第9話 ちょっとしたトラブル

 

 二人が事務所に戻って程なくして、何人かの後援会のメンバーが訪れ、事務所スタッフの幹部クラスと共に会議室に入った。当然健介も会議のメンバーに入っており、真紀はこの間に不審物のチェックを済ませようと、事務スタッフの中田に頼んで郵送物を出して貰う。


「相変わらず、変わり映えしませんねぇ……」

「本当に、発想が貧困と言うか何と言うか……」

 最初は驚いていたものの、あまりにも平然としている真紀を見て、すぐにこの手の物に慣れてしまった中田は、彼女の肩越しにゴキブリのオモチャを覗き込みながら、呆れ気味の感想を述べた。手袋を嵌めて切り貼りされた脅迫状を広げていた真紀も、苦笑いしながら作業を続けていると、突然どう見ても事務所関係者とは思えない女性が、ノックもせずに入室して来た。


(え? 何? この場違いな人?)

 真っ白なツーピース姿で全身をブランド物で飾り立てている、三十前後と思われるその女性は、室内を見回して真紀達しかいないのを見て取ると、挨拶を抜きにして横柄な口調で言い放った。 


「昨日からこの事務所が、嫌がらせを受けているんですって? あら……、見慣れない人がいるけど、誰なの?」

 その問いに、中田は慌てて上半身を起こしながら、真紀の説明をしようとした。


「あの、こちらは健介さんの護衛をされている方で」

「え? この人が護衛? 随分、頼りなさそうね。大丈夫なの? それに、ちゃんと仕事をしてるんでしょうね」

 如何にも胡散臭い物を見る目つきで見下ろされた真紀は、内心で腹を立てたが面には出さず、座ったまま冷静に問い返した。


「失礼ですが、どちら様でしょうか?」

「聞いているのはこっちよ! 失礼ね! 私は健介さんの婚約者よ!」

(失礼? いきなり現れて自己紹介も無いまま、面と向かって「頼りなさそう」とか失礼な事をほざいたのは、そっちが先でしょうが)

 叱り付けてきた相手の言い分に些かの感銘も受けなかった真紀は、その女性を半ば無視して、隣にいた中田に顔を向けた。


「すみません、中田さん。ちょっとお聞きしても良いですか?」

「あ、はい。何でしょうか?」

「この方が北郷氏の婚約者だと主張されていますが、本当でしょうか? 不審人物扱いするべきでしょうか?」

「何ですって!?」

 淡々と真紀が口にした内容を耳にして、相手は激しく怒り出し、彼女は狼狽しながら説明した。


「すっ、菅沼さん! 璃真さんは不審人物じゃありません! 後援会でも有力な方のお嬢さんで!」

「それで、北郷氏の婚約者ですか?」

「いえ……、婚約はされていないかと……」

「そうですか。それでは自称、婚約者の方ですね。了解しました」

 冷静に突っ込みを入れられて、中田が璃真の顔色を伺いながら彼女の主張を否定すると、真紀は淡々と頷いた。それを聞いた璃真が、更に怒りをヒートアップさせる。


「自称じゃないわよっ! 父がそろそろ本格的に、健介さんと私の話を進めようと言っていたもの! 仕事にかまけて、健介さんに色目使ってるんじゃないわよっ!」

 そこで彼女の金切り声が奥の会議室まで響いていたらしく、様子を見に来たのか、ここで宗則がひょっこり顔を出した。


「どうした、随分騒がしい……。げ!? 璃真さん!」

「城島さん! 何なの、この失礼な女! 健介さんの護衛よね? こんな役に立たない女、即刻変えて頂戴! 大体どうして健介さんの近くに、若い女が付いているのよっ!? 女性を守るわけじゃあるまいし、男性の護衛なら普通は男性でしょう!?」

「え? い、いやぁ、それは……」

 険しい表情の彼女の気迫に押されて宗則が口ごもっていると、横から真紀が冷静に口を挟んだ。


「交代するのに私は異存はありませんが、同様に若い女性が派遣されてくるだけです。北郷氏付きにする場合、体格の良い男性だと、差し障りが有りすぎますので」

「どういう意味よ?」

「す、菅沼さん! 何を言うつもりですか!?」

「私はこちらの女性が不審に思われてお尋ねされた内容に、真摯に答えているだけです」

 淡々とした口調に、思わず璃真が怒りを忘れて不審そうな顔を向け、嫌な予感を覚えた宗則が狼狽する中、真紀は変わらぬ口調で中田に同意を求めた。


「中田さん。私の前々任者は、如何にもボディーガードという体型の、上背も肩幅もある男性でしたよね?」

「は、はあ……。確かにそうでしたが……」

「本当なら議員クラスの依頼ですと、その飯島レベルのベテランが配置されるのですが、こちらでは差し障りがありまして。任務続行に支障があると上層部が判断して、交代になったわけです」

「……何がどう、支障があったのよ?」

 思わず素直に頷いた中田と、すこぶる冷静な真紀の顔を交互に見ながら、璃真は益々不審そうな顔つきになった。


「璃真さん! 健介に会いに来たんですよね? あいつは今会議室に」

「五月蠅いわね! 黙ってなさい!」

 慌てて宗則が会議室の方に彼女を引っ張って行こうとしたが、一喝されて手を振りほどかれる。そこで真紀から、決定的な一言が告げられた。


「まあ、あれですよ。飯島先輩の見た目が北郷氏の心の琴線に触れたと言いますか、一方的にすこぶる相性が良かったと言いますか、だから北郷氏の食指が動きようがない“若い”“女性”が派遣される事になったと言いますか……」

「…………っ!」

 真紀がそう微妙に内容をぼかしながら口にした途端、室内が静まり返り、彼女以外の三人の顔が揃って盛大に引き攣った。しかしその静寂を破って、中田が恐る恐る問いを発する。


「あ、あの……、護衛の方が菅沼さんで三人目なのは、そちらの都合では無かったんですか?」

「事務所内では、そういう話になっていたんですか? 全面的に、北郷氏側の都合です。スタッフの方はご存じかと思っていましたが」

「…………」

 少し不思議そうに真紀が述べると、再び室内に沈黙が満ちた。しかし真紀の真摯な声が、その静寂を打ち消す。


「本当に、内助の功と言う物は大事ですよね……。どんな時でもどんな夫でも、何があっても笑って支える。言い方は古いかもしれませんが、北郷氏の様な方を望んで支えていくあなたの様な方は、正に賢婦だと思います。これからも頑張って下さい。陰ながら応援しています」

 そう言って変わらず座ったまま、真紀が憐憫の視線を向けると、その璃真が低い声で何やら呟いた。


「…………たのよ」

「え? あ、あの……、璃真さん? 今、なんて、うわっ!」

 そこでいきなり璃真が、宗則に掴みかかりながら喚き散らした。


「前々から、怪しいとは思っていたのよ! やっぱりあんた、健介さんとデキてるのね!?」

「はぁ!? いきなり何を言い出すんですか!?」

「すっとぼけてるんじゃ無いわよ! 妙に仲が良くていつも一緒にいるけど、仕事上のつきあいだからと自分自身を納得させていたのに!」

「それは誤解です! 俺と健介は、純然たる友人関係で!」

「それならどうして、護衛が変わったのよ! この人が言ってたけど、健介さんは男が好きで、女が嫌いなんでしょう!?」

「そっ、それはっ!」

 思わず宗則は縋る様な目を真紀に向けて、事態の収拾を訴えたが、彼女は冷静に主張を繰り返した。


「一応、もう一度言いますが、護衛の交代は少なくとも社や飯島の都合ではありません。これはれっきとした事実です」

「この恥知らずの下素野郎!! 健介さんと結婚したら、陰で私を嘲笑うつもりだったのね!?」

「そんな事はしませんから!」

 益々怒りを増幅させた璃真が盛大に怒鳴りつけると、今度は当事者の健介がドアを開けて現れた。


「どうした。益々五月蝿くなって」

「健介さん! お話があります!!」

「……はい」

 鬼の形相の璃真に迫力負けした健介は、そのまま廊下に引きずり出された。そして室内に取り残された宗則が、忌々し気に真紀に向かって恨み言を漏らす。


「菅沼さん……。何て事を言ってくれたんですか……」

「私は事実しか、口にしていません。あの方が私の力量に不満を抱いておられた様なので、私が任命された経過を簡単にご説明して、ご納得頂いただけです」

「それにしたってだな!」

 そこで廊下の方から盛大な平手打ちの音が伝わり、一瞬顔を見合わせてから、真紀と宗則はドアを開けて廊下に出てみた。すると憎々し気な顔の璃真が二人に気付いて踵を返して歩き出し、そんな彼女の背中に向かって、真紀は声をかけた。


「あ、お帰りですか? ご苦労様です」

 しかし璃真は振り返る事無くそのまま歩いて事務所を出て行き、それを見送ってから真紀は何やらボソボソと話し込み始めた男二人を放置して、室内に戻った。


「それではチェックを再開しますので」

「あ、は、はい……。宜しくお願いします……」

 そして未だ茫然としている中田に声をかけると、彼女は一瞬廊下の方に目を向けてから、自分の仕事に取り組み始め、再び静寂が戻った室内で真紀も黙々と作業を再開した。


(何だかつまらない嫌がらせや、くだらないトラブルばかりで、本領発揮する場面が無さそうなのよね。平和で良いって言えば良いんだけど……)

 つい荒事が無くてつまらない的な事を、心の中で思ってしまった真紀だったが、そんな不謹慎な考えが災いを呼び込む事になったのか、その後更に事件が勃発する事になるのだった。

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