天翔けるオールワークス・メイデン

無敵のオールワークスメイド

 於呂ヶ崎オロガザキ家の豪邸には、常時百名近くのメイドが務めている。

 伝統的な英国のジェントリのように、メイドたちは全てハウスキーパーと呼ばれる管理者によって統制されていた。チェインバーメイドにレディースメイド、ハウスメイドが毎日忙しく、それでも優雅に働いている。

 だが、そんな侍女たちの中に、一人だけ奇妙な少女がいた。

 年の頃は17か18か……この屋敷の御令嬢とそう変わらない。

 褐色の肌に整った顔立ちも、真っ白な髪も特徴的だ。

 なにより不思議なのは、彼女がオールワークスメイドだということだ。通常、オールワークスメイドとは、複数のメイドを雇う経済力がない屋敷にいるものである。

 そう、彼女の名は――


「グリーゼさん! ちょっと、グリーゼさん! いいからこっちにいらっしゃい」


 ハウスキーパーのミズ・マーサが甲高い声を響かせる。

 うららかな冬の午後、広い庭でグリーゼと呼ばれた少女は振り返った。その視線の先には、弱い日差しを受けて歩み寄る初老の女性。この於呂ヶ崎邸でメイドたちを監督するミズ・マーサは、今日も神経質そうに片眉を震わせていた。


「グリーゼさん、なにをやっているのかしら?」

「あ、はい、ミズ・マーサ。枝の剪定せんていを……以前、少し気になると大旦那様おおだんなさまが」

「グリーゼさんっ! そういうことは庭師にわしに任せて頂戴!」

「で、でも……アタシは、その、オールワークスメイドですので」

だまらっしゃい! なんですか、もう……この於呂ヶ崎家のメイドともあろう者が、そんな物騒なものを持って」

「これですか? ジャパネットタニタで買ったんです。よく切れるんですよ、高枝切鋏たかえだきりばさみ。オプションで20mまで延長可能ですし、先端をノコギリやドリル、パイルバンカーに――」

「グリーゼさんっ!」


 かみなりが落ちた。

 グリーゼは内心、しまったと思ったがもう遅い。かんかんに怒ったミズ・マーサは、湯気を吹き出さん勢いで顔を真赤にしている。あちゃー、と顔を手で覆いつつ、もう遅いとは思ったがグリーゼは高枝切狭を背に隠す。

 その時、彼女のエプロンがポケットの中で携帯電話を歌わせた。

 今時ちょっと見ないクラシカルな二つ折り携帯が、特殊なメールの着信を知らせていた。この曲はテクラ・ボンダジェフスカ=バラノフスカの作曲した『乙女おとめの祈り』だ。そして、この旋律でグリーゼを急かす人物は一人しかいない。


「ミズ・マーサ、すみません、あの……し、失礼します!」

「ちょっと! お待ちなさい、グリーゼさん!」

「あっ、とっとっと……ミズ・マーサ、これを。よかったら使ってみてください、お貸しします。凄いんですよ、どんな枝もサクサク切れますから。それじゃ!」

「グリーゼさん……今日という今日は! 許しませんよっ、グリーゼさんっ!」


 両手でスカートをつまんで、グリーゼは高枝切鋏をミズ・マーサに渡すや走り出した。向かう先では同僚のメイドたちが、クスクスと笑いながら見送ってくれる。於呂ヶ崎家では皆、グリーゼを妹のようにかわいがってくれてる先輩たちだ。


「ほらほら、グリーゼ! ミズ・マーサがおかんむりよ? 逃げるなら急いで急いでっ」

「また大旦那様でしょう? ホント、大変よねえ……オールワークスメイドって」

「他の仕事は私たちでやっておくわ。気をつけてね、グリーゼ」


 一度だけ足を止めて、足踏みしながらグリーゼは先輩たちへ頭を下げる。そうして再び走り出すや、彼女は己にトップギアを叩き込んだ。

 一介のメイドとは思えぬ脚力で、彼女は庭の隅にある古ぼけた納屋なやへと飛び込む。

 その奥へ進んで、傷んだ床板の一部をコンコンと爪先で叩いた。

 瞬間、立体映像が解除されて円形のパネルが足元に現れる。丁度、人が一人立てる面積の金属板を踏めば、あっという間にグリーゼは地下の極秘格納庫シークレットハンガーへと吸い込まれた。

 その先はもう、雑多な臭いと異音が入り交じる戦場の空気。


「目標、レンジ2へ侵入! 市内へは300秒後に到達します」

「ハッチ開放、整備員は退避! 射出シーケンス、最終安全装置解除」

麗美レイミ御嬢様の帰宅を確認、今日のおやつを食べつつ格納庫へ移動中」

「今日のおやつは銀座の名店、とらやの羊羹ようかん! くりかえす、今日のおやつは――」


 多くの整備員が行き交う中で、タラップを駆け上がるグリーゼ。彼女はいつものように、モノクロームのメイド姿のままで愛機のコクピットへ滑り込んだ。

 華奢きゃしゃ矮躯わいくを吸い込む闇の中で、無数のモニタとメーターが光をともしてゆく。その明かりの中で、素早くグリーゼはハーネスでシートに自分を固定した。同時に機体チェックをしつつ、頭のヘッドドレスから隠されたインカムを引っ張り出す。

 すぐに、彼女が大旦那様と呼んで敬愛する老人の声が響いた。


『グリーゼ、敵が近付いておる。データの収集と牽制、時間稼ぎをいつものように』

「はい、大旦那様」

『それと、庭の松はどうなったかな? 少しばかり自己主張が過ぎる枝ぶりだったが』

「それとなく、ほどほどに剪定しておきました」

『それは結構。あとでまた部屋に来てくれたまえ。明日までにスピーチの原稿が三本、それとフランス語への翻訳が必要な論文があってな。あと、今夜の晩酌ばんしゃくの時、美味うまい柿の葉寿司が食べたいのだが』

「承知いたしました、大旦那様。後ほどお部屋におうかがいします! ではっ!」


 操縦桿を握って計器に目配せすると同時に、サブモニタに映る誘導員がゴーサインを出した。コンディション・オールグリーン……迷わずグリーゼは、愛機へとむちを入れる。

 あらゆる仕事をこなすオールワークスメイド、グリーゼだけの仕事。

 それは、ヴァーミリオンと呼ばれる謎の敵の、データ収集。そして、親愛なる於呂ヶ崎麗美御嬢様が出陣するための時間稼ぎだ。そのための装備と機材は、グリーゼにしか扱えない。


「進路クリア! グリーゼ、いきますっ!」


 微動で震えるコクピットにグリーゼを内包したまま、鋼鉄の機械天使キューピットが外へと飛び出す。カタパルトから打ち出された全高20m程の奇妙な機体が、まばゆいロケットモーターの光で蒼穹そうきゅうへと舞い上がった。

 その名は、

 人の姿を象る上半身に、脚の代わりに無数のブースターとプロペラントタンクを生やした天空の魔獣姫スキュラだ。ユースティアの建造時に作られたたとされる、技術検証用の上半身は優美な乙女像のよう。実験用なのでサイズは小さく、ユースティアの半分しかない。そして下半身は、巨大なノズルが並ぶロケットモーターの集合ユニットだ。

 その名の如く、天秤ライブラのように両肩に丸いレドームが並んでいる。

 武装は右手で保持する超々ロングバレルのレールガンと、各種ミサイル、そして頭部バルカン。ユースティアの出撃まで敵を足止めし、あらゆるデータを戦闘記録ライブラリへと溜め込むための機体だ。


「敵は……いたっ! 直上、雲の上っ!」


 急上昇でライブラスが雲を引く。

 僅かな時間で成層圏流域まで突き抜けたライブラスは、降下中の赤い敵意をとらえた。

 数は、一。

 即座にグリーゼは、フットペダルを踏みつつ操縦桿を押し込む。各種ブースターの推力だけで浮いてる機体は、獰猛どうもうな爆発力で光を引きながら飛翔ひしょうする。

 強烈な加速のGでシートに押し付けられながらも、グリーゼは近づくヴァーミリオンのあらゆるデータを収集した。サイズと形状は過去の襲撃時に記録されているが、全く同じ種類だとは限らない。

 なにより、あらゆるセンサーの数値が人類の常識を拒絶してくる。

 まるで人類そのものを拒絶するかのような、異常な存在。


「うわー、亜音速で降下中だけど……なんの推力も使わず制動をかけて減速してる。重力波は現状の装備では観測できないけど、なんだろ? 謎パワーで動いてるのかな」


 雲海うんかいを突き抜けて、地上へとヴァーミリオンは降りてゆく。

 後を追いつつ、迷わず照準を重ねてグリーゼは銃爪トリガーを押し込んだ。レティクルが捉えた敵機の背後に、超電導で加速された劣化ウラン弾が吸い込まれる。ライブラスの全高を遥かに超える長銃身のレールガンは、一度の出撃で最大14発の射撃が可能だ。それ以上は銃身が加熱限界を超えて持たない。

 しかし、釣瓶撃つるべうちに放たれるつぶてを全て、ヴァーミリオンは異常なマニューバで避ける。

 それを追うグリーゼを、地球の物理法則が襲った。

 鍛え抜かれた心肺機能と肉体がなければ、あっという間にブラックアウトしていただろう。パイロット用の耐Gスーツではなく、彼女が着ているのはメイド服だから。


「っっっっっっ……っはあ! こん、のぉぉぉぉぉ!」


 不規則な回避運動を繰り返しながらも、ヴァーミリオンは地上へ向かう。

 追いかけるグリーゼの、ライブラスの最大加速をあざ笑うように遠ざかる。

 これ以上の追撃は、地表への墜落、激突を意味していた。今、逆噴射で立て直さなければ危険である。同時に、無数の貴重なデータが吸い上げられて、御屋敷へと転送されていた。

 だが、まだ少しばかり時間を稼がなければいけない。

 ユースティアがこの空に現れるまでは、足止めしておかなければいけない。


「んんんんっ、制動! 逆噴射! 同時に……全弾、持ってけーっ!」


 激しい衝撃で、逆方向へGが掛かって機体が震える。奥歯を砕かんばかりに噛み締めながら、グリーゼはありったけのミサイルをウェポンベイから発射した。白い煙を引き連れ、無数の猟犬ハウンド狩人ハンターから放たれる。

 だが、ヴァーミリオンはさらなる嘲笑を重ねるように、不自然な揚力ようりょくを得た。

 まるで不出来なCGを見ているかのように、ふわりと敵が巨体を浮かばせる。ヴァーミリオンの周囲では、急激な回避運動についていけなくなったミサイルが全て爆発した。空気との摩擦やGに耐えきれず、自爆したのだ。

 その爆煙の上で今、ゆっくりとヴァーミリオンが振り返る。

 既に高度は5,000mを切っていた。

 そしてもう、武器は頭部の固定武装である40mmバルカンしかない。


「やばっ! ……大旦那様!」


 目の前に敵意が、殺意が迫る。真っ赤に輝く、それは血の色。無機質な異形の殺戮装置が、まるで瞬間移動するように肉薄してきた。

 グリーゼはこの時、初めて体験した。

 死の間際に人が見るという、記憶の走馬灯。

 白い壁の研究施設と、ナンバリングされた自分と……引き取ってくれた最愛の老人の笑顔と。刹那せつなの瞬間が無限に引き伸ばされる中で、最後に思い出されたのはやはりあの人だった。於呂ヶ崎亮二郎オロガザキリョウジロウは常に余裕を欠かさず、泰然として揺るがぬ紳士で、そしてなにより優しかった。

 その面影に永遠の別れを告げようとした、その時。

 不意にモニタを覆うヴァーミリオンが静止する。

 そして、その異形の巨躯に巨大な穴が穿うがたれた。

 それは、真下から発射されて貫いた弾体……否、必殺の一矢たるだった。

 不意に公共広域周波数オープンチャンネルに声が割り込んでくる。


『御嬢様、敵が動きを止めました! 今です――』

『お下がりなさい……私は少し、激怒しています! エンブレムズフラッシュ!』


 地上に今、午後の朝日が燃え上がる。払暁ふつぎょうにも似た苛烈かれつな光が天へと昇った。

 そのまばゆい輝きの奔流ほんりゅうは、正確にライブラスに迫ったヴァーミリオンだけを包み、飲み込んでぜた。

 同時に機体を急反転させ、残った推進剤でグリーゼが風になる。

 後部カメラで拾った映像には、大地に立つあおき巨神が映っていた。それは、最近この街でヴァーミリオンから民を守る、女神の名を冠した鋼の防人さきもりだ。


「た、助かったあ……また麗美御嬢様、悔しがるかな? うう、ごめーん」


 於呂ヶ崎家で唯一のオールワークスメイド、ありとあらゆる仕事を引き受けるグリーゼにも、どうにもならないことはある。今日も無事に帰還できそうな彼女を待っているのは、スピーチの原稿作成にフランス語の論文翻訳、銀座で有名な柿の葉寿司を買うお使い……そして、出撃の機会を失った麗美御嬢様に御機嫌をなおしてもらうという大仕事だった。

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