彼女が愛した超電磁弾体加速装置
だって彼女は狂い終えているから
稜線を縁取る残照の赤色が、
だが、ミステル・アーベントは過ぎゆく一時、一瞬を惜しんで走っていた。今、彼が駆ける
山と海とに挟まれた、小さな小さな土地の研究所。
それが、二つの超巨大国家、エークスとゲルバニアンが構築した前線の始まりにして終わり、端っこだ。辺境と言ってもいい。この土地にミステルの属するエークスが極秘の研究施設を作ったのも、もう何年も前だ。
ミステルは他の研究員たちと合流し、桟橋の上で最後の確認を取る。
「資料の焼却は? データも全てバックアップの後に消去だね? やってくれたんだろ!」
「はい、ミステルさん! でも、これで研究に遅れが……無念です」
「生き残ってこそ、だよ。今はなりふり構わず逃げよう! 研究室のメンバーは全員いるね? すぐに出港するだろうし」
「それが、ミステルさん……あの」
目の前のそばかすばかりが目立つ女性研究員が、おずおずと言い難そうに言葉を濁す。それでミステルは、周囲を見渡し
一人、足りない。
これから避難しようという同僚の数が、合わない。
そして、すぐに知れる。
この場にいない唯一の人物は、この研究所の最重要人物……そして、最も忌み嫌われた変人にして奇人、マッドサイエンティストを絵に描いたようなあの女性だった。
「キルシェ博士がいない、誰か……誰か彼女を――」
ミステルが目を血走らせた、その時だった。
轟音を響かせ、無数の飛翔体が白煙の尾を引いて迫る。
飛来するのは、沖の艦艇から発射された対艦ミサイルだ。この研究施設を捨てて逃げ出すミステルたちを、輸送艦ごと闇に葬り去ろうとする敵意。
振り返り空を見上げた、その時に覚悟した、死。
抗えぬ絶望、逃れ得ぬ終局がミステルには見えた。
周囲が悲鳴と絶叫を張り上げる中で、ミステルは動けず
ミステルは極めて特殊な軍事技術の研究をする軍の技官だから。
「クソッ、避難は……間に合わない!」
赤く燃える夕日を浴びて、真っ直ぐ上昇する対艦ミサイル。
あれが頭上で
だが、その現実は突如として、ありえない可能性によって破壊された。次々と空中で爆散する対艦ミサイルが、爆風でミステルたちの立つ桟橋を大きく揺さぶる。衝撃波で吹き飛ばされそうになりながら、転げて倒れながらもミステルは見た。
そう、目撃した……精密な狙撃で全ての対艦ミサイルを叩き落とした
ミサイルの迎撃とは別の風圧が襲って、小さな港湾施設に激震が走る。
そこには、ジャンプで距離を稼いで着地した巨神が立っていた。
その中からスピーカーを通じて、搭乗者の声が響き渡る。
『……ミステル、そこにいるのかしら? これ、
女の声だ。
そう、女……生と死のシーソーゲームが危険な揺れを見せる、この港に不釣り合いな程に冷静な声。それは、ミステルより年上の落ち着いた女性のものだった。
そして、その優美で
「第三世代型のテストベット……トール
ミステルの張り上げる絶叫に、言葉は返ってこない。
代わりに、彼がトール零号機と呼んだ異形の魔神は、手にする長大な
唯一の武器を棄てたトール零号機は、ミステルが見慣れたいつもの姿で立ち上がった。
『聴こえてるわ、ミステル。怒鳴らないで頂戴。それより――』
「キルシュ博士! 今すぐトール零号機より降りてください! その機体は……」
『敵が、ゲルバニアンの軍が迫ってるわ。使える機材は活用してこそよ? それに……この子は、トール零号機は……私たちの研究成果は、絶対に渡さない』
その機体は、エークスが開発した次世代の人型機動兵器だ。第三世代型と呼ばれる試作実験機の一機で、初期ロッドの中で唯一研究機関に残された貴重な機体でもある。一号機から四号機までは既に軍に納入済みで、今もどこかでデータ収集のための戦闘を繰り返しているだろう。
だが、トール零号機は、目の前で立ち上がった機体は違う。
純粋な研究と実験のための機材として、零号機はG.K.company傘下のこの研究所に残された。今も、
トール零号機から響く優美な女性の声は、心なしか興奮に熱を帯びていた。
『海上の艦艇が接近中よ、ミステル。この施設はもう駄目ね……位置を知られたからには、今を凌いで防ぎ切っても、明日には空爆で地図から消えるわ。地図に描かれぬ極秘施設が地図から消えるというのは、少し皮肉なことかしら?』
「……キルシュ博士、なにがしたいんですか。最悪、投降後に捕虜になることだって――」
『それは駄目よ、駄目……絶対に許されないわ。許さない……
キルシュ・スタイン博士は、この研究施設の責任者で、自らテストパイロットもこなす
真相は誰も知らない。
ただ、毎日長過ぎる白衣を引きずり袖を余らせて、研究に没頭する姿をミステルは覚えている。可憐な少女に見えることもあるし、
年中ボサボサで伸び放題の
飽きもせず実験を繰り返し、自ら零号機を駆る研究狂い……それがキルシュという女だ。
そのキルシュが、輸送艦へとトール零号機を歩かせる。
水へと浸かって海水の波を受けながら、膝まで水没するトール零号機。
『ミステル、沖の艦隊を直接叩くわ……アレを出して頂戴。持ち出しているんでしょう?』
「……は? いや、なにを……どうするってんですか、キルシュ博士!」
『決まってるじゃない、ミステル。アレを試すいい機会だわ。それに……この施設は渡さない。さっき、時限装置を作動させたわ。あと一時間で全てが灰になる。
「く、狂ってる……なにが貴女をそうまでさせるんです」
その時、ミステルは意外な言葉を聞いた。
それは、自分が知る偏屈でズボラでガサツな、おおよそ女性らしいと言える全てと決別した……それでいて尚、魅惑的な美しさを持つ上司の言葉だった。
間違いなく、普段と変わらぬキルシュの声だった。
紡がれる言の葉の、どこにも異常がない。
元から異常である彼女が、普段と変わらぬ狂気をはらんでいる。
それは、敵軍が迫っている緊急事態の中で、おかしな安らぎさえ連れてくる気がした。
『……ミステル、私が狂ってるですって?』
「ええ! ええ、そうですとも! 狂ってる、普通じゃない……」
『根拠は? 証明なさい、ミステル。貴方も科学を信奉する探求の徒ならば、証明を』
「なんの証明が必要ですか! 僕たちは今、極秘施設を嗅ぎつけられて、逃げ出す真っ最中なんです! 資料も灰にしたし、データも消した! あとは逃げるだけ……命があってこそでしょう! ……貴女は、なにと戦ってるんです」
キルシュは軍人ではないし、軍属でもない。
正式な軍の技官であるミステルとは違うのだ。
だが、返答は意外なものだった。
『なにと戦ってるか……それは、なにを相手にして戦っているか、なにが敵かという問かしら?』
「……他になにがあるんですか」
『答は簡単よ。私を邪魔する全てが敵だわ。戦う相手が敵である必要はないでしょう? 結果論だもの。敵だから叩いて潰す、それだけ。そして』
輸送艦の甲板に並んだ物資を物色するように、キルシュのトール零号機が両手を伸べる。
桟橋はもう、押し寄せる波で洗われ、ミステルをずぶ濡れにしていた。
『貴女は、なにと戦っているんです……この問が、"なにと一緒に戦っているんです"というものなら、極めて単純で明快だわ』
「……それは」
『愛よ、愛。人の最も単純で愚かな、至高にして究極の感情……愛。論理と倫理を超えた彼岸の果て、一切の合理を無視した行動原理。それが、愛』
「やっぱり、狂ってる……」
『あら、貴方はまだ正気のつもり? 長引く戦争が巨大な人型兵器を産んで、それを倒すための人型兵器を産み続けているわ。目的も忘れたまま手段のための手段を重ねる中、疲弊し擦り切れてゆく二つの国家……どう? 貴方、そんな現状の一部で自分が正気と言えるつもり?』
今のミステルに、正気を証明する術はない。
そして、キルシュが狂っているとも断言できなかった。
彼女は職員の避難もまだな中、実験室から持ち出したトール零号機で対艦ミサイルを全て撃墜した。さらに、直接沖の艦隊を叩くべく……アレを使おうとしている。
「……電源はどうするつもりです? アレは大食らいの強欲なお姫様だ。こんな状況で正常に稼働するとは思えない!」
『トール零号機の動力に直結させるわ。行動不能になる代わりに、アレと一体化して完璧な砲台となる。ああ、いいデータが取れそうね……あの方も喜んでくれるといいのだけど』
「至急、輸送艦の全電力をバイパスします。……あの方というのは、やはり」
『決まってるじゃない、バルト・イワンド大尉よ』
うっそりと呟かれる声は、飾り窓に並ぶ
わかることはただ一つ……もはや海路を封鎖されつつある中、輸送艦での脱出にはゲルバニアンの艦隊を叩く必要がある。沖へ出るには、その戦力を削がねばならない。
ミステルが手短に指示を出すと、周囲の研究員たちもオロオロと動き出す。
同時に、キルシュのトール零号機は、巨大な物体を輸送艦の甲板から持ち上げた。
『
「キルシュ博士、今すぐケーブルを回します! ……当たるんですか、それ」
『当てるのよ、ミステル。ああ……ゾクゾクしてきたわ。試射もまだなのに、いきなり実戦で戦果を期待できるなんて。ふふ、これならバルト大尉に来月中にもレールガンを送れるかもしれない。ああ、でも待って……火器管制のシステム周りが不十分ね』
巨大過ぎる砲身を、トール零号機が腰溜めに構える。
膝上まで波を被りながら、輸送艦の隣に立つその姿は、
キルシュは手慣れた操縦で、甲板に次々と並べられるケーブルを機体に拾わせる。
無数の電源ケーブルが接続されるや、冷却の白い煙を巻き上げレールガンが震え出した。
キルシュはこの絶体絶命の危機の中、幼子のように声を弾ませている。
『ねえ、ミステル。バルト大尉はどんな方なのかしら……私、一度でいいから会ってみたいの。だから、死ぬ気はないわ』
「僕は生きた心地がしませんけどね」
『彼は最高よ……ほら、前に現場からのレポートがあがってきたでしょう? そう、砂地でのダンパーのリコイル量に関するデータの報告よ。最高だわ……バルト大尉は一流の軍人、そしてパイロット……なにより、トールという名の
ゴゥン! と唸りを上げる砲身を、キルシュのトール零号機が沖へと向けた。
そして、彼女の声が凄みを増して暗く燃える。それは、執念と妄念が互いを燃やして爆ぜる、正気と狂気の因果さえ超越した想い……そして、願いであり、望み。
キルシュの声は徐々に、興奮の中で熱っぽさを増してゆく。
『ターゲット補足、フリゲート艦が3、強襲揚陸艦が2……上陸しての制圧作戦を前提としてる布陣ね。護衛の航空戦力がないのは……ふふ、こっちがただの研究施設とタカをくくってるのかしら。なら、教育してあげるわ』
「キルシュ博士! 輸送艦の全電力を供給確認、フルバイパス! 直結完了!」
『来るなら来なさい、ゲルバニアン……私の研究は、1バイトのデータも渡さない。1枚のレポートも渡さない。バルト大尉とその仲間たち、トールを駆る者たちのなにも渡さない。全て私のものよ……絶対に渡さない!』
瞬間、轟音が響いて空気が激震に震える。
トール零号機が構えたレールガンが、
同時に、吐き出された巨大な空薬莢が海面に落下し、その波で桟橋も輸送艦も揺れる。
『ああ、バルト大尉……私の愛しいバルト大尉! 貴方に私は、常に力を与えて、そして求めるの。もっとよ、もっと……私の作品を、バルト大尉! 貴方が血と硝煙で彩り飾って! バルト大尉!』
第二射と同時に、小爆発が無数に花咲いた。
二発目が再び炸裂する音を響かせると、既に
ミステルが確認するまでもなく、二隻の艦艇を、それも上陸部隊を乗せた強襲揚陸艦だけを撃沈されては、この研究所を巡る攻防は終わったと断言できる。
完全に電装系が破損して大破したレールガンと一緒に、トール零号機は浅瀬の岸壁に沈んだ。片膝を突いて屈み
「……とりあえず、避難を急ぐ必要はなくなった、かな? キルシュ博士、あの――」
『酷いわ、酷い……ミステル、これも貴方の仕事じゃないかしら? たった二発撃っただけで、制御系が負荷に耐えられないなんて! 駄目よ、これじゃあ実戦兵器とは言えないわ。冷却周りにも不具合があるわね、設計の想定を超えるダメージだわ!』
「はいはい、僕です、全部僕です……ハァ、本当にそうだから萎えるなあ」
とりあえず、輸送艦の上では一発逆転の砲打撃戦に歓声があがっている。突然の急襲で脱出を強いられた者たちは、さぞかし
だが、ミステルは間近にトール零号機を見上げて溜息を零す。
コクピットのハッチが開くと、白衣姿の
長い長い蓬髪を手で抑えながら、夜風へと変わる潮の香りに吹かれて……キルシュは悔しそうに親指の爪を噛んでいる。彼女は足元にミステルがいるのに気付くと、身を乗り出してきた。
「理論上は常温で五発、砲身の交換ナシで撃てる筈よ! どういうことかしら、ミステル!」
「はあ……そりゃまあ、試射もしてない代物なので」
「いやだわ、バルト大尉に真っ先に送りたい物だったのに。きっと、聡明で厳格な大尉は
「そーですか、そーですよね……とりあえず、早く機体を輸送船に乗せてください。逃げ出すチャンスです、今のうちに出港しましょう」
「この間もそうなの、レポートへのお返事に私ったら……現場の判断で残された射撃データに、つまらない言いがかりをつけてしまったわ。嗚呼! バルト大尉は思ったかもしれない……なんて小さな女だろう、って」
「実際小さいですよね、キルシュ博士。背丈も胸も」
「……バルト大尉は紳士だと思うわ、関係ない筈。そうだわ! レールガンの実戦配備が遅れるなら、研究中のフローティング・マインを……それとも、ジャイアント・ガトリングガン? いいえ、もっと破壊力と殺傷力を考えれば――」
もはや呆れて言葉も出ないが、ミステルは沈む夕日が水平線の彼方に去った、その紫色の
この日、エークスの秘密研究施設が放棄され、貴重な人的資源は無事に脱出に成功した。
だが、虎の子の試作砲を失ったため、最前線の部隊に大口径の超超長距離狙撃用レールガンが配備されることはなかった。
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