第16話


 放課後、おれは寄り道してから帰路に着いた。

 そしてすぐに隣の涼子の家のインターフォンを押す。

 そのまま暫く待っていると、玄関の扉を開けて涼子が出てきた。

「……なんの用」

 不機嫌さを隠そうともしない涼子は仏頂面だった。

 おれは頭を下げた。

「今朝はごめん。言い過ぎた」

「悠人の本心はわかったから、明日から全部自分でやればいいよ」

「あれは本心じゃないんだ。お前の小言がうるさくて、ついあんなこと言っちまったけど、本当はいつもお前には感謝してるんだ」

「ほんとかなあ?」

 涼子がおれに疑念の目を向ける。

「掃除してくれてることも、朝起こしてくれることも、ご飯を作ってくれることも、全部感謝してる。お前のご飯をいつもまあまあって言ってるけど、本当は毎日めっちゃうまいと思ってるんだ」

「じゃあおいしいって言えばいいじゃん」

「なんか照れくさくて、今まで言えなかったんだ」

「そうだったの?」

「ああ」

「ふうん」

 不機嫌さが顔から消えた涼子は、少し照れているようだった。

「えっと、これ」

 おれは包装された小箱を差し出した。

「日頃の感謝の気持ちです」

 涼子が受け取り、小箱を眺める。

「開けていいの?」

「どうぞ」

 その場で涼子が包装を解いていく。そして小箱の蓋を開ける。

「わ、これって」

 中身を見た涼子の顔が輝いた。

「前に一緒に買い物に行った時に、欲しいって言ってただろ」

 箱の中身は、淡いブルーの花の意匠が凝らされたネックレスだった。

「覚えててくれたんだ! 嬉しい!」

 涼子が満面の笑顔になる。

「うわあ! 可愛い!」

 涼子はネックレスを箱から取り出して持ち上げ、きらきらした瞳で眺める。

「悠人ありがとう!」

「ああ。喜んでくれてよかったよ」

 ここまで喜んでくれるとは思ってなかった。

 こんなに嬉しそうな涼子の笑顔を見るのは久しぶりだ。

 ちょっと悔しいけど、セルフィの言った通りになったな。あいつ口悪いけど、やっぱり女だからおれよりも女心がわかってるんだろう。

 おれは少しセルフィのことを見直した。


 晩ご飯を食べた後、おれはセルフィと二人で食器を洗っていた。

 料理を作ってもらっておいて、洗い物まで涼子にさせるわけにはいかないから、おれが洗い物をするのはいつものことだった。

 涼子は今リビングでソファに座り、テレビを見てくつろいでいた。 

 おれが洗って、セルフィが拭いて食器棚に戻す。

 ブレイブエナジーを節約するため、魔法で片付けることはしない。

 おれは食器をスポンジで洗いながら言った。

「お前の言った通りだったよ。涼子に謝って、本当はいつも感謝してることを伝えたら、涼子のやつ、めっちゃ喜んでたよ」

「そんなこと言わなくても、夕ご飯の時の涼子の様子を見てたらわかるわよ。喜んでくれてよかったじゃない」

「ありがとな」

「別にあんたのために言ったんじゃないんだから、あくまで涼子のためよ」

「わかってる。でも言わせてくれ。ありがとう」

 涼子の笑顔が見れて、おれも幸せな気持ちになっていた。だからどうしてもセルフィにお礼が言いたかった。

 セルフィが顔を綻ばせる。

「どういたしまして」

「ブレイブエナジー溜めるの、おれに手伝えることないか?」

「そこまでしてくれなくてもいいわよ。宿と食事を提供してくれるだけで充分。あとは自分でするわ」

「二人でやった方が効率いいだろ?」

「まあ、そうだけど」

「涼子を喜ばすことができたお礼がしたいんだよ」

「そういうことなら、協力してもらおうかしら」

「ていうかブレイブエナジーを溜めるのって、おれにもできることなのか?」

「ブレイブウォッチを装着すれば、異世界人でもできるわ」

「そっか。あ! だったらブレイブウォッチ付けてたら、おれでも魔法が使えたりするのか!?」

 アニメを見たり、ゲームをプレイしながら、自分もこんな風に魔法が使えたらなあ、とおれは日々思っていた。使えるのだとしたら、その夢が叶うってことだ。期待でオタクであるおれのテンションが一気に上がる。

「それは無理よ。異世界人でもブレイブエナジーを溜めることはできるけど、ブレイブエナジーを戦闘力に変換することができるのは、クオンの勇者か勇者見習いだけだから」

 おれは肩を落とした。

「そっか。それは残念だな。それで、効率的にブレイブエナジーを溜める方法とかってないのか?」

「あるにはあるけど、危険を伴うわ。命の危機を感じるほどの恐怖に打ち克とうとしたり、あんたが昨日言ったみたいに、裸になって街中を歩き周れば効率的ね。あんたやってくれるわけ?」

 皿を拭いていたセルフィがおれの顔を見上げる。

「う……。現実的じゃないな。じゃあどうすればいいんだ?」

「恐怖に打ち克つなら、もう少し難易度を下げて、怪我をするかもしれない危険なことをすればいいけど、そんなの嫌でしょ?」

「確かに」

「わたしもあんたも近くに自分の恋人がいないから、愛によるチャージは不可能だし、となると残るは恥ずかしいことをするしかないわね」

 結局はそうなるのか。


 翌日は一学期の終業式だった。

 学校は午前中に終わり、家に帰ってお昼ご飯を食べ終えたおれは、セルフィに言った。

「買い物に行くついでにブレイブエナジー溜めてくるから、ブレイブウォッチ貸してくれよ」

「だったらわたしも行くわ」

 おれは首を横に振る。

「おれ一人じゃないとできない溜め方なんだ」

「どんな溜め方なのよ」

「そ、それはだな、秘密だ」

「なによそれ、なんか怪しい」

 セルフィが目を細めて怪訝そうにおれの顔をじっと見つめる。

「かなりの量が溜まる自信があるんだ。だからおれに任せてくれないか?」

「ふうん。わかった。ん」

 セルフィが腕からブレイブウォッチを外して、一つしかないから失くさないでよね、と念を押しながらおれに手渡す。

「それじゃ、わたしはヴァニアス様を探しに行ってくるから」

 おれたちは玄関を出たところで別れた。

 そしておれは家からかなり離れた位置にあるコンビニまで来ていた。

 どうすればたくさんのブレイブエナジーを溜めることができるのか、色々考えて、おれが出した結論がエロ本を買う、だった。単純な方法だけど、思春期のおれに出来る、限界の恥ずかしいことはこれだと思ったんだ。しかもセルフィに焼却されて、エログッズが一つもなくなってしまった今のおれにとって、新たなエロコレクションを作る第一歩にもなるという一石二鳥の方法なのだ。

 普段は来ない遠くのコンビニに来た理由は、秘策を考えてきていたからだ。

 おれは未成年だけど、老け顔だから店でエロ本などを買う時に、年齢確認をされたことがないのだった。老け顔ブサイクの役得である。

 自動ドアが開くと、客の来店を知らせる電子音が鳴り響いた。

「いらっしゃいませ」

 レジにいたのはおじさんの店員だった。そして若い女性店員が、パンの品出しをしている最中だった。

 少しでもブレイブエナジーを溜めるために、若い女性店員がレジにいる時に、エロ本を買わなければならない。

 おれはエロ本が置いてある雑誌のコーナーに赴き、どのエロ本を買うか品定めする。そうやって時間を潰し、若い女性店員がレジに立つのを待った。

 暫く待っていると、おじさんの店員がバックヤードに引っ込み、代わりに若い女性店員がレジに立った。

 チャンスだ! とわかっていても、なかなか足が動かない。だって恥ずかしいし! だからこそ今行くべきなんだけど、やっぱり躊躇してしまう。

 こうしていても埒が開かない。おれは意を決してエロ本をレジに持っていった。

 若い女性店員は、おれと同い年くらいに見えた。十中八九バイトの子だろう。

 おれが持ってきた商品がエロ本だとわかった瞬間、その子の頬が朱に染まった。おれも今、同じような顔色になっているに違いない。

 おれの心臓が激しくドックンドックン言っている。

 若い女性店員がバーコードリーダーで、雑誌の裏にあるバーコードを読み取り、値段を口にする。

「ひゃ、八百八十円」

 噛んだ! やっぱりこの子も恥ずかしいんだ。

 店員に悪いと思いながら、早くしてくれ! と心の中で必死に念じる。

 待っている間にブレイブウォッチを確認する。

 店に入る前に確認した時よりも増えてるけど、思ってたより溜まってない。

 こうなったらしょうがない。使いたくなかったけど、秘策を使ってやろうじゃないか。

 おれは緊張しながら口を開き、そして言った。

「温めてください」

 店員の動きが止まり、おれを見上げる。

 おれは店員と目を合わせたまま続ける。

「レ、レンジでチンしてください……!」

 そのままおれたちは五秒ほど見つめ合った。

 自分で考えた秘策だけど、これは恥ずかしすぎるぅ!

 おれは全身がカッと熱くなるのを感じる。

 店員がおずおずと口を開いた。

「……三十秒くらいでいいですか?」

「YES!」

 おれはできるだけネイティブな発音になるように返事した。なぜって? ブレイブエナジーを溜めるためだよ!

 店員がエロ本を電子レンジに入れて、時間をセットしてスタートボタンを押した。

 ほんとにやってくれたよ! 断られると思ってたのに!

 店員もおれの意味不明な要求に、頭が混乱して、思わずやってしまったのだろう。

 オレンジ色に明るくなった電子レンジの中で、エロ本が回転している。

「いらっしゃいませ」

 おれがお金を払っていると、客の来店を知らせるチャイムが鳴り、目の前の店員があいさつした。

 女子高生二人組みが、入ってきてすぐに商品を選び、おれの後ろに並んだ。

 最悪だ! 温かいエロ本受け取るところ見られちまうじゃねえかよ!

 チン!

 温め終わったことを知らせる音が鳴り、電子レンジの中が暗くなる。

 店員が後ろにある電子レンジに振り向き、電子レンジの中から、所々が黒く焦げたエロ本を取り出した。

「ちょ、なにあれ?」

 予想通り女子高生が異様な状況に気づく。

「あれエロ本じゃん?」

「うっそどゆこと!?」

 二人が驚愕しておれにバッと顔を向けたのが視界の端に映る。

 くうぅ! 強烈な羞恥心で体が熱くて、体の中から発火して死にそうだ!

 店員がエロ本をレジ袋に入れて、おれに差し出す。それを受け取るおれ。

 店員と女子高生二人の視線が痛すぎるぜ!

「あ、ありがとうございました」

 こんな明らかに変な客に、最後までまじめな対応をするこの若い女性店員を、おれは心の底から尊敬した。

 このコンビニには二度と来なければいいんだ! そうすればこの店員とも二度と会うことがないんだから、さっさと帰ろう!

 心の中でそう自分に言い聞かせながら、おれは慌てて帰ろうとした。それがいけなかった。

 おれはなにも障害物がない、レジの前の床の上でずっこけた。

「いででッ!」

「「あはははははは!」」

 女子高生たちに爆笑された。

 震える足でなんとか立ち上がったおれは、自動ドアに体当たりするようにして、ようやっと店の外に出た。そしてコンビニから逃げるように全力疾走する。

「うおおおおお!」

 叫びながら街中を爆走していると、

「あら悠人、なにしてんのあんた」

 ヴァニアスを探しに行ったセルフィとばったり会った。

「ブレイブエナジーは溜まったの?」

「ま、まあな」

 おれはブレイブウォッチの時計盤をセルフィに見せた。

 セルフィが驚愕に目を見開く。

「あんた凄いじゃない! こんな短時間でどうやってこんなに溜めたの!?」

「そ、それは秘密って言っただろ? どうだ、これで足りるか?」

「まだ足りないわ」

 人生最大の恥を掻いてなお足りないって言うのか!

「どうやったのか知らないけど、その秘密の方法とやらを後何回かやれば、今日中にでもビッキーを使うために必要な量は溜まるでしょうね。まだ時間あるから、今からまたやってきてよ」

 おれはその場に崩れ落ちて言った。

「きょ、今日はもう無理だ。許してください……」

 おれの心はポッキリ折れていた。

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