未来への遺産
クロムの寄り道
その街の名は、ジャンク・ジャンクション。
どのテリトリーにも属さぬ、巨大な
多くのテリトリーが、ジャンク・ジャンクションと協定を結んでいる。
不可侵の中立地帯として、多くの失われた技術が研究されている土地だった。
少年は、発掘業を生業とする家の三男だった。
今、広くはないが深い街の、その未探索な最深部へと降りてゆく。
「うわ、もうこんな場所にも同業者のケーブルが伸びてきてる……そろそろまた、彼女を奥へ移さないといけないかも」
ジャンク・ジャンクションは、地底へと延々と続く
年寄りは皆、人類が夢見た夢の、その目覚めを知らぬあとさきだと言う。この地下へと続く巨大な坑道、それ自体が旧世紀の人間たちが作った被造物だというのだ。
少年は信じてはいなかったが、疑ってもいない。
彼女を見れば、そういうこともあるのかなという気がしてくる。
この場所は、遥か太古の昔に星の海から落とされた、宇宙都市だと言われていた。
全長数百キロメートルもの、円筒状の世界が突き刺さって埋まっているのだ。
少年は、まだ発掘と採掘が着手されていない奥へと進む。
ここから先は商売ではない……趣味であり、日課、そして探究心と好奇心が求める場所だった。
「やあ、エルトゥーン! また、来ちゃった。どう? 元気、だよね?」
少年は今、まだ大人たちが入り込んでいない区画で扉を開く。
密閉性の高い合金製のドアの向こうに、薄明かりが裸体を浮かばせていた。水槽のようでもあり、実験室のビーカーやフラスコのようなカプセルがぼんやりと光っている。
その中で溶液に満たされた少女は、エルトゥーンと呼ばれていた。
もう、少年が出会ってから一年近くが経っている。
時々ジャンク・ジャンクションでは、奇っ怪なアレコレが発掘される。その都度、滅びた先史文明の謎が解明され、さらなる謎を呼び込んでくれた。あまりに強力過ぎる爆弾が掘り起こされたり、ウォーカーと呼ばれる巨神がまるまるそのまま発見されることもあった。
エルトゥーンもまた、そんな過去のオーパーツの一つかもしれない。
だが、発見した少年にとっては出会いだったし、彼女はパーツではない。
分厚い硬化テクタイトの容器の中で、彼女は生きているのだ。
「まあ! また、会いに来てくれたの?」
エルトゥーンはふわふわと薄緑の中に浮かびながら、
彼女は数メートル四方の、彼女だけの世界で精一杯少年へと近付いてきた。分厚い容器の透明な外壁に両手を当て、額をコツンと押し付けてくる。
少年もまた、そんな彼女の手に手を重ねた。
抱き締めることすら叶わぬ、数センチ越しの一時。
それでも、少年の淡い恋はずっとときめきを
「エルトゥーン、この間持ってきた本は」
「とても、面白かったわ。全部、読んじゃった……あなたが用意してくれた発明は、とても、凄い。嬉しい……」
「いいだろ? あの、全自動ページめくり機はさ。セットした本のページを、自動的にめくっていくんだけど、コツがあるんだぜ? エルトゥーンの視線をセンサーが拾って、読み終えたらめくるんだ。いやあ、苦労したよ」
「とても、ありがとう……わたし、嬉しい」
「また本を持ってくるよ! エルトゥーンはでも、こんな紙の束が好きだなんて」
エルトゥーンが何者なのか、少年は知らない。
初めて合った時、ぼんやりと輝くカプセルは埋まっていた。周囲には多くの同じカプセルがあって、どれも中身はなかった。全て割れていて、内包していた溶液が僅かに粘り気となって残るのみだった。
運命だと思った。
この場所がなにか、なにをしていた場所なのかは知らない。
ただ、奇跡的にエルトゥーンだけが無事だった。
彼女のカプセルを、苦心して定位置らしき場所に据え、電源を引っ張ってきて繋いでみた。眠っていたエルトゥーンは、そうして目覚めたのだ。
それからは、街の職人団が新たな採掘を進める都度、彼女を守ってきた。
奥へ、底へ……更なる深淵へ。
どこまでも続くかのような、このジャンク・ジャンクションの縦坑の先へ。
何度もカプセルを移動させるたびに、少年と彼女は親密になっていった。
少年はそのことを今、思い出していた。互いに手と手を重ね、額と額を押し当て合う。間に挟まる透明な壁は、体温を伝えてはこない。それでも、隔てられた距離が二人をより強く惹きつけ合った。
「そうだわ、今日は御客様が来ているの……紹介、したいわ」
「えっ? エルトゥーン、人が来たの!? この場所は、僕しか知らないのに」
「安心して、街の職人たちじゃないのよ? あの方は、旅人。
その時、背後で音がした。
振り向く少年の前に、旅装で身を固めた一人の少女が現れる。
「お邪魔しているよ、少年。この場所は随分とまた……よく原型を留めて残っているものだ。八号型のコロニーがまるまる、そのままの形で埋まっている」
「誰だっ! エルトゥーンは渡さないぞ……発掘屋には渡さない!」
気色ばむ少年を見ても、目の前の少女は顔色一つ変えなかった。
ただ、溶液の中で僅かにエルトゥーンが中身を泡立てる。
旅人と呼ばれた少女は、少年の前まで来て名乗った。
「私はクロム、見ての通りの人間だ。……人間の定義にもよるが」
「エルトゥーンを、取りに来たんじゃ」
「興味がない、と言えば嘘になるな。だが、私にとっては珍しい存在ではない。無論、現存して生命活動を継続している個体は珍しいとは思うが。今、この時代ではね」
クロムの話は、少年には半分もわからない。
難しそうな話だが、エルトゥーンが頷いているので、わかったフリをするしかない。勝手にエルトゥーンの庇護者を気取っているからには、それなりに彼女の前では格好をつけたかった。
もし、街の発掘屋や職人たちに見つかれば、エルトゥーンは大変だ。
この街、ジャンク・ジャンクションには協定がある。
掘り出し地上に持ち出した者が、持って帰った全ての所有権を得る。あとは外のテリトリーに売ろうが、解体して調べようが、自由だ。
そして、少年にはまだ……地上へとエルトゥーンを引っ張り上げる力がない。
逆に、その場しのぎで彼女を地下へ地下へと運ぶしかできなかった。
大人たちから遠ざけるために。
「クロム、今日はありがとう……久しぶりに、楽しかった、よ?」
エルトゥーンの微笑みが、クロムに向けられる。
少年は、なんだかちょっと、面白くない。
だが、次の瞬間にはエルトゥーンは、その可憐な表情を
「でも、ごめんなさい……わたしはきっと、眠りにつくのが、最後の方だったから。よく、覚えてないの。あの惨劇のあと、世界がどうなったかも。あなたが探してる、あなたのウォーカーのことも」
「気にしないでくれ、エルトゥーン。私には無限に近い時間がある。ゆっくり相棒は探すとしよう。それより」
クロムは曖昧に笑うと、少年へと向き直った。
そして、じっと瞳を見詰めながら語りかけてくる。
「キミは、エルトゥーンが何者なのか知ってるのかい?」
その問は、一種哲学的で、それでいて少年には特別だった。二人きりだったから、それを問うてくる人間が今までいなかったのだ。
エルトゥーンは何者なのか……そもそも、なんなのか。
だいたいの想像はつくし、他の地域と違ってジャンク・ジャンクションでは太古の旧世紀に関する知識もちらほら解明されていた。
エルトゥーンは恐らく、大昔の人間だ。
彼女が言う通り、未曾有の大災厄を超えるために、カプセルで眠っていたのだ。そして今という時代、巡り逢った少年との
だが、クロムはわずかに片眉を動かし首を傾げる。
「ふむ、そういう記憶設定か……まあ、いい。私も懐かしさを感じたよ。エルトゥーン、すぐに私はここを
クロムは不思議なことを言うと、少年にニ、三の注意を喚起させた。彼女の助言で、必要最低限の電源の数や、エルトゥーンがカプセルの中にいる限りは安全だということがわかった。
だが、そうして挨拶もそこそこに、クロムが立ち去ろうとした、その時だった。
不意にエルトゥーンは、内側からカプセルを叩いて呼び止める。
「待って。待って、クロム……お願いがあるの」
そう言って彼女は、少年を見詰めて、大きく強く頷いた。
そうして、再度ゆっくりと言の葉を
エルトゥーンが発した決意の声は、溶液の中に泡となって立ち上った。
「クロム、あなたは知ってる筈……そして、できる筈。わたしを、このカプセルから出すことができるんでしょう?」
少年は驚いた。
ある程度の知識があって、親に仕込まれた技術を駆使しても……少年にエルトゥーンのカプセルを開封することはできなかった。電子的なロックが幾重にも複雑に噛み合って、今のジャンク・ジャンクションのレベルでは開封は不可能だった。
そもそも、どういう類のロックが掛かっているのかさえ、理解不能なのだ。
だが、脚を止めて振り返ったクロムは静かに言い放つ。
「……エルトゥーン、キミは自分が言っている意味をわかっているのかい?」
「ええ。確かにこの中にいれば、わたしは永遠の時を生きられるわ。そういうふうに守られてる。でも、それはわたしの望んだことじゃないの」
「キミの望み、とは」
「わたし、ずっと彼の前に浮かんでたわ。彼は、いつもわたしを見上げて笑いかけてくれた。でも、本当の私の望みは……彼と一緒に、歩いていきたいの。地に足を付けて、並んで立ちたい。廃惑星となったこの星を、地球を一緒に歩きたいの」
少年の鼓動が、ドクン! と、跳ね上がる。
エルトゥーンがこんなに自分のことを話し、自分の希望を語るのは珍しい。そしてなにより、そんな彼女の言葉がとても嬉しかった。
少年はクロムに駆け寄り、その白い手を取ってさらに手を重ねた。
「俺からも頼むよ! なあ、クロム! あんた、よくわかんないけど……普通の人間じゃないんだろ? ほら、この手……ちゃんと温かいけど、不自然だ。あんた、人間じゃない気がする。この時代の人間じゃ……でも、俺とエルトゥーンにとっては」
クロムは一瞬、とても悲しそうな顔をした。
それが何故だか、少年には理解が及ばない。
「……キミは馬鹿だな、少年。そんなことをすれば」
「街の大人たちからは、俺が守る! ずっと俺が、エルトゥーンを守るんだ!」
「そういうレベルの話ではないんだ。エルトゥーンは恐らく……そのカプセルを出ると、死んでしまう。何故なら彼女は――」
クロムが淡々と話す言葉を、エルトゥーンが遮った。
彼女はいつになく強い言葉で、
「わかってるよ、クロム。わたしは……かつて、滅亡に瀕した人類が、未来に向けて眠りについた時代の人間。地球が再生された時、再び目覚めて歩き出すため……わたしは、わたしたちはカプセルでの永い眠りを選んだの」
「……エルトゥーン、それは」
「だから、クロム。お願い……例え地球の再生がまだでも、わたしは目覚めた。彼に出会ったの。だから……遙かなる清浄な未来より、彼のいる荒廃した今を選ぶわ」
少年は嬉しかった。カプセルに駆け寄れば、エルトゥーンが微笑み頷いてくれる。
「わたし、カプセルの外に出る……
エルトゥーンの言葉に、クロムは諦めたような溜息を零す。
その時の
少年は今、恋が実って愛になる瞬間に歓喜を感じていたから。その先になにが待つか、今という時代と世界がエルトゥーンをどうやって迎えるか……なにも考えていなかったし、想像だにしなかったのだ。
クロムはカプセルに駆け寄ると、基部に並ぶパネルへとタッチした。
少年が見たこともない反応を見せ、カプセルは唸りながら光を無数に浮かばせる。あれだけ少年がいじっても動かなかった、カプセルの制御システムが息を吹き返した瞬間だった。
「エルトゥーン、キミの意思は確認した。後悔もしないと。だが……」
「いいの、いいのよクロム。わたし、カプセルの中で彼を見るだけの毎日は、嫌。彼が読ませてくれた本にもあったもの。沢山の魚が、海から上がって陸で進化したの……その大半が
「キミが出ようとしている外の世界は、新たな新天地ではないよ。全てが終わった、終わり続けて
「それでも、わたしは外で彼と会いたい。会い直したい。この小さなカプセルの中の、
諦めたようで、クロムはその手の指をパネルに素早く走らせる。見たこともない文字が走って、そして……明らかな変化が訪れた。
エルトゥーンを内包するカプセルの中の溶液が、周囲へと排出された。
ゆっくりと、硬化テクタイトのケースが上へスライドする。
そして……少年の前に、生まれたままの姿で生まれ直したエルトゥーンがいた。
彼女は、一歩踏み出し、少年と同じ高さの床に立つ。
「ふふ、あなたの方が背が高かったのね。いつも、見下ろしていたから」
「エルトゥーン! ああ、エルトゥーン……そ、その、触っても、いい? あ、いや! 変な意味じゃないんだ! 勘違いしないで! ……でも、凄く嬉しくて」
「手を……ほら、わたしに触れて。今、わたしたちは同じ
二人は永らく隔絶されていた恋人のように、抱き合った。
だが、すぐに異変は訪れる。
エルトゥーンは少年の腕の中で、突然震え出した。その顔が血の気を失い、あっという間に全身の肌が泡立った。醜い
そして少年は、背後でクロムの声を聞いた。
「……やはり、駄目か。すまない、少年。彼女は……エルトゥーンは、数あるケースの最も多い例……失敗作だ」
エルトゥーンは、悲鳴すらあげることができずに崩れてゆく。彼女は音を立ててボロボロに崩壊して、あっという間に人の姿を象れなくなった。そして、少年が目を見開く前で、影も形もなく消えてしまった。
立ち上る煙の中に溶けてしまった。
そして、クロムの静かな声が響く。
「エルトゥーンは、かつて作られた未来の新人類……地球が清浄な世界を取り戻した時、世に放たれる筈だった次世代の人造人類。でも、この星はまだ」
「……この地球が、まだ汚れてるから?」
「それもある。だが、人が人を創造するということの難しさもまた、事実だ」
「もし、あのカプセルの中にいたら、ずっといたら」
「完璧に調整された培養槽の中であれば、かなりの永い時間を生きただろう。ただ、それは生きていると言えるかどうか……彼女が自分の意志を貫いた結果が、生きていたとは言えるが。ただ、呼吸し鼓動を奏でてるだけでは、それは死んでいないだけかもしれない」
クロムの言葉は、少し難し過ぎる。
そして、エルトゥーンは跡形もなく消滅してしまった。
彼女は、遠い過去の人類が残した遺産だったのだ。どうしようもなく壊れてしまった世界が、再生した時に備えての希望……今、目覚めて外へ出るべきではなかったのだろう。
だが、彼女がそう望んだ。
少年ははばからず、泣いた。
床を拳で叩きながら、泣いた。
クロムはなにも言わず、立ち去ってくれた。彼女を責めることすらできない程に、強く暗い
こうして少年だけが知る、ジャンク・ジャンクションが宇宙に浮かんでいた頃の大いなる遺産は……あるべき未来へと到達するより、今ある中に見出した少年の中へと溶けて消えたのだった。
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