第27話 墓穴
「おっ、小野塚部長補佐!」
「お疲れ様です! あの、こいつは」
「小野塚さん! お願いします! 俺を中に入れて下さい!」
足を崩しながら勢い良く振り返った健介は、正座しながら襲撃事件の際に顔を見知っていた小野塚に向かって頭を下げた。しかしその懇願を聞いても、小野塚は不機嫌そうに顔を顰めただけだった。
「はぁ? 何を言っている。貴様なんぞお呼びじゃない。そこを退け」
「退きません! 俺はここに、れっきとした用事があるんです」
「何の用事だ。菅沼なら会わんぞ」
「いえ、就職希望です」
咄嗟に思い浮かんだ口実を健介が口にすると、小野塚はそれまでの不機嫌そうな表情を、微妙に嘲笑めいた物に変化させた。
「……ほう? 貴様の様な苦労知らずが、ここでやっていけるとでも?」
その言い方に棘を感じた健介は、些かムキになって言い返した。
「それなりに苦労はしていますし、経験も積んでいます。勿論、防犯警備部門での採用は無理でしょうが、信用調査部門ならどうにでもなります」
そして必死に食い下がるあまり、健介は無意識に虎の尾を踏んだ事に気が付かなかった。
「……部長補佐に向かって、『信用調査部門ならどうにでもなる』とか、命知らずだな」
「いや、賭けてもいいが、あいつ絶対に分かって無いぞ」
受付担当の二人が恐れおののいていると、無表情になった小野塚が淡々とした口調で応じる。
「なるほど……。やる気も能力もありそうで、結構な事だな。分かった。俺の権限で、今から臨時で採用試験をしてやろう。構わないか?」
「はい、勿論です! ありがとうございます!」
「それなら付いて来い。さっさとドアを開けろ」
嬉々として立ち上がった健介の前で、小野塚が受付担当者に言いつけた。しかしこの後の展開が分かってしまった彼らは、このまま通して良いものかどうか逡巡する。
「あの、ですが……、小野塚部長補佐」
「開けろ」
「……失礼しました」
そして演台の内側にある操作パネルのボタンを押して透明なドアを開けると、小野塚が健介を引き連れ、奥のエレベーターホールに向かって、無言で歩いて行った。
「おい、どうするよ?」
「取り敢えず、防犯警備部門と信用調査部門双方に連絡しておこうぜ」
「そうだな」
二人は顔色を悪くしながら両部署に連絡を入れ始めたが、そんな懸念など全く把握していなかった健介は、自分の幸運を疑っていなかった。
(偶然、小野塚さんに会えて助かった。真紀に、胸を張って会う為の第一歩だ。ここはなんとしても採用試験に合格して、公社内に自由に出入りできる立場にならないと)
そんな事を考えているうちに、目的階に着いた小野塚は無言でエレベーターを降り、健介も慌てて後に続いた。
「おい、こいつに予備の道着を貸してやれ。それからロッカーに案内して、着替えさせろ」
何かの受付らしいオープンカウンター越しに小野塚が言いつけた為、健介は(どういう事だ?)と困惑したが、中にいた男性も健介を胡散臭そうに眺めながら問い返した。
「小野塚さん、この方は社員ではありませんよね?」
「信用調査部門に就職希望だそうだ。だからこれから、実技試験をする」
「ああ……、そういう事ですか。今、そちらの方に合う物を出します」
小野塚の言葉だけで正確に事態を把握した彼は、一瞬だけ健介に憐れむような視線を向けてから、奥へと引っ込んだ。
「あの……道着と言うのは、一体どういう事ですか?」
その健介の問いかけに、小野塚が平然と答える。
「貴様は知らんと思うが、うちの信用調査部門は調査の過程で危険に巻き込まれる場合も多くてな。採用に当たってはある程度の武道の腕前が求められているし、採用後も二週に一度の武闘訓練が義務付けられている」
「……え?」
予想外の話を聞いてた健介はさすがに顔色を変えたが、小野塚は淡々と話を続けた。
「だから経歴調査や書類審査、筆記試験以前に、それを見させて貰うと言うわけだ。怖じ気づいたなら、帰っても良いぞ?」
「……やります。やらせて下さい」
「そうか。それなら仕方が無い……。一応素人だし、警告はしたからな」
そこでちょうど道着を手に、先程の担当者が戻って来た為、小野塚は短く言いつけた。
「お前が証人だ。俺は部長に今日の首尾を報告するから、準備が整うまでそいつを着替えさせて、武道場に案内しておけ」
「分かりました」
そこで小野塚はあっさりと踵を返し、男は健介に道着を手渡してから、すぐ横の《男性用更衣室》と表記のあるドアを開けて、健介を案内した。
「それではこちらにどうぞ。ここで靴を脱いで上がって下さい」
「はい、分かりました」
(よし、真紀。また君に一歩近付いたぞ!)
そんな健介は気分が高揚するのを抑えるのが精一杯で、その案内役の男が心底憐れむ目を自分に向けている事に、全く気が付いていなかった。
「それではこちらが武道場です。それでは試験開始までに、隅の方で身体を温めておいて下さい」
「ありがとうございます」
更衣室で着替え終えた頃を見計らって、迎えに来た先程の担当者に連れられて、健介はかなりの広さがある武道場に案内された。そして指示通り隅の方で柔軟体操をしていると、不思議そうに声がかけられる。
「ねえ、あなた誰? ここの社員じゃ無いわよね?」
「子供? 何でこんな所に?」
反射的に振り返った健介は、そこに自分と同じ様に道着に身を包んだ少女の姿を認めて、独り言のように呟いた。しかしその反応は相手にとっては面白く無かったらしく、気分を害した様に言い返してくる。
「……少なくとも、私はここの関係者よ。公社と無関係の人間に、どうこう言われる筋合いは無いわ」
「
どうやら指導役らしい体格の良い男が、彼女の横から慌てて説明してきた為、健介は納得して彼女達に向き直って頭を下げた。
「そうでしたか。それは失礼しました。俺は佐藤健介と言って、これから信用調査部門での採用試験を受けるところです」
それを聞いた「美樹さん」と呼ばれた少女は、少々不快げに眉根を寄せた。
「『佐藤健介』ですって? それに、信用調査部門での採用試験?」
「はい。エントランスで偶然顔を合わせた小野塚さんが、取り計らって下さいまして」
「へぇえ? 和真が? ふぅん? なるほどねぇ~」
すると美樹は、健介を上から下まで冷やかすように眺めてから、皮肉げに笑った。
(何なんだ? この子の思わせぶりな態度は。和真って言うのは、小野塚さんの事だよな?)
多少気分を害したものの、社長令嬢の機嫌を損ねたら拙いと思った健介は、美樹に丁重に断りを入れて準備運動を再開した。すると少しして、背後から落ち着き払った声がかけられる。
「待たせたな」
「いえ、そんなに待ったと言う程の事では……。あの、その姿はどうして……」
素早く振り返って言葉を返した健介だったが、道着姿の小野塚に戸惑った顔になった。しかし彼は、当然だと言わんばかりの口調で言い返す。
「俺の権限で採用試験を受けさせる事にしたんだから、俺が相手をするのが道理だろうが。身体を解すまで、ちょっと待っていろ」
(黒帯だったのか……。確かにあの時、克己の仲間達を平然と叩きのめしていたが……)
一方的に宣言して、早速準備運動を始めた小野塚を見た健介は顔色を変えたが、ここで美樹が声をかけてきた。
「ねぇ、和真。この人の採用試験を、本当に直々にやる気なの?」
「美樹さん……。そうですが。それがどうかしましたか?」
動きを止めて、何やら嫌そうに尋ね返した小野塚に、美樹は笑って手を振った。
「黒帯で、凶悪さにかけては社内で五本の指に入る和真が? 無理無理。どう見ても素人だし、試合にもならなくて瞬殺でしょう。まともに和真の相手ができるなら、防犯警備部門で十分やっていけるわよ」
「それならどうしろと? 言っておきますが、私は帰れと一応警告しましたよ?」
「私が、その試験相手になってあげるわ」
「…………」
「え?」
唐突に言われた内容に小野塚は憮然とした表情になり、健介は驚きで軽く目を見張った。しかしそんな健介に向き直り、美樹は笑顔で話を続ける。
「私はここで訓練を受け始めてまだ二年だから、当然白帯だけど、一通りの護身術や襲われた時の反撃スキルは身に付けているわ。信用調査部門の採用試験相手を、十分務められると思わない?」
「いえ、美樹さん。ですがそれは……」
動揺しながら指導役らしい男が、彼女を翻意させようとしたが、美樹は重ねて健介に尋ねた。
「ああ、万が一社長令嬢に怪我をさせたりしたら、試験も何もあったものじゃないと心配しているなら、そんな心配は無用よ。白帯だけど素人相手に、大怪我させられる程しくじったりはしないし、自分から申し出たんだから、多少の怪我は親にも容認して貰うわ。ここに居る寺田さんと和真が証人よ。どうする? やっぱり和真に試験して貰った方が良い?」
「おい、お前」
そこで硬い表情で小野塚が話に割り込んだが、健介は美樹の申し出をありがたく受ける事にした。
「分かりました。それでは試験の相手は、美樹さんでお願いします」
「決まりね。それじゃあちょっと水分だけ取ってくるから、そこで待ってて」
「はい」
そして互いに笑顔で頷いている二人を横目で見ながら、小野塚と寺田が渋面で囁き合った。
「本当に馬鹿だな、こいつ」
「部長補佐……」
「もう俺は知らん」
そう切り捨てつつも、小野塚は一言だけ言っておいてやるかと、健介に歩み寄った。
「おい」
「あ、小野塚さん、すみません。ですがさすがに小野塚さん相手では、どう考えても俺では太刀打ちできないかと思うので」
「一応教えておいてやるが、あいつが白帯なのは、わざと昇段試験を受けていないからだ。『だって有段者だと、襲って来た不埒者をぶちのめしても、警察に過剰防衛だと判断されるかもしれないじゃない?』とか、ふざけた事をぬかしてな」
「は?」
恐縮気味に弁解した台詞を、かなり物騒な台詞で遮られた健介は固まったが、小野塚は平然と話を続けた。
「それと、俺は勤務中は社内規定に従うし、上司の指示には従う。れっきとした組織の一員だからな。だがあいつは社員では無いから、社内に止められる人間も規則も存在しない。父親の社長は親馬鹿であいつの言い分丸飲みだし、母親の会長は基本的に社内の事にはノータッチだ。貴様、本当に危機察知能力が欠落しているな。死にたくなかったら、本気で逃げるか反撃しろ」
「…………」
どう見ても真剣そのものの口調に、健介が口を閉ざしたところで、水分補給を済ませた美樹が、その場に戻ってきた。
「お待たせ。それじゃあ、始めましょうか。取り敢えず私から一本取るか、参ったと言わせたら合格にすれば良い?」
「そうですね。それでは私は職場に戻って今日の報告書を作成しますので、後はお任せします。事が済んだら、結果を一言ご連絡下さい」
「分かったわ。それじゃあ寺田さん、審判をお願いね?」
「あ……、は、はい!」
そして小野塚はあっさりと踵を返し、健介と美樹は武道場の中央まで移動した。
(さっきの小野塚さんの話……。本当なのか? とてもそんな物騒な子供には見えないが……)
変わらずにこにこしている美樹を移動しながら横目で見た健介は、とても小野塚の話を信じられず、ちょっと自分を脅しただけだろうと判断した。
(せっかく試験をする気になったのに、こちらの都合で相手をすげ替えられて、小野塚さんが気を悪くして脅かされたんだな。試験が済んだ後で、ちゃんと謝らないと)
そう結論付けた健介が、小野塚に対して申し訳なく思っていると、美樹が相変わらず笑顔で左手を差し出してきた。
「それでは佐藤さん、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ、お手柔らかに」
健介は(この子、左利きなのか?)と思いながら、自分も左手を出して握手したが、その瞬間、美樹の表情が一変した。
「んな事、するわけねぇだろ。ボケが」
「え? ぐはっ!」
吐き捨てるように低い呟いた美樹が、勢い良く左手を引き、逆に一歩踏み出しながら右の拳を容赦なく健介の鳩尾に叩き込む。その予想外の衝撃に、彼が左手を離して無意識に身体を丸めるように前傾姿勢になったところで、美樹はがら空きの彼の腕と胸ぐらを掴み上げ、右脚と身体全体を使って健介の身体を跳ね上げた。
「とりゃあぁ――っ!!」
「……がはっ!」
「よ、美樹様っ!」
まともに背中を畳に叩き付けられた健介は、痛みで一瞬呼吸ができず、その圧倒的な実力差に加えて手加減なしの様子を見て、寺田が悲鳴じみた声を上げた。
しかし男達の動揺など微塵も気にせず、息も全く乱さないまま健介を冷たく見下ろした美樹が、鼻で笑いながら言ってのける。
「子供だと思って、何も知らないと思ってんのか? うちの社員にちょっかい出しやがったホスト崩れ風情が、堂々と太陽の下を歩いてんじゃねぇぞ」
「……え?」
何とか身体を捻って起き上がりかけた健介が、驚いて美樹を見上げると、彼女から冷笑が返ってきた。
「ここの社員は全員、将来の私の手下なんだよ。そんな手下に手を出されて何もしないで黙っているなんて腹立たしいと思っていたら、『飛んで火に入る夏の虫』とは、まさに貴様の事だな!!」
「ぐはっ!!」
そして立ち上がりかけていた健介の顎に、美樹が渾身の蹴りを入れて再び彼を畳に転がすと、寺田が真っ青になりながら懇願してきた。
「美樹様! お願いします、ここで死人だけは出さないで下さい!」
それを聞いた美樹は、足元で呻いている健介を平然と見下ろしながら、保証してやった。
「安心しろ、寺田。お前の管理責任にもなりかねないから、こいつは一応、息のある状態で外に出してやる。殺すと、後始末が色々面倒なのは分かっているしな。だからこいつには……、地獄の一丁目を見せるだけにしてやるぜ!!」
「げはっ!」
最後の叫びと共に、四つん這いからまさに立ち上がろうとしていた健介の脇腹に、美樹が体重をかけて肘を打ち込む。それをまともに受けた健介は、もんどり打ってまた畳に転がった。
「……分かりました。お気が済むまでどうぞ」
「おら、立てやオッサン!! お楽しみはまだまだこれからだぞ!!」
そこには愛らしい少女の姿など微塵も存在せず、自らの巣穴に飛び込んだ獲物をいたぶり殺すのを心底楽しむが如き、寺田もドン引きする獣の姿があった。
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