それを悪魔は希望と謳った

 U3Fの追撃部隊は、母艦を直接攻撃されたことで後退していった。

 幸運にもリットは、初陣ういじんの中で唯一ただひとつの生命いのちを拾った。こうしてまた生きてノーチラス号に帰れるのは、ひたすらに運がよかったとしか言い表せない。

 ただ、預けていた背中を分離させる灰色の悪魔付きは違う。

 自分と同じ名の組織を率いる女性は、その卓越した操縦技術と経験で全ての生命を救っているのだ。そして、それに倍する以上の数を死へいたらしめている。


「そういえばさっきの、あの回線の声は……あれは」


 敵のエースパイロットは確かに言っていた。

 と。

 もしかしたら、それがマスティマの名を背負って歩く少女の名前なのかもしれない。だが、そのことを確認することがためらわれた。

 そうこうしている間に、リットもアモンを着艦させる。

 全ての機体が収容されると、格納庫ハンガー内に空気が満ちて与圧が完了した。

 すぐにコクピットを降りれば、周囲には人だかりがあふれている。


「リットォ、怪我はないか!」

「吐いていないな? 大惨事だって何だって、生きてりゃいいんだからさ!」

「おいそこ空けろ! 押すなって!」


 英雄の凱旋がいせん、という雰囲気ではない。

 だが、自警武装組織じけいぶそうそしきマスティマの者達はあっという間にリットを取り巻いた。そして、その中から自然と道が開けてゆく。

 気付けば人の輪の中で、リットはバリスと再会していた。

 両脇を軍服姿の男達に支えられたまま、バリスは目を伏せ小さくつぶやく。


「連中は、お前を……リットを、助けてくれるって言ってた。マスティマは反乱軍で、それはカティアさんもずっとそう言ってて。でも、でもな、リット。俺は……」


 悔やむ気持ちがあるからだろうか。

 自分の弱さをさらけ出すように、バリスは声を湿しめらせた。


「いい暮らしができるって、さあ。コロニーの中に家もあって、生きるか死ぬかじゃなくてさ……そういう暮らしってさ、普通の生活で。……でも」


 リットが近付くと、男達はバリスの拘束をいてくれた。

 その場にひざをつくバリスに、リットも屈み込んで肩に触れる。

 長らく長距離惑星間航行船ちょうきょりわくせいかんこうこうせんの船員同士、同じかまの飯を食ってきた仲間だ。そのバリスが泣くところを、リットは初めて見た気がする。


「バリス、誰だって楽をしたいし、いい暮らしがしたい。でも、そのためにしいげられる人がいちゃいけないんだ。それがわかっただけでも、収穫だって思えるさ」

「俺は……ッ! 連中の言葉に乗せられて。でも、お前やカティアさんを助ける意味もあるからって……そう言い訳が立ってしまった。そのことで、俺は!」

「それはとりあえず終わったことさ。罪があるならつぐなえばいいし、罰を求めるなら僕と一緒にあがなおう。少し休んで、これからのことを考えなきゃ」


 周囲の大人達も皆、何も言わなかった。

 そして、そんな人の壁の中から、小さな矮躯わいくが飛び出してくる。人混みをこじ開けるようにして、無重力の中をカティアがエプロン姿でやってきた。まるで転がるようにして二人のところまで来ると、彼女はバリスへと詰め寄る。


「バリス、無事だったか! その、私も先程経緯を聞いた……本隊は、まさか……そんなことをするのが今のU3Fなのだ。一部の者の腐敗が、信じられぬ程に広がっている」

「カティアさん……俺」

「どうすれば私は、あの組織を救える? 何故、軍事力を任されながら、連中はそのことを既得権益きとくけんえきにしようとするのだ。これでも私は、その中から変えることができるのか? ……すまない、バリス。リットも、まことにすまない!」


 珍しく弱気なカティアに、リットも周囲も押し黙るしかない。

 U3Fの一部は、腐敗と不徳の中で根腐れしている。そして、そのことで被害を被るのは、常に現場の人間と民間人だ。守るべきものためではない戦いで、若者の生命が消費される。守ってくれるはずの軍人に生命を脅かされる市民も出てきてしまう。

 そうした中で、法に則った手段をと訴えてきたのだカティアだ。

 だが、その法を自分のために守っているのがU3Fの上層部で、その中へ取り込まれてしまうと……それは、バリスの先程の行動が全てだった。

 そして、涙の玉と一緒に浮かんでしまうカティアを、ひょいとつまみ上げる手があった。


「諸君、ほぼ全員揃っているな? ブリッジと各区画にも通信を。私はマスティマです」


 そこには、以前と変わらぬ凛々しい表情のマスティマが立っていた。

 パイロットスーツは上だけ脱いで、それを腰元に結んでいる。くびれた柳腰やなぎごしあらわなインナー姿で、肩から軍服の上着だけを羽織はおっていた。

 彼女はカティアをゆっくり地面に降ろすと、周囲を見渡し話し出す。


「先程の戦闘をもって、我々自警武装組織マスティマの木星圏での任務は完全に果たされたものと認識します。U3F本隊は我々を脅威と認め、必ず殲滅に向けて部隊を動かすだろう。つまり……その時、我々を追ってくる追撃部隊こそが、私兵となり果てた者達の集団ということになる」


 嘘だ。

 リットは直感で察したが、口を挟まなかった。

 確かに、マスティマの脅威を感じるのは、後ろめたさがある一部の支配層だ。しかし、

 これから先も、マスティマとその仲間達が手にかける生命は、何も知らない前線の兵士達なのだ。

 だが、その中から現状への疑問が生まれればどうだろうか?

 それを安全な場所から見ているだけの上層部に、誰かが猜疑心さいぎしんを抱けば?

 無論、そのために消耗していい犠牲など存在しない。

 だが、それだけ木星圏、人類の生活圏に根ざした軍部と企業の癒着ゆちゃくは広いのだ。底知れぬ闇の中では、誰がどれだけ利をむさぼってるかすら見えてこない。


「我々マスティマは予定通り追撃部隊を引き連れつつ、火星、そして地球の月へ向かう」


 マスティマの言葉に、誰もが「おお!」と顔を見合わせた。

 どうやら大きな作戦が控えているようだ。

 ノーチラス号は古いが、巨大な惑星間航行船である。船乗りの練度や積載量にもよるが、長い船旅になるだろう。そして、リットはすでに自分もそこに向かうということに違和感を感じなかった。

 世界の一員でいられた、それは今もかわらない。

 ただ、世界への接し方が変わってしまった。

 自分には役割が与えられ、その視点から見る世界の側面がわかってしまったのだ。その策謀と戦いの渦の中に、その真中に何があるのか……確かめようとしている人がいる。

 自らの名さえ捨てて挑む人の、その背中を守る仕事が与えられた気がしていた。

 マスティマははっきりと通りの良い声で、仲間達の頷きを視線で拾いながら語る。


「ヒューロス提督が計画していた通り、今後も我々マスティマはU3Fやインデペンデンス・ステイトの末端、根腐れした患部とは戦う。だが、我々がそうであるように、各組織の中にも良心と善意は必ずある。その全てと繋がる時は来た」


 マスティマはそれを希望と呼んだ。

 自分達がU3Fから決意を持って離反したように、多くの組織はその中に自浄作用を持っているとも。それを信じるからこそ、呼び合い惹かれ合うようにして意志と意志とが結びつこうとしている。

 長い混迷の時代は、その果てに人間の良心を試そうとしていた。

 よかれと思う者達の希望は今、更なる出血の中で……血で血を洗うような緋色ひいろの世界を救おうと試みている。そう思って善処することを、躊躇ためらってはいけない時期がきていた。


「12時間後、改めてマスティマ構成員の全員に意思を確認する。木星圏外苑、リングの中のデブリ帯で最後の補給時……希望者は下船を許可します。例え船を降りても、各々がそれぞれ良かれと思って行動すれば、それは手段を間違えない限り立派な戦いだと私は思っていますので」


 周囲が慌ただしくなる中、最初に声をあげたのは意外な人物だった。

 手の甲で涙を拭うと、カティアが声を張り上げる。


「私は同行させてもらう! マスティマ、お前がマーレン大佐の理想を体現し続けるならば……私がそのことを確かめさせてもらう。私は……お前が道を外せば、後ろからでも撃つ!」


 男達がどよめく中で、小さなカティアが潤んだ目でマスティマをにらむ。

 突き刺すような視線を受け止めて、静かにマスティマはうなずいた。


「私を含め、誰もがいつかは裁きを受けるでしょう。その時は、貴女あなたに私の全てをたくすことをお約束します。その目で見て、耳で聴いて、感じる全てで世界を受け止めてください」

「……そうまでしてお前は戦えるのか? マスティマという名の奥の、お前は」

「私は一人ではありません。マスティマは皆の名で、貴女がこれから生命を共にする名だ。だから……少年達、リット君とバリス君も、それは同じだということにしたいのです」


 意外そうな顔で自分を指差し、跪いていたバリスが驚きの声をあげる。

 だが、やはり周囲は何も言わず、そのまま解散となる。

 誰もが忙しい中、新たな戦いに向けて自分の仕事に戻り始めた。

 リットはバリスを立たせつつ、急いでマスティマの背に問いかけた。

 だが、彼より早くメカニックの面々が彼女を取り囲む。


「マスティマ、モード・アウゴエイデスを使ったそうですが!」

「やっぱり、予想外のエネルギー量です。とてもじゃないけど、多用は」

「アモン側のバイパス系、全部溶けかけてます! オーバーホールですよ、これじゃあ。ホロウリアクタ、やはり我々の手には負えない力です」


 いちいち一人一人の言葉を聞きながら、細かな気配りを見せつつマスティマは行ってしまった。

 だからリットは聞き損ねた。

 バリスのこと、カティアのこと、これからの自分のこと。

 そして、エンテ・ミンテという少女のことを。

 だが、一度だけ肩越しに振り返って、小さくマスティマは笑った。

 それはどこか諦観ていかんの念を感じながらも、同じ世代の少女のような笑みだった。


「そうそう、リット君。……ウォーバットとアモンのデータレコーダーを処理しておいてもらえないだろうか。戦闘データを回収して、

「! ……は、はい。でも、あの」

「わかっている、何も言うな。……君にも後ほど、アイスクリームをご馳走しよう」

「へ? いや、そういうんじゃなくて」

相棒あいぼうへの口止め料というやつだ。だが、チョコレートと抹茶まっちゃは駄目だぞ? 君にはマロンクリームのやつをやろう。では、後ほど食堂ででも」


 それだけ言って、彼女はスタッフと打ち合わせをしながら去っていった。

 部外者三人組が揃って、拘束も監視もない中で取り残される。既に周囲は普段通りの仕事を取り戻しており、リットも整備班の主任に呼ばれていた。


「えっと、じゃあ……バリス、は、どうする?」

「あ、ああ、いや。俺にこう、何か、罰みたいなのは。なあ、カチュアさん」

「ばっ、馬鹿者! 私に聞くな! 気になるなら自主的に営倉えいそうにでも入っておけ。私はこう見えても、食堂の仕事で忙しいのだ!」


 こうしてリットは再び歩き出した。

 星々の大海を渡る船の中で、その波に揺られて行き来するだけの生活は終わった。その波濤はとうの中に見え隠れしていた、海底に潜むものをもう知ってしまったから。

 多くの者達が集まる戦いの海へと……リットを乗せた希望の方舟はこぶねは静かに進み始めていた。

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