第11話「虚構からの浮上」

 藍田春季アイダハルキにとって、そこは失われた日常のゆりかご。

 この独立都市どくりつとしエルヴィンにも、中学校や高校がある。そして、同世代の少年少女が勉学にいそしんでいる。青春を謳歌おうかしている。

 そう、思っていた。

 実際に訪れてみるまでは。


「っと、フィーネのじょうちゃんも見失ったか。で、ナルミちゃんは……気配もねぇ。おいボウズ! ……気ぃつけろよ。妙な雰囲気だ」


 春季の側では、角川俊暁カドカワトシアキが銃を取り出し構えていた。

 彼は警官なのに、巨大なバイクにヘルメットも被らずここまで来た。それも、春季を拉致らち同然に後ろに乗せて、だ。

 だが、不思議と信頼できる気がした。

 えとして鋭い緊張感は今、春季を守るために尖っている。

 俊暁はフィーネのことを知ってて追ったようだが、春季も気遣ってくれてるのだ。


「角川さん、えっと」

「俊暁でいい。お前さん、過去の地球から来たっていう例のボウズなんだろ?」

「は、はい」

「話は広瀬涼ヒロセリョウから聞いてる。安心しな、俺は一応、仮にも警官なんでね。市民の生命と財産が第一だし、命に代えても守るさ」


 だとか、だとか。

 そんなことを言って苦笑する割には、俊暁の律儀さが感じられた。

 そして、静まり返った校内の雰囲気も異常である。

 若人わこうど達の集う学び舎とは思えない。

 その意味に、どうやら俊暁は心当たりがあるようだ。


「この区画は本来、閉鎖されてんだ……このエルヴィンは、俺達街の人間にもわからない謎が多過ぎる。セキュリティの奥にまさか、学校があるなんてな」


 警戒しながら進む俊暁に、自然と春季も身体が強張った。

 その時、絶叫が響く。

 声のする方へと、即座に俊暁が走り出した。

 妙な胸騒ぎを感じて、重い足取りでどうにか春季も続く。

 学校の一角、声のした教室へと飛び込んで……二人は異常な光景に絶句した。


「なっ、なんだこりゃ!?」

「マネキン、ですか……? 俊暁さん、これは」

「知らねえよ、ボウズッ! ここは、この施設はいったい」


 その言葉に、振り返る少女が答えてくれる。翡翠色ジェイドグリーンの長い髪を揺らし、うれいを帯びた表情には瞳が悲しげに潤んでいる。

 間違いない、先程街の中で出会った少女……確か、神崎カンザキナルミがフィーネと呼んだ少女だ。


「……来てしまったのね、貴方あなた達。真実を求めて現実へと戻れたのは、彼だけ。でも……彼を今は助けたい。貴方達の力も貸してほしいの」


 切実さのにじむ声だった。

 そして、真っ直ぐ見詰めてくる瞳に嘘はない。

 周囲には、学園の制服を着た少年少女達が並んでいる。そう、笑みを張り付けた表情を凍らせ、固まっているのだ。マネキンと評したが、その精巧せいこうな作りがかえって不気味である。

 そんな中に、フィーネが寄り添う少年の姿があった。

 彼だけは普通の人間、春季と変わらない。

 端正な顔には今、戦慄に慄く恐怖の表情が浮かんでいた。

 少年は春季と俊暁を一瞥してから、声を震わせる。


「どうなってるんだ……俺は今まで、日本で……普通の暮らしを、高校生をやってて」


 彼の手を握って、フィーネが言葉を選ぶ。

 それは容赦がなく、正直過ぎる端的な説明だった。だが、フィーネの声音にひそんだわずかな焦りが、躊躇ちゅうちょを許さぬ状況であることを告げてくる。


「彼は、蓮介レンスケ……緋崎蓮介ヒザキレンスケいつわりの虚構フィクションを飛び出て、再びこの現実に戻ってこれた被験者の一人」


 フィーネの声はどこまでも透き通っている。

 そして、彼女はふと視線を外した。

 蓮介と呼ばれた少年の手を放し、歩き出す。


「……ナルミが、呼んでる。そう……私達の因果がこの座標に重なってしまったのね」


 そう言ってフィーネは、教室を出ると行ってしまった。

 春季は呆気あっけにとられていたが、蓮介に駆け寄り顔を覗き込んだ。

 彼はくちびるめながら、どうにか現実を受け入れようとあらがっていた。そんな蓮介と春季を見て、銃をしまいながら俊暁が声を掛ける。


「ボウズ、そっとしといてやれ……どういうことかわからねえが、このエルヴィンじゃヤバい研究なんてゴマンとあるからな」

「でも……放っておけないですよ。あの、僕は藍田春季です。えっと、蓮介さん、ですよね」


 震えながら蓮介はうなずいた。

 そして、必死で理性を確かめるように喋り出す。


「ここは、乃蘇久我のそくが学園……どこにでもある普通の高校だ。そして、俺は朝……そう、朝、いつもの駄菓子屋だがしやでおばあちゃんに、それが! なんで! どうなってんだ!」

「あのっ、蓮介さん。落ち着きましょう。周囲のこれは……」

「親友の刀真トウマ……櫻刀真サクラトウマ。そして、クラスメイト達……さっきまで一緒に笑ってたのに。そう、笑って……くっ! それなのに!」

「え、えっと、とりあえず、これを!」


 咄嗟とっさに春季は、ポケットから取り出した駄菓子を握らせる。

 それを見て、蓮介は一瞬目を丸くした。


「うまぁ棒……一本、十円」

「僕のいた時代にも、似たようなお菓子がありました」

「僕の、いた、時代? お前は――」

「藍田春季です。訳あって、このエルヴィンに滞在してるんです」

「エルヴィン? ここは日本じゃ」


 教室の扉が突然開いた。

 俊暁が出てゆくところだった。

 だが、彼は一度だけ振り向くと、蓮介を見据みすえて言い放つ。


「気の毒だったな! ニホン? そりゃ、。今じゃ名前すら知られてねえよ」

「そ、そんな……」

「でもな、そのボウズは……春季は過去から来た。お前の知ってるニホンとやらが、まだ確かにあった時代からな」


 蓮介はしきりにまばたきを繰り返す。

 だが、その目には次第に強い光が戻ってきた。

 それを確かめるように、俊暁は大きく頷く。


「俺はフィーネを追う。ナルミの奴も保護せにゃならん。お前はどうする?」

「どうする、って」

「そのボウズは優し過ぎんだ。甘えてブルブル震えてるか? それとも、この場に残るか! この施設だって、どっかの企業が抑えてんだ。すぐに人がやってきて……お前をニホンとやらの夢に戻してくれるかもしれない」

「……それは」

「自分で考えて、自分で選べ。俺はずっと、そうしてきた。じゃあな!」


 俊暁は行ってしまった。

 だが、春季は確かに見た。

 彼が、蓮介の崩れかけた心に、微かな明かりをともしたのを。

 そして、他ならぬ蓮介自身が、小さな火を紅蓮ぐれんに燃やし始めた。


「……このまま訳もわからず終わってたまるか! 進むしか、ない」

「なら、一緒に行きましょう。僕は、エルンダーグがなければ無力、弱いですけど……あなたを一人にさせないくらいはできるつもりです!」

「春季君、だったよな。俺は緋崎蓮介だ。蓮介でいい」


 彼はすぐに走り出した。

 春季も必死でその背に追いつこうとして、身体を引きずるように走る。あっという間に息があがって、薬物の影響でけだるい肉体が重くなってゆく。

 だが、ここにいては駄目だと頭の中でなにかが警鐘けいしょうを鳴らしていた。

 その声は不思議と、幼馴染の芹井冬菜セリイフユナに似ていた。

 フィーネ達を追って辿り着いたのは、体育館。

 だが、その扉は仰々ぎょうぎょうしい合金製……やはりここは、学校なんかじゃない。重い扉の前でフィーネは、ナルミと一緒に振り返った。今しがた追いついたらしい俊暁もいる。


「あら、ついて来たのね」


 目を細めて、フィーネは一同を見渡し、最後に蓮介を見据みすえる。

 彼女が扉を開けると……闇の中に、巨大な物体が横たわっていた。

 その数、三機。

 ケイジに固定された人型機動兵器のようだ。

 深紅しんくの機体には雄々しいドリルが装備され、あおい機体は張り出した肩を中心に重装甲が着せられている。この二機はどうやら、同じ文明圏の機体らしい。デザインに共通の意匠が感じられた。

 だが、中央に横たわる機体は違う。

 その奇妙な巨神の上に、ナルミが立っていた。

 彼女の側まで軽々と登って、フィーネは真っ直ぐ向き合う。

 春季は奇妙な緊張感の中で、気付けば手に汗を握っていた。

 これからなにかが始まる……


「ナルミ、彼を乗せたいのだけど……いいかしら?」

「フィーネが選んだなら、いいよ。でも」

「わかってる、最後に選ぶのは彼よ」


 その時、激震が走って建物全体が揺れる。

 自然と春季にも敵の存在が感じられた。

 そして……もう、隣の蓮介に迷いや戸惑とまどいは感じられなかった。


「フィーネ、だったな……俺がこのロボットに? どうして俺なんだ」

「この機神きしんは、貴方にしか扱えない。だから、貴方を解放するために私は来た。虚構に眠る太古の残滓ざんしから、貴方を拾い上げたの。共に真実を求めるなら、受け取りなさい……グランデルフィンを!」


 フィーネがなにか、デバイスらしきものを投げてきた。それを受け取る蓮介の手を見て、春季はさとる。それは、彼女がグランデルフィンと呼んだ機体の操縦桿だ。恐らく、登場者を限定するために起動キーも兼ねているのだろう。

 迷わず蓮介は、春季に一度だけ頷いて機体へと走った。

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