第10話魔王城にて

 時は遡さかのぼり二十日前、アベルとアスカが二人で買い物を楽しんでいた頃。


 魔王城の庭にて、とある人物が修行に励はげんでいた。


「見よタプ! この素晴らしい弓捌ゆみさばきをっ!」


「ハハッ、流石はアマイモン様。魔界一という声も名高い弓引き。天晴あっぱれですな」


 アマイモンと言われる男は、気を良くしたようで更に矢を射る速さを上げる。


「そうであろうそうであろう! この大地を司る我だからこそ出来る芸当!!」


「はいはい。そうでございますね。……重力を無くすのは些いささか反則だと思われるがの」


「んん?! 何か言ったかね!!」


「何でもございませぬよ」


 ヌハハと声を大声を上げて笑い出すアマイモンを見つめるタプと言われる人物は、地獄まで届きそうな程深い溜息を吐く。


 アマイモンとタプには主従関係がハッキリと別れており、その配下たるタプには何の反論も出来なかった。


「ヌハハハハ!! 良いぞ! 今宵こよいも酒が旨くなるわっ!」


「そうでございますか……してアマイモン様、そろそろこれを外しても?」


「ぬ? あぁ、構わんぞ! そのままでは仕事に差し支えまい!!」


 許しが下りたことにホッと息を吐き、自らの頭部へと手を持って行く。


 タプの手は頭上に存在する“何か”を逃がすまいとガッチリ掴み上げ、キュポンと小気味良い音と共に取り外した。


「アマイモン様、失礼を承知で申し上げますが……そろそろ私の頭を的にするのはやめて下されんか?」


 自らの手に持つ矢を目前まで持って行き、呆れながらほんの少し抗議する。

 その鏃やじりは鉄や鋼では無く吸盤に変わっており、何とも間抜けな構図となってしまっている事に、タプはもう一度深い深い溜息を吐いた。


「何を言い出すかと思えば、そんな事か。お前は我直々に任命した的係を止めたいと、そう言っているのだな?」

「そうでございますね」


 吸盤の予想外の吸いつきに痒くなってしまったツルツルの頭を掻きながら返答する。

 一見無礼にも見える行為だが、アマイモンはその程度ではまず怒ることはない。


 何故なら、魔界一の――――阿呆だからだ。


「ならば仕方のない事だ、本日を持ってその任を解いてやろう」


 その返答を聞くや否や、タプの表情は見る見る綻んで行き、猛ダッシュでその場を後にしてしまった。


 アマイモンはそんな事気にしていないとばかりに空を見つめ、何かを悟ったような表情に変わる。


「あぁ……我は何故、こうも美しいのか……」


 罪深すぎる、という呟きは誰にも拾われる事無く、優しく吹いた風に掻き消されていったのだった。





 「大変だあああああ!!」


 そんな騒がしい声が城内に響き渡り、自らの世界にどっぷりと浸かっていたアマイモンが現世に帰還した。


 時間にしておよそ二十分弱であろうか。


「な、何事だ?」


 ビクリと肩を震わせ、身を縮こまらせたアマイモンは、のそのそと事件が発生したであろう城内へと歩みを進めていく。




 急ぎ足で騒ぎの元へと駆け付けたアマイモン。


 城内の大広間にはあらゆる亜人たちが集まっており、何事かと騒ぎ立てていた。


 騒動の中心にはベルブブという体格の良い短髪の男が大声を張り上げている。


「魔王様が! 魔王様がとうとうお心を決めなさったあああ!! 王の間にてこのような書置きが見つかったぞおおお!!」


 ベルブブが大きく上へと掲げる手には少し大きめの紙切れが。

 其処には短くこう記されている。



『結婚してくる』



 オオオオオオオッ!!!


 まるで地響きが引き起こされるかのような野太い声が轟き、空気を震わせる。

 そこら中で喜びの声が上がり、中には感極まったように泣き崩れる者も現れた。


 アマイモンもそのうちの一人であり、傍にいた獣人と抱き合って喜びを分かち合っている。


「挙式だ! 挙式の準備に取り掛かれええええ!!」


「料理班!! 至急祝いの菓子を用意せよ!!」


「宴会だああああああ!!」


 まさに祭り騒ぎ。


 詳しい話はまだ来ていないというのにも関わらず、酒を開けては飲むもの、自身の渾身の芸を披露するものなど、既に大広間は宴会場へと切り替わってしまったようだ。


 アマイモンはそういう雰囲気は得意ではないようで、こそこそと広間を抜け出し先程弓の訓練を行っていた庭へと避難していく。




「確かに良い事だ。良い事ではあるのだが……」


 先程の嬉々とした表情から一変し、いつになく真面目で何かを案じているような顔つきで顎あごを擦さする。


 ご自慢の長い髪を一纏めにし、またしても上空を見つめる。


 それなりに時間が経過してしまった為か、今は鮮やかなオレンジが空を我が物顔で支配していた。


「この魔法歴が始まって以来、ずっと変わらぬ故、皆忘れてしまったのであろうか……」


 アマイモンは存在を露わにした綺麗な三日月を視界に入れ、そっと呟く。

 先程までのお茶らけてた表情は何処にも無く、唯々己の主君を案じるのみ。



 この男、魔界一の阿呆でありながら魔族軍精鋭隊長を務める程の実力を有しており、頭も切れる。

 最も長く魔王に使える古参でもあり、魔王の右腕とも巷では有名だ。


 なのにも関わらず阿呆と言われるのは、普段の行いのが悪いが故である。


「君臨す不死の王、星と共に過ぎ去りし時、白が舞い降り黒になる――――」


 歌うように呟いたその言葉に、何の意味があるのかは定かではない。

 続きを歌い続けるも、外に漏れだす楽し気な声に掻き消されていく。


 口を閉じたアマイモンの頬には一筋の雫が流れ落ち、夕焼けに照らされ赤く光り輝き――



「覚悟を決めたのですね、王よ」


 その言葉は誰に聞かれるでもなく、落ちていく夕日と共に消散しょうさんしていった。





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