ACESシリーズ

はじめに

『ACESシリーズ』…情緒も感情もなき、翼

 日本には『メカデザイナー』という仕事が存在する。アニメーションや漫画、ゲーム等に登場するメカニックを、その世界観や設定を加味した上で相応ふさわしいものをデザインする仕事だ。

 そして、おおむね『』と同義である。

 勿論、搭乗ロボット以外のメカを担当するデザイナーさんも多数存在する。

 『劇場版機動警察パトレイバー2』では、カトキハジメ氏がカナード翼のついた自衛隊機F-15のデザインなどを担当した。勿論、登場する98式AVイングラムのデザインは、昔ながらの出渕裕いづぶちゆたか氏である。他にも、架空の艦船や戦車、乗用車から重機まで、メカデザイナーさんは色々なものをデザインする。最近では、美少女プラモデルや美少女フィギュアといったものをデザインされる方も多い。


 さて、では何故日本では『メカデザイン=ロボットデザイン』という論調が成り立つのだろうか? それは、日本が世界に例を見ない『ロボットコンテンツ大国』だからだろう。基本的にロボットをキャラクターとして描く外国と異なり、日本ではロボットは『世界観』であり『テーマ』であり、『主人公の力そのもの』であって『主人公の相棒』なのだ。そういった意味で、主人公が乗り込んだ状態がキャラクター的に描かれることはある。主人公というたましいともれば、鋼鉄の肉体はいきいきと躍動するからだ。

 しかし、様々な作品に多種多様のメカが登場する。

 その中で、ロボットが異色なジャンルとして扱われるのは何故か?

 それは、ロボットがまだ現実世界から見て『無限の可能性がある、確定していない未来』のガジェットだからだろう。ゲームをやれば架空の戦闘機が操縦できるし、戦車も艦船も現実にあるものの延長としてデザインされるだろう。だが、ロボットは工業用のもの、実際の乗り物の延長であるもの、その他もろもろ多彩な想像の余地がありすぎる。

 操縦方法一つをとっても、人間と同じ五体四肢のある乗り物をどう操るか?

 人間が訓練を経て、思考を超えた反射で動作を行えることはわかっている。

 では、メカでそれができるから、ロボットでも可能か?


 そう考えた時に、ご紹介する『ACESシリーズ』の柏沢蒼海かしわざわそうかい先生がこだわる『メカ≠ロボット』という世界観が見えてくる。このことに一つ、明確な線引きをして創作されている作品は、カクヨムロボ界広しといえども、氏の作品だけではないだろうか。

 柏沢蒼海先生は、作品内に人型から戦闘機型へと変形するロボット、可変強襲機レイダーを登場させている。

 これを『』と見ることはできる。

 しかし、書き手がこだわっているのは『』である点だ。

 例えば、このジャンルには言わずもがな『超時空要塞マクロス』という、押しも押されぬ名作が存在する。1980年台の日本の玩具メーカーレベルでも、ほぼ完全変形に近いトイが作って売れるというのは、それだけ元となったデザインに三次元的な整合性があったということだ。河森正治かわもりしょうじ氏はバルキリーをデザインする時、実際にレゴブロックで作ってみて、矛盾を解消するとも言われている。

 因みに俺は死ぬほど完全変形超合金バルキリーが欲しかった。

 貧乏だから、買ってもらえなかった。


 そして、ガンダムとマクロスでロボットアニメ界は一気に『ミリタリーな演出と世界観によるリアリズム主義』へ傾倒してゆく。いわゆる子供向けのスーパーロボット作品とは別に、大人にも観賞に耐えうる世界観、政治劇、人間ドラマ等を盛り込んだリアルロボット作品が生まれていったのだ。そこでは、ロボットはキャラクターとして扱われず、本当に自動車や戦闘機と同じ『乗り物としてのメカ、兵器としてのメカ』としてのみ描写されるのだ。

 そこが恐らく、柏沢蒼海先生の目指しているところだと思う。

 例えばバルキリーはエンジンのノズルが足(くるぶしから下ね)になるが、そこにこもった熱はいいのか、強度的にそこで地面に立っても大丈夫かと。そういう視点から切り込んでいく物語を、自分一人だからこそ熱意を込めて作り込めるのだ。

 多くの商業作品は、スポンサーやスケジュールの制約を受ける。

 マクロスのバルキリーだって『』でできている。そういう設定に逃げざるを得ない中での取捨択一があって、それでも名作足り得るから素晴らしいのだ。


 そんな訳で、ACESシリーズには途方もない魅力が散りばめられている。世界観やその歴史、奥行きと深さが感じられる。そして、それが全て多元的に複数の方向性から切り取られ、時間軸も戦線も別々のストーリーが多々描かれているのだ。そのどれもが共通の土台を持ち、地続きな過去と未来、一繋ひとつなぎなのである。

 そういう精巧で緻密な世界観の中に、あえて入りたい。

 それは、創作家としての俺の単純な欲望であり、一種の求愛、エクスキューズだ。

 どの作品も、気にいるとその世界観にどっぷり浸かりたくなるのだ。

 自分の子たるキャラクターを送り出し、そのキャラに味わってきて欲しくなる。これだけあなたの作品を気に入ってしまった、ゴメンナサイお邪魔しますよ、という感じだね。


 で、ぶっちゃけて言うと毎度ながら、上手く原作のティストや世界観に調和できているかというと、そうでないことの方が多い。拙作に登場する白き魔女、この不思議な女性ストレーガ(Strega、イタリア語で"魔女"の意)は、恐らく現代ですらいないであろう『イデオロギー的な反体制、反社会的テロリスト』だ。もう、読者の中には『世界同時革命せかいどうじかくめい』なんて単語は知らない世代が多いと思う。

 ACESシリーズの世界観は、近未来だ。

 すでに現在、イデオロギーによる国家対立は失われて久しい。

 社会主義も共産主義も、それを思い描く人の想像にしか居場所がなかったのだ。そして、そうした主義思想をうたう国家は全て、ひんけば『ただの独裁国家』だったという歴史がある。平等な再分配とか幸福な共有社会というのは、エゴと欲を持つ人間には不可能なのだ。

 だから、ACESシリーズの世界観では、ストレーガは異質である。

 正気なのか狂っているのかすら、怪しい。

 そして、戦争が存在して兵器の供給が繰り返されてる作中では、彼女にも狂って見えるだけの理由があるのだと思う。そこは是非、原作が語られつづられる中で、たまーに思い出して想像してもらえると嬉しい。

 一人の女の子が狂っていることで、誰が得をしているのか。

 潜水艦発射弾道ミサイルSLBMに強襲可変機を詰めて敵陣に突っ込ませるという、狂気の産物を誰が喜ぶのか。

 そいつは必ず、絶対に確実に……ACESシリーズの世界のどこかに存在するのだ。

 何故なら、現実の世界リアルにもその悪意は存在し、故にリアリズムをもって再現された……あえて『』と表現するべきACESシリーズの中に、今も生きているのだろう。


ACESシリーズ(柏沢蒼海)


・ACES ~極東の翼達~

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881500912

・ACES ~Last Mavericks~

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883196449

・ACES ~グランド・ウォー~

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882664288

・ACES ~オペレーション:ライジングサン~

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882664218

・ACES ~Dead Mans Chase

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881728505


敬称略

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