第10話「彼女の名は、終焉」

 藍田春季アイダハルキにとって、独立都市エルヴィンの光景は驚きだった。

 そして、当たり前な人々の営みに驚く自分にこそ、彼は驚いていた。

 ここははるかな遠未来えんみらい、文明が滅び終えたあとの地球だ。そして、滅びの一端である巨大隕石の落下が、この高度な科学都市を生み出した。あらゆる生産性を忘れた人類が、過去の遺物を発掘しながらテリトリー同士で戦う中……このエルヴィンだけが、法と秩序で守られている。

 春季にとっても、その光景はひどくなつかしい。

 ここには、日常と呼ぶに相応しい毎日が連ねられているのだ。


「あ……駄菓子屋だがしやだ。なんか、不思議だ……あの田舎町いなかまちを思い出す。エルヴィンて、小さいのに不思議な街なんだな」


 春季が出歩けるようになったのは、つい先日だ。

 このエルヴィンに来てから……この時代に飛ばされてから、すでに一週間が経過している。その間、広瀬涼ヒロセリョウはあらゆる便宜べんぎを図って、春季達の身分や装備、何より消えた【シンデレラ】についての手続きを行ってくれた。

 今もリョウ・クルベが、彼女に付き添い真実を語りにアチコチ連れ回されている。


「涼さんと、クルベ中尉……お互いリョウ同士、上手くいってるみたいだ」


 ひとりごちて、春季はズボンのポケットに手を入れる。

 孤児院のカナからは、不自由がないようにとお金を渡されている。彼女が、春季に必要な休息の、その質と量を考えたうえでのお金だ。カナは訳も聞かずにただただ微笑ほほえんで、まるで我が子のように春季に優しかった。

 それは、久々の休息を得た西村巧ニシムラタクミ御剣那奈華ミツルギナナカにも同じだった。

 二人も、今日は自由時間を二人きりで過ごしている筈である。


「懐かしいな……一緒に暮らしてた頃、よく二人で放課後に寄ったっけ」


 春季は少しフラフラよろけながらも、ポケットから財布を出して駄菓子屋に寄る。

 エルヴィンの町並みを一言で言うならば、それは多国籍……そして、無国籍。こうした下町情緒あふれる日本の駄菓子屋があるのは、高層ビルが軒を連ねる摩天楼まてんろうの足元だ。そして、路地を曲がればそこには中華街が広がっている。その先には小さく、イスラム教のモスクが見えた。

 半キロ四方にあらゆる文明圏を凝縮した場所、それが独立都市エルヴィンだ。

 春季はなんとはなしに、周囲の子供達に混じって駄菓子を眺める。

 遠い未来のこの場所でも、どこかチープでキッチェな駄菓子は変わらない。

 懐かしくて、思わずあれこれと選んでいた、その時だった。

 これまた駄菓子屋に相応ふさわしい店主の老婆ろうばが、静かに枯れた声を響かせた。


「お嬢ちゃん、悪いねぇ……お小遣いがない子には、お菓子はやれないんだよ」


 すまなそうに喋る老婆の前に、小さな女の子が立っていた。

 彼女は不思議そうに大きな目を何度もしばたかせる。

 春季は何故なぜか、彼女に違和感を感じて近付いた。正確には、彼女にではない……幼女の腕には、可憐かれん乙女おとめにはどこか似付につかわしくない腕時計が巻かれている。腕時計に見えるが、少し大きくてゴテゴテしたメカニカルなデザインは、否が応でも目を引いた。


「あ、あの……いくらですか? 少しなら僕が……ほら、忘れてきちゃっただけかもしれませんし」


 春季は気付けば、代金の建て替えを申し出ていた。

 もともと、目的もなく気分転換に歩いていた街である。そして、ただ懐かしくて入った駄菓子屋だ。

 でも、一つだけ確かに思えることがある。

 彼の中の芹井冬菜セリイフユナという少女は、きっと同じことを考えただろう。

 考える前に動いているだろうことを、春季は不思議と実感できた。

 代金を差し出す春季を、不思議そうに女の子は振り返る。


「あ、えと、ん……ありが、とう?」

「う、うん。いいんだ、ただなんとなく……僕がそうしたかっただけだから」

「そう、そうなの……だったら、やっぱり、ありがと! あなたにも、あなたの中の人にも」

「中の人……?」

「そう、心の中の人。とっても綺麗な、お姉ちゃん」


 不思議な幼女は、手にした駄菓子を嬉しそうに抱き締める。

 なんてことはない、ごく平凡な駄菓子……小さなスナック菓子だ。

 だが、それを宝物のように胸に抱いて、彼女は店を出てゆく。その背を負った春季は、突然耳にした。

 そう、耳が空気の震えを捉えた。

 それが人の声で、人の言葉をかたどっている。

 咄嗟とっさに周囲を見渡す春季は、目撃した。

 先程の童女が見詰める先で……不思議な光景が広がっている。

 とても綺麗な少女……まさに、といった形容がぴったりの女の子が脚を止めていた。彼女は、擦れ違った学生達を肩越しに振り向き、再度つぶやく。



 そう、確かに彼女は言い放った。

 歪んでいる、と。

 その意味が春季にはわからなかった。

 そして、彼女の声自体を周囲の誰もがわかっていないようだ。小さな、しかしはっきりと響く澄んだ声音を、まるで聞こえないかのように街は動いている。

 春季だけが、そんな時間と場所から切り取られたような錯覚を覚える。

 先程の小さな女の子も、買ったばかりの駄菓子を空けながら平然と笑う。


「そう……フィーネには歪んで見えるんだね」

「えっ? ね、ねえ、君。彼女は知り合い? 友達、かな?」

「んー、ちょっと違う。道が違うけど、同じ場所に向かってる……そういう感じだよ?」

「そういう感じ、って……ね、ねえ、待って!」

「急がなきゃ……フィーネの方から、よどんだ想いを終わらせる気だもの」

「ま、待って!」


 思わず春季は手を伸べる。

 だが、薬物にずっと無理を強いられてきた身体は、思うようには動かない。歩くくらいはできるが、駆け出すことができない。

 それでも、引き留めようとする春季へと、女の子は一度だけ振り向いた。

 その頃にはもう、先程フィーネと呼ばれた少女は行ってしまった。

 そして、その背を追って、眼前の幼い女の子も走り去ろうとしている。


「何が……嫌な胸騒ぎだ。どうして? とにかく……ねえ、待ってよ!」

「ううん、待てない……世界の全てが、待てないの。終わってしまうから」

「ど、どういうこと? ねえ……あ、えっと、君は」

「ナルミ……神崎カンザキナルミ、だよ? じゃあ、行くね……またね! また……またね、春季」

「えっ? ど、どうして僕の名を」


 ナルミは行ってしまった。

 フィーネと呼ばれた少女を追って。

 そして、情けないことに春季の肉体は二人に追いつけない。

 走ろうとしても、脚が鉛のように重い。そして、出入りする空気がやけに熱くのどく。ただれたように、肺は呼吸するだけで鈍く痛んだ。

 それでも、奇妙な不安が収まらない。

 胸中によからぬことばかりが浮かんでは消える。

 春季は不思議と、目の前のなんでもない光景が異質に思えた。異変だと感じたのだ。

 歪んでいると言った、謎の少女。

 その名をフィーネと知っていた、ナルミ。

 ナルミもまた、まるで導かれるように行ってしまった。


「な、なんだ……この胸騒ぎ。一応、クルベ中尉に連絡を――」


 震える手で、春季が携帯端末を取り出す。

 いわゆるスマートフォンのようなものだが、機能は遥かに高性能だ。

 あらかじめ設定された番号へのダイヤルを命じて、指を滑らせたその時……爆音と共に、駄菓子屋に面する車道を何かが通り抜けた。その物体は、甲高いスキール音で横滑りに停車する。ゴムの灼けた臭いを発散する、それは大型のバイクだ。

 鋼鉄の駿馬しゅんめに跨った男は、ヘルメットをつけていない。

 そして、春季を見てニヤリと口元を微かに歪めた。


「っと、遅かったか……おい、ボウズ!」

「ボッ、ボウズ!? 僕、ですよね……流れ的に言って」

「お前意外に誰がいんだよ。この駄菓子屋に、小さな女の子がいなかったか? 年の頃はそうだな、ちょうど5歳か6歳か、それくらいだ」

「……ナルミちゃん? 神崎ナルミちゃんのことですか?」

「ビンゴ、だな。そして……ギルティ、か」


 その男は、有罪ギルティだと春季に言い放った。

 精悍せいかんな顔付きに、引き締まった肉体。そして、どこか胡散臭うさんくさいトレンチコートにスーツ姿だ。男はあごをしゃくって、春季にバイクの後に乗るように促す。


「俺ぁ角川俊暁カドカワトシアキ、こう見えても警官だ。制服じゃやり辛いもんを追ってる」

「警官……警察なんですか!?」

「そう言ったろ。ま、話はあとだ。乗れよ、ボウズ! 急いでナルミの奴を捕まえなきゃ……守らなきゃならん」


 俊暁は有無を言わせぬ雰囲気で、タイヤを鳴かせてバイクを進む先へと向ける。

 迷わず春季は、よろめきながらもどうにか彼の後に乗った。

 またがった瞬間、強烈なホイルスピンを歌いながら、後輪を左右に振ってバイクは走り出す。


「あ、あのっ!」

「黙ってな! 舌ぁ噛むぜ。……悪いな、巻き込んじまって。だが、ちょっと手伝ってくれ。ナルミの行った方向はこの先だな?」

「は、はい。それで、彼女は何なんです? ナルミちゃんと、彼女がフィーネと呼んだ人と」

「フィーネ……ほう? 奴らが動き出してるってことか。それにしても、藍田春季! 広瀬涼が言った通りだな。なかなかに鋭いボウズじゃねえか」

「広瀬さん!? 広瀬涼さんを知ってるんですか?」


 手短に俊暁は、自分がとある事件を追っていると語った。同時に、結果的にではあるが涼の協力者であること、彼女が身を寄せるファルコーポレーションとも関係があることを教えてくれた。

 だが、逆を言えば……それ以外を全く喋らずにアクセルを開ける。

 こうして春季は、拉致も同然に連れ去られる。

 進む先には、学校……高校と思しき建物が徐々に迫っていた。

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