第8話「見知らぬ時代からの、逆転」

 どこまでも広がる、砂漠。

 それは干上がった海だ。

 そして、荒涼こうりょうたる原風景が続いてゆく。

 だから、藍田春季アイザワハルキ安堵あんどした。クロムと名乗った不思議な少女が、街の見える砂丘の上で振り向いたから。

 彼女の隣に立てば、巨大な都市が一望できる。

 そこだけ緑に囲まれ、周囲から浮いて見える大都会が広がっていた。


「あれは……? 何で、あそこだけ街が、っ!? あ、ああ」

「おっと、大丈夫かい?」


 よろけた春季を、クロムが咄嗟とっさに支えてくれる。密着する彼女の肌は、異様に白くて体温が感じられなかった。

 春季は地球圏に帰還してから、エルンダーグの機能を一部封印している。過酷な状況でエルンダーグに接続され、薬物投与されながら部品であることを強いられる……そうして引き出されるエルンダーグの100%の力は禁じられていた。

 代わって春季が得たのは、仲間だ。

 その仲間が、彼を気遣きづかいエルンダーグのフルパワー、フルコントロールを止めさせてくれたのだ。


「す、すみません……クロムさん」

「なに、構うものか。しかし、キミは……確か春季といったね? 君の肉体は、まさか」

「……ええ。でも、よかったんです。僕はもう、冬菜フユナを救い終えたから」

「フッ……キミは馬鹿だな、春季。救われた命は、救われ続けている方がいい。そんな未来には、キミはいなくていいのかい? キミが救った人が、キミを望まないと何故なぜ言える」


 クロムは不思議な少女だ。

 そして、彼女の言葉は穏やかで静かなのに、春季の胸の奥深くへと忍び込んでくる。

 背後から荷物を背負った二人が追いついて、クロムの言葉尻を拾った。


「彼女の言う通りだよ、春季。事情はさっき、クルベさんから聞いた。君はもう、あの巨大兵器の部品じゃない。そうだろう?」

「そうよ。あなた、顔色悪いし……あれ、あんまり激しく動かさない方がいいかも」


 西村巧ニシムラタクミ御剣那奈華ミツルギナナカも、会ったばかりなのに親身になってくれる。そしてそれは、全員の機体を預かり留守に残ったリョウ・クルベ中尉も一緒だ。

 春季はあの事件が起こってから、人にこんなにも優しくされたことがない。

 皮肉なものだと自分でも思う。

 地球の救世主メシア外訪者アウターと戦う英雄として酷使されていた時は、人間としてあつかわれなかった。その戦いが終わって、用済みだと消されかけた後に巡り合った人とは、こんなにも暖かな言葉が交わせる。


「すみません、タクミさんも。あと、ナナカさんも」

「さ、行こう。ええと、クロム? だったね。あの街は? 見たところ、僕達が住んでた場所……いや、住んでた時代と同等か、それ以上の文明に見えるけど」


 クロムは静かに砂丘を降りながら、その街へ向かって歩く。

 その背に続けば、彼女の声が静かに告げてきた。


「あれは、独立都市どくりつとしエルヴィン……滅びにあらがう者達が生み出した、最後の楽園」

「独立都市、エルヴィン?」

「ああ。あそこでは、失われし旧世紀の文明があり、絶えず進歩を続けている。しかし、その叡智えいちが再びこの惑星を覆うことはないだろう」

「ここが……地球がもう、廃惑星はいわくせい、だから?」


 クロムが首肯しゅこうを返してくる。

 この場所はもう、終わり終えている。

 全てが過ぎ去った、その残滓ざんし……生まれることなく失われ続ける時代が広がっていた。それが春季には、とても哀しい。自分が芹井冬菜セリイフユナを守り、ついでに守った地球の姿が、これだ。

 死よりもつら業苦ごうくの中を生き延びた先に、静かな滅びが待っている。

 それは、薬物と外科手術で身体の弱った春季に重くのしかかってきた。

 ナナカの声が響いたのは、そんな時だった。


「……ん、何か……来る。飛んで、来るッ!」


 次の瞬間には、突然クロムが春季を押し倒していた。そのまま彼女の胸に顔を埋めた春季は、少女の全身でかばわれる。

 重なる身体の冷たさと、不思議な重さを感じた直後。

 不意にすぐ近くに砂柱すなばしら屹立きつりつする。

 不毛の大地に、何か巨大な質量の物質が落下した瞬間だった。


「ナナカ、二人をお願い」

「タクミ、ちょっと!」

「現状を確認する。自然の天候や動物の行動とは思えないしね。それに……」

「それに?」

「独立都市エルヴィン……なかなかに物騒な場所じゃないかな」


 タクミの声は、不思議と落ち着いている。

 そして、地鳴りを響かせる巨大な落下物が、メカニカルな作動音とともに持ち上がった。それは、誰の目にもはっきりと姿に見えた。

 無数の腕を持つ鋼鉄の巨人は、スピーカーで外に向けて叫んだ。


『クソォ! 残ったのは俺だけか! ……まっ、待て! 場外だ! ステージを飛び出しちまった。仕切り直しだ! 待ってくれ!』


 巨大な鋼鉄の人型が、砂を噛む関節部をきしませながら立ち上がる。

 どうやら、目の前の独立都市エルヴィンから飛ばされてきたらしい。あれだけの人型機動兵器ひとがたきどうへいきを、軽々とこの場所まで吹き飛ばす存在……思わず春季は息を飲む。

 それは、タクミやナナカも同じようだ。

 そして、クロムにいたってはその存在を知っている。

 彼女は春季を抱き寄せながら、ゆっくりと身を起こした。


「おや、これはこれは……決闘審判デュエルジャッジの最中だったみたいだね。運の悪いことだ」

「決闘審判?」

「この街、エルヴィンで最強のロウ。その行使と実行の結果行われる戦いのことだ。一切合財いっさいがっさい無慈悲むじひに、勝者と敗者に分かつ。ただ強いだけでは勝ち取れぬ、正義と真実を保証するための戦いだよ」

「そんな……野蛮ですよ! それって――」


 だが、春季は見た。

 ダメージもあらわな先ほどの巨人は、周囲に損傷の火花を広げながら身構える。

 その視線の先……都市の方から、ゆっくりと何かが歩いてきた。

 それは、白を基調としたカラーリングのロボットだ。

 不思議とその姿は、先程の機体よりも一層人らしく見える。すらりとスタイルのよい細身の躯体くたいでは、装甲すら優美な曲線をえがいていた。

 ヒロイックである以上に、どこか神像のような荘厳そうごんさがある。

 そして、その中から響いた声に春季は驚いた。


『おやおや、さんざんルールとレギュレーションを違反行為で踏みにじっておきながら……自分を守るためにルールの遵守じゅんしゅを押し付けてくるのかい?』


 すずやかな、とても強い意志を秘めた女性の声だ。

 そして、春季は白き巨神の姿に不思議な光景を見た。

 沈み始めた太陽が、斜陽しゃようの光を向き合うロボットへと投げかける。そのまぶしい茜色あかねいろの中で、不思議と白い機体が燃えて見えたのだ。

 そう、白熱はくねつという言葉があるとしたらこの光景だ。

 白き神像は今、目に見えぬ炎を燃やして静かに歩く。


『まっ、待ってくれ! さっきは悪かった!』

『悪いと知っててやってたのか……それは悪質だ。すまないけどもう、決闘審判は終わっている。君のヘカトンケイル型ももう、戦えない。それとも、まだやるかい?』

『……参った、降参だ。これ以上はもう無理に決まってるだろう!』


 どうやら戦闘は終わったようだ。

 決闘審判とクロムが呼んだ、それはこのエルヴィンを守る絶対の秩序。全てが滅びた世界で……まだ、ここだけが文明の火をともしているのだという。全てが失われた世界で、僅かな物資と食料を互いが奪い合う廃惑星。その中で、エルヴィンは数少ない自治独立を守って以前の人類の営みを守っている。

 そのエルヴィンで行われる、最も愚かで気高けだかい戦いが決闘審判なのだった。


『決闘審判を終了する。それに……どうやら足元に一般人がいるようだね。……ん? あれは……なっ! クロム!? いや、でも彼女は……私が小さい頃に。でも、クロムだ』


 白い機体が僅かにファイティングポーズを崩す。

 その端正なマスクの頭部が、春季を見ていた。正確には、春季を抱くクロムを見据えて驚きに動揺している。

 パイロットは、クロムのことを知っているようだ。

 だが、その口から伝わる言葉は驚愕きょうがくに満ちていた。


『そんな……もう、十年以上経っているのに。クロム、君は……


 そして、タクミの声が鋭く叫ばれる。

 それは、すでに降参を申告した機体が突然駆け出すのと同時だった。


『隙を見せたなぁ! フランベルジュ! 降参すると言った、ありゃ嘘だ! 死ねぇっ!』


 全身を震わせ、いかつい複腕の邪神が白亜の機体へと迫る。

 だが、大振りな拳の一つがあっさりと防がれた。

 フランベルジュと呼ばれた白き神像は、軽く伸べた片手で鉄拳を受けとめた。まるで力を感じさせない、優雅な動きだった。そして、春風に指を遊ばせるようにして、大質量のパンチをあっさり止めたのだ。

 だが、敵は多腕……ヘカトンケイルの名が示す通り、複数の腕を伸ばしてくる。

 あっという間にフランベルジュは組み付かれた。

 しかし、女性の声が冴え冴えと澄み渡る。


『……言わなかったか? 。お前はもう……さばき終えた。それでもなお、戦うというならば……容赦はできない』


 フランベルジュの双眸そうぼうに光が走る。

 邪神の触手の如く、まとわりつくヘカトンケイル型の腕がミシミシと締め上げてくる。その中で、夕闇迫る荒野の空気が引き裂かれた。


くだけっ、ファング! バイトォ!』


 拳の一つを受け止めていた、フランベルジュの手が光って輝く。

 そして、突然ヘカトンケイル型の拳が消滅した。まるで、虚無きょむに食われて無に帰ったように、消えていた。


『なっ、何ぃ!』

『形勢逆転、かな? さあ、どうする! まだやるなら……覚悟するんだね』

『チイイイッ! 女がああああっ!』

『女じゃないっ、私の名前はリョウ! ファルコーポレーションと契約した弁護士パイロット広瀬涼ヒロセリョウだっ!』


 フランベルジュが再び、己の鉄拳を孤狼ころうの牙へと変える。

 あっという間に、ヘカトンケイル型は胴体を切り裂かれた。まるで見えない魔狼まろうフェンリルの、世界をらう顎門アギトが飲み込んだようだった。

 春季はようやく、クロムの下から這い出て立ち上がる。

 その時、見た……フランベルジュのコクピットから出てくる、スーツ姿の麗人れいじんを。それが、広瀬涼との出会いだった。

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