第28話 傍迷惑な騒動勃発

「杉本だ。どうした……、はあ?」

 時間は少々遡り、受付からの内線を自分の席で受けた杉本は、一瞬自分の耳を疑った。

「ちょっと待て。一体、何がどうなって、そんな事に?」

 動揺しながら問い返し、続けて詳細を尋ねた彼は、粗方の説明を聞いて疲れた様に頷いた。


「……分かった。報告ご苦労」

 そして受話器を元に戻すと、近くの席にいた者が、不思議そうに彼に声をかけてきた。


「部長、何かありましたか?」

「いや、大した事ではない。……今の所は」

「はい?」

 杉本は少し離れた席で書類を作成している真紀を見やったが、口に出しては何も言わなかった。相手も怪訝そうに真紀に視線を向けたものの、上司が何も口にしない為、特に触れずに仕事を再開した。

 しかし暫くして再び杉本が内線を受けた途端、彼の驚愕の叫びが室内に響き渡った。


「はい、杉本…………。何だって!! 美樹様が!? お前、どうしてそれを止めないんだ!?」

 それは寺田からのSOSであり、話を聞くなり杉本は相手を叱りつけたが、次第に渋面になりながらも、最後は頷いた。


「……分かった。どうなるかは分からんが、取り敢えず向かわせてみる」

 そして受話器を戻した杉本は、真紀に声をかけた。

「菅沼、ちょっと来てくれ」

「はい、今行きます」

 真紀がすぐさま仕事を中断して部長席まで出向くと、杉本は頭痛を堪える様な表情になりながら話し出した。


「部長、お呼びでしょうか?」

「あぁ……、昨日の報告書を作っていたところを悪いな。実はな? ちょっと武道場に、様子を見に行って貰いたいんだが……」

 常には無い上司の歯切れの悪さと、要領を得ない指示に、真紀は本気で首を捻った。


「それは構いませんが……、武道場に何の、または誰の様子を見に行けば良いのですか?」

「武道場に北郷健介氏……、ああ、もう籍を抜いて、今は佐藤健介氏だな。その彼が来ていて、馬鹿な事に美樹様と対戦する事を選んで、なぶり殺し一歩手前の状態にされているそうだ」

「……はい?」

 真紀は咄嗟に意味が理解できず、間抜けな顔で固まったが、偶々居合わせた何人かの同僚達は、全員健介の名前をこの間の騒ぎで知っていた為、揃って勢い良く立ち上がって杉本に詰め寄った。


「部長!? 何でそんな物騒な事になってるんですか!」

「第一、どうして美樹様が奴をフルボッコにしてるんです!? 意味が分かりません!」

 そう問いただされた杉本は、疲れた様に事情を説明し始めた。


「それが……、そもそも佐藤氏は、菅沼に会いに来たんだが、受付で押し問答をしている所に、運悪く外出先から戻った小野塚部長補佐に出くわしたそうだ。そこで奴が事もあろうに、面と向かって『防犯警備部門なら無理だが信用調査部門ならどうとでもなるから、自分を雇って欲しい』と直訴したそうだ」

 それを聞いた真紀は、自分の周りを囲んでいる同僚達と同様に、唖然としながら感想を述べた。


「……馬鹿ですね」

「ああ、同情はできんな。自分の職場を軽んじられて腹を立てない奴は、よほどプライドが無い奴だ。当然小野塚君が、武道場で実技試験をすると言う名目で、少々揉んでやろうと考えていたら、美樹様が試験官に名乗りを上げたらしい。そうしたら佐藤氏も、是非相手を美樹様にお願いしたいと言ったそうだ」

 そう杉本が説明すると、真紀は呆れ果てた表情で呟いた。


「素人って……、何をやらかすか予測できないから、怖いですね……」

「全く同感だ。だが、傍観もできん。菅沼に会いに来たのなら、君が顔を見せれば彼も納得して大人しく帰るかもしれん。筋違いの頼みをしているのは分かっているが」

「奴に一発、殴られて来いと仰るんですか?」

 そこで真紀が盛大に顔を顰めてみせた為、杉本は困惑しながら問い返した。


「は? どうして菅沼が殴られる必要があるんだ?」

「え? ですから奴は、不名誉な噂をでっち上げられた上で親から勘当された事を逆恨みして、公社を代表して担当に付いていた私を、ボコりに来たんですよね?」

 大真面目にそう主張された杉本は、盛大に顔を引き攣らせながら、なんとか言葉を返した。


「……いや、そういう事では無いと思うぞ?」

「それなら私が貰った五百万は、『ある意味自分が関わったせいで貰えたんだから、分け前を寄越せ』とか、交渉する気なんでしょうか?」

 どこまでも真顔で推察を述べる真紀に、杉本は溜め息を吐いてから、再度辛抱強く問いかけた。


「菅沼……」

「はい」

「佐藤氏が、ここに出向いた他の理由を推察できないか?」

「逆恨みと、山分け交渉の他にですか……。う~ん、そうなると……、私が取り返したブローチが結構気に入っていて、再度奪いに来たとか。気が付きませんでしたが、あいつ、女装癖でも有ったんですかね?」

 どうにも噛み合わない会話の上、部下がすこぶる真面目に話をしているのが分かっていた杉本は、後は本人達でどうにかさせようと、それ以上の説明を諦めて指示を出した。


「……もういい。取り敢えず様子を見に行って、できれば穏便に話し合いで帰って貰え」

「はぁ、分かりました」

「ただ、奴がストーカー化する可能性もあるから、念の為に滝沢、枝野。お前達が菅沼に付いて行ってくれ」

「了解しました」

「菅沼、行くぞ」

「はい。……全く面倒な上、意味が分からない傍迷惑な話ですね」

 正直に言えば、付き添いなど不要だと思いながら歩き出した真紀だったが、付き従う事になった二人は、心の中で健介に激しく同情した。そして先輩二人に宥められながら、不満たらたらで武道場の出入り口までやって来た彼女は、そこから中の光景を眺めて、心底感心した風情でコメントを発した。


「うわぁ……。美樹様、素人相手にあそこまでやりますか。さすが、あの社長の娘さんだわ」

「菅沼……。お前、そんな他人事みたいに……」

「本当に、どうでも良いんだな」

 付いて来た二人が呆れながら呟くと、騒ぎを聞いて武道場に集まっていた野次馬達が、そのやり取りを耳にして一斉に振り返った。


「え?」

「菅沼!?」

「お前、来ても良いのか?」

 揃って目を丸くした面々に、真紀は憮然としながら問い返す。


「部長に、様子を見に行けと言われましたので。ですがこの場合、私は何をどうすれば良いんでしょうか?」

「え? どう、と言われても……」

「あいつ、骨折はしていないみたいだが、打撲に脱臼に鼻と口から出血してるし……」

「あれだけボコボコにされているんだから。一応、人道上の観点から、止めに入るべきじゃ無いのか?」

「どうして私が、そんな事をしないといけないんですか? どう考えても、あいつの自業自得ですよね?」

 よろめきながら何とか立っているだけの健介の腹を目掛けて、美樹の容赦ない蹴りが入り、彼が前屈みになった所で、脇腹に彼女の肘が打ち込まれる。その光景を冷静に観察しながら真紀が正論を繰り出した為、周りは揃って困惑顔になった。


「そう言われても……、なあ?」

「あいつ一応、お前に会いに来たみたいだし?」

「呼んだ覚えは、微塵も無いんですが。止める義理も無いですよね? ……あ、今の跳び蹴り、凄い! 瞬発力も脚力も半端じゃないわ! さすが美樹様!!」

 同僚達の肩越しに、美樹の攻撃を見た真紀が目を輝かせ、それを聞いた周囲が慌てて振り返った視線の先で健介が勢い良く仰向けに倒れ込んだ為、こぞって彼女を叱りつけた。


「菅沼、見る所が違うだろう!?」

「もうどうでも良いから、さっさと美樹様を止めてこい!」

「当事者のお前が頼めば、美樹様だって引いてくれると思うし!」

「……どうして当事者扱いなんですか。納得できません」

 すっかりふてくされて歩き出した真紀は、急に近付いた場合に美樹から問答無用で攻撃される危険性を考え、彼女の背後2メートルの距離で足を止めた。


「オラオラ! 寝るのは早いぞ、立てやオッサン!」

 そして容赦なく健介を足蹴にしている彼女に向かって、冷静に声をかける。


「美樹様。お楽しみの所、誠に申し訳ありません」

「うっさいわね、誰……、あれ? 菅沼さん、こんにちは。何か急用かしら?」

「いえ、急用というわけでは無いのですが」

 苛立たしげに振り返った美樹だったが、真紀の姿を認めて不思議そうに尋ねくる。それに真紀が弁解しようとしていると、美樹の足下で転がっていた健介が、表情を明るくして呼びかけてきた。


「真紀? 来てくれたのか?」

 しかしそんな彼を無視しながら、真紀は美樹に話を切り出した。


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