第6話


 翌日の昼休み。ルオーネの様子は、すっかりおかしくなってしまっていた。愛しのヴァニアスにフラれた悲しみと、セルフィに対する怒りによって、人を寄せ付けない異様なオーラを発していた。そんなルオーネに近づこうとする者は、朝から一人もいなかった。

「ルオーネ先輩!」

 そんなルオーネに話しかける酔狂な男子生徒が現れた。女子であるルオーネよりも大分背が低く、ボールのような丸い体をしたキロードだった。

「……なんですの?」

 目の据わったルオーネにギロリと睨みつけられ、たじろいだキロードだったが、恐る恐る言葉を口にする。

「ルオーネ先輩、大丈夫ですか? 体調が優れないようにお見受けしますが」

「……わたくしなら平気ですわよ」

 どう見てもそうは見えなかったが、キロードは話を続ける。

「ルオーネ先輩がヴァニアス先輩にフラれて落ち込んでると聞きました。おれっちにできることなにかありませんか? おれっち、少しでも傷心のルオーネ先輩の力になりたくて。なんでもいいんで言ってください。おれっちにできることがあれば、なんでもやりますんで。今のルオーネ先輩、見てられないんです」

 以前自分に告白してきてフッた、このキロードという男子生徒、今自分が考えていることに対して利用価値があると、ルオーネの頭はピンと来た。

「……なら、あなたに聞いて欲しい大事な話があるんですの」

「おれっちに大事な話、ですか?」

「人目のあるここでは話しづらいことなので、場所を変えてもよろしくって?」

 憧れのルオーネに頼られ、キロードが破顔する。

「はい、勿論です! ではどこでしましょう?」

「わたくしの部屋に来てくださいまし」

 驚いたキロードが目を瞠る。

「ル、ルオーネ先輩のお部屋で!?」

 本当はこんな醜い男子を自分の部屋に入れたくはなかったが、ルオーネは少しでも自分を信用させるために招き入れることにした。

「ええ。放課後わたくしの部屋でお話ししましょう。それでよろしくって?」

「は、はい! 了解しました! では放課後、ルオーネ先輩のお部屋に必ず行かせていただきます!」


 放課後。ルオーネはキロードを、女子寮の自室に招き入れていた。

「こ、ここがルオーネ先輩のお部屋……」

 女の子の部屋に入ることは、これがキロードにとって初体験だった。しかもその相手が、中等生の頃からずっと想いを寄せていたルオーネだ。そのルオーネの部屋の中に、自分が入っているというだけで、キロードの緊張は最高潮にまで達していた。

 キロードは物珍しそうに、紫を基調とした部屋の中をきょろきょろと見回した。すると部屋の中にルオーネの下着が干してあることに気がついた。ルオーネの下着を目の当たりにして、キロードの顔が一瞬で真っ赤に染まる。そして下着から思わず目を逸らす。

「あらやだ、ごめんあそばせ。わたくしったら干しっぱなしにしていましたわ」

 自分に恋慕しているキロードを動揺させるために、わざと干しっぱなしにしていた下着を、ルオーネは部屋の奥へと片付けた。

 キロードに椅子を勧め、テーブルの上にお茶を用意すると、ルオーネはキロードの真正面の椅子に座った。

 そして悲しげな声を出す。

「わたくし、ヴァニアス様にフラれましたの」

「知ってます。噂で聞きました」

「わたくし、ヴァニアス様に未練はありませんの。わたくしよりも他の女性の方が良いと言われてしまえば、わたくしにはどうしようもありませんもの。次に恋人を作るなら、他の男性とお付き合いしたいと考えておりますわ。ですが、わたくしも人間。ヴァニアス様に恋の未練はもうありませんが、怒りの未練がどうしても消えてくれないんですの。わたくしをフッたヴァニアス様、そしてわたくしからヴァニアス様を奪ったセルフィとかいうあの女! あの二人を懲らしめてやりたくてたまらないんですの! そこでキロード、あなたにお願いがありましてよ。あの女を殺す手伝いをして欲しいんですの」

 キロードが仰天して目を剥く。

「こ、殺す!?」

「ええ。お願いできるかしら」

「そんなことできないっすよ! 本気で言ってるんですか!?」

「キロード。あなたがわたくしの力になりたいと言ったのには、下心も含まれているのではなくて? わたくしにフラれたあなたが、ヴァニアス様にフラれた直後のわたくしに話しかけてきたのは、わたくしに優しくしたら、わたくしの次の恋人になれるかもしれないと考えてのことなのでしょう?」

 キロードの両目が激しく泳いだ。

 ルオーネに見つめられたキロードは観念した。

「そ、それは、その。…………はい」

「よくってよ、下心があっても。わたくしも新しい恋人が早く欲しいですし。あなたと付き合って差し上げてもよろしくってよ?」

 キロードが思わず身を乗り出す。

「ほ、本当ですか?」

「ええ、本当ですとも。セルフィを殺してくれたなら、ですが」

「でも、ルオーネ先輩おれっちのこと好きじゃないですよね? 好きでもない相手と付き合っても、愛によるブレイブエナジーのチャージはできませんよ」

「そんなことは勿論わかっていますわ。好きではなかったとしても、付き合ってみたら好きになったという話はよく聞きますから、あなたと付き合ってみる価値は充分にあると思うのですけど、いかがでして?」

「確かに、おれっちを好きになってくれるかもしれないチャンスをくださると言うのなら、それはとても魅力的な話です」

 途端にキロードの顔が曇る。

「ルオーネ先輩。セルフィを殺したら、恋人を失ったヴァニアス様ともう一度付き合うつもりなんじゃ……」

「いいえ、それはありませんわ。わたくしをフッたヴァニアス様に恋の未練はないと、わたくし先程言ったでしょう? わたくしはただ、セルフィを失って悲しむヴァニアス様のお顔を拝見したいだけでしてよ」

「その言葉、信じてもいいんですか? 本当に、おれっちと付き合ってくださるんですか? だっておれっち、ヴァニアス様みたいに格好よくないですよ?」

「もう見た目と上っ面の言葉だけの男は飽き飽きですの。次の恋人は、わたくしへの愛を行動で示してくれる殿方を所望しているんですのよ。前回の恋の失敗で、わたくしが学んだことを踏まえて、わたくし女性として成長したいと思っているんですの」

「その愛を示す行動が、セルフィを殺すことだと?」

「ええ、その通りでしてよ」

「でも、そんなことしたら捕まっちゃいますよ。やっぱり殺人はさすがにちょっと……」

「そこはわたくしに考えがありますの。クオンの勇者は異世界に遠征して任務を遂行することもありますが、クオンの勇者が一度も行ったことがない、行く必要のない、モンスターのいない平和な異世界に、セルフィを送り飛ばして殺せば、露見することはなくってよ」

「なるほど。でもセルフィは確か魔導士タイプだったはずです。異世界に送り飛ばしても、セルフィは転移魔法ビッキーを使用して、すぐにこっちに戻ってこられるんじゃないですか?」

「昨日セルフィのブレイブウォッチを見ましたの」

 ルオーネは昨日、セルフィの腕を掴んで引っ張り合った時に、セルフィのブレイブウォッチの時計盤が偶然見えていた。

「あの女、ほとんどブレイブエナジーがチャージされていませんでしたわ。ビッキーは消費魔力が激しい魔法ですから、ビッキーが使用できる量のブレイブエナジーをチャージすることは、なかなかに骨が折れる作業ですわ。ですから今だったら異世界に送り飛ばしてすぐにビッキーを使われる心配はなくってよ。異世界に送り飛ばし、セルフィがビッキーを使用可能になる量のブレイブエナジーを溜める前に、殺してしまえばいいというわけですわ。あの女を殺すために、事前に多量のブレイブエナジーをチャージしておけば、ブレイブエナジーが枯渇寸前の今のセルフィを殺し損ねる心配もなくなりますわ」

「なるほど、それなら捕まる心配も、作戦失敗の心配もありませんね。でもやっぱり殺すだなんて……」

「見事セルフィを殺してくれたなら、あなたの望みをなんでも聞いてさしあげますわ」

 ルオーネの『なんでも』という言葉にキロードが反応する。

「な、なんでも?」

 ルオーネはそれを見逃さなかった。ルオーネはキロードが今、頭の中で考えていることが手に取るようにわかった。

 妖しい微笑を湛えたルオーネが椅子から立ち上がり、キロードの傍まで歩み寄る。そしてキロードの丸いお腹や頬にしなやかな指を妖艶に這わせる。

 豊満な胸をキロードの腕に押し付けながら、キロードの耳に息が当たる距離まで顔を近づけ、ルオーネが甘言を囁く。

「ええ。わたくしとあんなことや、こんなことがしたいとあなたが望むのなら、いくらでもお相手してさしあげますわ」

「ほ、ほひぃ!」

 ずっと触れたいと思い続けていたルオーネにボディタッチされながら甘い言葉を耳元で囁かれ、キロードの頭はすぐに、ぽわぽわとしたお花畑状態となってしまった。もはや今のキロードに、正常な判断などできるはずがなかった。

「ル、ルオーネ先輩とあんなことやこんなこと!?」

「当たり前じゃありませんの。なぜならあなたがセルフィを殺したら、その時にはわたくしたちは恋人同士になっているということでしてよ。恋人同士なら、裸になって、あんなことやこんなことをするのは当然のことじゃありませんの」

「た、確かに!」

「キロード、改めてお願い申し上げますわ。わたくしに協力してくださらないかしら?」

「わかりました! おれっち必ずやってみせます!」

 キロードは鼻の穴を大きく広げながら了承した。

「感謝いたしますわ」

 ルオーネはいやらしい笑みを浮かべた。

 キロードから体を離したルオーネが、しれっと言った。

「では服を脱いでくださいまし」

「え、どうしてですか?」

「先程も申しましたけれど、セルフィを殺すための前準備として、ブレイブエナジーを溜めるためですわ」

「おれっちのブレイブエナジーだったら、ある程度は溜まってますけど」

「見せてくださいまし」

 キロードが突き出した腕に巻かれたブレイブウォッチの時計盤を覗き込み、ルオーネはキロードのブレイブエナジーの残量を確認する。確かにないことはないが、大量に溜まっているわけでもなかった。

「これでも足りないかもしれませんわよ。ブレイブエナジーの量が多ければ多いほど、作戦の成功率はアップするんですから。ささ、服をお脱ぎあそばせ」

「今ここでですか?」

「左様ですわ。わたくしの目の前で裸になってくださいまし」

 キロードの顔が朱に染まる。そしてもじもじしながら抵抗を試みる。

「でも、ずっとずっと憧れてたルオーネ先輩の前で脱ぐだなんて、恥ずかしすぎます!」

「だからこそ、ですわ。恥ずかしいと感じる気持ちが強ければ強いほど、得られるブレイブエナジーの量が増えるということを、勇者を志す者の一人として、あなたも存じているはずでしょう?」

「で、でも……、おれっちの体、太ってて格好悪いし……」

「そんなことでは、わたくしとあんなことやこんなことができないんじゃなくって?」

「え?」

「だってそうでしょう。あんなことやこんなことをするためには裸にならなければいけないんですから。わたくしとあんなことやこんなことがしたくないんですの?」

「し、したいです!」

「でしたらその予行演習だと思って、わたくしの目の前で裸になってくださいまし」

「わ、わかりましたぁ!」

 意を決したキロードは、勢いよく服を脱いでいくのだった。


 ルオーネの部屋から、男子寮の自分の部屋へとキロードが帰って行った後、一人になったルオーネは顔を顰めていた。

「あんな醜い体を暫くの間、見続けてしまいましたわ。夢に出てきそうですわね。うえっぷ……」

 ルオーネが口元を手で押さえる。キロードの前では信用を得るために、何度も顰めっ面になりかける顔を、なんとか崩れないように必死に耐えて踏ん張っていたのだ。

 嘔吐するのをどうにか堪え、ルオーネは大きく深呼吸した。

「ふう。なにはともあれ、これで作戦の準備は整いましたわね。異世界にセルフィを送り飛ばして、キロードにも異世界に行ってもらい、そこでキロードにセルフィを殺させて、後は戦士タイプで魔法が使えないキロードをそのまま向こうの世界に置き去りにしてしまえば、わたくしは自分の手を汚さずにして、憎きセルフィを始末でき、そしてセルフィを失ったヴァニアス様は再びわたくしに振り向いてくださるはずですわ! ヴァニアス様との甘い日々が戻ってくるのですわ! ああ、待ち遠しいですわ! 待っていてくださいませ愛しのヴァニアス様。一時の気の迷いなど、わたくしとの蜜月で、すぐに忘れさせて差し上げましてよ。オーッホッホッホッホ!」

 片手の甲を顎の下に添え、その腕の肘をもう片方の手で支えて、背中を仰け反らせながら、ルオーネは高笑いを響かせるのだった。

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