美樹十歳、実は結構人たらし

「こんにちは~、皆、今日も元気に働いてる?」

 夕方、武道訓練に来たらしい美樹が、弟を従えて信用調査部門のフロアに顔を出し、明るく声をかけながら手を振ったのを見て、和真は憤怒の形相で勢い良く立ち上がった。


「美樹! 貴様、またやりやがったな!? どこまで底意地が悪いんだ!」

「何の事?」

「とぼけるな! 俺がまた振られたのは、お前が裏で糸を引いたのに決まってるだろうが!」

「はぁ?」

 いきなり始まった糾弾に美樹は目を丸くしたが、和真は続けて自分の周囲を睨み付けながら非難を続けた。


「お前達もお前達だ! 唯々諾々と、こんなガキの指示に従いやがって! プロのプライドと言うものは」

「あ、あの……、部長補佐」

「何だ? 峰岸。何か文句でもあるのか?」

 そこで恐る恐る口を挟んできた部下に、和真は険しさを増した視線を向けたが、峰岸は困惑しながらもきっぱりと断言した。


「部長補佐の身辺調査やお付き合いされている方への妨害工作は、もう半年近く行っておりません。何の事を言われているのか、全く分からないのですが」

「は? 口からでたらめをぬかすな!」

「いえ、本当ですから! 部長に聞いて下さい!」

 更に顔を怒りに染め、和真が自分に向かって足を進めた為、峰岸は顔色を変えて上司に助けを求めた。


「……部長?」

 その訝しげな視線を受けて、吉川が部長席に座りながら淡々と応じる。

「確かにしていないな。美樹様から、終了の指示が出ている」

「どういう事だ?」

 吉川の台詞を聞いてた和真が、直ちに追及の矛先を変えると、美樹は小さく肩を竦めてから話し出した。


「どうもこうも……、和真。あんた自分が何歳になったか、分かって無いの?」

「四十だが。それがどうした」

「和真は未婚で、離婚歴も犯罪歴も無くて、学歴は十分で留学歴もあって、管理職で稼ぎも良くて、平均的なサラリーマン顔で特に可もなく不可もなく、赤の他人から情報を引き出す為に、人当たりも話術もばっちりじゃない?」

「だからなんだ」

「もう、存在自体が胡散臭いわ。だから適度に付き合うならともかく、結婚となると敬遠されるのよ。だから私が邪魔したわけじゃなくて、和真自身に魅力が無くて振られたの。そこの所を、しっかり自覚しなさいよね」

 容赦なく断定され、和真はさすがに顔を引き攣らせて反論しようとした。


「……おい、ちょっと待て」

「あ、下僕のくせに、まだ抵抗する気だよ? 無駄な抵抗なのに」

「黙れ、ガキ!」

 横から茶々を入れてきた美久を思わず叱りつけると、そんな和真に美樹が、冷静に言い聞かせてくる。


「あのね、何も傷が無い条件の良い人間だったら、二十代三十代のうちに、さっさと結婚が決まっていると、大抵の女性は思うわよ? だから一見条件が良すぎる裏には、とんでもない落とし穴が隠れているんじゃないかと、邪推されるのは当然よね」

「例えば、酒乱とかギャンブル狂とか、変な性癖を持ってるとか、たちの悪いマザコンとか、変な病気を持ってるとか、引き籠もりには見えないけど変なマニアだったりストーカーとか?」

「あのな……」

 言いたい放題の美久に、和真は握った拳を震わせたが、やはり弟より美樹の方が容赦なかった。


「これでバツイチ以上とか、頭が相当薄くなってきてるとか、事業が失敗して破産や大借金とか、はっきり目に見える欠点とかマイナス面があっても、奇特な女の人が内面の性格の良さに惹かれて、『この人は私が支えてあげないと』とか決心して、結婚してくれるかもしれないけど。和真は性格悪いから駄目だし。その年になると胡散臭い笑顔が、益々胡散臭く感じるだけよ。そもそも和真が年を取った分、必然的に結婚対象の相手の年齢も上がるし、それだけ男を見る目もシビアになってるんだから」

「でもそれなら、男を見る目が無い、若い女の人を騙して結婚に持ち込めば良いんじゃない?」

 そこでサラッと美久が問題発言を繰り出したが、美樹は冷静に反論した。


「美久……。十代や二十代のピチピチの若い子が、どうして好き好んで四十男と結婚したがるの? 手近な若い男に群がるのに、決まっているじゃない」

「あ、それもそうか。加積さんの懸念通り、下僕は見事に売れ残ったね」

「本当に、加積さんは先を見通す目を持っていたわね。さすがだわ」

 うんうんと感心した風情で頷き合っている姉弟を見て、この間ハラハラしながら様子を見守っていた部下達の前で、とうとう和真が切れた。


「おっ、お前ら! 大人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」

「部長補佐! 落ち着いて下さい!」

「美樹様達のお話にも、一理ありますし」

「そんな物、あるわけないだろうが!!」

 和真と、彼を押さえ込んでいる部下達の間で怒号が飛び交う中、その場に場違いなか細い声が美樹の周辺から聞こえてきた。


「……ねぇね?」

「どうしたの、美那よしな?」

「え? そいつは?」

 そこで漸く和真を初めとする社員達は、美樹と美久の後ろにすっかり隠れてしまっていた、幼女に気が付いた。すると、どうみても一歳前後にしか見えないその子の視界を遮らない様に、美樹が一歩横に移動してから、和真に紹介する。


「ここには初めて来たけど、妹の美那よしなよ。今、一歳八か月。美那、こっちは私の下僕の和真」

「おい! 他に紹介の仕方があるだろうが!」

 反射的に和真は文句を言ったが、美那は姉達のやり取りを聞いてから、首から下げているケースを取り上げた。そしてカバーを開き、小さな手でスマホを操作してから、それを両手で持って和真に向けて無言でかざす。


『げぼく こんにちは』


「……なんなんだ、これは?」

 何かの入力画面に打ち込まれた単語を見た和真は、呆然としながら美樹に尋ねが、彼女は平然と言い返してくる。


「美那はちょっと喋るのが面倒みたいで。最近会話は、専らこれで済ませているのよ。これも個性の一つと思って頂戴」

「ちょっと待て。さっき、こいつは一歳八か月とか言わなかったか?」

「ええ。美野ちゃんの所に生まれた従弟の和哉君は、同じ月齢の子供より大きいし、まだ十ヶ月でも随分意味のある言葉を喋っているから、下手すると美那と年齢が逆に見えるのよね。美那は平均より小柄だし」

「そうじゃなくて! どうして一歳児のガキが、普通にタッチパネルを使いこなしている上、ひらがなも理解しているんだ。おかしいだろうが!?」

 微妙にすれ違う会話に、和真は思わず声を荒げたが、美樹と美久は不思議そうに顔を見合わせただけだった。


「だって私達の妹だし」

「別におかしくは無いよね?」

(駄目だ……。やっぱりこいつらには、一般常識が通用しない)

 思わず額を押さえた和真だったが、ここでそんなやり取りを聞いていた美那が、無言のまま美樹の手を軽く引いた。


「え? 美那、何?」

 そして再びスマホの上で指を滑らせた彼女が、打ち出した文字を姉に見せる。

「『げぼく こぶん ちがい』? ええと……、下僕と子分の違いは何かって聞きたいの?」

 美樹の問いかけに美那がこっくりと頷くと、その横から美久が会話に割り込んだ。


「そう言えば姉さん、『下僕』と『子分』と『手下』の違いって何?」

 それを聞いた美樹は、本気で驚いた表情になった。


「え? 美久。あんた今まで分かってなかったの?」

「僕が姉さんの子分って事は、分かっていたけど」

「迂闊ね。自分の事なんだから、ちゃんと認識していなさい」

「うん、ごめんなさい」

(弟を子分扱いって、どうなんだ? 弟も、それを容認するなよ……)

 そんな姉弟のやり取りを見た周囲の者達は、揃って何とも言い難い表情になったが、そんな彼らを無視して美樹が真顔で説明した。


「要するに子分って、身内みたいなものでしょう? とことん親分が面倒をみて、責任を取るわけだし」

「僕、『身内みたい』じゃなくて、れっきとした二親等の身内だよ?」

「…………」

 さらっと弟が告げた内容に、美樹は口を閉ざし、周りも静まり返る。しかしすぐにムッとした声と表情で、美樹が反論した。


「……五月蠅いわね。これから血縁関係がない、子分ができる可能性はあるでしょう?」

「じゃあ、そういう事にしておくね」

(さすが美樹様の弟。美樹様を一瞬だが、黙らせたぞ)

 取り敢えずおとなしく頷いた美久だったが、恐れおののいている周囲とは異なり、更に問いを重ねた。


「じゃあ子分と手下は、どう違うわけ?」

「子分は親分を変えられないけど、手下はその時々の状況と気分で、主人を変えられるのよ。だから主人は手下を使い潰さず増長もさせずに、上手く使いこなさないといけないわけ」

「それじゃあ、子分は手下より手荒く扱っても良いの?」

「その分、手厚く面倒を見るもの」

「……それって微妙かも」

(今度は美樹様が、美久様を黙らせたぞ)

 難しい顔になって考え込んでしまった美久を見て、周囲の者達は固唾を飲んで経過を見守ったが、ここで美那が再び姉の手を引いて促した。


「ねぇね?」

「ああ、次に下僕の説明ね。ええと、下僕は……」

 そして振り返って和真に視線を合わせた美樹だったが、何故かそこで困惑顔になって口を閉ざした。それを不審に思った和真が、思わず声をかける。


「何だ?」

「……何て言えば良いかしらね?」

 小首を傾げて美樹がそんな事を口にした為、和真は本気で呆れた表情になった。


「はぁ? お前今まで人の事を散々下僕呼ばわりしてきた癖に、今更何を言い出すんだ?」

「手下の一種だよね? それで手下の中でも使い勝手の良いのが、下僕だと思っていたけど」

「お前な……」

 すかさず口を挟んで来た美久を、和真は本気で睨みつけた、そんな険悪な空気など一向に解さないまま、美樹は考え込みながら口にした。


「う~ん、それはちょっと違うかな? 判断基準は使えるか使えないかじゃなくて、私に忠実かどうかだと思う」

「はぁ?」

「さっき言ったように、単なる手下だったら機を見て私を裏切ったり、他に乗り換えたりするじゃない? でも和真は何があっても、ずっと私の下にいるもの」

 そんな事を大真面目に言われて、和真は唖然として問い返した。


「おい……、どうしてそんな断定口調なんだ?」

「だって初めて会った時に、そう思ったもの」

「俺達が初めて顔を会わせたのは、俺の思い違いで無ければ、お前が二歳の時だったと思うが?」

「そうね。それがどうかした? その後、三つか四つの時に『下僕』って言葉を知った時に、何か和真の事っぽいなぁと思ったから、それ以降は下僕って言ってるのよ。今のところ下僕は和真だけなんだけど、そんなに手下の方が良いの?」

「…………」

 大真面目にそんな事を言われて、和真は表情を消して黙り込んだ。するとここで、再び美那が美樹の手を引き、何やら打ち込んだスマホの画面を見せた。


「え? 美那、何?」

 そしてその画面を見た彼女は、頷きながら答える。


「ああ……、うん。そうね。下僕は、ちょっと特別な手下かな? でも手下だって私の下にいる限り、全員丸ごと面倒みるけどね。因みにここの社員は、上から下まで全員私の手下よ」

「…………」

「うん? 『たくさん たいへん』? まあ、それはそうだけど。だから私位の度量と力量のある人間が、面倒みないといけないんじゃない」

「…………」

 そんな事を美樹が堂々と言い切ると、美那はスマホから手を離し、小さな手でパチパチと拍手した。そしてこの間周囲は静まり返っていたが、和真が盛大に溜め息を吐いてから、美樹に告げる。


「……分かった。もういい」

「え? 何がよ?」

「あと六年適当に女遊びして、お前が十六になったら結婚する。その代わり、その時になって『やっぱり年寄りと結婚するのは嫌だ』とか、ふざけた事を言うなよ?」

 若干渋面になりながら真剣に言い聞かせてきた和真に、美樹は昂然と言い返した。


「何を言ってるの。女に二言は無いわ。和真こそ、変な女や変な男から、変な病気を貰うんじゃないわよ?」

「俺は男には興味は無いし、それが小学生が口にする台詞か!? お前はもう少し、常識と慎みって物を覚えろ!」

「そんなのは和真が身に付けておけば良いじゃない。無駄に年を食ってるんだし」

「ああ言えばこう言うっ……。お前、本当に口が減らないよな!?」

 そしていつも通りの舌戦に移行した二人を遠巻きに眺めながら、彼の部下達は囁き合った。


「何か部長補佐が、吹っ切れたみたいだな」

「吹っ切れたと言うか、自棄になっただけじゃ……」

「文字通りの『年貢の納め時』ってシチュエーションを、間近で見せられた気がする」

「あれで、本当にいいのか?」

「良いんじゃないか? 本人達が納得してるんだから」

 そんな部下達の声を微かに聞きながら、吉川は「小野塚がとうとう抵抗を諦めたと、桜様にご報告しておくか」と呟きながら、静かにメールボックスを立ち上げた。

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