第9話「孤児院の母」

 リョウ・クルベにとって災難だったのは、見知らぬ土地への次元転移ディストーションリープ……そして、その先が未開の地ではなく、身に覚えのない時代だったということだ。

 だからこそ、仲間が一緒だという現実は心強い。

 年端としはもゆかぬ少年少女で、自分が責任を持つべき大人であってもそれは同じだ。

 そして、良識ある大人の女性に出会えたことも幸運である。


「機体なら心配いらないよ。この街じゃ、人型機動兵器、ロボットのたぐいは珍しくないからね」


 それでもエルンダーグの巨大さを引き合いに、その女性は笑う。

 才媛さいえん、そして才女を思わせるすずやかな美女だ。

 クルベ達一行を乗せたライトバンを走らせ、広瀬涼ヒロセリョウは笑う。

 荒野を這い出たクルベ達は、街の入り口で機体を預けて文明へと復帰した。涼が案内してくれるのは、独立都市エルヴィン……驚いたことに、はる遠未来えんみらいの地球で唯一の文明圏だという。

 確かに周囲を見渡してみて、クルベは改めて驚く。

 滅び終えた世界だと涼はうそぶいていたが、ここはクルベ達の時代と同等か、それ以上だ。


「クルベさん、気付いてますか? この車」

「ん? どうした、タクミ」


 声を潜めて、西村巧ニシムラタクミが自分の乗るライトバンを指差す。

 クルベもそれなりに車には詳しいが、ちょっと見ないタイプだ。絵に描いたようなワンボックスなのだが、ところどころに丸みを帯びてユーモラスなかわいさがある。

 麗人れいじんの涼が運転すると、どこか小洒落こじゃれた雰囲気をもたらすから不思議だった。


「これ……フォルクスワーゲンです。トランスポルターTypeⅡタイプツー、二十世紀半ばに造られたガソリン車ですよ。多分、振動が少ないから電気自動車か何か……レプリカだと思いますけど」

「ああ、そういえば……詳しいな、タクミ」

「同期に妙に詳しい奴がいて。僕も結構、クラシックな車は嫌いじゃないですから」


 今でも慣性制御兵器イナーシャルアームドを扱うタクミ達だから、妙な説得力がある。

 そして、クルベも車体の『W』のマークを思い出した。古いドイツの自動車メーカーだ。だが、随分と静かで揺れもない。同じ道路を走る周囲の車も、年代はまちまちでタイヤのない飛行タイプとも時々ちがった。

 改めてここが、未来の地球なのだとさとる。

 まじまじと観察の目を凝らしていたからか、ハンドルを握る涼が笑った。


「この街は、一種の実験都市なんだ。ここだけが、地球で唯一文明を保持して、発展させている。ただ、多少は懐古主義ノスタルジーもあって、最新技術でアンティークをよみがえらせたりもするのさ」

「……ほど。広瀬女史じょし、よければもっと街のことを……この時代のことを聞いてもいいかな?」


 涼はまた笑った。

 中性的な顔立ちは、笑顔が少年のようにまぶしい。


「その、広瀬女史っていうのは少しくすぐったいな。涼でいいよ、そっちの学生さん達もね」

「私達、ハイスクールに相当する学校を卒業してますけど」

「ナナカ、話がややこしくなるから」


 御剣那奈華ミツルギナナカが小さくムゥとうなる。

 だが、彼女に半ば抱き寄せられるようにしてぐったりしている、藍田春季アイダハルキだって学生だ。彼等は本来、学生として青春を謳歌おうかすべき少年少女なのだ。

 改めてそのことを思い知り、同じ立場であろう少女のことが気にかかる。

 更紗サラサれんふぁに関する情報も欲しかったが、今は黙って涼の話を聴くことにした。


「今から百年くらい前かな? それより前は、地球のあちこちに巨大な国家があったらしいね。海もあったし、大気だって汚れてたけど……ここまで汚れ過ぎてはいなかった」


 涼の語る現実は、まるでSF映画のあらすじだ。

 しかも、滅びてから始まる物語……いわゆる、ポストアポカリプスを地でゆく設定である。映画と違うのは、それが揺るがぬ現実だということだ。


「最初は小さな戦争だったみたい。でも、あっという間に地球全土が火の海になった。互いに滅ぼし合った旧世紀の連中は、人類史上最悪の兵器を無数に繰り出し続けた」

「核か? それとも、衛星兵器? 他には……小惑星クラスの大質量を落とすとか」

「ハズレ。クルベさんの言うそれらでも倒せない、この廃惑星はいわくせいに君臨した破壊神デストロイヤーさ」


 ――

 それは、二足歩行する超弩級ちょうどきゅうの戦艦群。

 当時の技術力の粋を集めて建造された、数百メートルもの巨躯きょくを誇る大型機動兵器である。ただ歩行して進軍する、それだけで人類の文明は崩壊した。

 まして、その一隻一隻全てに、単騎で大陸を消し飛ばすだけの火力があった。

 結果、海は干上がり、大地は荒野と砂漠に変わった。

 そして、終焉しゅうえんを生み出したウォーカー達の何割かは……今も地球の何処とこかを歩いている。


「私もクロムから少し聞いただけでね。もう、このエルヴィンの街でも当時を知ってる人なんていないよ」

「クロムとも知り合いみたいだな?」

「うん。そういや……やっぱりおかしいよね。私は孤児院で育ったけど、ずっと子供の頃からクロムはクロムだったよ」


 自然な言葉と表情で涼がハンドルを切る。

 結局、クルベ達に涼へついて行くように言って、クロムは街に入ってから消えてしまった。彼女は彼女で用事があるらしい。

 やがてライトバンは、なだらかな坂道を郊外へと走り出す。

 周囲は高層ビル群が姿を消し、どこかカントリーな住宅街へと変わってゆく。

 流れる景色の平和な時間に、クルベは驚きを禁じ得ない。

 自分がいた時代、あのジェネシードとかいう連中が惑星"アール"と呼んだ地球……そこは、無数の戦争が乱立してせめぎ合う、闘争の絶えない地獄だった。

 誰もが正義を信じて戦い、平和のために殺し続けている。

 その果てに得られる楽園は今、廃惑星の片隅かたすみに小さく残るだけだという。

 そうこうしていると、涼の運転で車は静かに止まった。


「ここの孤児院で私は育ったんだ。ちょっとの間、悪いけど寝泊まりはここで……外から大小色々なロボットで来たとなると、面倒事もあるからね」


 勿論もちろん、面倒事の大半は何とかしてみせると涼は笑う。

 親切はありがたいが、車を降りたクルベは率直な質問をぶつけてみた。


「ありがたい話だが、涼。お前さんにメリットはあるのかい?」

「メリット、か。うーん、どうだろう……」

「自分で言ってて世知辛せちがらいが、無償の善意ってのはどうしても警戒心がささくれ立つのさ」

「ふふ、違いないね。私も逆の立場だったらそうだろうな……ん、上手く言えないけど」


 ライトバンを降りた涼は、少し面白そうに笑って目の前の建物へ歩く。

 そこは、古い赤レンガの建物だ。

 プレートには『タキドロムス孤児院』とかすれた文字が並んでいる。

 ドアを叩いて涼は振り返った。


「そうだね、まず第一に……クロムはあれでなかなか、人を見る目がある。それは小さい頃から一緒だった私が証明するよ。第二に……クルベさん、貴方達あなたたちが事情も知らずにこの街をうろつくのは危険だ。トラブルに巻き込まれるのも、トラブルを巻き起こすのも見たくない、ってとこかな」


 納得できる言葉だ。

 彼女が弁護士で、なのもうなずける。法曹界ほうそうかいもこの時代は、先程のフランベルジュのような力が必要になるのだろう。

 すさんだ時代の空気は、この街にも風となって流れているのだ。

 そんなことを思っていると、ドアが開いた。

 三十路みそじに入ったか入らないか、そういう妙齢みょうれいの女性が顔を出す。涼を見てほおを崩す笑顔は、十代の少女のようなあどけなさがあった。同時に、ゆったりとした女性的な体つきが、自然と母性を感じさせる。

 美人だが、涼とは違ってかわいらしいタイプだとクルベは思った。


「まあ! 涼……珍しいのね。どう? お仕事は順調かしら?」

「すみません、カナさん。最近忙しくて、なかなか顔が出せなくて」

「ううん、いいの。元気ならそれでいいのよ。で、お客様?」

「ええ、それなんですけど……」


 カナと呼ばれた女性は、エプロン姿にたわわな胸を揺らして歩み出た。

 そのまま真っ直ぐ、クルベの前を通り過ぎて……ナナカに肩を貸される春季に触れる。彼女が通ったあとの空気が、柔らかな甘さをはらんでクルベの鼻孔びこうをくすぐった。


「この子は? ……少し、ううん、かなり顔色が悪いわね」

「あ、えと……ちょっと、色々ありまして」

「それと、あなたも。年頃の女の子が、いけないわ。少し疲れてるみたい。なのに、無理をして……平気な顔を見せたい人がいるのね? でも、つらい時に素直じゃないと疲れちゃうわ」


 何もかもお見通しということだろうか。

 驚くナナカも、それを見て笑うタクミも、自然と子供の顔になった。

 カナには、あらゆる人間の警戒心をほどかせる魔法があるようだ。

 彼女は春季の頬に触れて、額同士をくっつけて熱を計る。


「微熱、だけど……何かしら。ねえ、あなた達。よかったら、少しうちで休んでいって頂戴ちょうだい。こんな状態で放っておけないわ」

「と、頼みに来たんだ、カナさん。話が前後しちゃったね、ゴメン」

「いいのよ、涼。さ、皆さん。大したもてなしもできないけど、入って」


 クルベは一同を代表して、カナに礼を伸べた。手短に事情を話し、自分が人類同盟じんるいどうめいの軍人だということも話した。必要に応じて、涼も注釈を添えてくれる。

 カナは目を丸くして驚いたが、決して声を荒らげず、何も否定しなかった。


「まあまあ……人類同盟って、あの絵本やおとぎ話に出てくる? まあまあまあ……どうしましょう。まるでタイムスリップね」

「まあ、そんな感じです。何はともあれ、休息の場を提供して頂けることに感謝します。本当に助かった……俺はともかく、彼等には安らぎが少し必要だ」

「同感ね。さ、中尉ちゅういさんも入って、入って!」


 うながされるまま、タキドロムス孤児院へと脚を踏み入れる。

 その背中は、カナと涼の会話をまだ拾っていた。


「カナ、今日はクロムに会ったよ。久しぶりに街に来てるみたい」

「あら、そうなの? あの人も本当に……まだ、自分のウォーカーを探してるのね」

「それと、悪い知らせも。東の方でを巡る争いがあって、テリトリー同士が衝突しそうなんだ。で……この街は自衛のために軍を出すって」

「じゃあ、ヴォルテも……覚悟はしてたけど、そう聞かされると落ち着かないものね」


 どうやら地球がこんなになっても、人類は争いをやめられないらしい。

 暗鬱たる思いでクルベは立ち止まってしまったが、その背をカナが笑顔で押してくる。彼女の体温と柔らかさは、間違いなくクルベにとって一時の安息を約束してくれるものだった。

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