アウターハイスクールライフ

白い花を見つけた日

 星波月美ホシナミルナは驚いた。

 人間、余りに驚愕きょうがくの現実に直面すると、言葉が出てこないと知ったのだ。

 周囲の寒さも忘れる、その場所は学校の地下だ。

 だが、それすらも忘れるほどの、衝撃。


「なっ、なんじゃこりゃあ!」


 女の子が口にしてはいけないセリフが、女の子の出してはいけない声で叫ばれる。勿論もちろん、女の子がしてはいけない顔になっていた。

 星波月美、18歳……卒業を控えたけだるい三学期の始まりは激変した。

 何度も瞬きしながら振り返ると、一人の少年が眼鏡めがねのブリッジを指で押し上げてる。

 レンズに反射する光で表情を隠しながら、彼は小さく笑って答えてくれた。


「見たままだよ、月美。


 そう、月美の目の前には冷却剤の白煙をまとった巨人が立っている。

 無言でうつむくそのロボットは、真っ白だ。

 直線的なデザインで、端正なマスクはまるで騎士……白無垢しろむくの巨人の第一印象は、悪くない。悪い奴のロボットには見えなかった。

 だが、眼鏡の少年は凄く悪い顔をしていた。

 彼は驚きに固まる月美の横に来て、フフンと鼻を鳴らす。


「こいつは、アイリス・ゼロ……頼みがある、月美」

「ま、待てっ! 待ってくれよ、ええと」

「僕は、ソラだ。遥風空ハルカゼソラ……残念だなあ。名前も覚えてもらえてないなんてね」

「……わ、悪ぃ。けど、なあ! これは!」


 だが、ようやく突然の衝撃から立ち直ろうとした、その時だった。

 自称クラスメイトの空が、不意に月美の手を握ってくる。

 そして、その手に手を重ねてくる。

 熱くて少し自分より大きくて、そして柔らかい手だった。


「頼む、月美。このゼロに僕と乗ってくれ」

「……はぁ!? ちょ、おま……何言ってんの!?」

「ありがとう、とても嬉しいよ」

「会話になってねえ! ……説明しろ、遥風。こりゃ、なんだ!」

「やだなあ、僕のことは空って呼んでくれてもいいよ。ね、月美」


 咄嗟とっさに月美は空の手を振り払った。

 しかし、現実に白いロボットは厳然げんぜんとして目の前に存在する。

 そう、この県立第三高校の地下に、確かに存在するのだ。

 気持ちを落ち着かせながら、月美は先程の空との出会いを思い出す。






 その日もいつも通り、授業をサボっていた。

 校舎裏のベンチに座って、煙草たばこを吹かす。成績は学年トップだし、家はこの街の政治家一家だ。誰も何も言わないし、言わせない雰囲気の中で月美は育った。

 伸ばし放題に腰まで伸びた長い金髪は、地毛だ。

 父親がロシア人の愛人に産ませた私生児だからだ。

 グレて不良を気取ってみても、煙草の一本でさえ親の金で吸ってる。

 月美は今もこうして、ぼんやり空を眺めているのだ。


「4月からは大学生かよ……やっと家から出れんぜ」


 ぷかぷかと紫煙で輪を作っては、寒空の下へと解き放ってやる。

 大学受験はA判定だし、家を出ての一人暮らしは既定路線だ。これで親が別の愛人を連れ込んでるところも、本妻さんが病んでく姿も見なくていい。半分血の繋がった兄に、シャワーや着替えをのぞかれることもなくなるのだ。

 母だけが、あの綺麗だった本当の母だけがいない家。

 そこはもう、ベッドと机があるだけの場所でしかなかった。


「バイトすっかな」


 ぼんやりそんなことを呟いていた、その時だった。

 背後に人の気配が立って、慌てて振り向く。

 教師だったとしても物怖ものおじしないし、少し注意されるくらいだろう。誰もが皆、月美を恐れた。彼女がこの街を牛耳る大物の娘だからだ。

 だが、そこには眼鏡の少年が立っている。


「……あんだよ」


 元から月美は目付きが悪い。

 母親譲りの整った顔立ちだが、目元が父親に似てしまったのだ。

 へびみたいな目だと言われたこともある。

 三白眼さんぱくがんという言葉は、それで知った。

 にらめば誰もよってこないから、都合はいい。

 だが、目の前の少年は奇妙な余裕をまとっていた。


「見世物じゃねーぞ、あっちいけよ」

「星波月美さん、だよね?」

「ああ、んで?」

「一本、いいかな?」


 オイオイ正気かと、月美は驚いた。

 こんな時期に三年生が喫煙、見つかれば一発アウトだ。こうして楽しい一服タイムを満喫できるのは、月美だけなのだ。

 だが、月美は少年に興味を持ったのも事実である。

 一睨みで大人も逃げるというのに、彼は笑顔だ。


「……ほらよ」

「ありがとう。ええと、火は」

「ってか、お前……煙草、逆」

「ああ、こっちに火を付けるのか」


 本当に奇妙な奴だ。

 だが、気味が悪いという訳でもなく、気持ち悪いタイプでもない。

 ただ、理解の範疇はんちゅうを超えた存在に、月美もあきれていたのは事実だ。

 多分、受験のストレスでおかしくなった奴だとも思った。


「ん、火」

「え、いいの? ……ライターくらいは流石さすがに僕も点けれるのに」

「お気に入りのジッポーなんだよ。バカに触らせたくねーの」

「はは、照れるね」

「……本当にバカだろ、お前」


 シュボッ! と銀のジッポーライターに火が灯る。それを片手で突き出す月美へと、少年は恐る恐る煙草を近付けた。

 そして次の瞬間……深く煙を吸い込んだ少年は、咳込せきこみむせた。


「はぁ!? マジわかんね……お前っ、初めてなのかよ!」

「いやあ、これが煙草! ゲホゲホッ、酷いもんだね。何が面白くてこんなものを? ゲホホ」

「るせーな」

「まあ、いいや。これでまた一つ、君を知れたよ。星波月美」

「……気安く呼ぶな、蹴っ飛ばすぞ」

「それは……御褒美ごほうびが過ぎるだろう。むとこから順次、段階を追ってだね」


 訳がわからない。

 だが、気付けば月美はベンチの隣に彼を座らせてしまっていた。

 いつも一人、ここが月美の指定席。

 授業には出ず、勉強も弁当もここで済ませる。

 1月の外は少し寒いけど、泣けてくる程じゃない。

 退屈な日常をコンクリートの中に隔離し、木々と一緒に空の下。こうして風に吹かれてる方が好きだ。


「ねえ、月美」

「殺すぞ、手前てめぇ……呼び捨てにすんなよ」

「まあまあ、僕と君の仲なんだし」

「どんな仲だ? ええ?」

「初恋、そして片思い」

「はぁ!? ……オ、オレにかよ」

「そう、君が僕に……これからね」


 反射的に手が出てしまった。

 しかも、グーでだ。拳だ。パンチである。

 だが、一見してひ弱そうな男の手がそれをパシンと受け止める。


「何でオレが手前ぇなんかにれなきゃなんねーんだよ! あァ!?」

「運命、だからかな。なあ、月美。結婚式は洋風と和風、どっちが――」

「うるせえ!」

「そうやって照れるとこ、かわいいよ?」

「……う、うるせえ。なんだ手前ぇ、うぜえ……何が目的だ?」


 月美が手を下ろすと、彼は上を指差した。

 見上げれば、校舎の四階に空きの教室がある。


「あそこからいつも、君を見てたよ」

「……キモッ! ストーカーかよ」

「今、ようやく部室をもらえてね……僕の科学部。それで、あの教室から来年は移っちゃうんだ」

「ああ……茶飲み部」


 科学部というのは、この学校ではある意味で有名である。

 さしたる実績もなく、活動実態も怪しい……何より、オタク集団が集まって茶飲み話に花を咲かせてるだけの鼻つまみ者という噂だ。

 だが、不思議と学校は問題にしてこなかった。

 その、今までの部室からは月美の指定席たる、このベンチが丸見えだった。


「クッソ、腹立つ……」

「どれどれ。いや、大丈夫、言うほど立ってないよ、デブじゃない」

「触んな、クソが! 腹が立つって、そういう意味じゃねえよ!」

「はっはっは、僕は下腹部がつけどね」

「おいバカやめろ……セクハラだろ、そりゃ」

「……触ってみる?」


 迷わず月美はブン殴った。

 今度は綺麗にストレートが彼のあごとらえる。

 ベンチから転げ落ちた彼は、それでも笑っていた。


「じゃあ、さ……放課後に来る? 俺達科学部の新しい部室に。そして、秘密の部活動に。実はさ、誘いに来たんだ。月美、もうずっと暇だろう? 卒業だって決まったようなもんだ」

「なんでオレがクソナード共の巣窟そうくつに行かなきゃなんねえんだよ!」

「ナードはともかくクソは酷いなあ。駄目だよ、月美。汚い言葉遣いは、めっ! だ」


 変人だと思った。

 そして多分、変態だ。

 それが、遥風空の第一印象だった。

 だが……半ば強制的に連れてこられた新部室は、ここに繋がっていた。

 学校の地下にある、秘密の格納庫へ。






 呆然ぼうぜんとする月美に、空は笑顔だった。


「このユグドラシルはまだ、工事中でね。未整備区画も多いんだ」

「ユグドラシルだあ?」

「そ、秘密基地みたいで格好いいだろう?」


 屈託なく空は笑う。

 見れば、周囲に二年生や一年生の姿もある。

 無視して帰ってもよかったのだが、ついつい月美は来てしまった。

 自分を恐れない少年、簡単に触れてくる少年。誰もが腫れ物を触るように、怯えて接してくるのに、この空は違ったのだ。


「僕とこのゼロで、守って欲しいんだ」

「はぁ? 何だよ、地球の未来か? 人類の危機か? 相手は怪獣かよ、それとも」

「もっとささやかなものだよ、月美。後輩達さ。僕は卒業前に、アイリス・シリーズの開発に目処めどをつけて、後輩達に楽をさせてやりたいんだ。そのために、君が必要だ」


 不思議とときめいてしまった。

 そのことが妙に腹ただしかった。

 だが、月美は初めて言われたのだ……自分が必要だと。

 その衝撃が、巨大ロボットという非現実的な光景よりも驚きだった。

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