美樹十三歳、新たな下僕の予約

「金田さん、こんにちは。今、ちょっと良いかしら?」

「はい、構いません。どうかされましたか? ……おや、美那様に小野塚まで。一体、何事ですか?」

 唐突に副社長室に現れた三人を見て、怪訝な顔になった金田に、美樹は笑顔を向けた。


「ここの次期体制についてだけど、金田さんとしては私が社長に就任した暁には、和真を副社長に任命して楽隠居して、和真にはそのまま寺島さんを秘書として付けるように考えていると思ったんだけど、違う?」

「違いません。日々楽隠居に近付いておりますので、最近は楽しく仕事をさせて頂いております」

「それは良かったわ」

 そこで一度会話を区切った美樹は、益々楽しげな笑顔を見せながら金田に申し出た。


「それでね? その運営体制を一層強固にする、良い方法を思い付いたの」

「ほう? 因みにどのような物ですか?」

「寺島さんに、美那と結婚して貰うのよ」

「は?」

「え?」

 興味津々で尋ねた金田は勿論、いきなり名前を出された寺島も、目を見開いて固まったが、美樹はそんな二人には構わずに振り返り、寺島を指差しながら美那に言い聞かせた。


「美那、この人が寺島さんよ。美那のお婿さんになる人だからね」

「うん! じゃあ、あいさつするね?」

 姉の話に素直に頷いた美那は、まっすぐ寺島の机に近付き、彼を見上げながら床に正座した。


「てらしまさん。ふつつかものですが、すえながくよろしくおねがいします」

「…………」

 そう挨拶してから三つ指を付いて深々と美那が頭を下げても、室内には沈黙が漂っていた。しかし堪え切れなかったらしい和真が、笑いを含んだ声で寺島をからかう。


「何だ、寺島。嬉し過ぎて声も出ないか?」

「……ふざけるな、小野塚」

 低い声で凄んだ彼は何とか自制心をかき集めてから、美樹に疑問を呈した。


「美樹様……、どうして私がこんな子供と結婚する必要があるのでしょうか?」

 その怒りを内包した声にもびくともせず、美樹が平然と言い返す。

「勿論、今すぐ結婚しろなんて言わないわよ?」

「うん、よしなごさいだし。じゅうろくさいになったら、けっこんする」

 すこぶる冷静に返され、しかしそれで二人が本気だと察した寺島は、些か動揺しながら尚も言い返した。


「だからそうじゃなくて! どうして俺がこいつと結婚しなきゃいけないのかと聞いてるんだ!?」

「だってそうすれば将来美那を介して、私と和真と義兄弟関係になれるのよ?」

「……はぁ?」

 考えもしていなかった事を言われ、完全に面食らった寺島の前で、真顔での美樹の解説が続く。


「公社の運営体制としては、盤石の布陣じゃない? それに和真だけが、社内でロリコン呼ばわりされる事もなくなるし。一石二鳥よね」

「美那はお前の三十五歳下だからな。これ以上の年の差婚は、そうそうないぞ。俺と美樹の年齢差以上だ」

 そこで美那の、何気ない風情の問いかけが割り込んだ。


「かずにぃ。それなら、よしなとてらしまさんのかち?」

「おう、ぶっちぎりの勝利だぞ?」

「すごい! てらしまさん、よかったね?」

 立ち上がってにこにこと笑顔を振り撒いた美那だったが、寺島は普段の慇懃無礼な態度をかなぐり捨て、美樹達を怒鳴りつけた。


「良いわけないだろうが! ガキと結婚したけりゃ、自分だけでしやがれ!! 無関係の俺まで巻き込むな!!」

「無関係なわけないじゃない。だって寺島さんは優秀な人材だから、政略結婚させてでも繋ぎ止めておきたいんだもの」

「政略結婚とか公言するな! 絶対、ガキだって分かってねぇぞ!?」

 勢い良く美那を指差しながら叫んだ寺島だったが、美那は落ち着き払って答える。


「よしな、せいりゃくけっこん、わかってるよ? としうえのおとこのひとにとりついて、ねぇねのいうとおりうごくように、しっかりあやつることだよね?」

「良く分かってるじゃない! さすが私の妹!」

「うふふ」

 そんな会話を交わし、上機嫌に笑い合っている姉妹を見て、和真は本気で戦慄した。


「本気でやる気だぞ……。おっとりしているように見えて、美那はやっぱり美樹の妹だな」

「……っ! 副社長! この非常識なガキどもに、何とか言って下さい!」

 進退窮まった寺島は上司に訴えたが、金田は飄々と意見を述べた。


「別に良いんじゃないか? 君は四十になっても独り身だし、懇意にしている女性もいなさそうだし、ちょうど良いじゃないか」

「副社長!」

「こんなに年上の前科持ちでも良いなんて、心が広くて動じないのは、世界広しと言えども美那位のものだぞ? ありがたく貰っとけ」

「小野塚、貴様……」

 面白がっている様子で口を挟んできた和真に、寺島が盛大に呻いたところで、美樹が淡々と話を進めた。


「とにかくそういう事だから、これから社内全部署に向けて、そういう通達を」

「止めろクソガキ」

「あら、どうして?」

 わざとらしく尋ねた彼女に、寺島が怒りの形相で吐き捨てる。


「こんなガキと結婚してたまるか! 相手ならいる! 今すぐ結婚してやるぞ!」

 そう宣言したと思ったら、勢い良く部屋から飛び出していった寺島を見送った美樹は、和真と顔を見合わせながら苦笑いした。


「あらあら、寺島さんったら、堂々と職場放棄?」

「勤務態度としては、なってないよな?」

「美樹様……、ご存知でしたか?」

 そこで静かに声をかけてきた金田に、美樹は「何が?」などと問い返したりはしなかった。


「調べて分かったのは、つい最近よ」

「そうですか……。それで仕組みましたか?」

 その問いかけに、彼女は少々わざとらしく溜め息を吐いてから愚痴っぽく言い出す。


「本当にねぇ……。普通の家でまともに育ったお嬢さんが、ろくでもない環境で育った前科持ちの男でも良いって言ってくれてるのに、何をぐずぐずしているんだか」

「それで、あいつの尻に火を点けてやろうと?」

「美那なら、発火剤としては十分でしょう?」

「確かにそうですね」

 二人が苦笑まじりにそんな事を言い合っているうちに、和真はスマホを取り出してフリーハンド設定にした上で、どこかに電話をかけ始めた。


「どうだ? そっちに行ったか?」

 その端的な問いかけに、金田と美樹が和真に顔を向けると、彼の手の中のスマホが、控え目な女性の声を伝えてきた。


「……来てます。今、寺島さんが心海の前で土下座して、『頼むから、今すぐ俺と結婚してくれ』ってやらかしてます」

「それはまた……、期待以上の効果だな」

 和真が小さく笑い、美樹達も笑いを堪える中、スマホからは引き続き困惑した声が聞こえてきた。


「心海を含めて、職場全員固まってますけど。小野塚部長補佐、本当に何をやったんですか?」

「俺は何もしてない。やらかしたのは美樹と美那だ」

「そうですか……、美樹様と美那様ですか……。あ、何か寺島さんが心海の手を掴んで、部屋から走り出て行きましたが」

「分かった、もう良い。報告ご苦労。……と言うわけだ」

 そして通話を終わらせた和真が顔を上げると、美樹と金田が真面目くさって感想を述べる。


「そんなに美那を嫌がらなくても良いのに。失礼しちゃうわね」

「全くもって、失礼極まりないですな」

 そんな事を言っている間に、一人の女性を引き連れた寺島が戻り、勢い良くドアを開けながら美樹に向かって叫んだ。


「おい、美樹! 俺はこいつと結婚するからな! 美那なんかお呼びじゃねぇんだ! 俺に間違っても押し付けるんじゃねぇぞ!?」

 それを聞いた彼の恋人である心海は、本気で驚いた顔になる。


「え!? 豊、あなたまさか、美那様との結婚話が持ち上がってたの? それなのに、私と結婚して良いの?」

「当たり前だ! 冗談じゃない! 誰がこんなガキと結婚するってんだ!!」

「そうか……。よしな、かずにぃにつづいて、てらしまさんにもふられちゃったのか……。おんなとして、そんなにみりょくがないんだ……」

 しかしここでこれまで黙っていた美那が、項垂れながら悲しげに言い出した為、和真と美樹が寺島に向かって、非難がましい目を向けた。


「面と向かって断固拒否とは、酷い奴だよな」

「本当。デリカシー皆無よね」

「貴様ら黙れ! ごちゃごちゃうるせえぞ!」

 そんな吠えている寺島をよそに、心海は美那の前に両膝を付き、目線を合わせながら穏やかに話しかける


「美那様、別に美那様に魅力が無いわけではありませんよ? ただこの人は私と結婚しますので、申し訳ありませんが諦めて下さいね?」

 それを受け、美那は顔を上げて素直に頷く。


「うん、おねえさんいいひとみたいだし、てらしまさんはすっぱりあきらめる。そのかわり、こうかんじょうけんがふたつあるんだけど」

「何ですか?」

「おい、心海! まともに相手にするな!」

 何気なく尋ねた心海に、激しく嫌な予感がしてきた寺島が警告したが、美那が大真面目に言い出した。


「てらしまさん、しあわせにしてあげてね?」

「はい、もちろんです」

 本当に可愛らしいとほっこり和みながら心海が笑顔で頷くと、美那が笑顔でさり気なく二つ目の条件を口にした。


「それから、こどもがうまれたら、よしなのげぼくにちょうだい?」

「はい……、え? 下僕って……、きゃっ!」

「はぁ?」

 うっかり素直に頷いてから、心海が困惑した顔になると、美那は笑顔のまま彼女の頬にキスした。わけが分からないその行為に心海は勿論、それを目にした寺島も当惑していると、美那が歓喜の声を上げる。


「つばつけた! ねぇね、これでいいんだよね? つばつけたら、ねぇねがかずにぃもらったように、よしなもげぼくがもらえるんだよね?」

 それに美樹が、満面の笑みで答えた。


「上出来よ。これで美那の下僕も予約済みね」

「やったぁ! たのしみだなぁ。はやくできないかなぁ~!」

「じゃあ、話は済んだから。私達は帰るわ」

「おじゃましました! げぼくさ~ん、いらっしゃ~い!」

 そして上機嫌に部屋から出て行った姉妹を、茫然自失状態で見送ってから、心海は周囲を見回しながら尋ねた。


「え、ええと……、あの……。今のは一体……」

「要するに君達の子供は、美那様の下僕要員に予約されたと言う事だ」

「はぁ?」

 金田がおかしそうに笑いながら解説してきたが、まだ良く状況が分かっていない心海が困惑した声を上げると、やっとここでいつもの調子を取り戻した寺島が怒りの形相で和真に掴みかかった。


「ふざけんな、小野塚! 貴様、何してくれてんだ!?」

「いや、ちょっと待て! 俺もお前達の子供の話までは、聞いてなかったんだが!」

「下僕って何だ、下僕って!」

「いや、まだ美那の下僕だから、ましな方じゃないのか!?」

「てめぇ、ふざけてんのか!?」

「豊、良いじゃない。美那様は天才的な相場師だって、以前から社内で噂を耳にしていたけど、実際にお目にかかったら素直で可愛い良い子みたいだし。あんな子に可愛がって貰えるなら、子供を下僕にしても大丈夫だと思うけど?」

 心海からにこやかにそんな事を言われてしまった二人は、互いの服を掴み合ったまま、揃って項垂れた。


「あんたは実際のところを、目にしてないからな……」

「見た目はどこからどう見ても、普通のガキだしな……」

「まあ確かに美樹様と比べたら、美那様は普通のお子様に見えなくもないかな?」

 しかしそこで飄々と口を挟んできた金田に、男二人が盛大に異論を唱える。


「比較対象が間違ってるぞ!」

「比較対象が間違ってます!」

 彼らの反応を見た心海は、一瞬驚いた顔を見せてから楽しげに笑い出し、憮然としている二人と彼女の対比がおかしかった為、金田も自然に笑顔となっていた。

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