大脱出

 リットがマスティマに拾われてから、すでに一週間が過ぎていた。

 知れば知るほど、ノーチラス号での生活が不思議なものに思えてくる。人間はここまで、こころざしで一つになれるものなのか。そして、同志との苦しい生活をこんなにおだやかに過ごせるだろうか。訝しく思うほどに、平和な時間が過ぎていった。


「こうしてると普段は、みんな普通の人なんだよなあ」


 人知れず溜息がこぼれる。

 リットの作業はダイバーシティ・ウォーカーの整備、その手伝いだ。

 最近では簡単な点検は全て任されるようになっている。

 あっさり信頼されてしまったし、それを最終的に決めたのは……彼女だ。マスティマと名乗る美貌びぼうの戦士は、ヒューロス提督ていとくに少し確認しただけでリット達の自由を保証した。以後は同志としてあつかうと言われたのだ。

 それで周囲は、なにごともなかったように受け入れ、歓迎さえしてくれた。

 バリスはブリッジで忙しいし、あのカティアでさえ渋々しぶしぶキッチンで働いている。


「そういうもんなのかな……っと、メンテ完了。こっちはオッケーだ」


 リットは立ち上がると、アーキソリッドから離れる。

 歩かせるくらいならリットでもできるが、アーキソリッドは決して性能の高いDSWでもないし、最新鋭でもない。U3Fの正規軍で使用されている、ソリッドの先行量産型だ。

 そのソリッドの性能からして評判がよくないので、察してしかるべきである。

 だが、毎日メンテナンスを手伝っていると、愛着もわく。

 そして、このマスティマという組織では貴重な戦力だ。

 オレンジ色の右肩を見上げると、小さく撃墜マークが並んでいる。この機体のパイロットは、既に五機の撃墜数をカウントしているエースだ。


「……もう五人も殺してるってことだよね。君はさ。君の御主人様ごしゅじんさまが」


 不思議と嫌悪感はなかった。

 恐いのは、マスティマがどういう組織化に自分が感化され始めていることだ。ストックホルム症候群というのもあって、誘拐犯と生活をともにする内に意気投合してしまうというものである。それとはまた違うと思いたいが、リットには判断がつかない。

 マスティマが正義を貫くため、善意から集った組織というのはわかる。

 だが、U3F本隊とて木星圏の治安維持のために結成された軍隊なのだ。

 そして、正義の反対は悪ではなく……

 互いが正しいと思うから戦争になるし、戦う恐怖を飲み込むための正義だって必要になる。そうした中で、やっていることはお互いに破壊と殺戮だ。

 そんなことを考えていると、突然背中を叩かれた。


「あ、バリス。お疲れ……カティアさんも?」

「リット、行くぞ。今がチャンスだ。幹部会議があって、パイロットも全員マスティマさんと集まってるんだ」

「チャンスって……え? ちょっと待って、バリス? 君は――」

「色々考えたんだけどよ、リット。寄らば大樹たいじゅかげって訳じゃないが……結局、平和を乱しているのはマスティマだ。そんな場所では、安定した生活は難しいぜ」


 ふと見れば、エプロン姿のカティアもいる。

 彼女は格納庫ハンガーの中を見渡しつつ、警戒しながらリットに近付いてきた。


「二人共準備はいいな? 私は悪魔付きウォーバットを奪う。バリス、お前はこのアーキソリッドを頼むぞ」

「了解ですよ、カティア少佐! 例の話、忘れないでくださいよ?」

「ま、待てよバリス! カティアさんも、どうしたっていうんです」

「ここを出て、U3F本隊に合流する。マスティマは秩序を乱す反乱軍だ。……お前はあれを頼む。どういった用途の機体なのかは不明だが、連中はを積んでしまった」


 トンと床を蹴って、バリスは無重力の中を泳いだ。

 目の前のアーキソリッドは、開け放たれたコクピットハッチの奥に彼を吸い込む。

 訳がわからぬまま、華奢きゃしゃで小さなカティアの両肩をリットはつかむ。揺するようにして事情を強請ねだったが、彼女の視線は強い瞳を宿していた。


「リット、まどわされるな。確かにU3Fには腐敗が蔓延まんえんしている。しかし、それは組織の中から民主的な手続きをて正されるべきだ」

「それは、そうでもありますけど!」

「マスティマがやってることは、一部のU3Fやインデペンデンス・ステイト、その他の宇宙海賊やゴロツキを武力で攻撃、鎮圧しているに過ぎない。連中は自ら、『武力に対して確実に武力で反撃する』とうそぶいている自警武装組織じけいぶそうそしきだぞ!」

「でも、マスティマさんは言ってました。無辜むこの民へ不当な攻撃があった場合、確実な反撃をすることで抑止力として機能する……民へ害をなすことが割に合わないと証明し続けるって」


 だが、カティアはリットの頭を両手で包んで、ひとみを押し付け瞳をのぞき込んでくる。

 その目には、いつになく熱い輝きがともっていた。

 それは、どこか普段は穏やかなマスティマとは対照的なのに、同じ光に見えた。


「リット……私は組織を中から変える。変えてみせる。本来、マスティマがやってることをになうのは軍隊だ。U3Fを健全な軍隊に戻すために、手を貸して欲しい」

「……信じて、いいんですね」

「ああ」

「死傷者を出さないことを約束してください。ひたすら逃げるっていうなら、僕もそうしますから。ただ……ただ」

「迷うな、リット。奴はラティーラの顔をしていても……国家や文民統制シビリアンコントロールの枠組みを持たぬ、危険な軍事力をもてあそ魔女まじょだ」

「ラティーラ? 前もそんなことを……確か、ラティーラ・ラフティって」

「ラティーラ・サイビット……今頃は天国でマーレン大佐と再会している筈だ」

「それが、マスティマさん?」

「知らん。わからん……だが、似過ぎている。なにかのプロパガンダなのか、それとも……まあいい、頼むぞリット」


 それだけ言って、カティアは一番奥のDSWへと向かう。

 額に悪魔ガーゴイルかかげた灰色の機体は、まるで神像のように佇んでいた。

 言われるままにリットも、言われた機体へと走る。

 以前、マスティマの私室で設計図を見た支援機だ。無重力の格納庫で、壁に対して着陸するように浮かんでいる。アームで固定されている機体へと浮かび上がって、機首のコクピットへリットは取り付いた。

 それは、可変翼とでも言うべきアクティブバインダーを持つ機体だった。

 武装は、左右二門の長砲身ビームカノン。

 メインのスラスターと別に、左右一対のサブスタスターを持つバインダーが翼となる。そして、その翼はそれぞれ六枚に分かれて広がるようにできていた。

 合計十二枚の自由可動する翼は、まるでどこか鳥のようだ。

 コクピットに潜り込んだリットは、スペーススーツなしでシートに収まる。スーツがなければ身体の固定ができないが、この際四の五の言っていられなかった。

 機体のメインシステムを立ち上げ、エンジンに火を入れる。


「ん? なんだ……搭乗者登録? スキップだ、それより先に――駄目なの!?」


 搭乗者のデータ登録を求められた。

 しかも、それをせずには機体が動かないらしい。

 渋々リットは、国連が発行する自分の市民IDを入力した後にパスワードを設定する。それでようやく、宇宙を駆ける翼は微動に震え出した。

 だが、リット達三人の逃避行はそこまでだった。

 無線を同調させた時にはもう、周囲はあわただしくマスティマの構成員達が飛び交っていた。そして、カティアのくやしげな声が響き渡る。


『クソッ! こいつは……あの女じゃないと動かせないのか!』

『搭乗者をマスティマと認識できません。システム起動不能、全機能凍結』

『くっ、おいAI! 確か、ブレイズとか言ったな。今すぐ書き換えてや――』

『搭乗者をマスティマと認識できません。警告、今すぐ機体を降りてください』


 どうやら、あの悪魔付きはマスティマじゃないと動かせないらしい。

 それがわかった時には、格納庫の中が慌ただしくなる。リットの機体も周囲に武装した男達が迫っていたが。誰もが急いでスペーススーツのヘルメットを装着していた。

 そして、格納庫のハッチがゆっくりと開いてゆく。

 カティアの血を吐くような声が走った。


『クッ、バリス! せめてお前だけでも行けっ! 合流地点はその機体に転送しておいた……U3F本隊が回収してくれる!』

『でも、カティアさん!』

『軍人を目指すなら、大局を見ろ! その機体からどれだけマスティマの情報が得られる? 奴等の跳梁ちょうりょうをこれ以上許すな、行けぇ!』


 バリスのアーキソリッドだけが、ゆっくりとおぼつかない足取りで歩く。

 突然のハッチ開放で、格納庫の中で空気が渦を巻く。真空の中へと今、バリスのアーキソリッドは出ていった。クルーが慌ててハッチを閉鎖する中、リットは黙って機体を停止させた。

 機体の外には既に、ライフルを持ったスペーススーツ姿が取り囲んでいた。

 流されるままだった自分を悔やみつつ、自分の甘えに後悔が尽きない。

 機体の動力をカットし暗闇になったコクピットから、リットは手を上げて這い出るのだった。

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