ACES ~白き革命の魔女~
魔女の魔法は、白く、まばゆく
少し、ほんの少し、昔の話だ。
二つの国が大陸で戦火を交え、勝者と敗者とを産み落とした。
常設された国連軍は、勝者を
誰だって、負けたままでは終われないから。
負けただけでは、世界も命も、終わらない。
終わらないまま、負け続けることは……屈辱だから。
ナツユキ・アーハンは今、密閉されたコクピットの中に固定されていた。狂気の産物とも言える
彼を乗せた翼は今、天へと機首を向けて突き立っていた。
大型原潜の
機体のチェックを機械的に進めるナツユキの脳裏に、過去のやり取りが思い出される。
第三国経由でナツユキが辿り着いた孤島は、島自体が小さな軍事拠点となっていた。国連宇宙軍には発見されているのか、いないのか……地下に大規模な原潜基地を内包する、敗者たちの残党、もしくはその残党の残党。
まだ牙と爪とを失っていない、最前線の雰囲気にナツユキは驚いた。
大陸戦争と呼ばれたあの戦いは、まだここでは続いているのだ。
そして、ナツユキはあの女に会った。
兵士と軍人と、男ばかりの中で彼女だけが違った。
彼女は革命家、そして戦士だった。
「ナツユキ・アーハン……あら、今度のパイロット君は日本人?」
祖父がそうだったと告げると、その女は興味なさげに「そう」と
彼女はストレーガと名乗った。
それは彼女の名であると同時に、彼女たち全員が共有する名で、組織名でもある。ラテン語で『魔女』を意味する、国際的なテロリストだ。
無数にいるであろうストレーガの一人は、ナツユキの前で
カーキ色の迷彩服や軍服が行き交う中、何故か彼女はセーラー服だ。白い半袖にカラーが
「ね、ナツユキ君。キミ、革命を信じる? 全世界規模の同時革命よ」
まあ、社会常識程度には……そう
白い肌より尚白い、長く伸ばした髪が揺れていた。
「革命を知っているか、って聞いた訳じゃないの。信じるか……まだ革命を知らぬこの世界が、革命を体験し、経験して、そして変わるの。その未来と可能性を、信じられる?」
「俺は、パイロットだ。俺の空には革命も体制も、テロもない。飛んで、戦って、戻れるか。それだけだ」
「いいわね……キミ、とてもシンプル。そういうの、好きよ?」
「あんたに好かれるためにここまで来た訳じゃない」
少しつまらなそうに、ストレーガは唇を尖らせる。
そんな彼女から目を逸らして、ナツユキは巨大なジオ・フロントを見渡した。島の地下がまるまる、巨大な軍港になっているのだ。そして、海の底へと続くドッグには巨大な原子力潜水艦が停泊している。
この時代、原潜といえども宇宙からの千里眼を逃れられない。
原子炉のタービンが生み出す熱と波とが、遥か空の彼方からでも見えるのだ。
だが、人間というのは
今では巡洋艦クラスの巨大原潜も少なくないし、探知されることも
宇宙戦艦的な艦体を見上げていると、ストレーガが喋り出す。
「特務検証実験用潜水母艦、アバドン。エアダイバー・システムの根幹をなす
「エアダイバー・システム?」
「新兵器の実験データを取りたいって人、ゴマンといるのよ?
エアダイバー・システム……聞いたこともないプロジェクトだ。
そして、見たこともない
多分、年下だと思う。
漂白されたように純白で、
それは、世界を震撼させるテロ組織の名で、その組織を率いる革命家の名で、それを演じる複数の人物の名。ナツユキにとってそれはいつしか、重ねた唇の内側に呟く名になっていった。
ストレーガは不思議な少女だった。
各地を転戦してきた歴戦の古参兵や、階級章と勲章だけは豪華な大佐殿に准将殿、皆が親しげで、同時に敬意を払っていた。武力による現状の打破という悪行を除けば、ストレーガという組織は理想の軍隊だったかもしれない。
その名で呼ばれる少女は聡明で、純真で、なにより優しかった。
誰にでもそうであるように、ナツユキにも優しかったのだ。
彼女との最後の夜は、今でも忘れられない。
「明日、出港する。外洋でエアダイバー・システムのテストをして……同時に、
胸にストレーガのぬくもりと匂いを抱き締め、ナツユキは白く美しい髪を撫でる。先程の情熱的な交わりが嘘のように、自分の上で見上げてくるストレーガは
時に
かと思えば、天使のように神々しく、聖女のように清らかだ。
老成したことを言うかと思えば、童女のように無邪気に笑う。
気付けばナツユキは、ストレーガに振り回される訓練の日々を楽しんでいた。
「まさに、革命ね……エアダイバー・システムの有用性が立証されれば、世界は変るわ。ね、そうでしょう? ふふ、キミの手で変えて」
「……なにも変わらないさ、ストレーガ。俺は強襲可変機のパイロットで、君はテロリストの
「だとしても、世界を変えて。変わらないならそれでもいいの……なにも変わらない世界へと、今を変えて。そうしたらきっと、私の気持ちも変わらずナツユキ君と共にあるわ」
「ストレーガ……」
「無事、戻ってきて。その時、私の本当の名前を捧げるわ。キミの初めての女の名前よ」
「俺は初めてじゃないさ、馬鹿にしてるのか?」
「ううん。でも、そういうとこがかわいくて好き。私の初めての男に、私の名前もあげる」
最後の夜は甘く
互いの粘膜が記憶した全ては、湿った音の中へと溶けていった。
そして今、ナツユキはシステムに一体化する。
――エアダイバー・システム。
制宙権と制空権を抑えられた中で、敵地の奥深くへ侵攻、拠点を破壊するための新機軸兵器だ。回避不能、防御不能、そして恐らく、迎撃も不可能。
戦争で先鋭化した科学技術でさえ、深海深く忍び寄る原潜を確実に補足するのは無理だ。旧世紀の時代よりさらに探知は困難になり、海軍力の中心は海中艦隊にシフトしつつある。
そして、戦略原潜から放たれる弾道ミサイルはほぼ完全に無力化できるが……では、そのミサイルが有人の強襲可変機だとしたら?
これからそれを実践してみせようとする訳だが、ナツユキは笑ってしまった。
「フッ、狂気の沙汰もいいところだ。ようするに、大規模なテロ用の舞台装置って訳か。数を揃えれば原潜艦隊は探知されやすくなる、だから単艦行動での完全な奇襲作戦……それでは、コストと戦果が見合わない。だが、暗殺や象徴的なテロなら、話は別だ」
システムは完璧に作動している。
ナツユキを音速で天空へと押し上げるべく、母艦のアバドンが浮上を始めた。
エアダイバー・システムのためにナツユキに与えられた愛機、それもまた試作中の機体を流用した急造仕様だ。月ロケット並のSLBMの中で、ナツユキと共に眠る白亜の翼……あの少女と、同じ色の愛機。
開発ナンバーは潰され、ペットネームすらない。
そんな愛機を、ナツユキはいつからか彼女と同じ名で呼んでいた。
カウントダウンが始まる中で、彼は小さく呟く。
「さて、飛んでみるか……ストレーガ。革命を俺は信じない、世界はなにも変わらない。でも……革命を今でも信じるあの娘を、俺は信じて飛ぶことができる」
瞬間、カウント・ゼロと同時に強力なGが襲った。
計器のパネルに目を配りながら、薄暗い耐圧シェルの内側でナツユキは操縦桿を握る。ほぼ全て、オートで弾頭はナツユキを運んでゆく。あまりにも非常識なアウトレンジから、目標地点へと放たれた必殺の一矢。
白い少女と同じ名の翼が、
大気圏上層を突き抜けた瞬間、ナツユキは無重力を感じながら、祈った。
大気圏再突入をオペレーターが告げてくる。
その声がノイズの中で揺れて消える。
そして、ナツユキは戦場の空に放たれた。
「……シェル・ブレイク。パージ……主翼展開、ブーストッ!」
今、眼下の世界は震撼した筈だ。
混乱が手に取るように伝わってくる。
突然、自国の防空網の内側に、敵機が出現した。
まるで無から生み出されたように、発生したのだ。
高度四万メートルをマッハ8で飛ぶ、明確な敵意と殺意を乗せた翼。
それでも、高度な迎撃システムが仕事をし始める。ナツユキへ向けてあらゆる対空兵器が向けられた。戦略爆撃ですら完全無欠のドクトリンではなくなった空を、無数のミサイルとビームに狙われながら、白い翼が飛ぶ。
アラート音と同時に、ナツユキは増速……殺到する死へと飛び込んでゆく。
脳裏にあの声が響いて、訓練された肉体は勝手に反射で機体を操った。
『世界を変えて……変わらないならそれでもいいの』
乱れ飛ぶ対空ミサイルの信管が、速過ぎるナツユキの機体を捉えられず、すれ違う。照射されたビームの
熾烈な負荷に耐えながら、ナツユキは機体を操り続けた。
既にもう、高度計は見ていない。
逆落しに吸い込まれてゆく先に、大地。
小さな点でしかなかった陸地から、無数の光が舞い上がる。
スクランブルで上がってくる敵機の頭を抑えて、ナツユキは吠えた。
『なにも変わらない世界へと、今を変えて』
「変わるのは、俺。そしてお前だ……ストレーガ!」
スピードを殺さず、そのまま加速してゆく。
上がってきた機影は、全部で三機。接近と同時に変形するや、各々に銃を構えてナツユキへ向けてくる。射撃用レーダーの照射を浴びながらも、構わずナツユキは変形レバーを押し込んだ。
死を運ぶ白い鳥は、その姿を
変わらぬ世界を変えるための姿へと、変形する。
僅か一秒にも満たぬ刹那の接敵、あっという間にナツユキは敵機を叩き墜した。ストレーガは変形自体をエアブレーキに急減速、同時に放ったビームがミシン目のように空を走った。
全ての迎撃機が火を噴く、その光景すら音の速さで遠ざかる。
「なにが変わるか、俺に見せてみろ……ストレーガッ!」
絶叫と、咆哮と。
ウェポンベイからありったけの火力を解き放った、次の瞬間に鳥は舞う。
飛行形態での垂直上昇で、背に巨大な爆炎を感じながらナツユキは
そこには、いつもと変わらぬ
打ち出されて撃ち込まれ、奇襲と同時に離脱して飛ぶ、それだけの翼。僅かな時間での電撃戦は、世界中で軍事アナリストたちを慌てさせ、ハリウッドで映画化され、そして誰もがすぐに忘れていった。
死を呼ぶ白い魔女が、この後もテロ組織ストレーガで運用された記録は、ない。
国連軍は同種の兵器および戦術への対抗措置、抑止力として、極めて類似性の高い原潜母艦とセット運用のエアダイバー・システムを海軍に導入した。
白き魔女の可変強襲機を用いたテロは、センセーショナルな話題として広がり、風化して、消えていった。
今も変わらず、世界は戦火の中で互いの未来を奪い合っている。
なにも変わらず、革命は始まらない。
真っ白な少女が革命の魔女として、若き天才パイロットと共に歴史の表舞台に出てくるのも、まだまだ未来……そして、その先の可能性でしかなかった。
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