Outer's Another

 遥風空ハルカゼソラは、アイリス・プロトゼロの推力が生んだ炎と煙の中へ消えた。

 銃声は一瞬で、星波月美ホシナミルナから永遠に彼を奪ったのだ。

 それからのことは、よく覚えていない。

 墜落同然で落下したのは、県立第三高校の裏山。すぐに後輩の荻原悠介ハギワラユウスケ三好ミヨシロト、上原真佐ウエハラマサが助けに来てくれた。なにも言わずに三人は、泣きながら月美に抱き着いてきた。

 現実感がないまま、抱き返すことしかできなかった。

 茶飲み部こと科学部の顧問が、またかという顔をしていたのが印象的だった。

 彼は、教員である前に一人の人間として、繰り返される犠牲に打ちのめされているようだった。

 そして、あっという間に春が来た。


「ここが空の教室か……ま、うちとあんまし変わらねえよな。……まあ、オレはほとんど教室にいたことねえけどよ」


 外にはすでに、春の風が吹いている。

 見上げる空は青く、咲いたばかりの桜が散り始めていた。

 知らぬ間に卒業式も終わって、月美は空白の一ヶ月を過ごす三年生の教室にいた。かつて空が在籍したクラスだ。

 この場所に来るまで、何日もかかった。

 うつろな気持ちのまま、空の体温も声も記憶した身体を引きずってきた。

 年度末の忙しい二月は、あっという間に卒業式を迎え、月美を学校から追い出したのだ。後輩達はえてなにも聞かず、なにも言わなかった。

 笑顔で送ってくれたことが、辛くて、厳しくて、そして嬉しかった。


「よぉ、空……お前の机はどこだ? オレ、さ……明日、東京に行くんだってさ」


 放課後の教室、ずっと生徒がいなかったからか肌寒い。

 少年少女の呼吸が行き来するのは、四月に進級した三年生を迎えるまで見られない。学生の営みがないだけで、閑散とした室内の空気が驚くほどに冷たく澄んでいる。

 遠くに運動部の声を聴きながら、放課後の教室で月美は周囲を見渡す。


「……そこかよ。居心地良さそうじゃんか」


 ふと、空が立ってたような気がした。

 それが見えたと思ったが、気のせいだろう。

 そして、その事自体は不思議に思わないし、まだどこか空が死んだことが実感できない。ただ、思い返せば月美の時間にはいつも彼がいた。ただ卒業を待つだけのモラトリアムな冬、彼は確かに月美と一緒にいたのだ。

 空が呼んだような気がして、窓際の一番後ろの席に歩み寄る。

 まだ机の中には、教科書と一緒に空のノートや筆記用具が入っていた。


「まだ、捨てられてねえな。……よかった、って思っちまったぜ。なあ、空……適当になにか、もらってくけどいいよな? 形見分かたみわけ、って訳じゃねえけどよ」


 教科書や参考書の他には、アニメ雑誌のバックナンバーと、Blue-rayブルーレイのケースが一つ。アニメ『望郷悲恋ぼうきょうひれんエウロパヘヴン』の第一話だ。多分、友人達に貸し出すために、ここに入ってたのだろう。

 オタクとは常に、自分用の他に保管用と布教用を買うものだと彼は言っていた。

 つまりこれは布教用……彼にとっては、仲間や友達を増やすためのものだ。

 これはもらえないなと、月美が苦笑したその時だった。


「ちょっと、ユウっ! もーっ、どこいったのよ……用務員さんや先生に見つかったら、絶対怒られるんだから」


 その声に振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。

 まだまだ小さな女の子という雰囲気で、制服もこの学校のものではない。可憐かれんな表情はあどけなくて、それで月美は中学生くらいかなと思った。

 彼女はこっちに気付いて、ペコリと頭を下げた。


「あのっ、えと、男の子を見ませんでしたか?」

「ん、ああ……ゴメン。見なかったかな」

「えっと、ちょっとぼんやりしてるけど、人懐ひとなつっこくて気付けば隣にいる感じで……あ、えと! アニメとか漫画、好きです。なんか、この学校の都市伝説? うわさなんか信じちゃってて」

「……ごめん、そういう男の子はいない、かな。もう……もう、いないよ」


 そうですか、と少女は肩を落とす。

 そういえば、先日入学試験の合格発表があった筈だ。

 つまり、この春から彼女はこの県立第三高校の新入生なのかもしれない。これから入学する学校を見学しに来てるのだ。


「あのっ、先輩っ! 私、渡辺篤名ワタナベアツナっていいます! えと」

「やっぱ新入生か。悪ぃ、オレは卒業生。あんたと入れ違いにいなくなる」

「あっ……そ、そうなん、ですか……残念、です。あれ? なんで……す、すみません、なんか……残念です」

「はは、謝るなって。一年生の教室は一階だから、その優くんとやらはそっちかな?」

「あっ! で、ですよね! 行ってみます! ありがとうございましたっ」


 全身が一生懸命でできてる、そんな雰囲気の篤名が頭を下げた。

 彼女は顔をあげるや、猛ダッシュで階段の方に去ってゆく。

 それを見送り、初々ういういしさに自然とほおが緩んだ。

 何故なぜだろう……不思議と、彼女の探す優が男子のような気がした。

 そこに、今はもういない面影おもかげが重なる気がしたのだ。


「ハッ、馬鹿馬鹿しい……お前のせいだぞ、空。……さて、どうすっかな。なにをもらっていこうか――」


 改めて、遥風空の遺品の数々に向き直る。

 アニメのBlue-rayだけが気になって、先程から手にとって放せない。

 でも、これをもらってはいけないような気がした。

 空の大事なものでも、それは月美が思い出の具現化として連れて行ってはいけないとも思える。その作品自体がもう、月美にとっては空との思い出だったからだ。

 そして、気付いた。

 理解した瞬間、世界がにじんで輪郭がぼやけた。


「クッソ、そうかよ……オレは、オレは……やっぱり空の奴が好きだったのかよ」


 認めがたく、認めたくなく、今となっては認めるしかない。

 そして、否定したくないし忘れたくない。

 確かに心をかれた、好きだった……その少年はもう、いない。

 あまりに自然にするりと近寄り、気付けば隣にいた。彼の全てが気になって、知らぬ間にこの学校の秘密に触れた。彼との全てが秘密で、二人だけの時間と場所をかたどっていた。

 そして、それはもう失われたのだ。

 気付けばあふれて止まらぬ涙に、月美が頬を拭った、その時だった。


「っしゃ、巻いたな……いちいち世話焼き過ぎるんだよな、篤名は。で、ここの教室もバツと」


 突然、教室の清掃用具入れが内側から開いた。

 そして、そこから学生服姿の男子が現れたのだ。

 勿論もちろん、この学校の制服じゃない。

 彼は泣いてる月美を見て「あっ」と一瞬固まった。

 月美もまた、振り返って硬直してしまう。

 静寂と静止に包まれた世界が、少年の言葉でようやく動き出した。


「あ……えと、先輩? あ、いや、うん! こ、これ、使ってくださいよ!」


 あわあわと混乱と動揺を見せつつ、少年が真っ先にとった行動……それは、ポケットから出したハンカチを差し出してくることだった。

 思わず月美は、言われるままにそれを受け取ってしまう。


「あの、ひょっとして……憧れの先輩が卒業した、的な?」

「……るせーな、そうじゃ……なくも、ない。先輩じゃないけど」

「なんか、すんません。ごめんなさい! ちょっと俺、空気読めてないかもだけど……あ、今すぐ行きますから! いなくなりますから! じゃ、じゃあ、そういうことで」


 少年は、月美からハンカチを回収するのも忘れて去ろうとする。

 その背中を気付けば、月美は呼び止めていた。


「優って、お前か?」

「えっ? ど、どうして俺の名を。俺、吹雪優フブキユウです。春から高校一年生」

「なんか、渡辺ってが探してた」

「あー、篤名が……やっぱり。参ったな、まだ全部調べ終えてないのに」


 彼はこれから入学する高校で、なにを?

 そのことを素直に問うたら、満面の笑みが返ってきた。


「あれ? 先輩知りません? 今、ネットで噂ですよ。この学校、すげえ都市伝説があって……地下に秘密基地があって、巨大ロボットを開発してるんですよ!」


 優は嬉しそうに語った。

 この学校自体が表の顔で、裏には世界の平和のための巨大人型兵器を隠している。そして、この学校自体が秘密基地なのだと。

 清掃用具を入れたロッカーが、秘密基地の入口だと彼は思っているらしい。


「俺、この間見たんです。なにかこう、高速で飛ぶ物体が裏山に落ちた……いや、あれは着陸、不時着したんだと思うんですよね」

「……墜落だったけどな、ほぼ」

「そうですか? でも、そういうの見たら信じちゃいますよ。俺は、あの日見た流星に……流れ星みたいな光で知ったんです。この第三高校にはなにかある! って」


 優はそう言って笑う。

 彼が見たのは、空によって送り出された月美の、アイリス・プロトゼロの最後の飛行だ。その終わりはもう、息も絶え絶えの悲惨なものだった。

 でも、それを見て噂を信じ、疑うすべを知らない少年が目の前にいる。

 自然ともう、月美の目から涙は零れてこなかった。


「なあ、優……吹雪優」

「は、はい。えっと、先輩は」

「オレのことはいいんだ、名乗らねえから忘れろ。な?」

「はあ……わっ、ととと、なんです? なんなんですか!」


 月美は、空が残したアニメのBlue-rayを放った。

 それをわたわたと受け取り、優は目を見開く。


「なんだ、エウロパ……望郷悲恋エウロパヘヴン。って、初回限定版!?」

「やる。じゃあな、後輩」

「え、やるって……これ、プレ値で」

「いいからやるって。あいつなら、見せたいやつに貸すだろうからさ。お前もまぁ、そうすればいい。そうして、ほしい、かな。じゃあな!」


 結局、月美は空の遺品を何一つ手にせずまなを去る。

 まだ、遺品とは認めない……死んだだなんて思いたくもないし、確認もしていないのだ。それに、もらうよりも手渡せた、大事な人の大切なものを相応しい人間に繋げた気がしたのだ。

 月美はこうして、進学のために東京へと旅立つことになった。

 その胸の奥、記憶の片隅にしかもう、彼女をいてくれた少年……彼女が実は好きだった少年はいないのだが、だからといって立ち止まれない日々はもう始まっているのだった。

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