美樹八歳、使える下僕はとことん使う

「あ、和真パパ!」

「え?」

 予約を入れていたレストランに、和真が付き合っている穂香と連れ立って入ろうとした所で、背後から嬉しそうな声がかけられた。その声に思わず二人で振り返ると、小学校低学年に見える美少女が笑顔で駆け寄って来た為、和真は眉間に皺を寄せながら考え込む。


「やっぱり、和真パパだ!」

「お前、確か……」

(以前、加積屋敷で見かけた、美樹の従妹の。名前は何と言ったか……)

 そうこうしているうちに素早く駆け寄った安曇は、笑顔で和真を見上げた。


「暫くぶりで、一瞬分からなかった? 安曇よ。大きくなったでしょ?」

「お前なんか知らん。行くぞ」

「え? あの、でも和真?」

 あっさり踵を返した和真だったが、穂香は彼と安曇を交互に見ながら、戸惑った表情になった。そんな二人の様子を見た安曇が、苦笑しながら和真の背中に向けて声をかける。


「そうだよね。世間的には、私は和真パパの娘じゃないものね。でも気にしてないから。和真パパが足腰立たなくなった時に独りだったら、他に何人異母兄弟がいても、私が面倒を見てあげるから安心してね?」

「ふざけるな! お前は赤の他人だろうが!」

 思わず足を止めて振り返り、怒鳴り付けた和真だったが、安曇は全く恐れ入る所は無く、「本当に困ったパパよね」とでも言わんばかりの表情で、冷静に話を続けた。


「うん、分かってるよ。大人の事情だよね。大丈夫、安心して? 私、パパ似じゃなくてママ似って事になってるし、実は和真パパの子供だとか疑ってる人、周囲には全然いないから」

「だから、口からでまかせをぬかすな!」

 ここで穂香が、険しい顔つきで二人の会話に割り込んだ。


「和真……。これは一体、どういう事?」

「どうもこうも、この見ず知らずのガキが、根も葉もないでたらめを言っているだけだ!」

「どうして偶然出くわした見ず知らずの子供が、あなたの名前を知っていて、自分の父親だって嘘をつくのよ!」

「俺をはめる為だ!」

 それは百%真実の言葉だったのだが、そんな和真から一瞬安曇に視線を向けた穂香は、にこにこしている彼女から再び和真に視線を戻し、もの凄く疑わしげに尋ねた。


「……子供に嵌められるなんて、何をやったの?」

「あのな!」

 ここで新たな声が、その三人の耳に届いた。

「安曇? こんなところでどうした?」

 それを聞いた安曇が、まるで何事も無かったかの様にその男に笑顔を振り撒く。


「あ、パパ。トイレの帰りに迷っちゃった。探しに来てくれたの?」

「ああ、店に戻るぞ?」

「うん」

 そしてさり気なく和真に向かって無言で手を振ってから、安曇は「パパ」と呼んだ男性に大人しく手を引かれて、和真達が入ろうとした店とは違う店の中に入って行った。そして身長が二メートル近い、色黒で肩幅も十分な、熊男と評しても過言ではない人物をしげしげと眺めていた穂香は、妙に納得した風情で和真に問いかける。


「あれなら確かに、周囲から父親似だとは思われないでしょうね……。あの子の母親、相当美人ね?」

「そんな事知るか!」

 盛大に言い返した和真だったが、その反応に穂香は、呆れ気味に宥めながら言い聞かせる。

「和真。色々と事情もあるでしょうし、確かに聞いたらショックを受ける事があるかもしれないけど、正直に子供の事を打ち明けてくれたら、これからの事を私も一緒に、きちんと考えてあげるから」

「お前に話す事なんか、何もない!!」

 完全に腹を立てて和真が怒鳴りつけると、穂香は完全に呆れ果てた顔になって、冷たく言い切った。


「そう……。良く分かったわ。それなら和真、ここで別れましょう」

「ああ、俺もお前の様な頭の軽い女は、金輪際御免だ!」

 そして捨て台詞を吐いた和真は、穂香に背を向けてその場から離れた。


(それにしても……。この前といい、今回といい、どうして女連れの時に美樹の従妹弟と出くわした上、秘密の父親呼ばわりされなきゃいけないんだ? 話が出来過ぎているし、偶然顔を合わせただけなら、あいつらが嘘を吐く理由が分からない。やっぱり美樹が、裏で糸を引いてやがるのか?)

 歩きながらそう結論付けた和真は、盛大に舌打ちした。


「……そうとしか思えんな。あのクソガキが」

 そしてひとしきり美樹に対する呪いの言葉を吐いた彼だったが、当然騒動はこれで終わらなかった。

 その十日後、和真は付き合っている優を連れて、ホテルの一角に入っている某レストランに出向いたが、そこで再び事件が起こった。


「今日の店は初めてね。一回行って見たかったの」

「それは良かった。接待で使った事があって、雰囲気も料理も良く」

「きゃあっ!」

「おっと、大丈夫か……」

 二人で話しながらエレベーターを降りて歩き出した所で、いきなり誰かが斜め後ろから腰の辺りにぶつかって倒れ込んだ気配を察知した和真は、声とぶつかった位置から子供だと見当を付けて(躾のなってないガキが。親はどこに居やがる)と内心で悪態を吐きつつも、優の前で人の好い所を見せるべく、笑顔で振り返った。しかしそこに、しりもちを付いて座り込んでいる美樹を認めた途端、瞬時に笑みを消し去る。


「パパ! 凄い偶然! こんな所で会えるなんて、美樹嬉しい!!」

(また、このパターンかよ……)

 笑顔で即座に立ち上がった美樹を見て、和真は心底うんざりしながら叱り付けた。


「ふざけるな! 誰がパパだ!」

「そうだ! パパに電話した時に話した、皆で遊びに行った時の写真、綺麗にできたのよ? ほら、見て」

 しかし彼の怒声など全く気にせず、美樹はたすき掛けにしていたポシェットからフォトブックを取り出し、パラパラとめくって、ある場所を開いて和真達に見せる。


「じゃじゃ~ん! パパの子供、大集合! ママ達が全員仲の良い姉妹だと、気軽に皆で集まれて楽しいよね?」

 自分と弟、それに従弟妹が全員笑顔で移り込んだそれを美樹が見せると、優が盛大に顔を引き攣らせながら和真に凄んだ。


「『パパの子供、大集合』? 『ママ達が仲の良い姉妹』? 和真、一体これはどういう事?」

「こいつの口からでまかせだ! こいつは俺の子供なんかじゃない!」

「うん、法律上での親子関係は無いよね。私とあったら、皆とも親子関係ができちゃうし」

 真顔でうんうんと頷いて見せた美樹に、優は益々険しい表情になり、和真が怒りの形相で怒鳴り返す。


「法律上も遺伝子上も、貴様とは一切関係は無い!!」

「はいはい、そう言う事にしておこうね。少なくとも表向きは、私達は全員従姉弟同士だし。それは間違ってないもの」

「それはそうだが、貴様と親子関係は無い!」

「うん、分かってるから落ち着いてパパ。血圧上がるし、彼女さんがドン引きしてるから」

「誰のせいだと思ってるんだ!?」

「それは勿論、甲斐性有り過ぎのパパのせいだよね? あ、この写真が欲しいなら、後からこっそり送ってあげるけど」

「そんな物いらん!!」

「そっか、残念。それじゃあね!」

 そしてあっさり笑顔で手を振ってから、美樹は通路の奥へと駆け去って行った。


「和真……。あの子は誰? あなた姉妹に手を出して、誰とも結婚しなかったの? まさか、そんな事をする人だったなんて……」

 驚愕と軽蔑が入り混じった表情で、優が見当違いの非難してきた為、さすがに和真は声を荒げた。


「そんなゲス不倫、するわけ無いだろうが!!」

「だってあの写真の子供達、全員従姉弟同士だって言ってたわよ?」

「それは確かに従妹弟同士だからな!」

「……そこまで断言するって事は、当然、母親全員を知っているのよね?」

 そう鋭く突っ込みを入れられた和真が、思わず正直に告げる。

「いや……、二人とは面識があるが、一人とは面識は無い」

 しかしそれを聞いた優は、完全に誤解してしまった。


「三姉妹と関係を持ったの!? しかも、この期に及んで一人だけ無関係を貫くなんて、どんなヤバい人の奥さんと寝たのよ!?」

「寝てるわけ無いだろ!! どうしてそんな邪推をするんだ!!」

「どこが邪推よ!! 往生際が悪すぎるわ! 嫌よ、私。面倒事に巻き込まれるのは!! 結婚する前に分かって良かったわ! 貰った物は全部、来週中に送り返すから! さよなら、和真。もう会わないけど、元気でね!」

「あ、おい! ちょっと待て!!」

 真っ青になって慌てふためき、一方的に言い捨てて走り去った優を茫然と見送ってから、和真は屈辱に全身を震わせた。


「……『二度ある事は三度ある』だと? そんなわけあるか!! どいつもこいつも、ふざけるなぁぁっ!!」

 周囲の人目を憚らずに大声で吠えた和真だったが、先程からそんな彼の一部始終を、(こんな事をやっていると部長補佐にバレたら、俺達、瞬殺されるよな)と心の中で泣き事を言いながら、彼の部下が密かにビデオカメラに収めていた。


 ※※※ 


「ヤッホー、皆! 今日もお仕事、ご苦労様!」

「いらっしゃいませ、美樹様!」

「ご苦労様です!」

 朗らかに周囲に声をかけながら、信用調査部門のフロアに現れた美樹を見て、殆どの者は真顔になって頭を下げたが、和真だけは怒気を露わにして怒鳴りつけた。


「美樹、お前! いい加減にしろよ!?」

「いやぁん、こわぁ~い。和真ったらそんな顔をしてると、女の人にふられちゃうぞ?」

 しかし美樹が茶化してきた為、勢い良く立ち上がって美樹に向かって足を踏み出す。


「ふざけるな! この間俺がふられたのは、全部お前とお前の従妹弟達のせいだろうが!! 今日という今日は」

「部長補佐!」

「お願いします、堪えて下さい!」

「ええい、お前達、離せ!」

 すかさず周りの者達が和真に取り付き、揉み合いになったのを見ながら、美樹がしみじみと感想を述べる。


「幾ら情報を流して貰ったと言っても、まさかあそこまで上手くいくとはね。本当に持つべきものは演技派の子分と、使える馬鹿親だわ」

 そんな事を呟いて、満足げに頷いた彼女を見て、周囲の者達はドン引きした。


「うわぁ、社長の事を『親馬鹿』じゃなくて、『馬鹿親』呼ばわりしてますよ……」

「美樹様、グレードアップしたな」

「……嫌だ、そんなグレードアップ」

「おい、社長が何をしたって?」

 引っかかりを覚えた和真だけが、訝しげな表情で尋ねると、美樹は笑って答えた。


「加積さんからの手紙を破り捨てて、私を泣かせた事で怒っていたでしょう? だから『ちょっと和真にお仕置きしたいの。付き合ってる人に、隠し子がバレるシチュエーションなんてどうかな?』と提案したら、嬉々として手伝ってくれたわ。『偶には家族揃って誕生日祝いをしてやれ』とか、『結婚何周年かの祝いにプレゼントしよう』とか適当な理由をでっち上げて、叔母さん達夫婦を丸め込んで調整して、ちょうど良い日時に無料でレストランに招待する小細工位、わけないのよ」

 それを聞いた和真は、忌々しげに舌打ちした。


「社長……。相変わらず自分の娘に、好き勝手に手のひらで転がせられやがって……。それはともかく、やはり情報を流したのは峰岸か?」

「勿論、“ここから”に決まってるでしょ?」

「は? “ここから”とは、どういう意味だ?」

「だから、峰岸さんからだけじゃなくて、信用調査部門全体からよ。だって集まった情報を、吉川さんから報告して貰っているもの」

 てっきり美樹の使いっ走り一号の仕業かと、峰岸の姿を探した和真だったが、美樹から聞き捨てならない事を聞かされ、勢い良く振り返って吉川を問いただした。


「部長! 一体どういう事ですか!?」

 それに吉川は、どこか達観した面持ちで応じる。

「どうもこうも……、これは上からの業務命令だ」

「冗談ではありません! 俺のプライバシーはどうなるんですか!?」

「そんな物は無い。諦めろ」

 端的に断言され、和真の顔が盛大に引き攣った。


「……ここはどんなブラック企業ですか」

「お前がそれを言うのか? 嫌ならお前が部長に就任して、自分の権限で自分の情報をシャットアウトしろ。俺は自分の命が惜しいし、それ以上に精神の安定が必要だ。故に、俺がこの席にいる限り、お前の情報を美樹様に垂れ流す。そのつもりでいろ」

「…………」

 冷静に言い聞かされて、逆に吉川の本気度を悟った和真は、反論せずに黙り込んだ。それを見ながら彼らの部下達が、密かに囁き合う。


「部長、何か色々放棄してしまったと言うか、達観した?」

「最近、心労が重なってたからなぁ……」

「部長補佐が部長になるのも嫌だが、今の状況も勘弁して欲しい」

 そんな微妙な空気の中、全く空気を読まない美樹の声が響いた。


「だけど和真。本当に虫も殺さない様な平凡善人面の分際で、しかもちゃんと手を抜かないで仕事をしながら、三股かけてるとは恐れ入ったわ。さすがにマメね。誉めてあげる」

「お前に誉められる筋合いは無いし、馬鹿にしている様にしか聞こえんぞ!」

「あらあら、ふられてばかりで、被害妄想が酷いのかしら? 吉川さん、どう思う?」

「小野塚は少々、被害妄想が過ぎるかと」

「やっぱりそうよね?」

「部長!」

 冷静に美樹に同調している吉川を見て、和真は声を荒げたが、彼女は平然と話を続けた。


「ああ、言っておくけど私も鬼じゃないし、愛人とかは作っても構わないわよ? その人へのお小遣いも、出してあげるから」

「このクソガキ!! それで自分では寛容なつもりか!? ふざけるな!!」

「小野塚さん、落ち着いて下さい!」

「部長補佐! 気持ちは分かりますが、冷静にお願いします!」

 再び怒りの形相で美樹に詰め寄ろうとする和真を周りが押し止め、その喧騒ぶりを横目で眺めながら、吉川は彼女に提案した。


「美樹様、暫く室内は騒々しいかと思いますので、じっくり資料を読み込みたいなら、社長室を使う事をお勧めしますが」

「そうさせて貰うわ。金田さんに連絡して貰える?」

「はい、扉を開けて頂ける様に、話をしておきます」

「宜しく。それじゃ、邪魔したわね。皆、お仕事頑張ってね~」

「ふざけるな! 絶対お前となんか、結婚するか!!」

「部長補佐、落ち着いて下さい!」

「大体お前達も、あんなガキの言いなりになって……、あぁ?」

 そしてさっさと自分用の机に置いてあったファイルを取り上げ、機嫌良く片手を振りながら去って行く美樹に向かって和真は罵声を浴びせ、部下達が必死で彼を宥めた。しかしそこで和真は、ビデオカメラを掲げている峰岸に気が付く。


「峰岸。貴様、何をやっている?」

「あ、いえ、その……、な、何でもありませんので……」

「ほぅ?」

 慌ててカメラを眼前から下ろし、真っ青になりながら後ろ手で隠した峰岸を、和真が不穏な目つきで眺めたが、そこで吉川の声が割り込んだ。


「今の騒動の、一部始終を撮らせていた」

「部長?」

「お前が子供達にちょっかいを出されてからかわれて、あっさり女に振られている所をこっそり撮影して、桜様にお届けする様に美樹様から指示が出ている」

「そこにどうして、ばばあの名前が出てくるんですか?」

 振り返り、はっきりと眉間にしわを寄せて尋ねてきた和真に、吉川が淡々と説明を続ける。


「『加積さんが死んじゃっても、桜さんは相変わらずの様に見えるけど、結構落ち込んでいるみたいだから、気晴らしになる物を色々届けるから。笑える物を作るのを手伝って』と頼まれた」

「あいつは何をやってるんだ……」

 思わず溜め息を吐いた和真だったが、吉川は事も無げに、容赦なく彼に告げた。


「因みに、他にも色々送っているみたいだが、やはりお前の一連の動画が、一番ツボに入って爆笑されているそうだ。さすがは美樹様。自分との結婚を回避しようとする君に制裁を加えつつ、桜様の気晴らしのネタを作るとは。これぞまさに一石二鳥」

「…………」

 ひくっと盛大に顔を引き攣らせた和真を見て、吉川は僅かに憐憫の表情を見せたものの、すぐに厳しい管理職の表情で和真に宣言した。


「そういうわけだ。美樹様と俺達全員を向こうに回して、抵抗は無意味だと思うが……、まあ、頑張れ」

 そんな全く心が籠もっていないと分かる激励を受けてしまった和真は、がっくりと項垂れて自分の机に戻ったのだった。

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