その手から零れ落ちるもの

 星波月美ホシナミルナはすぐ、大人達に保護された。

 なかば拘束されるようにして。

 三人だけの無人島に助けに来てくれたのは、敵として戦った謎の勢力だった。


「その人に手荒な真似まねはしないでください。ジュネーブ条約っての、あるでしょうし」


 初来総ウヅキソウの指示で、コンバットスーツの男達は銃を降ろした。銃口を突き付けていた大人達は、まるでフル装備の特殊部隊みたいだ。テレビか映画の中に月美は迷い込んでしまったようである。

 そして、ジュネーブ条約……確か、捕虜の取り扱いを決めた国際条約だ。


「つまり、オレはていのいい捕虜って訳かよ」

「……今はそう扱うしかできませんよね。貴女あなたにはでも、危害を加えるつもりはありません」


 そういって総は目配せしてくる。

 なにかを瞳で語ってくるので、すぐに月美も気付いて後悔した。と言ったが、まだ周囲の大人達には知られていないことがある。

 それは、森の方へ入っていった、遥風空ハルカゼソラの存在だ。

 月美が自分から、パートナーの存在を話す必要はない。

 暗に総は、再び敵味方になってしまう中でも気遣きづかってくれるのだ。

 総はテキパキと大人達に指示を出す。


「俺の機体を回収してください。実戦データの入った、貴重なやつですから。それと」

「総君、お父さんに連絡を取ったらどうだい? 心配しているだろう」

「……そう、でしょうか。戻ったら報告書として提出しますよ」

「そうか。それで……彼女のことなんだが」


 チラリと総の周囲で、男達が振り返る。

 月美は身を固くして、心細さに震えた。

 少し前まで、巨大人型兵器で……ロボットでこの人達と戦っていたのだ。モニターの向こう、装甲越しに感じる殺気はあった。そこに人の輪郭も息遣いも感じず、銃爪トリガーを引いていたのだ。

 今になって月美は、怖くなってきた。

 連中はいったい、なにものなのか?

 そして、第三高校の科学部とはなんなのか?

 答えてくれるはずの少年は今、近くにはいてくれない。

 やがて、部隊の隊長らしき大人が近付いてくる。ガッシリとした体格で、壮年を過ぎた初老の男だ。


「星波月美ちゃん、だね?」

「……ああ」

「おじさん達は君を保護し、日本までの安全を保証しよう。ただ、いくつかのことについて聴取しなければいけないし、君が持っている情報を提供してほしいんだ」

「尋問かよ」

「君次第では、尋問にも拷問にもなるかもしれない。それは我々ではなく、君が選ぶことだ」


 隊長の背後で、総が「待ってください!」と声をあげた。だが、他の大人達になだめられ、抑えられてしまう。

 どうやら、総はパイロットとして一目置かれ、組織でも特別な存在らしいが……こういった現場では、大きな発言力がないらしい。そして、それを総に求めるのもこくだし、調子が良過ぎる。共同生活でサバイバルをしていたが、彼とは敵味方だったのだから。

 月美は静かに深呼吸して、真っ直ぐ隊長の男を見据みすえた。


「オレは県立第三高校三年、星波月美。それ以上は言えない、応えたくない」

「ほう……」

「おっさん達はなんだ? 名乗れねえのか? 所属は!」


 一気に場の緊張感が高まる。

 だが、気圧けおされれば負けだ。

 そして、殺気立つ隊員達を手で制して、隊長の男はやれやれと溜息を零す。


「態度を硬化しても事態は好転せんよ。……そうだな、名乗ってなかった」

「おっさん達は、なにものだ? オレ達が言えた義理じゃねえのはわかってる。でも……あんなものを造って、なにをするつもりだよ!」


 月美が指差す先に、片膝を突いた漆黒の巨大人型兵器がうつむいている。

 以前、高高度の天空で戦ったタイプだ。

 ひたいに伸びた角は、まるで悪鬼か悪魔かという雰囲気を発散している。

 ひげを手ででながら、隊長は教えてくれた。


「我々は、PRECプレック。そういう組織名で、国家に所属する者だ」

「国家……それは日本か?」

「日本も活動の場の一つだが、世界各地で手広くやってるよ。さあ、質問タイムは終わりだ。ヘリに行こう。保護すると言った以上は――」


 その時だった。

 銃を手にした隊員の一人が、森を指差し叫ぶ。


「隊長、森が! 森が、燃えています!」


 小さく舞い上がった煙の筋が、またたに黒くなってゆく。そして、火の手は驚くべき速さで広がり始めた。

 恐らく、やったのは空だ。

 混乱を演出して見せて、その隙に脱出しようというのだ。

 そこまでは月美でも理解できた。

 だが、予想外の場所から声が響く。


「月美っ! 海へ走って! プロトゼロへ!」


 いよいよ勢いよく燃え始めた森とは、。森へと向かっていた敵の部隊は、一人を除いで完全に裏をかかれた。

 総以外の全員が、まんまとだまされたのだ。

 総は自分の拳銃を抜きながら、まるで月美と空を援護するように叫ぶ。


「早く行けっ! 俺は……俺だって、撃ちたくないんだ!」


 肩越しに振り返る総と、目が合う。

 短い間だったけど、一緒に暮らして命をつないだ。

 それももう終わりだと、向こうもさとっている。

 それでも、総は「行けよ!」と叫んで、味方である大人達に銃を向けた。彼の立場が心配だったが、そんな月美の手を空が握る。

 空の手を握り返して、後ろ髪を引かれる思いで月美は走った。

 背中は打撃音と一緒に、総の噛み殺した悲鳴を聴いていた。

 大人達はやはりプロ、いざとなれば手心を加えたりはしない。


「くっ、あっちか! この火は陽動だ! 海の方へ行ったぞ!」

「総君……なにがあったんだ? 何故なぜ……それより、捕虜が逃げる!」

「二人いたのか! 急げ!」


 波に洗われたまま、擱座かくざ同然で崩れ落ちていた、アイリス・プロトゼロ。そのコクピットによじ登って、月美は久々のシートに収まった。

 電源は喪失しているが、迷っている暇はない。

 開いたままのコクピットの周囲に、敵の発砲した弾丸がビートをかなでる。そんな豆鉄砲では傷一つつかないが、丸出しのコクピットは別だ。


「空っ、動かねえよこいつ!」

「大丈夫さ、こういう時は……こうするのが、お約束なんだっ!」


 空は外から上半身をコクピットに乗り出したまま……なんと、コンソールを乱暴にこぶしで叩いた。ブンなぐったのだ。

 おいおいと思った次の瞬間、光と共に機体が震え出す。

 再びパナセア粒子の力を巡らせて、アイリス・プロトゼロはスリープモードから蘇った。すぐにダメージチェックをすれば、損傷は激しいがなんとか飛べそうだ。


「実は、前から少しずつ応急処置をしてたんだ。総に秘密で。悪いと思ったけど、今は」

「飛ぶぞ、空っ! 早く後に乗れっ!」


 既に向こうは、黒い機体が二機とも立ち上がっている。

 確か、連中はPRECと名乗った。

 そんな組織も会社も、月美は聞いたことがない。もしかしたら、その名をこそ持ち帰るべきかもしれない。ようやく月美は理解したのだ……科学部の後輩達が、なにと戦っているのかを。

 そして今は、その戦いが必然で、必要なものかもしれないとさえ思う。

 茶飲み部だなんだと言われながらも、後輩達は誰にも知られずに戦い続けてきたのだ。


「さ、トンズラだよ。月美、あちこちガタが来てるから安全運転で――」


 刹那せつな、銃声。

 笑顔の空から、表情が消えた。

 生温かいものがほおにかかって、思わずそれを手で拭う。

 月美の白い手に、鮮血の赤がにじんでいた。


「え……空? 空っ!」


 コクピットに外からぶら下がっていた空から、力が抜けてゆく。彼はそのまま落ちそうになって、慌てて月美は身を乗り出した。

 二発目の銃声が、頬をかすめた。

 けるような痛みの中、必死で月美は空の体重を支える。


「だからさっさと乗れって……空っ! おい空ぁ!」

「月美……行って、よ。さ、頼む、よ……」

「馬鹿言うなっ! お前っ、そういうのは――」


 次の瞬間、月美は呼吸を奪われた。

 不意に空は、最後の力でコンソールへと手を伸ばす。タッチパネルを操作する手とは裏腹に、彼のくちびるは月美の唇を封じていた。

 互いの呼気が行き交う中での、僅か一秒にも満たないくちづけ。

 かすかに血の味がして、温かな柔らかさはすぐに離れた。


「はは、すきアリだね……月美。油断、したよ、ね……さ、行って……」

「空、お前……あっ!」


 ハッチがオートで閉まる。空の操作で、むずがるようにアイリス・プロトゼロは自動的に立ち上がろうとしてた。そして、空は大地に落ちてゆく。

 スラスターが咆哮ほうこうし、完全に密閉された中でモニターに周囲が映った。

 銃を構える敵機の姿が、うるむ視界の中で輪郭を揺らしていた。


「馬鹿野郎……空っ、このぉ、馬鹿野郎っ!」


 もうもうと舞い上がる水飛沫みずしぶきと土煙の中に、空の遺体は消えていった。

 信じられない光景が、あっという間に遠ざかる。

 アイリス・プロトゼロは、無情にもあるじ最期さいごの命令に忠実に、日本へと向けて高速で飛翔するのだった。

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