第7話船上二十日間


 蒸気船に掻き分けられ、白波が幕を伸ばしては消えていく。

 太陽の光に照らされキラキラと輝く海水の透明度は高く、其処にあるサンゴ礁まで見ることが可能だ。


 現在、俺とアスカはヴィスタリア大陸沿岸部に根を下ろした港より蒸気船に乗船し、ユルリト船旅を満喫している。


 風に持っていかれる前髪を手で押さえつつ、舳先の出っ張りに乗せていた足を退け、先を見据える。

 もうそろそろの様だ。水平線の先に影が見えてきた。


「アベルー! 船長が今日中には到着するって!」


 船内からアスカが走りながら手を振って向かってくる。

 いくら船体がでかいと言っても船は船だ。大なり小なり揺れているのに、走ってしまってはコケるぞ。


「あだっ!」


 あー。言わんこっちゃない。


 こけた拍子に此方に飛んできた可愛らしいピンクのサンダルを上手い事キャッチし、倒れて動かないアスカの元に駆け寄る。


 ドジなのは良いのだが、もう少し気を付けてもらわなければ心配で気が気じゃない。


「大丈夫か?」


「うぅ、なんで私はいつもこうなの。あべるぅ~」


 顔を上げたアスカの瞳には大粒の涙が溜まっており、今にも泣きだしそうだ。


 はぁ、何故こうも幼いのか。不覚にも可愛いとは思ってしまうものの、このまま見た目も中身を成長しなければ、将来何かしらの危ない事件に巻き込まれそうで怖いな。


 そうは思いつつもついつい笑みが零れてしまい、そのまま抱き起す。


「もうそろそろ着くのだろ? なら船内で休んでおこう。向こうに着いてから忙しくなるからな」


 泣き顔を隠すように蹲るアスカはコクリと肯き、肯定の意思を示す。

 そのまま抱き抱え、船内へと歩を進めていく。


 俺達が船に揺られる事二十日間、ようやく辿り着くようだ。


 ――海上学園都市ネレウス。


 四つのある巨大な大陸の中心海洋に人工的に作られた島だ。

 そこには各国からの優秀な学生が集まり、最新の魔法技術を身に着けるべく日夜勉学に明け暮れるらしい。

 らしい、というのも、この学園都市は外との関りを極力遮断し、転移も妨害してしまう強力な防御障壁を張っている為、中が実際にどうなっているのかは分からないのだ。


 卒業していく学生たちから聞き出そうにも、皆口を揃えて「いい学校だよ」としか言わないようで、お手上げ状態だとか。


 そんな場所へ旅立った俺達だが、ここに至るまでに物凄い苦労が待ち受けていた。


 ヴィスタリア国王との面会、学園都市への入国手続き、溜まっていた勇者指定依頼の消化等々・・・・・・。


 船の出向予定が三日後だと王に言われた時のアスカの切れ様ときたら凄まじいものだった。

 代々大切に伸ばしてきたという髭を毟るは吠えるは城壁を壊すは、最後は王が土下座して収集が付いたのだが。

 あれだな、依然先代の意思が脈々と言ったものの撤回だ。あれは血縁者じゃなくて側近たちに受け継がれているな、うん。


そうこうドタバタと三日を過ごし、ギリギリ間に合った船に乗船し現在に至る。

俺達二人は編入生徒として受け入れられたようで、現在この船には物資と船員と俺ら二人以外は乗っていない。



 俺はアスカを二人の小部屋まで運び、優しく寝かせる。

 泣き疲れて寝てしまったこいつを見ていると、やはり十六歳だとは思えない。

 アスカの瞳から零れ落ちた雫を拭ってやり、寝顔をまじまじと見つめる。


 長く伸びた睫毛には未だ湿っており、運んでいる最中に流れたであろう雫の跡が眼尻から頬にかけて白く伸びている。

 

 やはり、見れば見るほど美しい顔立ちだ。

 

 泣いたことにより赤らんだ頬は、真っ白の粉雪に数的滴り落ちた血液の様に美しい。

 まるでいつかの真冬に起こったあの――――


「っ・・・・・・」


 いかんいかん、あの記憶を思い起こしては駄目だ。


 俺は頭を振り先程思い出したことを忘れ去り、アスカの髪を人撫でして部屋を後にする。


 こんな顔、アスカには見せられない。

 寄ってしまっている眉間をぐりぐりと指で押し整え、頬を叩きこれから起こるであろう様々な出来事を思い浮かべていく。






 アベルが部屋を出て行った。

 人が寝ているときに顔をまじまじと見るなんて、常識が無いのか。


 私は扉が閉まったのを合図に重くなった状態を持ち上げる。


 熱の籠った頬に手を当て、つい先ほどの事を思い出す為に目を細め脳内の僅かな記憶を探っていく。

 ――抱っこ。


「はぅっ」


 恥ずかしいっ。だけど、アベルの腕の中は暖かかった。今迄に感じたことのない、人の温もり。

 やはりあの人と居ると安心してしまう。つい先日まで死に物狂いで生きていたのが嘘のようだ。あの優しい月明りのような微笑みを向けられるだけで――――ダメッ! 

 

 私はいくら沈めても海面に上がってくる感情を、再度無理やり底に沈め直し、平常心を保つ。


 いくらその感情という名の浮きが大きかろうと、私の底にべっとりと張り付いたヘドロ達と同化してしまえばこっちのものだ。あいつの好きにはさせない。


 浮きと共に舞い上がってしまったヘドロに少し気分が落ちてしまうが、もう直ぐ目的地に着くのだ。気を引き締めて行かなければ舐められる。


 私は置いてあった枕に顔を埋め、声を上げた。






 船内が騒がしくなる。

 それもそうだろう。


 前方に見える巨大な人工島、ネレウス。

 出向から二十日と四時間程掛けてようやく辿り着いたのだ。


 俺は舳先からもう一度船内へと戻り、宛がわれていた小部屋へと足を進める。


 アスカを起こす為だ。

 あれから三時間、アスカは一切起きてくる事は無かった。

 一度部屋に顔を出したが、枕に顔を埋めうつ伏せになった状態で寝ており、窒息しかけていて大慌てでひっくり返した、という小さな事件があっただけだ。


 当人は其れでも寝ていた為、知らないだろうが。


「おい、起きろ。もう到着するぞ」


「んぁ、あべるぅ~? ・・・・・・はっ!」


 相変わらず寝起きが酷い。涎がべっとりと頬についているぞ。


 一気に覚醒したアスカはベッドから勢いよく立ち上がり、辺りを頻りに見回す。

 もしや、何か夢を見ていたな?


 先程俺の名前を口に出していたのにも関わらず俺に気が付かないアスカに痺れを切らし、せわしなく動き続ける顔を無理やり捕まえ俺に固定する。


 急な出来事に驚嘆の声を上げられるが、それもお構いなしに汚れた顔を持っていた上質な布切れで拭ってやる。


「うっ、うぐっ。あ、アベ」


「アベとは誰だ? 取り敢えずじっとしていろ」


 嫌がり声を上げるが、このまま外に出て笑い者にされるのも嫌だろう。

 俺は嫌われるのを覚悟で拭き続ける。


 次第に成すがままになり、じっと吹き終わるのも待ってくれるようになり、自然と口角が上がってしまう。

 このまま見ていると、まるで本当の子供のようだな。


 綺麗になった頬に軽く叩きを入れ、頭を撫でてやる。

 何気にこれがお気に入りの様で、大概の事はこれ一つで許してくれるのだ。


「酷いの。お嫁に行けなくなったらどうするつもりなの!」


「任せろ、俺が生きている限りそんなことは起こり得ない」


「うぅ~」


 恨みがましく下から俺を見つめるその表情は、愛玩魔獣にも見えてしまい、怖いどころか更に愛おしくなってしまうだけだ。


 仕事を放棄し緩々になってしまった表情筋を空いたもう片方の手で解しつつ、頭の隅でこれからやるべき事の段取りを立てて行く。


 これから先起こり得るであろう最悪の事態を想定しつつ、今のひと時を堪能する。

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