいる人たちも動けないということになる。

 おれは野次馬の制止を振り切り、流れるプールに向かって走り出す。少年の目的はセルフィを殺すことだと言っていた。だとすると少年が今攻撃的な行動を取っているということは、プールの中で溺れている人たちの中に、セルフィがいる可能性が高いってことだ。

 おれは少年にあまり近づかないように気をつけながら、流れるプールの中を覗き込んだ。

「セルフィ!」

 案の定、目立つ赤い髪が水の中に沈んでいた。

 どうしたらいい!

 おれはブレイブウォッチの時計盤を確認する。明美さんとの邂逅で、ブレイブエナジーはかなり溜まっていた。

 多分だけど、見た感じ少年が使っている技は、ゲームによく出てくる範囲型重力魔法の類だと思う。

 おれは少年とプールサイドで這いつくばっている人たちを見て、おおよその効果範囲を予測する。

 ブレイブウォッチを外し、そして範囲内に入らないように注意しながら、流れるプールの中に入った。

 全身が冷たい水の感覚に包まれる。

 水はおれからセルフィたちがいる方に向かって流れている。

 おれはプールの縁を掴んで、体が流されないようにする。

 セルフィたちはプールの底に這いつくばっていた。

「(セルフィ! セルフィ! セルフィ!)」

 水の中で何度も必死に叫ぶ。するとセルフィが反応し、こちらに顔を向けた。少しは動けるらしい。

 おれはセルフィに向かってブレイブウォッチを流した。

 セルフィが必死に腕を持ち上げようとする。しかし思うように体が動かせないらしく、その腕は震えている。

 ブレイブウォッチがセルフィに迫る。ブレイブウォッチはセルフィの指先を掠めて、更に先へと流れて行ってしまった。

 くそっ! ブレイブウォッチを追いかけて、もう一度チャレンジするか? でもそのためには、少年の技の効果範囲に入らないように迂回しながら追いかける必要がある。追いつくまでにはそれなりの時間がかかってしまうだろう。

 それにセルフィたちが沈められてから、どれくらい時間が経ったのかもわからない。もしかしたら息がもう限界に近いかもしれない。ブレイブウォッチを追いかけて、もう一度チャレンジしている暇はないかもしれない。

 そうだ! 少年がはみチンをしている理由は、ブレイブエナジーを溜めるためで間違いないはず。はみチンを衆人環視の中で晒し続けることによって、継続的にブレイブエナジーを得ているんだ。それを止めた方が、流れていった小さなブレイブウォッチを追いかけて見つけて、ここに戻ってくるより簡単だ。

 おれはプールから上がり、客が休憩するための日陰を作り出すために設置されているパラソル目指して駆けた。

 パラソルを持ち上げると、それを持って少年の近くに向かった。

 そして横倒しにしたパラソルを押して、パラソルの傘の部分で野次馬たちの視界から、少年のはみチンが見えないようにした。

 一つだけじゃ野次馬全員の視界を塞ぐことはできない。おれは再びパラソルを取りに向かう。

「あいつを見ないようにしてください!」

 一応呼びかけたけど、事情をわかっていない野次馬達は言うことを聞いてくれない。

「悠人!」

「涼子! パラソルでみんなの視界を塞ぐんだ!」

「わかった!」

 騒ぎを聞きつけ、近くまで来ていたらしい涼子と協力して、素早くパラソルを扇状に設置する。

「これでどうだ!」

 野次馬たちの視界を完全に遮断した。

 するとプールサイドで這い蹲って動けなくなっていた人たちが、少しずつ動けるようになっていく。四つん這いになり、少しずつキロードから離れていく。プールに沈められていた人たちの顔が水面から出てきた。

「ちっ! 余計なことを!」

 少年がプールサイドの床に押し付けていたハンマーを持ち上げる。その瞬間、逃げていた人たちの動きが一気に速くなった。

 よしっ! 技の効果が解けたんだ!

 少年が有り得ないスピードでパラソルに近づき、ハンマーをなぎ払って次々に吹き飛ばす。

 そしてハンマーを大きく振りかぶった。

「グラビトンハンマー!」

 少年がさっきの技を再び使おうとしていることを直感する。

「させるかあ!」 

 おれは少年の体に抱きついて、自分の体を使ってはみチンを隠すために、少年に向かって駆け出した。

 ハンマーがプールサイドに叩きつけられる。

 瞬間、急激に体が重くなり、おれは腹からプールサイドに倒れ込んだ。

 プールから上がろうとしていた人たちが、再びプールの中に落ちていく。

「くっそう!」

 起き上がろうとするが、体が重すぎて動けない。

「ふっふっふ。今回はおれっちの勝ちみたいだね」

 少年が勝ち誇った笑みを浮かべる。

 その時、流れるプールの中から、なにかが飛び出した。

 目を向けると、足元に魔法陣を展開したセルフィが、空中に浮いていた。セルフィは肩を上下させながら、激しく呼吸を繰り返す。その腕にはブレイブウォッチが装着されていた。おれが渡し損ねたブレイブウォッチが、流れる水に乗って一周してきたんだろう。

 杖を握るセルフィが、少年を睥睨する。

「な、なにぃ!? はみチンして溜めたブレイブエナジーで行使したグラビトンハンマーの効果範囲内にいるのに浮遊魔法を使えるだなんて、こんな短期間でそれほどまでのブレイブエナジーを溜めたって言うのか! 一体どんな方法を使ったんだ!?」

 おれが致死性の恥を掻いて溜めたブレイブエナジーが、強大な力を発揮しているらしい。

 魔法陣に乗ったセルフィが降りてきて、キロードの傍に立つ。

「あんた、よくもやってくれたわね! 死ぬとこだったじゃない!」

 目尻と眉を吊り上げたセルフィに睨まれ、少年が竦みあがる。

「ひ、ひいっ! 許して!」

 少年が踵を返して逃げようとする。

「そんな汚いもん見せてんじゃないわよー!」

 セルフィが少年の背中に向かって杖を突き出す。

 プールから大量の水が浮き上がり、それがドデかい拳の形となって、少年を殴ってぶっ飛ばした。

「ごめんなさあああぁぁぁぃ!」

 少年はキラリと光って空の彼方へと消えていった。

 その魔法、さっき明美さんと再会した時のおれにして欲しかったわ。

 セルフィが激しくげほげほと咳き込む。溺死しそうになっていたんだから無理もない。

 おれは立ち上がってセルフィに駆け寄った。

「大丈夫か?」

「わたしはゲホッ! 大丈夫だから、助けないと。ゴホッ!」

 自分以外の溺れていた人たちを助けようと、セルフィが咳き込みながら流れるプールの中に入ろうとする。

 それをおれが制止する。

「無理するなって」

「ゲホッ。なに言ってるのよ。苦しんでる人が目の前にいたら、助けるのは当たり前でしょ」

 セルフィはおれの体を押しのけ、苦しそうに顔を歪めながら救助活動を始めた。慌てておれも手伝う。

 苦しそうな表情を浮かべながらも、懸命に救助を行うセルフィ。おれはそんなセルフィの姿を見て、こいつめちゃくちゃ口悪いけど、やっぱりそんなに悪い奴じゃないんだ、と思った。

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