美樹十三歳、豪勢な結婚祝いと事の顛末
公社内で美樹の策に動揺し、寺島が勢いで心海と入籍してから数日後。美樹は加積屋敷を訪ね、世間話の形を取りながら、詳細を桜に報告した。
「そういうわけで事もあろうに寺島さんったら、美那をあっさり袖にした上に、こそこそ付き合っていた社内の女と電撃入籍しちゃったのよ」
それを聞いた桜は、如何にもおかしそうに笑った。
「あらあら……、それは失礼極まりないわね」
「私もそうは思ったんだけど、あの人はこれからの公社に必要な人材だし、寛大な心で許してあげる事にしたわ。子供が産まれたら、美那の下僕にする内約も取り付けたし」
「まあ……、それは楽しそうだこと」
「それで桜さんから、寺島さんと心海さんに、結婚祝いを贈ってくれる?」
「……どうして私が?」
さり気なく美樹から出された要望に、それまでは上機嫌だった桜が瞬時に真顔になり、眉間にしわを寄せた。しかしそれを見ても、美樹は平然と言い返す。
「だって近々、私か和真が桜さんと養子縁組みする予定でしょう? そうなったら寺島さんは、義理の娘か息子の重要な手駒じゃない。『これから娘息子の事を宜しくお願いね』的な意味合いで、セキュリティーや家事育児環境ばっちりの、家財道具一式付き新居を贈る位してもおかしくはないと思うのよ? 桜さんが保有してる全財産と比べたら、本当に微々たる物でしょう?」
「…………」
どう考えても屁理屈としか思えない主張に、桜の眉間のしわが更に増えた。そして美樹はそんな彼女から、黙って壁際で控えている笠原へと視線を移す。
「笠原さん、どう思う?」
笑顔でそう問いかけると、彼は微笑しながら穏やかに意見を述べた。
「左様でございますね……。桜様の資産状況を鑑みましたら、結婚祝いにそれ位を贈られましても、不審に思われないでしょう。どうやらこれが、私の最後の仕事になりそうです」
「最後って?」
不思議そうに問い返した美樹に、笠原が苦笑を深めながら説明する。
「実は寄る年波には勝てませんで、近々お屋敷から退かせて頂く事になっておりました。美樹様、最後の最後に結構なお仕事を頂き、誠にありがとうございます」
そう言って深々と頭を下げた彼に、美樹は笑って頷いた。
「それじゃあ、笠原さんに任せておけば大丈夫ね。厳選して頂戴」
「お任せ下さい。その代わり、寺島様へのご説明は、宜しくお願いします」
「任せて。反論なんか一言も言わせずに、がっつり押し付けてやるわ」
力強く請け負った美樹は、そのままの笑顔で桜に向き直る。
「桜さん、そういう事だから」
「……勝手になさい。私を除け者にして」
気分を害したようにそっぽを向いた彼女を、美樹は苦笑しながら宥めた。
「そんな事を言わずに、家具選びとか付き合ってあげてよ。笠原さんだけじゃ大変だと思うし」
「どうして私が公社の社員如きの為に、手間暇をかけなきゃいけないのよ……。でも笠原が大変そうだし、仕方がないわね……」
「宜しくお願いします」
文句を口にしながらも、ちょっと嬉しそうな顔になった桜と、再び深く頭を下げた笠原を見た美樹は、思わず笑いを噛み殺した。そして気合いを入れた結婚祝いになる事が確実な為、どうやって寺島達に本当の理由を明かさずに押し付けようかと、早速頭の中で考えを巡らせ始めたのだった。
※※※
「お邪魔します」
「ねーちゃ! にーちゃ!」
「遥ちゃん、いらっしゃい」
「こっちで遊ぼうね」
とある日曜日。訪ねて来た美幸と遥を、美子と子供達は揃って出迎えたが、美那が遥の顎に貼られたガーゼを見て、不思議そうに尋ねた。
「はるかちゃん、おかお、けがしたの?」
「ああ、これね? 本当に参ったわ」
上がり込んで廊下を歩きながら苦笑した妹に、美子が怪訝な顔で尋ねる。
「美幸? 何かあったの?」
「美子姉さん、聞いて? 遥ったら、素手で鳩を捕まえちゃったのよ」
「はぁ? 素手で? どうやって?」
「…………」
ピキッと笑顔が固まった子供達に気が付かないまま美子が尋ねると、美幸が真顔でその時の説明を始めた。
「それがね? 先週の水曜日に代休を取った時、この子を連れて公園に行ったんだけど、職場から緊急の電話がかかってきちゃって。それの応答をして、つい遥から目を離しちゃったの」
それを聞いた美子が、たちまち渋面になる。
「……危ないわね。公園だからって油断しちゃ駄目よ? どこにどんな人がいるか、分からないんだから」
「反省してます。それでここから先は、近くのベンチに座っていたおじいさんが教えてくれたんだけど……。遥ったら、近くで何かをついばんでいた鳩に向かって、コンクリートに躊躇いなく顎を擦り付けながら匍匐前進して、鳩が自分にお尻を向けた途端、それに飛びかかってのしかかったらしいの」
そこまで聞いた美子は、慌てて口を挟んだ。
「ちょっと待って。匍匐前進? 飛びかかった? 遥ちゃんは、来月漸く二歳よね? そんなの、あり得ないでしょう?」
「だけど、現に捕まえていたのよ。何か変な鳥の声が聞こえると思って振り向いたら、顎の擦り傷から血を流している遥が、『ポッポ! おみや!』って満面の笑みで鳩の両翼をがっちり掴んでいて、頑として離さなくて」
「…………」
そう言って美幸が溜め息を吐くのと同時に、その場全員の視線が遥に集まったが、当の遥はにこにこしているだけだった。
「遥をなだめすかしているうちに、どうやら鳩を捕まえたら鳩サブレーを貰えると勘違いしているらしいのが分かって、仕事中の義さんに急いで鳩サブレーを買って貰って、公園まで届けて貰ったの。その間一時間、遥ったら鳩を掴んで離さないまま大泣きして、本当に困ったわ」
それを聞いた美子は、すっかり同情した顔付きになった。
「それは大変だったわね。城崎さんも仕事中に呼びつけられて、迷惑だったでしょうに」
「遥を引きずってでも帰りたかったけど、鳩を離さないから電車やタクシーにも乗れないし。もう何なの、あの執念。下手すると翼を握り潰しそうで、怖かったわ」
「ポッポ!」
「…………」
鳩の話をしているのが分かったのか、何とも言えない表情の美樹達に囲まれても、遥は変わらず上機嫌に笑っていた。
「だけど、不思議なのよね……。どうして遥は『鳩を捕まえると鳩サブレーが貰える』なんて、変な勘違いをしているのかしら?」
「……どうしてかしらね?」
「遥ちゃん、座敷で遊ぼうか」
「そうだね。あっちの方が広いよ?」
困惑している美幸と、疑念に満ちた視線を向けてくる美子に背を向けて、美樹達は遥を遊ばせる為、奥の座敷に連れて行った。
「ばいばーい!」
「遥ちゃん、またね!」
「さようなら!」
そして無事に美幸と遥を見送ってから、美子は早速玄関で子供達を詰問した。
「美樹。どうして遥ちゃんが、あんな変な勘違いをしているか、あなたは知っているわよね?」
しかし美樹はその母親からの追及を、堂々としらばっくれる。
「どうして? 遥ちゃんとは偶に顔を合わせるだけなのに、知っている筈無いじゃない」
それを聞いた美子は、横に並ぶ子供達に順に視線を移した。
「美久?」
「右に同じ」
「美那?」
「はるかちゃん、まだちいさいしね」
「美昌?」
「はと、だぶるげっと!」
「……ダブル?」
元気に叫んだ美昌を見て美子は確信し、再び美樹に向き直った。
「美樹。この前の遊園地よね? 何があったのか、正直に答えなさい」
「…………はい」
もはや言い逃れできない空気を察知した美樹は、弟妹から憐憫の視線を浴びながら、洗いざらい白状した。
その日の夜。外出先から帰った昌典と秀明も揃って、家族全員で食卓を囲んだが、昌典はすぐに異常に気が付いた。
「美子?」
「何? お父さん」
「その……、美樹の前に、ご飯とお味噌汁と漬け物しか無いんだが?」
「そうね。それがどうかした?」
「いや、どうかしたって……」
他の者の前にはきちんとおかずの皿が並んでいる状況に、昌典が戸惑いを隠さずに尚も何か言いかけたが、美子は父親を完全に無視していつも通り声をかけた。
「それじゃあ、皆。いただきましょう」
「……いただきます」
そして微妙な空気のまま食事を終えた秀明は、先に食堂から出ていた美樹を捕まえ、困惑顔で尋ねた。
「美樹。美子はどうしてあんなに怒っているんだ? お前だけ、おかず抜きだなんて」
「まあ……、ちょっと色々あって……。確かに私が悪かったし……」
「そうか……」
視線を逸らしながらぼそぼそと告げる娘に、秀明は溜め息を吐いて財布を取り出す。
「これを渡しておくから、腹が空かないようにきちんと買って食べろ。美子は頃合いを見て宥めるが、お前に非があるなら容易に許しそうにないからな」
「……うん」
一万円札を二枚美樹に握らせた秀明は、娘の頭を軽く撫でてから自室に戻って行った。そして廊下に取り残された美樹は、一人お札を握り締めながら呻く。
「くっ……、屈辱だわ。あいつに食費を、恵んで貰う事になるなんて……」
するとどこからともなく現れた美久が、呆れ気味に声をかけてきた。
「そもそもお父さんが僕達の生活費を出してるんだし、今更だよね。それにここは、ありがたく思う所じゃないのかな?」
「分かってるわよ。取り敢えずこれで遥ちゃんに、色々適当に理由を付けて、定期的に鳩サブレーを贈るわ」
「はぁ? 何で?」
唐突にそんな事を言われてい美久は首を傾げたが、美樹は冷静にその理由を説明した。
「そうすれば、鳩を捕まえなくても鳩サブレーが食べられるって、遥ちゃんが覚えるでしょう? それに、他に好きな美味しいものができたら、自然に鳩の事は忘れてくれると思うし」
「なるほど……。それじゃあ鳩サブレーと並行して、色々なお菓子を贈ってみるとか?」
「そのつもりよ」
「おねえちゃん、ごめんね? まさのせい?」
そこで美那に連れられて来た美昌が、姉の背後に申し訳程度に体を隠しながら恐る恐る尋ねてきた為、美樹は苦笑しながらその頭を撫でてやった。
「そんな事ないわよ。私が遥ちゃんを放り投げたのがそもそもの発端だから、美昌は気にしなくて良いからね?」
「うん」
美昌がほっとした表情で頷くと、美那が真顔で口にする。
「はるかちゃん、はやくはとハンターやめるといいね」
「……そうね」
思わず遠い目をしてしまった美樹は、それから暫くの間秀明から貰った食費を利用して、城崎家に途切れなくお菓子を送りつけたのだった。
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