月に祈るあなたの夢は美しい

 結局、例のパイロットスーツは勘弁かんべんしてもらった。

 勿論もちろん星波月美ホシナミルナは自分のスタイルには自信がある。

 普段なら、自信がある。

 ただ、ちょっと最近は運動不足も自覚していたし、一応受験生だから机にかじりついてる時間が長い。加えて言えば、誰にも言えない理由で数少ない自由時間を運動以外に使っている。

 誰にも言えない、知られたくない……意地でも黙っていなければならない。

 まさか月美が『望郷悲恋ぼうきょうひれんエウロパヘヴン』なるアニメにハマっているなどと。アニメばっかり見て運動不足だなどと。

 そんなことを思いながらも、コクピットに収まるや気持ちは引き締まる。


「なーんか、よ……取ってつけたような計器なんだけど」

「急いで稼動状態に持ってったからね。コクピットのコンソールは後々、完全に新規のものに変えるつもりだよ。あとはほら、データロガーが必要だから」


 後部座席では、遥風空ハルカゼソラがにっぽりと笑っている。

 本当に人のいいアホ面で笑うので、何だかイラッとしてしまう。

 そして、気付く。

 イラついているのは自分にだ。この科学部では、皆が好きなことをやっている。好きなことに一生懸命で、それを隠しもしない。茶飲み部だの何だの言われても、全く気にする様子がない。

 何より、そのことに懐疑的な月美をも受け入れ、したってなついてくれる。

 それは、孤高の一匹狼だった月美には新鮮な驚きだった。

 ハッチを閉じる前に、後輩達が顔を突っ込んでくる。


「月美ちゃん先輩! これ、お守りです! 近所の神社で買いましたっ! ぶいっ!」

「おい待てロト……これ、安産祈願あんざんきがんって書いてあるぞ。普通に駄目じゃねえか?」

「いいんじゃないかしら? 気持ちの問題よ。それに……あながち無駄にならないかも。ね、空先輩?」


 訳がわからない。

 だが、後輩達は不揃いな計器やパネルの脇にお守りをつけてくれた。

 本当に安産祈願だ、しかもちょっと高いやつだ……聞けば、三人でお金を出し合ったとか。馬鹿だこいつと思った反面、こういう存在が後輩ってやつかと月美は胸の奥が熱くなる。考えてみれば、誰かにこうして熱く温かく接してもらえることなどなかった。


「じゃ、じゃあ、ちょっち行ってくる……お前ら、ちゃんと見てろよ。か、帰ったら……何か、安くて美味いもんでもおごるからよ」


 我ながら照れ隠しが下手だと思った。

 そうしてコクピットのハッチが閉じると、背後から空がポンと肩を叩いてくる。

 その気安い接触が、身体の緊張感を持ち去った。

 二人の乗るアイリス・ゼロが、格納庫から射出位置へと移動する。超電導ちょうでんどうを応用したリニアカタパルトすら、このユグドラシルと呼ばれる施設の中では仮設の装備だ。将来的には、パナセア粒子を利用したもっと効率のいいシステムが運用されるらしい。

 射出位置に固定された機体の中で、月美はすぐにチェックを済ませる。

 システム、オールグリーン……ここまではシミュレーションと全く同じだ。


「オーケー、月美。じゃあ発射までのカウントダウンを開始するよ? 準備はいい?」

「おうっ! 初飛行だろうが何だろうが、きっちりこなしてやんぜ!」

「頼もしいね」

「まあな……何か、変な話だけどよ。オレ、結構最近さ――」

「カウントダウン開始! 3!」

「……は? おい待て、何でいきなり……60とか30とかじゃなく――」

2! 1!」

「おい待て空ァ! 手前ぇ、こんなん聞いてねぇ! ッ、ハァ!」

「はい! 発進!」


 ガクン! と機体が突然の加速で打ち出される。

 電磁カタパルトから弾丸のように、アイリス・ゼロは夜空へと舞い上がった。

 同時に、加速のGで月美の意識が薄れてゆく。

 そう言えば、あの恥ずかしい全身タイツみたいなパイロットスーツには、耐G効果もあるとか言っていた……後輩達が勧めるのには、意味があったのだ。それを恥ずかしいからと、つっぱねたのは自分だ。

 結果、意識が薄らぐ中で月美は後悔を禁じ得ない。

 夜の外出用に着ただけのジャージ姿では、あっという間に全身の血が重力に負けて動き出す。その流入が足先へと集中する中で、あっという間に月美は気絶してしまった。

 そして、夢かどうかもわからぬ中で声が聴こえる。





『ごめんなさい、月美……でもね、安心して頂戴ちょうだい。大丈夫よ、月美』


 優しい声が、自分の手を引いている。

 見上げれば、金髪のとても美しい女声が自分の手を握っていた。

 思い出した、この人は母だ。

 ロシアで生まれて、混乱の中で生活のかてを求めて日本に来た。そこで容姿を武器にホステスをして生計をたてていた人だ。まだ二十代後半なのに、とても妖艶ようえんな美しさがあって、それは幼い子供だった月美にもすぐにわかった。

 見る人が見れば、魔性の女とののしっただろう。

 事実、彼女は甲府でも実力者の議員をとりこにした。

 そうして月美が生まれたのだ。

 その母が今、月美の手を引いて夜の街を歩いている。


『お父様はとても聡明そうめいな方……悪く言う人もいるけど、とっても偉大な方なの。だから、平気よ? ……ママがいなくても、きっと平気。大丈夫だから安心して頂戴』


 思い出した。

 これは、母と別れた最後の記憶だ。

 月美はこうして、幼い頃に父親の家に預けられたのだ。

 母はロシア国籍こくせき、そして父親とは籍を入れられない中だった。月美は認知すらしてもらえないかもしれない立場だったのだ。

 だが、母は自分をなかったことにすることで、月美の日本での立場を保証させた。

 自分が愛人としての立場、権利を行使することを永久に捨てることで……二人の間にできた子供である月美を、社会的に認めさせようとしたのだ。


『ほら、月美。あの方がお父様よ』


 やがて、大きな屋敷の前でスーツ姿の男に月美は対面する。

 周囲では秘書らしき男達が、アタッシュケースを持って母にアレコレ言っていた。

 大人の言っていたことはわからない、覚えていない。

 だが、月美はとてもよく覚えている。

 その記憶が今、目の前に再現された。


『……月美と名付けたか。月は確か、ロシア語ではミーサツだが……うん、ルナの方が語呂ごろがいいな』


 その男は、月美の頭をワシワシとでた。

 怖い顔をしていたが、その顔を月美の目線に並べるべく、片膝かたひざいてかがんだ。そうして、そっと月美の肩を抱いてくれた。

 そして、母と交わした言葉は短かった。


『すまない、次の選挙もある。恨んでくれて構わない』

『いいえ……私のことはいいんです。こんなに頂いて……』

『手元にあれば勘ぐられる金だ。俺は……君にやすらぎを求め、やすらいでしまった。妻や子にないものを得てしまった。そうすることでしか、自分を動かせない男だった』

『奥様には申し訳なく思います……その上で、非礼を承知で』

『この子は俺の娘だ。そうであるように全て手配する。心配はいらない。むしろ心配なのは――』

『……忘れてください。私を不憫ふびんと思うなら、その想いをこの子に……月美に』


 母はそうして、今の家族に月美をたくして消えた。

 それから何年かして、小学生になった頃だろうか……母が母国ロシアで死んだとの知らせを受け取った。病気だった。しかし、ロシアではまともな治療を受けられる人間は限られている。そして、母は家族や親族のために、父の渡した現金を使い果たしてしまったあとだった。

 月美は父を呪って罵った、軽蔑して憎んだ。

 だが、不思議と今はそのことがやまれた。

 父もまた、失った。

 自分が失った以上の喪失感を、誰にもぶつけられなかったのではないか? そう思って、それとは別に許せない気持ちはある。だが、許し難い憎悪に寄り添うように、母と父の二人だけの想いがなんだったかを考えさせられる。

 あのアニメ、空が夢中なアニメが、そうさせるのだと思った。





 ふと気付けば、星空の中に月美はいた。

 自分を乗せたアイリス・ゼロは、凍れる寒さの中で夜空を舞っている。

 最初、意識が戻った自分がまだまだ夢の中のような気がして、ぼんやりと周囲を見つめていた。モニターが移す絶景と、正常値を訴えてくるデジタルの計器を見て、ようやく頭が働き出す。


「あっ、あれ? オレ……おいおい、マジかよ。意識を? くっそ、ありえねえ」

「おはよ、月美。どう? 素晴らしい景色だと思わない?」


 背後で空の声が、やけに優しく響く。彼は手を動かし続けながら、視線も合わせずに語りかけてきた。何やら重要なデータが得られてるらしく、キーボードを叩く音がコクピットに響いている。

 月美は、発進と同時に気を失った自分が恥ずかしくてほおが熱かった。


「よ、よう、あのさ……オレ」

「大丈夫、秘密にしとくよ。気絶しちゃったなんて、言えないだろう?」

「ばっかおめえ! 気絶してねえし! これは、その、あれだ……まあ、ごめん」

「謝ることないよ。むしろ、気絶したのに機体を上手く飛ばした。これは、あれ? 身体が覚えてるっていうか……カラダは正直、的な? 月美、エロいね!」

「死ね! うっせえ、死に絶えろ! マジありえねえんだけど!」


 だが、広がる雲海うんかいの上でプロト・ゼロは飛んでいる。両手を広げて、夜風を全身に受けて浮かんでいるのだ。見上げれば、星空の中に満月が明るい。

 とても綺麗な月だと思った。

 そんなことを思っていたら、背後で手を止めた空が笑う。


「月美……

「ああ? 何言ってんだ、見りゃわかるだろ。……うん、綺麗だ」

「月が綺麗だね。君と一緒だからかな? 月美……月が綺麗だ」

「おいおい、何だそりゃ。ちょっと語彙力ごいりょくが足りねえんじゃねえか? 月は綺麗だよ。そりゃ……誰だってそう思うさ。さて、何をすりゃいいんだ? テスト項目があんだろ」


 少し残念そうな空の溜息も、何だか少し優しげだ。

 それから月美は、チェック項目を潰しながらテストを追えて、無事に初飛行をやり遂げた。その間ずっと、大きな満月は月美と空とを見守り輝いていた。

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