月に祈るあなたの夢は美しい
結局、例のパイロットスーツは
普段なら、自信がある。
ただ、ちょっと最近は運動不足も自覚していたし、一応受験生だから机にかじりついてる時間が長い。加えて言えば、誰にも言えない理由で数少ない自由時間を運動以外に使っている。
誰にも言えない、知られたくない……意地でも黙っていなければならない。
まさか月美が『
そんなことを思いながらも、コクピットに収まるや気持ちは引き締まる。
「なーんか、よ……取ってつけたような計器なんだけど」
「急いで稼動状態に持ってったからね。コクピットのコンソールは後々、完全に新規のものに変えるつもりだよ。あとはほら、データロガーが必要だから」
後部座席では、
本当に人のいいアホ面で笑うので、何だかイラッとしてしまう。
そして、気付く。
イラついているのは自分にだ。この科学部では、皆が好きなことをやっている。好きなことに一生懸命で、それを隠しもしない。茶飲み部だの何だの言われても、全く気にする様子がない。
何より、そのことに懐疑的な月美をも受け入れ、
それは、孤高の一匹狼だった月美には新鮮な驚きだった。
ハッチを閉じる前に、後輩達が顔を突っ込んでくる。
「月美ちゃん先輩! これ、お守りです! 近所の神社で買いましたっ! ぶいっ!」
「おい待てロト……これ、
「いいんじゃないかしら? 気持ちの問題よ。それに……あながち無駄にならないかも。ね、空先輩?」
訳がわからない。
だが、後輩達は不揃いな計器やパネルの脇にお守りをつけてくれた。
本当に安産祈願だ、しかもちょっと高いやつだ……聞けば、三人でお金を出し合ったとか。馬鹿だこいつ
「じゃ、じゃあ、ちょっち行ってくる……お前ら、ちゃんと見てろよ。か、帰ったら……何か、安くて美味いもんでもおごるからよ」
我ながら照れ隠しが下手だと思った。
そうしてコクピットのハッチが閉じると、背後から空がポンと肩を叩いてくる。
その気安い接触が、身体の緊張感を持ち去った。
二人の乗るアイリス・ゼロが、格納庫から射出位置へと移動する。
射出位置に固定された機体の中で、月美はすぐにチェックを済ませる。
システム、オールグリーン……ここまではシミュレーションと全く同じだ。
「オーケー、月美。じゃあ発射までのカウントダウンを開始するよ? 準備はいい?」
「おうっ! 初飛行だろうが何だろうが、きっちりこなしてやんぜ!」
「頼もしいね」
「まあな……何か、変な話だけどよ。オレ、結構最近さ――」
「カウントダウン開始! 3!」
「……は? おい待て、何でいきなり……60とか30とかじゃなく――」
「2! 1!」
「おい待て空ァ! 手前ぇ、こんなん聞いてねぇ! ッ、ハァ!」
「はいゼロ! 発進!」
ガクン! と機体が突然の加速で打ち出される。
電磁カタパルトから弾丸のように、アイリス・ゼロは夜空へと舞い上がった。
同時に、加速のGで月美の意識が薄れてゆく。
そう言えば、あの恥ずかしい全身タイツみたいなパイロットスーツには、耐G効果もあるとか言っていた……後輩達が勧めるのには、意味があったのだ。それを恥ずかしいからと、つっぱねたのは自分だ。
結果、意識が薄らぐ中で月美は後悔を禁じ得ない。
夜の外出用に着ただけのジャージ姿では、あっという間に全身の血が重力に負けて動き出す。その流入が足先へと集中する中で、あっという間に月美は気絶してしまった。
そして、夢かどうかもわからぬ中で声が聴こえる。
『ごめんなさい、月美……でもね、安心して
優しい声が、自分の手を引いている。
見上げれば、金髪のとても美しい女声が自分の手を握っていた。
思い出した、この人は母だ。
ロシアで生まれて、混乱の中で生活の
見る人が見れば、魔性の女と
事実、彼女は甲府でも実力者の議員を
そうして月美が生まれたのだ。
その母が今、月美の手を引いて夜の街を歩いている。
『お父様はとても
思い出した。
これは、母と別れた最後の記憶だ。
月美はこうして、幼い頃に父親の家に預けられたのだ。
母はロシア
だが、母は自分をなかったことにすることで、月美の日本での立場を保証させた。
自分が愛人としての立場、権利を行使することを永久に捨てることで……二人の間にできた子供である月美を、社会的に認めさせようとしたのだ。
『ほら、月美。あの方がお父様よ』
やがて、大きな屋敷の前でスーツ姿の男に月美は対面する。
周囲では秘書らしき男達が、アタッシュケースを持って母にアレコレ言っていた。
大人の言っていたことはわからない、覚えていない。
だが、月美はとてもよく覚えている。
その記憶が今、目の前に再現された。
『……月美と名付けたか。月は確か、ロシア語ではミーサツだが……うん、ルナの方が
その男は、月美の頭をワシワシと
怖い顔をしていたが、その顔を月美の目線に並べるべく、
そして、母と交わした言葉は短かった。
『すまない、次の選挙もある。恨んでくれて構わない』
『いいえ……私のことはいいんです。こんなに頂いて……』
『手元にあれば勘ぐられる金だ。俺は……君にやすらぎを求め、やすらいでしまった。妻や子にないものを得てしまった。そうすることでしか、自分を動かせない男だった』
『奥様には申し訳なく思います……その上で、非礼を承知で』
『この子は俺の娘だ。そうであるように全て手配する。心配はいらない。むしろ心配なのは――』
『……忘れてください。私を
母はそうして、今の家族に月美を
それから何年かして、小学生になった頃だろうか……母が母国ロシアで死んだとの知らせを受け取った。病気だった。しかし、ロシアではまともな治療を受けられる人間は限られている。そして、母は家族や親族のために、父の渡した現金を使い果たしてしまったあとだった。
月美は父を呪って罵った、軽蔑して憎んだ。
だが、不思議と今はそのことが
父もまた、失った。
自分が失った以上の喪失感を、誰にもぶつけられなかったのではないか? そう思って、それとは別に許せない気持ちはある。だが、許し難い憎悪に寄り添うように、母と父の二人だけの想いがなんだったかを考えさせられる。
あのアニメ、空が夢中なアニメが、そうさせるのだと思った。
ふと気付けば、星空の中に月美はいた。
自分を乗せたアイリス・ゼロは、凍れる寒さの中で夜空を舞っている。
最初、意識が戻った自分がまだまだ夢の中のような気がして、ぼんやりと周囲を見つめていた。モニターが移す絶景と、正常値を訴えてくるデジタルの計器を見て、ようやく頭が働き出す。
「あっ、あれ? オレ……おいおい、マジかよ。意識を? くっそ、ありえねえ」
「おはよ、月美。どう? 素晴らしい景色だと思わない?」
背後で空の声が、やけに優しく響く。彼は手を動かし続けながら、視線も合わせずに語りかけてきた。何やら重要なデータが得られてるらしく、キーボードを叩く音がコクピットに響いている。
月美は、発進と同時に気を失った自分が恥ずかしくて
「よ、よう、あのさ……オレ」
「大丈夫、秘密にしとくよ。気絶しちゃったなんて、言えないだろう?」
「ばっかおめえ! 気絶してねえし! これは、その、あれだ……まあ、ごめん」
「謝ることないよ。むしろ、気絶したのに機体を上手く飛ばした。これは、あれ? 身体が覚えてるっていうか……
「死ね! うっせえ、死に絶えろ! マジありえねえんだけど!」
だが、広がる
とても綺麗な月だと思った。
そんなことを思っていたら、背後で手を止めた空が笑う。
「月美……月が綺麗だね」
「ああ? 何言ってんだ、見りゃわかるだろ。……うん、綺麗だ」
「月が綺麗だね。君と一緒だからかな? 月美……月が綺麗だ」
「おいおい、何だそりゃ。ちょっと
少し残念そうな空の溜息も、何だか少し優しげだ。
それから月美は、チェック項目を潰しながらテストを追えて、無事に初飛行をやり遂げた。その間ずっと、大きな満月は月美と空とを見守り輝いていた。
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