第3話「12時の鐘が鳴る前に」

 リョウ・クルベ中尉ちゅういの受難が始まった。

 そして、後年こう振り返るだろう……すでに以前から、始まっていたのだと。

 ただ、今は過去を振り返るにる未来へ進んでいると思いたい。

 だが、単独で原隊を離れた脱走兵も同然なので、正直自信は全くなかった。


「……まあ、選択肢は少なかった。そして、その中で最善は選んだ。と、思う」


 ぽつりとこぼした独り言が、無重力のロッカールームに漂う。

 今、クルベは宇宙用のパイロットスーツを半端に抜いだまま浮いている。ここは、あの八十島彌助ヤソジマヤスケとかいう意味不明な子供が用意した輸送艦、そのパイロット用のロッカールームだ。疲労困憊ひろうこんぱいのクルベにはもう、着替えるどころか今の宇宙服を脱ぐ気力もない。

 指定されたポイントまで、例の【樹雷皇じゅらいおう】とエルンダーグを運んだ。

 輸送艦に合流した瞬間、張り詰めていた緊張感は霧散してしまったのだ。


「原隊復帰は……難しいかもしれないな。やっかいなことに巻き込まれたもんだ」


 だが、悲観していても後悔はない。

 あの時、藍田春季アイダハルキを救うと決めた選択は間違いではない。

 例え間違いであっても、軍人としても人間としても正しかったと言える。

 適切ではなかったと、未来の歴史が語ろうとも構わない。

 クルベは軍人として、何を守りどう戦うかはわきまえているつもりだ。

 そのことを自分の中に再確認していると、ドアが突然開く。


「やあやあ、御苦労だったねえ。素晴らしい行動力、そして判断力だったよ」


 入ってきたのは、子供だ。

 まだ10歳になるかならないかくらいの、小さな男の子である。それが日本皇国海軍の軍服を着ているから、クルベには違和感のかたまりに見える。

 だが、声音を聴いてすぐに状況と相手を理解した。


「あんたが八十島彌助二尉か。さて、小官は何から問い詰めればいいですかね?」

「その辺は気にしなくていい。小生しょうせいからは報告と要請を述べ、了解してもらえるだけでいいんだからねえ」

「これはまた、見事な上意下達じょういげだつですが」


 彌助は秘匿機関ひとくきかんウロボロスの人間だ。

 そういう名前の不可思議な組織があることは、風の噂で聴いたことがある。人類同盟は目下、多くの敵と全面戦争の真っ最中だ。その中にあって、非合法な組織など枚挙にいとまがない。

 クルベがついつい身構えるように向き直ると、彌助も床を蹴って浮かび上がった。


「まず、率直に言おう。エルンダーグを回収してくれて助かったよ。感謝だね」

「そいつはどうも。それで? 彼は……藍田春季は無事ですか」

「今、なんとかエルンダーグから連れ出せたとこだ。そして、彼が連れ帰った少女についても調査中でね……これが凄いのだよ! 生きてる、生きてるんだ! あの状態で!」


 興奮を隠さない彌助に、正直うんざりする。

 研究者とか技術畑とかは、得てして倫理や道徳より知的探究心を優先する。

 だが、春季が木星圏から共に連れ帰った少女は無事らしい。


「それで? 率直に聞きますが、小官しょうかんの今後についてお教え願いたいですね。……軍事法廷なら、いい弁護士をつけると請け負ってくださったはずですが。さっき、確かに」

「ああ、それだがね……クルベ中尉、地球へ降りてもらえないだろうかねえ?」

「……は? あ、いや……どうしてですか? 小官は一連の特殊な作戦行動を完遂しました。原隊に復帰し、元の司令系統の枠組みに――」

「安心したまえ、中尉。MIA。おめでとう、今後次第では君は少佐だ」


 最悪だ。

 二階級特進がどれだけありがたくないかを、クルベは身を持って知るはめになるから。そして、それすら今後次第というから、尚更なおさら悪い。

 MIA、いわゆる戦闘時の行方不明Missing In Action……実質的な戦死認定である。

 だが、彌助はクルベに反論も質問も許さなかった。


「中尉、引き続き頼みたい任務がある」

「……何の権限があって、今後も自分を指揮下に置くのでありましょうか?」

「無論、ウロボロスが独自の指揮権と人事権を持っていることを前提に、これはお願いであるな」

「聞くだけ聞きましょうか」


 彌助は手早く要点をかいつまんで説明してくれた。

 現在、ウロボロスでは独自の戦力を一定数保持する方向で動いている。あくまで秘匿機関としては、表立った行動ができないからだ。人類同盟のブラックボックスである彌助達には、驚異的な科学力と技術力、独自の人員と機材がある。しかし、現場で動く直接の部隊が存在しないのだ。


「クルベ中尉、本日付で貴官をウロボロスの所属とする。現場の小隊長として、少数精鋭を率いてくれたまえ」

「拒否権は?」

「無論、ある。ただし、その場合は脱走兵として引き渡すことになるがね」

「それは拒否権の存在云々を逸脱した話ですね。で? 自分は何をすればいいのです」


 半ば諦めにも等しいが、わずかな好奇心が小さく動く。

 目の前の子供は何をさせようというのか、と。


「まず、これから大気圏に再突入、日本皇国が管理するメガフロートに降りてもらう」

「地球に? センチュリオンは無重力下での遠距離砲打撃戦を前提とした兵器ですが」

「その点に関しては安心してくれたまえ……【ガラスの靴】に少し細工をしておいた」

深々度単独侵攻用ブースターデプス・イントルーダーユニット……ブルームですか」

「そうだ。中尉にはまず、【】を護衛しつつ、地球に向かってもらう」

「【シンデレラ】とは?」


 聴き覚えのないコードネームだった。

 しばしばシンデレラのガラスの靴と揶揄やゆされる、高出力ブースターと関係があるのだろうか? だが、彌助は質問を許さず言葉を続ける。


「月のアラリア共和国……おっと、今はアラリア連合帝国であるな。……連中は、アレを掘り起こしてしまった。小生も、

「……は?」

「これは極秘事項だが、月には非常に危険な遺跡があるのだよ。それをルナリアン共は秘密裏に交渉材料に使ってきたのであるなあ……人類同盟との外交で」


 それは、今も厳然として存在している脅威。

 彌助の話では、その遺跡からは世界の命運を決めるだけの軍事力が生まれるという。戦術や戦略といった概念を覆す、恐るべき兵器が既に配備されているらしい。

 クルベの次の任務は、月勢力が秘密裏に投入する超兵器の破壊。

 そして、地球上で有用な戦力を吸収し、ウロボロスの影響力と実戦部隊を増強すること。

 そこまで聞いた時、再度部屋のドアが開いた。


「あの、春季さん……あまり無理をしちゃ駄目ですよぅ」

「大丈夫です、グッ! う、ぁ……はあ。とりあえず……お礼を、言いたくて」


 白一色の簡素な検査着は、病人そのものだ。

 酷く顔色の悪い少年は、先程クルベが助けたエルンダーグのパイロットだろう。それを直接見て、彼は言葉を失った。あまりにも若い。そして、明らかにその表情や肉体には薬物や非人道的強化の影響を見て取ることができたから。

 まだ年端もゆかぬ少年は、やつれた顔で無理に笑った。


「さっきの、軍人さん……ですよね。僕は、春季です。藍田春季」

「……リョウ・クルベ中尉だ」

「あの……ありがとうございました。アミルを助けてくれて」

「君は……ッ! 俺は、君自身も助けたつもりだ」

「それでも、彼女がまずは無事で……地球に降りれば、回復処置を試みてくれるって、この人が」


 春季は弱々しい視線を彌助に注いで、大きな頷きを引っ張り出す。

 彌助は相変わらず掴み所のない言葉を並べるだけだったが……その中に、クルベはようやく彼の本心を見た気がした。


「安心したまえ、春木君。アルミ・ロビンソンは、ウロボロスが責任を持って人間へと戻す。人間としての尊厳を持って、人間たる権利を行使できる暮らしへ返すと約束しよう」

「よかった……それで、あの……僕も、地球に降ります」

「……まだ、あの襲巣機しゅうそうきに……エルンダーグに乗るというのかね? 君の身体は」

「僕は、冬菜フユナを……芹井冬菜セリイフユナを、助けたい。助けなきゃ、いけないん、です」

「あいわかった、エルンダーグの整備を急がせよう。なに、小生が調整すれば多少は負担も――」


 その時、クルベは迷わなかった。

 躊躇ちゅうちょなく彌助の襟首えりくびを掴むや、無重力の中で吊るし上げる。

 硬く握った拳は、ギリリと手の内に食い込む爪の痛みさえ忘れた。


「よく聞け、クソガキッ! 俺は一兵卒いっぺいそつだ、機密だなんだは知らない。だが、彼はもう十分に戦った! 外訪者アウターとやらを皆殺しにして、故郷に帰ってきた。そして、大事な人間を助けたいと願っている。こんな身体で! こんなにも擦り切れて!」


 怒りに震えども、振り上げた拳はそのまま突き出せない。

 彌助もまた、見た目だけは子供だから。

 そして、春季に寄り添い複数の点滴をスタンドに持った少女が割って入る。


「あ、あのっ! その、わたしが言ってもおかしいんですけど……この人を殴っても」

「……君は?」

「わたしは……わたしは、更紗サラサれんふぁ。まだ詳しくは言えませんが、。でも、予定と違う時に……違う場所に出ちゃって。わたしと【シンデレラ】を、地球に連れて行ってください」


 春季に付き添って来た少女は、どうやら謎の【シンデレラ】とやらと無関係ではないらしい。全てが今、クルベの預かり知らぬところで動いている。そして、その関係者が全員……まだ遊びたいざかりの少年少女なのだ。

 改めてクルベは、戦争が日常化した世界の素顔を見た気がした。

 結局彼は、彼なりに大人としての責任を果たすことを渋々しぶしぶ了承するのだった。

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