第5話 短い充実した日々
介護の仕事に就いて半年が過ぎた頃、高校時代の友人が仕事を退職し、新しい就職先を探していると相談を受け、私は病院に相談してみると、快く受け入れてくれました。
私はまだ半年しか働いていなかったので、他の先輩方が教育係として手をかけてくれましたが、私がすぐに仕事を覚えたもので、その友人にも同じ期待値を持ってたようで、友人にはかなり無理をさせてしまったと反省しています。
ですが、その友人も時間はかかりましたが、なんとか当直もこなせるようにはなりました。
あと、介護士の資格も病院が半分見てくれると言う事で、その勉強もしなくてはいけませんでした。
そしてそれまで、介護の本などまったく見た事が無かった私は、今まで病院でしてきた仕事の中で、触れてはいけない分野に触れていた事を今更ながら理解しました。
点滴、注射に吸引に酸素吸入、摘便に縫合の手伝いなどは、看護師の仕事で、看護資格を持っていない介護士は手伝ってはいけないと言うものでした…
当時だからまだ許されていたことでしたが、今にして思えば捕まってもおかしくないことをしていた事に驚かされました。
そして、ここからまた友人と一緒に仕事ができると思っていた時、我が家で家族会議が開かれました。
ここが私の人生の大きなターニングポイントとなりました。
父がこれまでの夢であった、自分の会社を立ち上げ、運送業を始めたいとの事でした。そのためには先立つものが必要……つまり、お金が必要だったのです。
我が家は父と母、そして兄と姉、私に弟の4人兄弟。
さらに兄が結婚しており、兄嫁に、子供が2人いました。
正直、兄には家庭があるので、大きな援助は負担になるので控えることになりましたが、私と姉、弟に、銀行でローンを組んでほしいとの申し出でした。
父いわく、ローンは組んでもらうが、返済はすべて両親がするので、子供には負担は絶対にかけないからと言われ、私たち兄弟は各々、銀行でローンを組むことになりました。
この時、強く反対していれば、もっと平凡で、当たり前の人生を遅れていたのではないかと思います。
弟は、元々運送業に興味があったのですが、高校を卒業して1年ほど。まだ大型免許を所得出来ない年齢だったので、今勤めてる工場で働き、兄と私はそれぞれ会社に退職届を提出し、家業を手伝う事になりました。
この時の私は、23歳でした。
私は退職後すぐに、大型免許とけん引免許を取得しました。
当時は中型免許が無く、普通免許を所得して3年間の運転経験があれば、すぐに大型免許を所得出来ました。
先に大型免許を所得し、次にけん引免許の所得。
なお、家業の運送業は、トレーラーを運転することがメインだったため、大型だけでなくけん引免許も必要だったのです。
そうして無事にストレートで免許を所得し、父と兄、私の3人で家業の運送業を始めることになりました。
運転自体は好きだったのですが、大型のトレーラーを運転するのは神経を使い事の連続でした。
普通車と同じ感覚で交差点に進入したら、荷台が歩道に乗り上げてしまうので、交差点の半分以上を進んだところで一気にハンドルを切り、ほぼ直角に曲がらないといけないし、山道だと荷台が重く速度が出せないので、ギア比を落とさないといけないし、バックの時は右に切ったら左に荷台が押されるからの感覚も覚えないといけないし、何から何まで初めてのことばかり。
高校を卒業して、葬祭業に就き3年、次に介護職に就き2年、そして運送業と、どれも類似していない職種ばかりで、その度に覚え直すことが多く、また充実した日々を送っていました。
家業の運送業を初めて2カ月が過ぎたころ、県外の運搬から帰って来た私に、久しぶりに見る人物が現れました。
初めて就職した際にお世話になり、倒産した後一緒に会社に残っていた直属の上司の方が待っていました。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます