美樹十三歳、広いようで狭い世間
外出する為に下行きのエレベーターを待っていた和真は、扉が開いたその中に意外な人物を認め、思わず声を上げた。
「おう?」
「おや? 珍しいですね。こんな所でお会いするとは」
鞄を手に提げ、どう見ても外出する出で立ちの寺島に苦笑しながら和真は乗り込み、動き出したエレベーターの中で皮肉っぽく言葉を返す。
「貴様こそ、最近は籠もっている方が多いと思っていたがな」
「色々と、五月蝿い方が多いもので。“穏便”に“話し合い”で解決する為に、これでも結構出歩いているんですよ?」
「それは知らなかったな」
相手が飄々と口にした内容を聞いて、和真は密かに呆れた。
(本当に穏便に話し合いをするなら、貴様が出るわけ無いだろうが)
そんな真相を熟知していた和真は、エレベーターを降りてエントランスに向かいながら、少々茶化して言ってみた。
「金田のジジイは、さすがに年だしな。一頃と比べてかなり紳士的な見た目に成り下がったし、最近では本人が出向いても、茶菓子を出されてお終いか?」
「それもあるでしょうが『自分の目が黒いうちに、実地経験を積んでおけ』と言う事でしょう」
「それはそれは、ご苦労な事で……」
そして二人並びながら防弾ガラスの自動ドアを抜けてエントランスへと出たが、珍しい物騒過ぎる組み合わせに、すれ違った全員が目を剥いていた。その視線を綺麗に無視しながらビルの外に出た直後に、和真がさり気なく問いを発する。
「ところで、お前の親は健在か?」
「……どうしてそんな事を聞く?」
(おいおい、そんなに逆鱗に触れる話題なのか?)
途端に足を止め、冷え切った視線と声を投げてきた相手に、和真は心身共に身構えながら、慎重に問いを重ねた。
「何となく今まで、聞いた事が無かったなと思って。それで? どうなんだ?」
「面と向かって不愉快な事を尋ねられたのは、本当に久しぶりだな……」
「そりゃあどうも。それで?」
渋面になった寺島に、傍目には軽い調子で和真が尋ねると、相手に引く気がないと分かった寺島は、「ちっ!」と盛大に舌打ちしてから吐き捨てた。
「母親は、俺が物心つく前に死んでいるから、殆ど記憶はない。それからあんなろくでなしの父親の事なんか、知った事か。とっくに野垂れ死んでいるとは思うが、万が一、まだしぶとく生き恥を晒しているなら、俺がこの手であの世に送ってやる」
間違えようもない本気の声音に、和真は恐怖を感じる以前に呆れてしまった。
「お前、自分の戸籍謄本とかも見てないのか? 親父が死んでたら分かるだろう?」
「行き倒れて身元不明のままだったら、手続きなんかしないから生きたままだろうが。第一そんな物、十年以上見ていない。必要が無いからな」
「そうか。難儀な事だな。まあ、頑張れ」
そこで話を終わらせて歩き出そうとした和真だったが、その肩を寺島が素早く捕まえた。
「小野塚……。お前どうして、急に俺の親の事なんか聞いてきた?」
「さっきも言ったが、純粋な好奇心だ。大して面白く無かったし、さっさと忘れる事にする」
「……そうした方が、貴様の為だな」
幾分胡乱げな視線を向けた寺島はだったが、それ以上不愉快な話をしたくは無かったらしく、すぐにタクシーを拾ってその場を去って行った。それを見送った和真は、深い溜め息を吐く。
(天下の往来で、昼日中から殺気をまき散らすなよ。しかしあの様子だと、本当に気付いていないらしいな。さて、どうしたものか……)
そんな風に悩みながら、和真は当初の目的地に向かって歩き出した。
それから数日後、和真は夕方に時間を作って藤宮家最寄り駅近くのファミレスに出向き、テーブル席で一人美樹を待ち受けた。
「やっほー、和真。こんな所に呼び出しなんて何? 偶には熟女じゃなくて、若い子とデートしたくなったとか?」
「……とにかく座れ」
明るく手を振りながら近寄って来た美樹に渋面になりながら、和真が向かい側の席を指し示す。それに座りながらも、美樹は減らず口を止めなかった。
「それは良いけど、和真と私の年齢差だと、年の差カップルって言うよりは、離婚して妻に引き取られた娘とこっそり密会する、寂し過ぎるバツイチ男って感じが」
「帰る」
「まあ、そう言わずに。軽い冗談じゃない。それで用件は?」
すかさず無表情で立ち上がった和真を、からかい過ぎたかと反省しながら美樹が宥め、和真は不承不承再び腰を下ろした。
「お前の勘働きが凄まじくて、今回は本気で寒気がしたぞ」
そう和真が切り出すと、美樹は素直に驚いた表情になる。
「それって……、まさか加積さんと桜さんの子供の行方が、本当に分かったの?」
「ああ、これが調査結果だ。内容が内容だから、携わった社内の人間全員に箝口令を敷いた。間違っても、他人には見せるな」
「了解。それじゃあ拝見しま~す」
報告書を差し出してきた和真の真剣極まりない表情に、美樹は若干不審を覚えた。しかしそれを打ち消すように軽い口調で受け取り、早速内容に目を通し始める。
「…………」
「どうだ? たまげただろう?」
無言でページを捲る美樹に、少し得意げに和真が声をかけると、彼女は幾らか呆然としながら正直な感想を口にした。
「娘さんはとっくに亡くなっていて、寺島さんが彼女の息子? それで加積さん達の唯一の孫に当たるだなんて……。全然、予想して無かったわよ……」
「想像もしていなかった筈なのに、ばあさんの身内が近くに居る気がするって言い出したお前は、本当にただ者じゃないよな……。それで、どうする気だ? この前奴と偶然顔を合わせた時、それとなく探りを入れてみたが、奴は母親の事なんかろくに覚えていないし、父親からも特に聞いていないみたいだな」
「亡くなった時の年齢を考えると、そうでしょうね」
報告書を再び捲りながら美樹が頷いたが、すぐに忌々しげな表情になった。
「だけどこの父親の経歴、本当にろくでもないわ……。何よ、この甲斐性無し、宿無しごろつき親父。こんな男の所と施設を行ったり来たりして、これで子供がまともに育ったら奇跡よ」
「俺はあの加積の娘が、こんなろくでもない男に引っかかった事実の方に、衝撃を受けたがな」
「確かにそうね……」
妙にしみじみとした口調で感想を述べ合った美樹と和真だったが、すぐに真顔になった。
「ずっと行方不明になっていた理由だけど、恐らくこのろくでなしが、加積さん達にお金をせびったかなんかしたんじゃないかしら?」
「お前もそう思うか? 普通につつましく暮らしていたなら、幾ら何でもばあさんが不憫がって、幾らかは孫の為に援助すると思う。その形跡が一切無いって事は、余程加積のじじいの逆鱗に触れる事をやらかしやがったとしか思えない。金をせびるなんて可愛いもので、その娘が家から持ち出した物か頭に入れていた情報で、じじい達を脅したとか……」
「うわぁ、頭悪そう……」
美樹が嫌そうに呻いたが、和真は難しい顔のまま話を続けた。
「だが、恐らくそうじゃないのか? 娘が死んで少しして、こいつは寺島の奴を施設に放り込んで、北海道に夜逃げしてるし。その後数年して舞い戻って、児童手当欲しさに寺島の奴を引き取っているが、まともに育てた形跡が無いな」
「本っ当に、最低野郎ね」
本気で憤慨した美樹だったが、すぐに気持ちを切り替えて難しい顔で考え込んだ。
「だけど……、これで余計に分からなくなったんだけど……」
「何が?」
「幾ら何でも、都合が良過ぎない? 行方不明の娘の産んだ、存在すら認めていなかった孫息子が、偶々桜査警公社に入っているなんて」
「……何が言いたい?」
それは和真も調査中から感じていた疑問であり、慎重に問い返すと、美樹は無意識に若干声を潜めながら、自分の考えを述べた。
「加積さんと桜さんは、揉めた以降は本当に調べていなかったのかもしれなかったけど、笠原さん辺りはどうなのかなって思ったの」
その指摘に、和真は納得して頷いた。
「ああ……、確かに。あのジジイ、根っからの忠臣だしな」
「こっそり他の興信所とか使って、調べていたとは思えない? 下手に援助すればこの父親にお金をせびられると思って、それは控えていたと思うけど」
「ありえるな……。それで寺島の奴が大暴れして収監された時に、金田辺りに頼み込んで息のかかった人間をそこに送り込んで、首尾良く奴と意気投合させた上で改心させて、出所後はそいつの伝手で公社に無事就職って流れか?」
そこで美樹が軽く肩を竦めながら、話を締めくくる。
「そこまで上手く持ち込める人材を手配して、時を置かずに送り込んでいたとしたら、金田さんって本当に驚愕する辣腕よね」
「あのジジイだったら可能だな。何といっても加積の片腕だった男だぞ?」
そう和真が苦笑したところで、美樹は話を進めた。
「そうなると、桜さんの方はどうか分からないけど、寺島さんの方は全く血縁関係なんて知らないわけじゃない? 下手に『実はあなたは、加積夫婦の孫なんです』って教えても『ずっと会いたかったよ、お祖母ちゃん!』なんて、感激の対面にはならないと思うわ」
「今ちょっと想像してみたが……、気色悪かったぞ」
うんざりした顔で和真が呻くと、美樹が妙にいい笑顔で言い出した。
「そうよね。だからこの際、寺島さんにはそうと気付かれずに、桜さんにさり気なく安心して貰えるようにしてみない? それに合わせてちょっとした生前贈与をする口実を作れば、まさに一石二鳥だし!」
しかしその笑顔に、嫌な予感しか覚えなかった和真は、一層警戒しながら問いかけた。
「……意味が分からんぞ。お前、一体何を考えている?」
「和真、この際一肌脱いでね?」
ここでサラリと口にされた要求に、和真は盛大に顔を引き攣らせた。
「おい、俺に何をやらせる気だ? あいつを本気で怒らせる真似だけは、したくないんだが?」
「大丈夫。この調査結果を踏まえての事だから、寺島さんがちょっと怒って、かなり狼狽して、本気で頭を下げる事になるだけよ。……多分ね」
「全然安心できないんだが!?」
手元の報告書をひらひらと振りながら宥めた美樹だったが、和真は全く安心できなかった上、彼女の計画を聞かされて本気で頭を抱える羽目になった。
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