日常の暗部からの、脱出

 星波月美ホシナミルナは今日も、茶飲み部こと科学部の連中と一緒である。

 普段と違うのは、その時間帯。

 あの遥風空が一年の三人組と一緒に、さっきからアイリス・ゼロの実機にかかりっきりである。動画の再生を終えたスマホを見れば、もう10時を過ぎたところだ。

 盛り上がってるソラ達を遠巻きに見ながら、月美ははけだるげにタッチパネルに触れる。


「……しゃーねえ、もう一話だけ見るか。何でオレがこんな……あのアホのせいだ」


 あの日からついつい、ネットで『望郷悲恋ぼうきょうひれんエウロパヘヴン』を見ていた。

 公式配信しているスメラギチャンネルというのがあって、会員登録したが他のアニメはまだ見ていない。やっぱりまた、空にオススメでも聞こうと思うが、それはそれで何だかしゃくな感じがする。

 そもそも、どうしてこんな時間に学校……建造中のユグドラシルにいるかというと。

 それを思い出すと、自然と周囲のはしゃぐ声が遠ざかる。

 荻原悠介オギワラユウスケは相変わらず、熱いだの燃えるだの空と盛り上がっている。三好ミヨシロトも一緒になって賑やかなので、一番真面目に作業を進めてる上原真佐ウエハラマサがブーたれてる。

 当たり前の光景が今日もあって、それに安心している自分がいる。

 なんでだっけと、月美の記憶は少しだけ巻き戻った。





 風呂からあがって8時前、月美は近所のコンビニにいた。

 夜は11時まで勉強するのだが、家にいたくない夜もある。リビングでは酒浸さけびたりの戸籍上の母……父の妻というだけの女で、今はそれも危ういあわれな人が泣いている。ずっと泣きながら酒を飲んでいるのだ。

 で、その人の息子はといえば、腹違いの妹である月美の風呂をのぞいてくる。最初は蹴り飛ばしていたが、だんだん面倒になって、下着を手にするようにしても放置していた。

 そして、肝心の父は今日も家に帰ってこない。

 家庭としては崩壊しているし、家庭的な全てが月美にとって存在しなかった。

 雨風あめかぜしのげる保護者の家、それだけの場所だった。


「ったく、クソうぜぇ……今すぐ一人暮らししてぇ」


 入店すると、バイトの店員が「らっしゃっせー」とやる気のない挨拶。

 サンダルきにジャージの上下、スカジャンを羽織はおっても少し寒い。この時期に湯冷めして風邪でも引いたら、大学受験にさわる。

 月美は飲み物を物色して、スイーツの誘惑と戦いつつ、菓子売り場をどうにか離れる。雑誌も少し物色したが、ふと気になってテレビ番組の専門誌を手に取った。


「何だよ、夜の方が多いじゃねえか……アニメ。夕方5時だろ、普通」


 ふと気になって、番組欄をペラペラとめくってみる。

 アニメ番組を示す緑色の枠は、毎日深夜に固まっていた。月美が小さい頃に見ていた時間、夕方には誰が見るんだかわからない御当地情報番組ごとうちじょうほうばんぐみが並んでいる。

 ふと、空や後輩達はどんなアニメを見てるのか気になった。

 それもあるし、月美が見てやってもいいかなと思う作品があるのだ。


「エウロパは……再放送、してねえかあ。ま、ネットでも安くて見放題がからいいけどよ。……逆に困んだよ。見放題って、何を見たらいいものか。あーっ、駄目だ! 受験! 勉強!」


 たなへと雑誌を戻して、会計をすまそうとしたその時だった。

 突然スマホが着信を伝えてくる。

 この番号を無理矢理月美のアドレス帳に登録した男が、一緒に設定した着メロだ。レジのアルバイトが反応する程度には有名なアニメソングで、先程口にした『望郷悲恋エウロパヘヴン』の主題歌だ。

 あわてて応じると、いつもの声が弾んでいる。


『やあ、月美! さっきぶり。どう? 今、ひまかな? どこ? 家?』

「おまえなぁ、空……こんな時間になんだぁ? ……いっぺんシメるか? ええ?」

れるな、それは』

めてねえ! ……で? な、何だよ。オレ……コンビニだけど。あの、郵便局の裏の」

『ホント? あ、ホントだっ! 見えた、そこね、そこ!』

「……へ?」


 瞬間、ガラス窓の外を横滑りで自転車が通過した。

 そのままダイナミックに駐輪ちゅうりんした車体の上で、空が脳天気な笑みを浮かべている。

 アホだ。

 本物のアホだ。

 だが、大きな溜息を吐きつつ月美は会計を終える。

 しょうがないから、空のためにレジ横で熱い缶コーヒーを一つ追加した。

 外に出ると、あの笑みがキラキラと無駄にまぶしい。

 甲府の夜空をいろどる星より、何倍も輝いていた。


「月美、乗ってくれるかい? 後だよ、後」

「……お前、マジで言ってんの?」

「今日ね、もうちょっとでアイリス・ゼロを起動状態まで持ってけるんだ。さっき、学校から締め出し食らったけど……また入れるからさ、こう、裏ルートで!」

「はぁ、おーまーえーなー? オレはこのあと勉強して寝るんだよ」

「またまたー、とうとう実機のアイリスが動くんだよ? 見たくない?」

「べっ、別に……全然、興味、なくも、ない、けど……まあ、見るだけなら」


 すぐに空は自転車をひるがえして、後ろの荷台をポンポンと叩く。

 嫌に古めかしい自転車は、月美を乗せてガタピシと動き出した。自然と空の背にひっつくようにして、その腰に手を回すことになる月美。意外にも空は、力強くペダルを踏み込み風になる。

 まだまだ寒い2月の風が、容赦なく二人を包んだ。

 その中を、見えない大気を切り裂くようにして自転車は走る。


「なあ! 空!」

「え? 何?」

「……ア、アニメ、見た……けど。エウロパ」

「ホント? あ、スメラギチャンネル? いいだろ、どこまで見た? あのさ、やっぱり作画が神なんだけど、音楽と脚本が互いに支え合うようなベストマッチで」

「わかんねーけど! そんなに言われても、わかんねーけど。でも……い、いや、何でもねえ! 前見て走れ、バーカ!」


 

 ヒロインのエウロパが、髪を切った。大いなる存在、未知の生物に取り込まれたかと思えば、火傷やけどみたいな感じになって戻ってきて……そして、髪を切った。

 傷を隠さず前を向いた少女に、気付けば月美は共感を感じていた。

 悲劇のヒロイン、助けを待つお姫様ではいられない……そんな自分と同じものを感じてしまったのだ。だが、恥ずかしいからそれを言うのがはばかられる。


「……おい空、あのさ……他は?」

「え? 他って? ……ンギギ……坂は、ちょっと、キツい……月美、太った?」

「いっぺん死ね! 二度三度と言わず、死に尽くせっ! ……悪ぃ、言い過ぎた。でも……なんか、オススメのアニメとかあんのかよ」

「よくぞ聞いてくれましたっ! ハァ、ハァ……ちょ、ちょっと待った、タイム……」

「んだよ、だらしねーな!」


 やれやれと月美は自転車を飛び降りる。

 フラフラしながら、坂道を登りきって空は止まった。

 振り向けば、いつもの通学路も違って見える。

 生まれ育った街の夜景なんて、初めて見るかもしれない。摩天楼まてんろうと言うには全く彩りにかけてて、駅周辺とその前後だけが明るい街は寒々しい。

 でも、あの光のどれかで、本当の母親は働いていた。

 そして、父の愛人になって自分を生んだのだ。

 月美には、死んだ母がまだあの光の中にいるような気がした。


「月美? もういいよ、乗って……大丈夫、平気、だから」

「……われ」

「へ?」

「いいから代われ、オレがぐっ! オラ、乗れって!」


 衝動が言葉をかたどる。

 そのまま奪うようにハンドルをひったくって、颯爽さっそうと月美は自転車に跨った。

 慌てて空が、走り出した自転車の後ろに乗る。


「しっかりつかまれっての!」

「や、でも、ほら……そういうのは、ねえ? お互い恋人同士、大事な時にとってお――」

「振り落とすぞ、アホッ!」

「ごめんなさいっ!」


 腰に手を回して、空はしがみついてきた。

 もともとせてるし、身長ばかりひょろりと高くてガリ勉メガネに見える空。

 不思議と、背中に張り付く空の体温が不快じゃなかった。

 息せき切ってペダルを踏む月美の、逃げてゆく熱を補うような熱さを感じた。ただ、どさくさに紛れて胸を触ってきたので、振り向きもせずに肘鉄ヒジテツを食らわせたが。


眼鏡めがね割れちゃうよ、もぉ……あ、もしかしてコンタクトの方がいい?」

「るせーな、言ってろ!」

「ほらほら、ちなみに眼鏡取るとこんな感じ。ど?」

「知らねーし……ッ!? ……知らねえし!」


 ちらりと肩越しに振り返った時、以外な表情が笑っていた。

 眼鏡を取っておどけてみせる空の、その屈託くったくない表情が目に焼き付いた。意外とイケメンなの、卑怯だ。ずるいと思った。

 こうして二人は、こっそりと深夜の県立第三高校に忍び込んだのだった。





 結局、もう一話だけエウロパを見てしまった。

 それで後悔する……続き、滅茶苦茶めちゃくちゃ気になる。

 だが、そうこうしていると空達が歓声をあげた。


「やりましたよ、先輩っ!」

「いや、三人のおかげだ。みんな、二年への進学準備で忙しいのに、ありがとう。これでアイリス・ゼロは動き出せる……さあ、試運転だ!」


 どうやら作業が終わったようで、どれどれと月美もタラップをあがる。

 そこで初めて実機のコクピットを見て、彼女は驚いた。


「んだよ、二人乗りじゃねえか」


 そう、アイリス・ゼロは複座ふくざだ。コクピットもまだまだ急造仕様で、あちこちにデータロガーがついている。計器スケール操縦桿スティックも、どこかとってつけたような仮のものだ。

 すぐに空が、自分から後部座席に座りながら説明してくれた。


「僕が後でデータを収集、解析して、リアルタイムでアイリス・ゼロの調整をするんだ。この機体で建造中のプロトタイプ、マスプロダクトタイプの仕様が決まる。君の腕が必要だ、月美」

「お、おう……しゃあねえな。ほんっ、とぉ、にっ、しゃあねえ。やってやるぜ!」

「ありがとう、月美。愛してるよ!」

「るせぇ!」


 すぐにロトが、何かを運んできた。

 それを月美の前で広げてみせる。


「ヤンキー先輩っ! じゃなかった、月美ちゃん先輩! これ、パイロットスーツです!」

「おうっ! ……って、マジ? これ……マジで? オレが着るの?」

「サイズ、ぴったりだと思いますよぉ? 先輩、スタイルいいからうらやましいですぅ」

「いや、待て待て……こんなの着たら裸も同然じゃねーか」


 それは、全身タイツのようなスーツだ。ぴっちりして身体のラインが浮き彫りになるであろうことは、目に見えている。その証拠に、悠介が赤面しながら目をらした。


「オレは着ねえからな! ……ま、とりあえず飛ばしてみっか。いけんだろ? 空!」

勿論もちろんだよ、月美。けど……着ないの? 月美のパイロットスーツ姿、見たいなあ」

「……誰が血ぃ見たいって?」

「あー、前言撤回! 真佐、オペレートとデータチェック頼む、ちょっと月美と空中散歩……あ、いや、空中デートかな? じゃあ、ちょっと行ってゲファ! ゴファゥ……」


 とりあえず空を殴りつけ、前部座席に収まり月美がハッチを閉める。

 こうして、最終調整の終わったアイリス・ゼロが震え出した。その瞳に光が走って、パナセア粒子を循環させる動力部が起動音を高鳴らせる。

 後輩の三人に見送られながら、ゆっくりとアイリス・ゼロは射出位置へと移動を開始した。

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