悪意と敵意と、揺るがぬ好意と

 星波月美ホシナミルナはゴキゲンだった。

 すでに大学の進学も決まって、高校三年生というのは三学期の大半がひまである。

 にもかかわらず、彼女は毎日学校に来ては科学部の部室に入り浸っていた。同じ勉強をするなら、鬱屈うっくつした空気がよどんだ我が家よりずっといい。賑やかな後輩の声を聴きながら勉強を進めて、時々シミュレーターでアイリス・ゼロに乗る。

 あれから何度か、実機のアイリス・ゼロで夜の空を飛び回った。

 遥風空ハルカゼソラは、データ収集が進むと大喜びだった。

 自分が嬉しいのも、ちょっと意外な月美だった。


「まあ、オレの高校生活だって、こんぐらいの思い出くらいいいだろうさ」


 上機嫌じょうきげんで放課後の学校を歩く。

 人影のまばらな校内は、食堂までほとんど人と会わなかった。

 自販機が見えてきて、月美は財布さいふを取り出す。


「あいつらにも何か、買ってやっか」


 荻原悠介オギワラユウスケ三好ミヨシロト、そして上原真佐ウエハラマサ……月美に後輩ができるなんて、思ってもみなかったのだ。孤高の一匹狼ロンリーウルフ、授業も学校行事もボイコット上等な灰色の青春。

 その最後が、春待ちの桜色に思えた気がした。

 気がしただけで十分で、そのことは空に感謝しなければいけない。


「で、空は……いいや、変なの飲ませてやれ」


 後輩達の飲み物とは別に、紅芋豆乳べにいもとうにゅうラテなる怪しいドリンクも買う。

 嫌な顔ひとつせず飲みながら、不味まずさに目を白黒させる空の顔が脳裏に浮かんだ。あの男は、月美を疑うことを知らないのだ。それをいつも『フッ、れた弱みなのさ』と気取って格好つける。

 馬鹿だと思う。

 馬鹿馬鹿しいくらいに、純真なのかもしれない。

 それに、嫌じゃなくなり続けている自分がいた。

 両手にアルミ缶を抱えて月美は振り返る。

 すると……食堂の入り口に、見慣みなれぬ男子達の一団が立っていた。皆、ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべている。


「チッス! 星波先輩ッスよね?」

「ん? ああ……何だ? お前等まえら。……邪魔だ、ったく」


 月美が食堂を出ようと歩き出すと、立ちふさがるように囲んでくる。

 ちょっとなつかしい感覚。

 この時期になって身をひそめていた、定例のイベントみたいなものだ。


「……お前等、オレに喧嘩けんか売ってんのか? なら、そう言えよ……買い叩いてやるからよ」


 月美は良くも悪くも、目立ち過ぎる。

 すらりとスタイルがよくて、胸やら尻に男子の視線を集めてしまう。きらめく金髪に日本人離れした顔立ち。そして、不良のヤンキーで通ってる問題児だ。

 だが、後輩の二年生達――校章のバッジの色でわかった――彼等は、まらない笑みのままで包囲網をせばめてきた。


「星波先輩、喧嘩なんか売ってないスよ」

「そうそう、むしろ買うのは俺等で……売るのは、先輩って話じゃないか。なあ!」

「そういう話で通ってんだけど……ありゃ? うわさ、聞いてない?」

二束三文にそくさんもんのはした金で、


 初耳だ。

 ありえない。

 同時に、納得してしまった。

 人は誰しも皆、異物を恐れる。

 わからないから恐れるのだ。

 理解不能、情報不足、自分とは価値観が違って知らないことばかり……そういう時、人間というのは不足した知識を勝手に相手へ付け足す。そうして輪郭をはっきりさせることで、わかった気になって恐れを薄れさせようとするのだ。

 おおかた、月美のミステリアスな美しさに適当な噂話が付与されたのだろう。


「わーった、お前等はつまり……オレがカラダを売ってるって言いてえんだな?」

「それも、格安でな? デヘヘ……」

「……確かめてみっか? その度胸があるかよ、手前ぇ等に」

「そりゃもう……優しくしますって。順番だってもう決めてて……ゴクリ!」


 そっと、月美は、制服のスカートを両手でつまむ。

 そうして、ほんのわずかだけたくし上げた。

 ほっそりとした白い肌の太腿が、わずかに露出して男子達の目を釘付けにする。次の瞬間には、その脚線美きゃくせんび躍動やくどうさせて、月美はしたたかに目の前を蹴り上げた。

 そこには、


「ンギッ!? あ、あがが……」

「失せな。躰を売るほど金に困っちゃいねえ。下衆げすな体温に飢える程さびしくもねえよ」

「て、手前てめぇ……このアマッ!」


 昔から定期的に、からんでくる奴がいる。

 出るくいは打たれる、そういう類の話だ。アウトローを気取っている馬鹿が、本当のアウトローである月美に勝手に喧嘩をふっかけてくる。

 そういう連中を残らず叩き潰してきた三年間だった。

 面白い話でもないし、月美は武勇伝を語って聞かせる趣味もない。

 武勇伝ですらない、鬱陶うっとうしい記憶でしかなかった。

 今回もそうだと思ったが、少し相手の数が多かった。


「おいっ! そいつをたたんじまえ! 顔は殴るなよ! 顔は!」

「足癖が悪いぜ、先輩よお! へへ……少し元気なくらいで丁度いいぜ」

「このっ! おとなしくしやがれ、アバズレのビッチが!」

「おい、体育館倉庫あたりに連れ込もうぜ。構いやしねえよ、春にはいなくなんだから!」


 卒業や進級を控えて、誰もがおとなしくなる春先だった。

 だが、馬鹿にはそういった理屈が通じないらしい。

 そして、月美の誤算は本人が無自覚な美しさにある。いくら悪ぶって突っ張っても、その容姿は可憐な美少女で、綺麗だった。そんな彼女が卒業するとなれば、悪い噂を鵜呑うのみにして思い出作りを考えるやからも出てくるかもしれない。


「クソッ! 放しやがれ! こら、どこ触ってんだ!」


 必死で月美は抵抗したが、思い知らされる。

 腕っ節には自信があったし、負ける喧嘩はしない主義だった。避けられぬ戦いからは逃げないが、する必要のない争いやいさかいは避けてきた。

 だが、今回はどうにも分が悪い。

 数が違う上に、一つ下とは言え男子の集団は力が強過ぎた。

 思わず涙が目に滲んで、視界がぼやける。

 泣いては駄目だと思ったが、いやらしい声は嬉しそうに笑っていた。


「おいおい、先輩泣かすなって」

「すぐにヒィヒィ嬉しそうによがるって」

「いいから早いとこずらかろうぜ! ……ん?」


 その時、月美は見た。

 眼鏡をかけた、華奢きゃしゃな男子がこちらに近付いてくる。

 少し格好つけて、ゆっくりと……しかし、確かな足取りで歩いてくる。

 彼は少年漫画の見過ぎでアレコレこじらせたかのように、ズビシィ! と奇妙なポージングで男達をにらんだ。

 そう、睨んだ。

 その少年……空が、あんなに怖い顔をするのを、月美は初めて見た。


「君達……聞き捨てならないな。僕の恋人に暴力を奮った挙句あげく……その挙句ッ!」


 次の瞬間、月美は耳を疑った。


「月美をビッチと言ったな? ……ビッチなら乱暴してもいい、薄い本がアツくなるようなことをしてもいい! そう言ったか、この外道ぉ! 手前ぇ等の血は何色、グハァ!?」


 喋ってるうちに、空は容赦なく殴られた。

 そのまま、食堂の隅へと吹っ飛んでゆく。

 月美は思わず絶叫した。


「空ァ、手前ぇ……誰がビッチだ、まずはそこから否定しろぉ!」

「グハ……フッ、月美。例え仮定の話だとしても、僕の気持ちは変わらない」

「何言ってんだ、オレは……オレはまだ綺麗な躰だっつーの! それより、お前……鼻血が」


 一発でノックアウトされた空が、よろけながら立ち上がる。

 彼は、こんな時でも無駄に自信たっぷりなオーラがみなぎっていた。


「月美、君がもしビッチだとしても、それが何だ? そんな妄言もうげんたぐいを前提条件として、それでもえて言うのなら……僕には全く問題ない! ビッチ歓迎!」

「だから、違うってぇーの!」

「月美が処女かどうかが問題じゃない……僕が童貞どうていで、! そのことこそが大事なんだ!」


 場の空気が、凍った。

 狼藉者ろうぜきものの男子達も「お、おう」と固まっている。

 そして、突然校舎中にけたたましい音が鳴り響いた。それは、火災の発生を知らせる非常ベルの絶叫だった。

 周囲が狼狽うろたえた、その間隙かんげきいて月美は走り出す。

 手放したジュースの缶が転がり、慌てた男子の一人が踏んづけてスッ転んだ。

 だが、脇目もふらず月美は空へと駆け寄り、その手を握る。


「逃げるぞ! 空っ! お前なあ……オレはビッチでもアバズレでもねえ! ……例え仮の話でも、お前には、いっ、いい……言われたく、ない」

「僕は……巨乳だとか金髪だとか、ビッチだとか清純だとか、そういう属性のタグで君を好きになった訳じゃないよ」

「うるせえ! いいから走れ! ったく……真顔で言うな、恥ずかしくなるだろ!」

「それと……どうやら敵が来たようだ。この非常ベル、間違いない」


 空の声は、その時奇妙なすごみと、ある種の緊張に満ちていた。

 そして、部室まで走って逃げる月美は、最後には面倒になって空を肩にかついで走った。

 その先に……不埒ふらちなスケベ連中など比べ物にならない、真の敵が待つとも知らずに。

 日頃楽しく部活でいじくりまわしてるロボットの、その意味と意義が明かされるとも知らずに。

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