スタック

 和才佑わさいたすくは、糸井いとい一課長の右の鼻の穴から鼻毛がとびでていることに気付いた。

 おっさんは、存在そのものが、醜い、不愉快、不快だ。

 そして耳の穴、鼻の穴、伸びすぎた眉毛に女も羨むような睫毛。

 髪の毛以外、の毛は狂ったように伸びる。しかし、糸井は禿げていない。ヤンキーのようにやや剃りこみが入った程度、しかし、髪は白い。いくら短く刈ろうが白髪はごまかせない。

「なんで、宇賀うがは来とらんのや」

 課長代理のデカ長の古橋ふるはしがその場の全員の意見を代弁。

 生贄になるのは、暴対課から、宇賀の代わりに派遣されている、暴対課の若い刑事、楢崎ならざき

「宇賀のやつ、布施ふせの『ホット・リップス』におったら、ソッコー内部監査に熨斗のしつけて渡りつけるど」

「そこで、重要な話ををしている場合もあるんですよ」

 楢崎が答えた

「ヤクザとその傘下の風俗店でか、殺人事件より重要なヤマなんかないわい、うたら、ちゃんとそう言うとけ」

 事件は、完全に降着状態に落ちいっている。大体、方向性の見えやすい事件というのは、初動で、そっちに向かって走りすぎて、その方向性が誤っていた場合、にっちもさっちもいかなくなるケースが多い。

 殺人事件に時効はなくなったが、警察が抱える未解決事件の多くが、それだ。

 見かけと、全く違った内容の事件か、通り魔的な、容疑者と被害者に殆ど接点がない事件。

 今回は、今になって思うが、その両方の可能性が高い。

 遺体は、現場に捨てられたまま、被害者ガイシャが加虐された理由もほぼ分からない。

 糸井は、完全に押し黙っている。

 枚方中央警察署の第一会議所は、第一期(事件通報から約一週間)で投入された、各警察署からの応援部隊がほぼ全員去り、いまや、府警本部捜査一課のメンツしか残って居ない。

 逆に寂しい。

 捜査が難航している象徴なのだ。

 相棒の小谷は深刻そうな顔をしているが、和才は、一向に構わない。

 どうせ、ヤクザ同士が痛めつけ合い、殺し合ったのだろう。悪いやつが一人この世から減っただけでも、大阪府として万々歳だろう。

 しかし、おかしいのは、普通この手の締めたり湿られたりした場合、締めた側にも、なんらからのペナルティがあるか、逆に出世し昇進するか、なにか動きがあるはずだ。

 それも、一切ない。

 宇賀は典型的な相当、ヤクザとどっぷりの暴対課の課長だ。なにか重大なことを捜査一課に隠していることは、確かだ。

 同業者だけに、絞り上げられないところが、苦しい。

 古橋が、内部観察に言及したのも、皆の意見を代弁しただけだ。

 全員そう思っている。

 和才でなくても、警官サツカンになって、二年もしたら誰でも、学習する。

 同じ、課や職場に長く居るやつは、相当ヤバい。

 宇賀も例外なく長い、しかも、もう一つ、重なる、階級が低いのに高い職務についている、これも、警官サツカンなら誰でも知っているヤバいヤツの証拠。

 この真逆もヤバい階級が高いのに、職務が低いやつ。

 過去、警察が隠すほどの相当大きな失敗をしでかしたか、本当に能力がないかどっちか。


 そこへ、宇賀がフラっと会議室に入ってきた。

 捜査一課全員がそちらを見る。

 また一人、嫌なおっさんが会議室に増えただけ、かと思いきや。課長代理の古橋がガバッと立ち上がった。

 そして、つかつかっと宇賀のところまで詰め寄ると、いきなり、宇賀を殴った。

 

 宇賀は、大きな音をたて、巨体を倒して、大きく、真横に倒れた。

 警官サツカンは、みな例外なく、体が大きい。

 制圧、威圧も警官サツカンの重要な任務だ。

 古橋は、かがみ込んで、倒れた宇賀の顔の近くに自身の顔を近づけた。

 倒れるほどのパンチではなかったはずだ。

「宇賀、ソープランドの石鹸の匂いさせとったら、この警棒で殴るところやったけどな、酒の匂いだけらしいなぁ」

 古橋は、すごんだ。定年前の古橋は、宇賀のかなりの先輩にあたる。警察組織は何をおいても、縦社会だが、一般的に、先輩後輩の関係が上下の関係の全てとなる。

「古橋さん、歳の割に、ええパンチや、あんたが堺署の交通課の時、駐禁しただけのヤツ殴り回して半殺しにしたいう、噂は、ほんまみたいやな」

 宇賀が唇を切って、血を垂れ流しながら、モゴモゴ言う。

「なんやとぅ」

 立ち上がる、宇賀に更に古橋が、威圧するかのように詰寄る。

 いや、にじり寄っている。  

「勤務中の飲酒だけでも、始末書に減給に停職もんやど、宇賀、なんか一課に隠してるやろ」

 古橋の声は小さかった。

 課員が宇賀と古橋の二人を注視している間に、暴対課の楢崎が、二人の間に割って入った。

「古橋さんも、宇賀さんもやめてください」

楢崎ナラおまえは、黙っとれ」

「いや、、」

 直属の上司の宇賀に凄まれて、楢崎はひるんだが喋り続けた。

「ここんところ、半年ぐらいですが、暴力団員の行方不明が増えているんですわ」

 古橋だけでなく、捜査員全員が楢崎を見た。

「まだ、一桁の単位ですけど、ちょっと数が異常で、、」

 宇賀は机に座り込み、風俗の広告用のポケット・ティッシュで唇を押さえている。

「正確にいつからで、何人ぐらいや」

 糸井が訊いた。

「ヤクザが勝手に減ってるだけや、府警としたら万々歳でしょう」

 唇を抑えた、宇賀が言った。

「ちゃんと話せ、宇賀警部補これは、命令だ」

 一課長の糸井警視が、言った。

 暴対課には、構成員の名簿がほぼ正確に組の側と揃っている。

 流石に、チンピラと言われるような、行ったりきたりする準構成員まではきっちり把握していないが、暴対課全員でほぼ組の構成員をマンツーマンでデフェンスしているようなものだ。

 このあたりは、見張って、その動きを潰す、公安とにているかもしれない。

 きちっと、相手の行動を把握しようとすると必然とそうなってしまうのだ。

「この半年で、6,7人でしょうかね」

「名前とか、所属の組とか全部、把握しとるんか」と古橋。

「わかってるやつも、わかっていないやつも、、います」と楢崎。

「タレコミは?」

「そんなん、情報屋の連中の命に関わるでしょう、古橋さん、例え、枚方中央署の署長にも喋れませんわ」

「そんなんの見返りで、昼間から、捜査会議にも出んと、高い酒飲まして貰っているんか」

「それも、言えまへんな、あんたみたいな下っ端に」

 今度は、血まみれの口で、宇賀が古橋にすごんだ。

「なんやとぉ」

「交通課の時、半殺しにしたヤツ、今では車椅子らしいでんなぁ」

 古橋の顔色が変わった。

「裁判でおおやけにならんように、偉い高い金、毎月、払っているらしいでんなぁ、堺署では上から下まで伝説なっとるそうや」

「宇賀ぁ」

 いつのまにか、左手で警棒を持っていた、古橋が、それを宇賀のみぞおちに食らわした。

 どぅ。

 声にならない、声を上げて、宇賀は倒れ込んだ。

 糸井が言った。

「これから、府警本部の暴対課に行く、今のうち、ちゃんと喋らんと、暴対課に全部火つけるぞ」

 糸井が凄むところを、和才は、はじめて見た。

 耐えかねた、楢崎が泣き叫ぶように喋りだした。

「ウチらも、ほんまの事言うて全然わかってないんです。なにやら、今までとちゃうことが起きてるんわ、わかっているんですけど、皆目検討が、、、ほんまに」

 前につんのめって、倒れた、宇賀が、うめくように言った。

「あんたは、終わりや、古橋、署内で、武器を使った、暴行事件や、被害届だすぞ、おれは」

「わかっとるやつだけでも、全員、名前上げろ」

 宇賀は恐ろしくタフだった。肘を使い、なんとか、体を起こすと、糸井に喋りだした。

「死体が出て、はじめて、捜査するんとちがうんですか、警察は。えー海外に高飛びしとるだけかもしれんし、故郷くにに帰っとるだけかもしれん、年間何人、行方不明者が出るんですか、、日本全体で。警察白書でも読まれたらどうですか?糸井警視」

「少なくとも、一人の死体は出とる、それも、暴行を受けたな」糸井が言った。

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