見知らぬ空の下へ

クロムの旅立ち

 ロック・アルバークが物心ついた頃には、世界の全ては終わっていた。

 否、生まれる前からずっと終わってた、終わり続けていたのだ。

 だから、地下に作られた自分の故郷が、シェルターを改造して長年広げてきた、世界でも数少ない自給自足可能なテリトリーだということも、認めがたかった。

 だが、そこで三食と寝床を保証されれば、認めるしかない。

 土色の岩盤が覆う空を見上げる、狭い密閉都市がロックの世界の全てだった。

 唯一、一箇所を除いて……あの人と会う時間を除いて。


「あークソッ! 酷い砂嵐じゃないか。これだから地上は!」


 ロックは今、閉鎖されて久しい地上へのエレベーターを密かに上り、地表へと出ていた。生まれ育った街では、汚染され捨てられた土地と言われる地表は、それは酷いものだった。皆がささやき呟く放射能や、破壊された大気を貫通する有害な紫外線等はわからない。感じようがない。

 ただ、ロックが感じるのは猛烈に荒れて猛る、大自然の砂嵐だけだった。

 それも、少し歩くと前方にぼんやりなにかが見えてくる。

 人口の建造物は、ロックが慕う人の住処で、この地表で唯一の生存権だと言われていた。街の誰もが困ると頼る、頼みの綱にしてるのに遠ざけ煙たがる者……あの女性が住む家だ。


「ねえ、クロムさん! いるんでしょ、ねえってば!」


 密閉型の小さな建造物は、入り口が二重になっている。住んでる主は、昔は宇宙船の一部だったんだとうそぶいているが、ロックは信じていない。星空を見上げることなく、重苦しい天井のある都市に住んでいるから。夜空なんて見えぬ砂嵐の中に暮らしているから。

 だが、この奇妙な建物に住んでる女性は別だ。

 そう、女性……ロックがいつも憧憬どうけいの念を注がざるを得ない、可憐な年上の少女だ。


「ロックか? 開いてるぞ、入れ。また来たのか、キミは馬鹿だな」


 建物の奥から、スピーカーを介した声が響く。

 同時に、プシュッ! と圧搾空気が抜ける音と共に扉が開いた。外側の扉が開かれ、ロックは転がるように入り込んで、背後に閉まる音を聞く。砂を体中から叩き落として、次の扉……内側が開くのを待った。

 その先には、相変わらずの見事な空間が広がっていた。

 建物の面積をそのまま全て使った、緑。

 砂漠にも似た荒野が続く地表とも、プラントで食料を栽培する灰色の地下都市とも違う。手狭なドーム状の空間全てが、緑に覆われていた。草花も木々も、人工的に管理された温度と湿度の中で、青空を立体映像として移す天井へと伸びている。

 そして、その先に小さな小屋があった。

 この奇妙な楽園の主、クロムと呼ばれる少女が顔を出す。


「やっぱりロックか。よく来たな、そしてもう一度言おう……キミは馬鹿だな」 


 そこには、褐色の肌の少女が立っていた。着衣は下のホットパンツだけで、首から下げたタオルがかろうじて豊かな胸の実りを隠している。どうやらシャワーを浴びたあとのようで、まだ銀髪も肌も塗れていた。

 しかし、サンダルをつっかけて歩み来る彼女が、ロックには別人に見えた。

 地表に出るだけで防塵マスクを付け、全身をマントで覆った自分が馬鹿みたいだ。

 ロックは素顔を晒して短い旅路に必要な旅装を脱ぐ。僅かに砂を散らしながら、マントも防塵マスクも床に転がった。その床でさえ、名も無き雑草が埋め尽くす瑞々みずみずしい大地だった。


「クロム! また、来ちゃった……ねえ、今日も色々教えてよ。僕は勉強がしたいんだ」

「キミは馬鹿だな、勉強なら地下都市で十分にできるだろう? あそこには知識の大半がまだ顕在で、それを律儀に門外不出で守っている。彼らは、この廃惑星で唯一の人類の生き残りと思い込んで、生存という義務を果たすべく生真面目に生きているんだ」

「でも、クロム。君は地表でこうして生きて、このシェルターで暮らしてる。どうして街に降りてこないの? 若い女の子ならみんな大歓迎だよ、沢山子供を産めるし」

「キミはやはり馬鹿だな。遠未来へ達して追い抜いた時代を考えれば、前時代的に過ぎるぞ。……まあいい、コーヒーでいいだろう? 適当に座るといい」


 ロックの言葉を気にした様子もなく、クロムは背を向け己の小屋へと戻る。

 周囲を見渡し、ちょうどいい切り株を見つけてロックは座り込んだ。やはり、ここでは全てが別世界だ。ここに満ちる空気は濃くて甘くて、そして匂いがない。抗菌ポリマーや浄化液の匂いがないし、調和的生産と呼ばれるファクトリー産の優良植物もない。クロムがコーヒーと呼ぶ飲料は、豆をいぶして砕き、それに湯を注いで抽出する飲み物だ。苦いが嫌いではないし、苦味があることがロックには新鮮だった。

 地下都市は楽園、ユートピア……あらゆるネガティブを排除した、人類の最後の希望。

 少なくとも、そこに暮らす人たちはそう思ってたし、外の世界が滅びて久しいのも事実だ。だが、それがロックを無知なまま記憶の限り勉強を覚えるだけの、つまらない日常に拘束していい理由になはならない。


「ねえ、クロム! 僕はさ、本当の勉強がしたいんだ。知識もいいけど、僕が本当に欲しいのは知恵なんだ!」


 そう叫ぶ先で鼻を鳴らして、大きすぎるシャツをだぼだぼと羽織ったクロムが戻ってくる。その両手には、湯気をくゆらすマグカップが握られていた。片方を受け取り、ロックは立ち上がる香りを吸い込む。

 なんともいえない匂い、そして香ばしい芳香だ。

 健康やメンタリティに全く意味がない、ただそういう味と匂いだけの飲み物。

 それは、よりよき暮らし、意義ある生活の追求に必死な地下都市にはないものだ。それがどこかアウトサイダーな背徳感をもっていることを、ロックが好ましいと思える。故郷の地下都市が小さな世界で停滞と永続を願う中、ここまで来ればそのそれを忘れられる。全てに意味があるべきとされる、ポジティブな善なる生産性を義務付けられた者たち……手段と目的が入り混じって潰し合う中で、手段が目的化された場所と違う空気がクロムの住む場所にはあった。


「知恵、か。ロック、知恵というものを正しく認識しているか?」

「難しいことはわからないけどさ、知識は結局知識、データでしかない。そういうのは、地下都市の最奥にあるマザーに聞けば、なんでも正解が得られるんだ」

「……あれはまだ稼働しているのか。意外としぶといものだな」

「マザーを知ってるの? あの、馬鹿でっかい機械の塊は、あれは意思を持つ地下都市の守り神だってみんなが」

「プログラミングされた膨大なパターンで人間性を演じて、蓄えられたデータを求めに応じて吐き出すだけの機械だよ、あれは。ま、それを設定したのは私なんだけども」

「僕はさ、クロム。知識の使い方を学びたいんだ。それが知恵だと思うんだよ。ねえ、そうでしょう? 僕は知りたいんだ。もっと、もっと世界を、外を……君を」

「私をか?」


 クロムは小さく笑って、僅かに頬を赤らめた。

 そんな彼女はとても綺麗で、地下都市の異性とは全然違う。一晩デートするにも遺伝子情報の提示を要求する女の子たちは、ロックが苦労して持ってきた花束も、旧世紀の古いフィルムを上映するアングラの映画館にも興味を示さなかった。興味どころか、価値を感じてくれなかったのだ。

 だが、クロムは違う気がする。


「知識の使い方、か……たしかにそれを知恵と呼ぶ。だがな、ロック……知恵の実を食べたイブは堕落し、アダムを道連れにした末、楽園を追放されたんだ」

「それ、前も聞いた。大昔の人が、男尊女卑だんそんじょひを刷り込むために作ったおとぎ話でしょ?」

「そうだと言う人が、私の時代には多かった。だが……人は己の半身、つがいの片割れである女の堕落と、それに付き合った男とで時代を築いてきた。その結果が、今のこの廃惑星地球……黄昏たそがれの暗き星さ」

「……知恵を求めることは罪なの? 罰されるのかな、僕……ねえ、クロム」

「さあね。でも、キミが捨てきれぬその馬鹿げた気持ちを、私は知っている。それは――」


 その時だった。

 不意に、クロムがドームの中に築いた緑の楽園が揺れた。激震、徐々に近付く縦揺れだ。小屋を出たロックは、青空を投影して映す透き通った天井が、パラパラと埃を回せながら揺れているのを見た。

 木々の合間から鳥たちが飛び立ち、小さな虫や動物たちも慌ただしい。

 こんな突発的な地震は初めてで、ロックは思わず動揺に固まった。

 自分が生まれた地下都市では、この星……廃惑星となった地球のことも学んだ。愚かさ故に人類が滅び終えたあとの、その続きの黄昏に沈む惑星。ロックが生まれるから終わっていた、ロックが始まってすらいないことを知らない土地だ。 

 驚きすくむロックは、突然手首を掴まれる。


「来い、ロック! 外へ避難だ! ここでペシャンコになりたいか!」

「えっ、でも! ここは、この庭園は」

「いいんだ! この場でキミ以上に価値のあるものなど、存在しない!」


 クロムは強い力で、ロックを引っ張りエアロックへと走る。本当に強い、掴まれた手首が痛くなる力だった。そして彼女は、防塵マスクもないままにロックを連れて外に出る。

 吹き荒れる砂嵐の中で、ロックは腹に響く地鳴りを聴いた。

 そして、驚愕に震える……我が目を疑うとは、このことだ。


「クロム! あ、あれは……あれは、なに!?」

「地下都市のマザーが教えてくれなかったかい? あれは……あれこそが、この星の未来を踏み潰した、明日を踏み締めた存在。バトルシップ、ウォーカー……まだ稼働してる個体が存在するとはな。……どこへ向かう? サンダー・チャイルド」


 クロムはつむじを巻いて狂い荒れる風の中で、胸にロックを抱き寄せて平然と立っている。ともすれば吹き飛ぼされそうな暴風の中、砂が舞い散る天然のヴェールの、その向こうになにかを睨んでいる。

 そして、ロックも見た。

 見上げても見上げきれぬ、巨大な影……巨神を。


「ウォーカー? 見たことも聞いたこともない! 生物なの? それとも」

「黙ってろ、ロック!」


 不意に押し倒され、上にクロムがのしかかった。

 そして、クロムの住むドームを踏み潰した轟音が、そのまま頭上を通り過ぎてゆく。あっという間の出来事で、知識にあるハリケーンやサイクロンの類かとさえ思えた。だが、そうした大気の織りなす大自然の一面ではなく、確かにロックは知覚した。

 それは、メカニカルな轟音を響かせ、そそり立つ鉄巨人……被造物だった。

 砂嵐の中を通り過ぎるシルエットの、その響く金属音は徐々に遠ざかる。

 巨大な足跡さえ、砂を運ぶ風が徐々に薄れさせていった。

 だが、クロムのドームがあっという間に壊滅したのは、それだけは事実で現実だ。


「クロム、ごめん……」

「ん? 何故、キミが謝る。ロックは悪くないだろう。あれは、ウォーカー。かつての戦いでこの地に立った、大いなる巨神……歩くだけで全てを屠り葬る、神の意を借りた人の意思だ。そして、その罪を今の人間が背負う道理はない」

「でも、ドームが」

仮初かりそめの楽園を作ったとてなんになろう。悪魔の誘惑で知恵を得ずとも、いつか楽園自体が人を追い出すものだ。逆に、人は自ら楽園を壊してまで出たがる。出た先にあるなにものも知らぬままにな」


 かつて、緑の星だった、蒼き地球。

 だが、ロックは青空も海も見たことがないし、知識にあるものの大半が知識の外になかった。全て過去形でしか語られない知識が、故郷では詰め込まれて継承される。

 それは多分、クロムも同じだ。同じでしかなかったのだ。

 僅かな空間、滅びと滅びの合間にねじ込んだいびつな楽園では、咲く花も芽吹く木々も偽りでしかない。クロムが管理せねば息絶える命を、はたして命と呼べるだろうか。


「ロック、知恵を欲するならば……キミはあの地下都市では稀有な存在、本当の人間かもしれない。あそこはもう、停滞と安寧で満ち満ちて、そのまま熟した果実が腐るようにやがて消え去るだろう」

「クロム……」

「だが、覚えておいて欲しい。キミが知恵を欲する、その欲求をと呼ぶのだ。それが挑戦と冒険をうながし、トライ&エラーで人類を再び繁栄させるかもしれない。この死に絶えた惑星の、その終焉に創生をもたらすかもしれない。そういう可能性すら、地下の連中は閉ざしてしまったからね」


 だから、とクロムは寂しそうに笑って、立ち上がるロックを抱きしめてくれた。

 吹きさらしの風の中で、それを遮り包むクロムの身がひんやりと冷たかった。


「ロック、お前は己の探究心に正直であればいい。善悪も良し悪しもない、ただ知りたいと感じたら求め、わかりたいと思うもの全てにぶつかってゆけ。その時、きっと見知らぬ実りと痛みがキミを祝福するだろう。恐れないことだ……冒険、探検、そして挑戦。それが尊いと後に言われる時代が再び来る、それを私としては信じたい」


 それが、クロムの最後の言葉だった。

 クロムの居住地である地表のドームが、その残骸が燃えていると聞いて駆けつけたロックは、二度と彼女に会うことはなかった。だが、何年かぶりに砂嵐が過ぎ去った朝……ロックは故郷を捨てて旅立った。

 彼の行先を示すように、巨大な足跡が砂に埋れながら、うっすらと残っていた。

 知識を知恵で律して使いこなし、その先を求めて可能性を広げる。

 それが、終わっても終わりきれぬこの星、廃惑星の歩き方だと知る旅が始まった。

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