美樹八歳、子分と手下の使い方

 美子から婚活を厳命されてしまった和真は、他人の言いなりになるのを腹立たしく思いながらも、このままだと本当に美樹と結婚する羽目になる危険性を払拭できなかった為、その翌週には行動を起こした。


「急に呼び出されて驚いたけど、最近忙しくて和真に会えていなかったから嬉しいわ」

 一流ホテルに入っているフレンチレストランのコースを味わいながら、恋人の一人である霧香が嬉しそうに微笑んだのを見て、和真も笑顔で返した。


「ああ、ここの所、仕事が色々立て込んでいて、時間が取れなくて悪かったと思ってる。今度ゆっくり、旅行にでも行かないか? そうだな……、二週間位かけて」

「本当? 行きたい! ……でも二週間だなんて、そんなに仕事を休めるの?」

 素直に喜んだものの、すぐに懸念を口にした彼女に、和真は笑みを深めながら話を続けた。


「俺の職場は、福利厚生がしっかりしているからな。それに普通の有給休暇に、結婚休暇を付けて取得する事も可能なんだ」

「え? 結婚休暇って……」

 唐突に言われた内容に、さすがに彼女が戸惑った表情になると、和真はそこでポケットからリングケースを取り出し、テーブルに乗せる。


「霧香。色々手間取って待たせてしまって悪かったが、俺もそろそろ身を固めようと思う。良かったら、これを受け取って貰えないだろうか?」

 神妙にそんな事を言いながら、和真が自分の方に押してきたケースを、霧香は満面の笑みで受け取った。


「勿論貰うし、結婚するわ! 嬉しい! 最近和真からなかなか連絡が貰えないし、他に女の人がいるんじゃないかと疑っていたの!」

 それは図星ではあったのだが、当然和真は平然としらを切った。


「それはそれは……。俺は随分、信用が無かったんだな。だが、それは誤解だから」

「ええ、分かってるわ、ごめんなさい。和真は忙しくしていたのに、くだらない邪推だったわね。これからは私が、和真をしっかり支えてあげるから」

「嬉しいよ」

 そして早速嬉々としてエンゲージリングを左手の薬指に嵌めた霧香を見ながら、和真はかなり失礼な事を考えていた。


(この女だったら、顔も身体も頭もまあまあだしな。変なところに繋がってもいないし、それなりに分別もあるから、結婚してやっても支障は無いだろう。この辺りで手を打っておくか)

 それからは和やかに会話しながら料理を食べ進め、二人は店を出て腕を組んで歩き出した。


「とても美味しかったわ。ありがとう、和真」

「どういたしまして。ところで、これからの事を色々じっくりと話し合いたいから、実はここのスイートルームを押さえてあるんだが?」

「それなら」

「あ、お父さん!」

「え?」

「はぁ?」

 結婚するとなったら、今まで隠しておいた桜査警公社の実情も、ある程度話しておかないいけないな、などと考えて誘いをかけた和真だったが、突然至近距離からかけられた声に、霧香同様困惑した視線を向けた。


(こいつ! 随分大きくなってるが、以前見た美樹の従弟で、美実さんの息子!? どうしてこんな所に!! しかも『お父さん』って、何の冗談だ!)

 幼稚園児に見える淳志の姿を認めて、和真が内心で狼狽している間に、淳志は和真と霧香の顔を交互に見ながら、いかにも「失敗した」と言わんばかりの表情で謝ってきた。


「ごめんなさい。ひとまえで『お父さん』って言っちゃいけないんだよね? だってせけんてきには、パパがぼくのお父さんだし」

 それを聞いた霧香が、僅かに顔を強ばらせながら和真に詰め寄る。


「和真……。これは一体、どういう事?」

「おい、ガキ。お前、何を言ってるんだ」

「お姉さん、ごめんなさい。お父さんから聞いてない子どもがいきなり出てきたら、いやだしびっくりするよね? でもお父さんとはくらしてないし、パパがお金もちでお父さんからお金はもらってないから、大丈夫だからね? それに、あちこちにお父さんの子どもがいても、お父さんはちゃんとフリーだから」

「……そうなの」

「このくそガキ! 何を嘘八百並べ立てて」

「和真! 子供に手荒な真似は止めてよ!」

 霧香が冷え冷えとした声で応じると、和真は怒りを露わにして淳志に掴みかかって怒鳴りつけようとした。それを霧香が慌てて引き剥がそうとした所で、廊下の曲がり角の向こうから、声が聞こえてくる。


「淳志~? どこに行った~?」

 その声を聞いた淳志は、焦った様に和真に別れを告げた。


「うわ、パパ来ちゃった! パパはママとお父さんの事をしってるから、なかが悪いんだよね。ぼく、行くから。お父さん、あえてうれしかった」

「だから! 俺は貴様の父親なんかじゃ」

「淳志。トイレに行くと言ったきり、戻らないから心配……」

 曲がり角を曲がった瞬間、息子の姿を認めて表情を緩めたのも束の間、すぐに因縁浅からぬ人物の姿まで見つけてしまった淳は、顔に笑顔を貼り付けながらも、隠しきれない殺気を漂わせながら三人が居る場所に向かって歩み寄って来た。


「ごめんね、パパ。あっちのほうがけしき良く見えるって、知らないおじさんたちがいってるのをきいて、ちょっと見てみようとおもったの。そうしたらこっちのお姉さんにぶつかって、ごめんなさいっていってたとこ」

 霧香を指差しながら淳志が神妙に嘘八百を並べ立てたが、それを淳は真に受けて、彼女に向かって軽く頭を下げた。


「そうか……。息子が失礼をしました。申し訳ありません」

「いえ、大丈夫ですから」

「それから小野塚さん。お久しぶりです。こんな所でお会いするとは、奇遇ですね」

 霧香に向けた表情とは百八十度異なる獰猛な笑顔を向けてきた淳に、和真は顔を引き攣らせながら応じた。


「……どうも。お久しぶりです、小早川さん」

「お二人の時間を、息子がお邪魔して申し訳ありませんでした。それでは失礼します」

「お姉さん、バイバイ」

「え、ええ……、さようなら」

 素早く息子を抱え上げて淳は踵を返し、父親の肩越しに淳志が屈託の無い笑顔で霧香に向かって手を振った。思わず毒気を抜かれた霧香が手を振り返して親子を見送った後、険しい表情で和真に向き直る。


「ちょっと和真。今のはどういう事?」

「どういう事と言われても、あのガキが勝手に口からでまかせを言っていただけだ」

 和真としてはそう言うしか無かったのだが、生憎と霧香は納得しなかった。


「とぼけるのは止して! あの父親だってあなたの事を知ってたじゃない! しかも、凄い非友好的な目で睨んでたわよ? まさかあなた、あの人の奥さんと不倫して、産まれた子供があの子なの!?」

「そんな事、あるわけないだろうが!?」

「じゃあ、どういう事よ!? あなた今までずっと独身だと言ってたけど、実は結婚していて、あの子ごと奥さんを捨てたわけ? それで元奥さんが再婚した人が、あの人だとか?」

「だから、あのガキと俺は無関係だと言ってるだろうが!!」

 怒りに任せて怒鳴りつけた和真だったが、それを見た霧香は、如何にも興醒めだと言うように相手を見やった。


「……そうよね。あの子も『お父さんはあちこちに子供がいても、世間的にはフリーだし』とか言ってたものね」

「だから、あれは根も葉もないデタラメだ!」

「あの子……。きっと自分から声をかけたと分かったら、義理の父親が余計に気分を悪くするだろうし、あなたの立場を悪くするだろうと考えたのよ。あんな小さな子供が、私に偶然ぶつかったとか咄嗟に健気な嘘を吐いたのに……。そんな健気な子どもの存在すら否定するわけ!? あんまりだわ!」

「あんまりなのは、お前の頭の中身だ!!」

 それを聞いた霧香は両眼を細め、躊躇い無く左手から指輪を外し、元通りケースに入れたそれを和真に突き返した。


「さようなら、和真。残念だけど、あなたと結婚する気が完全に失せたわ」

「それはこっちの台詞だ! お前がこんなに頭の悪い女だとは思わなかったぞ!」

 捨て台詞を吐きながら和真はそのケースを引ったくる様にして受け取り、二人はそれぞれ別方向に向かって歩き出した。その一部始終を物陰から観察していた、和真の部下である萩原は、スマホを取り出してある場所に電話をかけ始める。


「……美樹様、今宜しいですか?」

「ええ、構わないわよ。どうなった?」

「盛大に喧嘩別れしましたね。リングケースも突っ返されていましたし、あの部長補佐の性格からして、彼女と無理によりを戻そうとは思わないんじゃ無いですか?」

「それはそうでしょうね。引き続き情報収集と監視を宜しく。報酬は金田さん経由で、弾んでおくわ」

「ありがとうございます。それでは失礼します」

 互いに淡々としたやり取りを済ませてから、萩原は疲れた様に溜め息を吐いた。


「さて……、取り敢えず一人は排除したが、あと何人居る事やら……」

 その聞き捨てなら無い独り言を耳にして、和真に怪しまれない様に変装した上でカップルを偽装する為に組んでいた三宅が、僅かに顔色を変える。


「え? まさか、まだやるの!?」

「あの小野塚部長補佐が、真面目に一人だけと付き合うかよ。同時進行で複数人の女がいるに決まってるだろ」

「勘弁して……」

「間違ってもあの人に、俺達がやってる事を気付かれるなよ? 万が一そんな事になったら、確実に俺達の命は無いからそう思え」

「分かったわ……」

 がっくりと項垂れた三宅を宥めつつ、かなり危ない橋を渡らされている自覚があった萩原は、再度重い溜め息を吐いた。

 それから少し時間が経過した頃、小早川家の三人は、淳実を預けていた藤宮家を訪れていた。


「美子姉さん、淳実を見てくれてありがとう」

「構わないわよ、何時間か預かる位。楽しくお食事してきた?」

「ええ、久しぶりに落ち着いて食べられたわ」

「淳志君も、美実が暫くは淳実ちゃんにかかりきりだったから、一杯お話できた? 今日は淳志君の誕生日のお祝いだったしね」

 にこやかに美子が甥に声をかけると、淳志は少々拗ねた様に応じる。

「よしこおばさん。ぼく、そんなわがままな子どもじゃないよ?」

 それを聞いた美子は、苦笑しながら謝った。


「あら、ごめんなさいね。それじゃあ二人とも、お茶を一杯飲んで行かない? 美味しいカステラを貰ったの」

「じゃあちょっとだけ」

「お邪魔します。ところで秀明は?」

「今日はちょっと、緊急の会議が入って。父もまだ帰らないのよ」

「あいつも相変わらずですね」

 そして一家揃って上がり込み、揃って応接間に入ろうとしたところで、淳志は廊下の向こうから無言で手招きしている美樹に気が付き、「トイレに行ってくる」と断ってそのまま廊下を進んだ。


「よしきちゃん、なに?」

「淳志君、今日はご苦労様。公社の人から連絡がきてたよ? しっかり破局したみたい。淳志君は、相変わらず演技派だね」

 誉められて、淳志は笑顔で礼を述べたが、少々残念そうな顔になった。


「ありがとう。でも、もう少しあそこにいたかったな」

「どうなったのか見たかったの? 欲張り過ぎないのが、成功の秘訣だよ?」

「うん、おぼえておくね。だけどおうじょうぎわが悪いよね、あの人。もうげぼくになってるから、よしきちゃんがてばなすわけないのに……」

 困った人だと言わんばかりに、淳志がしみじみと口にすると、美樹が真顔で頷く。


「固定観念に縛られた大人って、とても扱い難いって分かったでしょう?」

「うん。人間、あきらめがかんじんで、長いものに巻かれなくちゃだめだよね。流されすぎるのもだめだけど、そこをみきわめるのが、ふんべつのある大人ってことだとおもう」

「本当に、淳志君の爪の垢を煎じて、和真に飲ませてやりたいわ」

 思わず美樹が苦笑したところで、廊下に出た美子が二人に気付いて声をかけた。


「美樹、淳志君。もう随分遅いけど、カステラをちょっとだけ食べない?」

「食べる。じゃあ淳志君、行こうか」

「うん」

 それに即答した美樹は淳志を引き連れて、機嫌良く応接間へと向かった。

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