それぞれの朝、夢のあとさき

 気付けば、星波月美ホシナミルナは奇妙な空間に立っていた。

 ああ、これは夢だと思った。

 明晰夢めいせきむだ。

 そう思った瞬間、となりつないだ小さな手が引っ張ってくる。


『ママ、パパは? ……ぼくたち、まいごになったの?』


 一瞬、自分がママと呼ばれていることに気付かなかった。

 だが、じっと見上げてくるつぶらな瞳に、この子のママなのかと奇妙な納得が広がってゆく。

 よくみれば周囲は、買い物客で賑わっている。

 どうやらここは、大きな街のデパートのようだ。


『あ、えっと……とりあえず、パパ? 探そうか』

『うんっ』


 小さな小さな男の子だ。

 これが自分の子供なのかと、月美は驚く。

 そもそも、どうしてこんな夢を見ているのかがわからない。だが、こういう設定の夢なんだということに、不思議な現実感……ある種、リアリティのある夢という矛盾むじゅんした言葉が思い浮かぶ。

 そう、ディティールは細かくないし、話の前後についてもわからない。

 ただ、この子と探している人間が、この子の父親なんだとわかった。

 男の子は自分の息子で、探している相手との間にもうけた子供なのだ。


『しっかし、アイツはどこ行ったんだ? クソッ』

『あ、ママ……あそこ。あそこに、パパがいるっ!』


 突然、手を振り払った男の子が走り出した。

 慌てて伸ばした手の方へと、小さな背中が消えてゆく。

 人混みの中で月美も、慌てて息子を追いかけた。


『お、おいっ! 待てって! クソッ、ソラの奴……アイツが全部悪い!』


 何故なぜか、遥風空ハルカゼソラの名が口をついて出た。

 そうだ、空が悪い。

 こういう場所に来ると、突然いなくなる。それで、書店や玩具売場おもちゃうりばから子供みたいな顔をして現れるのだ。

 迷子なのは月美達じゃない、空の方なのだ。

 そんなことを考えていると、不意に視界が開けた。

 そこには、息子を抱きかかえた空の笑顔があった。


『やあ、やっと見つけたよ。駄目じゃないか、月美。迷子になっちゃうよ?』

『……空、手前てめぇな……まったく、あきれるぜ。お前が勝手にいなくなったんだろう!』

『はっはっは、そうだったね!』

『なんで自信満々なんだ……コイツ』


 不思議な安堵感あんどかんで夢が閉じてゆく。

 なんて平和な、やすらかな光景だろう。

 だが、月美は知っている。

 これは夢、うたかたの幻なのだ。

 綺麗だからこそ、幻想だとわかる。

 そして、現実の月美達は遭難中で、サバイバルで生き抜こうとしている真っ最中だ。そのことを思い出すのと同時に、どんどん夢の世界が輪郭をぼやけさせてゆく。

 現実世界へと覚醒した月美は、ぼんやりとまぶたを開いた。


「……ん、朝か……お、おい、空……空っ!? そっ、そそ、空ぁ! おうコラ……どっ、どこ触ってんだよ!」


 目が覚めた月美は、肩越しに振り向いて真っ赤になった。

 顔が熱くて火照ほてる。

 そこには、あどけない寝顔の空が密着していた。まるで月美を守るように、背中を抱いて腰に手を回している。ずっと暖かったのは、二人が体温を分かち合ってたからだ。

 だが、月美とて18歳の健全な女の子だ。

 パンツ一丁の男子に抱き締められてて、平然としていられない。

 それに、何かが当たってる気がした。


「おい、こらっ! 起きろ空!」

「ふふふ……月美、今のシーンはコンテを切ってるのが……この作監さっかんはね」

「どんな夢見てんだ……ハッ! ゆっ、ゆゆ、夢の話は駄目だ! 起きやがれっ!」

「さあ、ディレクターズカット版も見よう……ふふふふふふ」


 駄目だ。

 ニヤニヤしながら、空はまだ夢にまどろんでいる。

 そして、ひょろりと痩せた体つきでも、空は同じ歳の男の子だった。腕力で月美が勝てるはずもなく、それでもどうにか彼の抱擁ほうようを抜け出る。

 それで初めて、気付いた。

 彼が月美にそうしてくれるように、月美も抱き締めていた筈だ。

 怪我で意識を失い、冷たくなってゆく初来総のことを。


「そういや、あいつがいねえ……まさか!」


 初来総ウズキソウの姿は洞窟の中には見当たらない。

 すでに焚き火は消えて、小さく白い煙をたなびかせている。

 外からは朝日が差し込んでいて、台風一過のように嵐は過ぎ去っていた。

 慌てて毛布の中を這い出て、裸足のままで月美は走り出す。


「総、お前っ! そんな身体でどこへ……って、一箇所っきゃねーわな!」


 自然と月美には、総の足取りがわかるような気がした。

 急いで走れば、白い波が寄せる砂浜へと出る。

 そこには、新しい足跡が等間隔で並んでいた。

 それを追いかける月美の目に、白と黒の巨人が飛び込んでくる。アイリス・プロトゼロとアーリィステーギアだ。互いを支え合うように、まるで相打ちのように折り重なって二機は動かない。

 その片方から、下着姿の総が降りてきた。

 どうやら、コクピットから荷物を取り出したようだ。

 こちらを見て、彼は銃口を向けてくる。

 だが、すぐに頬を赤らめ彼は銃を下げた。


「な、なんだよ……星波月美。あ、いや……その、昨晩は、ありがとう。手当も、してもらったみたいで。それに」

「それは、空が」

「……と、とにかくさ、その……なんか、着てくれよ。……夜のこと、思い出しちゃうからさ」


 頬を赤らめ総が目をそむける。

 それで初めて、月美は自分が下着姿なのに気付いた。

 慌てて両手で自分を抱くようにして隠す。

 だが、隠しても隠しきれぬ健康美だ。

 直視できずにいる総の、その初々しさが一層月美の羞恥心しゅうちしんを高めて炙る。顔に火が点いたように熱く、耳まで真っ赤になっているのが月美にもよくわかった。


「あ、あのさ……あっ、ありがとな。昨日は、俺……ずっと」

「いっ、言うな! 口に出すな!」

「俺だって恥ずかしいんだ! ……でも、ずっと、暖かくて、柔らかくて、その」

「……ブッ殺す!」

「とっ、とりあえず! 助けてくれて、感謝してる。それに、ほら」


 総は大きな荷物を手に降りてきた。

 どうやら、彼の機体に入っていたサバイバルキットらしい。


「テントとか色々入ってるし、水と食料も。……昨日は俺、動転してたんだな。こんな基本中の基本、忘れるなんてさ」

「お、おう……まあ、気絶してたオレも似たようなもんだ」

「とりあえず、ほら! これを羽織はおってくれ。み、みっ、見てらんないからさ」


 投げられた毛布を掴んで、とりあえず月美は頭からそれを被った。

 それでようやく、白い肌の曲線美がすっぽりと覆われる。

 落ち着いたのか、膝まで海水に洗われながら、総もようやく近付いてくる。


「改めて……俺は初来総、アーリィステーギアのテストパイロットだ」

「オレは、星波月美。えっと……お前、いくつだ?」

「15歳だけど? そっちだって似たようなもんだろ。……いや、でも、クラスメイトの女達より、もっと、こう」

「う、うるさいっ! 思い出すの禁止! ……18だよ、オレは。空も同じ」


 もうすぐ高校卒業、そして東京の大学へ行く。

 それなのに、ひょんなことから大冒険になってしまった。

 月美はとりあえず、相方の空についても軽く説明しておいた。

 だが、総は真面目な顔で大きくうなずく。


「えっと、月美さん」

「月美でいいって。あんまかしこまられても困るしな」

「あ、ああ。じゃあ、月美……その、凄い彼氏だな」

「はぁ!?」

「あの状況であんたを救って、銃を向けた俺も助けてくれた。あれは訓練された人間というよりは、その、なんか」

「アイツ、バカなんだよ。それと、恋人じゃないからな! 違うからな!」


 そんなことを言っても、真っ赤になってしまうので説得力がない。

 だが、そんな月美を見て総は笑った。

 ようやく彼が見せてくれた、少年らしい表情だった。

 そんなことをしていると、背後で声がする。


「お、いたいた! 二人共、いい天気になったねえ。とりあえず、朝ごはんにしようか」


 そこには、パンツ一丁なのにやたら堂々としている空の姿があった。

 こうして三人は、とりあえずは休戦、協力することを確認し合う。ここがどこで、どんな場所なのか……無人島なのか、それとも陸続きでどこかに繋がっているのか。

 なにはともあれ、互いの無事が知れて少し小腹も空いてきた。

 総の傷もどうやら血が止まったようで、当面の心配はない。

 救助を待ちながら、三人で生き残るサバイバル生活が始まったのだった。

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