素顔のマスティマ

 古い資材輸送船しざいゆそうせんであったノーチラス号は、巨体に反して人工重力ブロックが小さい。

 居住区の中でも、地面に脚を付けて歩ける場所は限られた共有スペースだけだった。当然、リットもバリスもてがわれた居室では身体を固定して眠る。そうした個室が並ぶ通路へ出ても、二人は壁のハンドレールのグリップを握って移動していた。

 無重力の中では、上も下も存在しない。

 擦れ違うマスティマの構成員達は、天井や床を上手く使って道をゆずってくれる。

 その中には女性も少なくない。


「あの女の人達もマスティマをやってるのか……戦ったりしないよな? なあ、バリス」

「わからんぜ? なにせ、組織の名を背負った大将からしてすこぶるつきの美人さんだからな。っと、ここの部屋だ。……普通の士官室だな。VIPビップ待遇じゃないらしい」


 その部屋は、リット達が使っているものと同じに見えた。左右のドアとの間隔で、ごく普通の個室だとわかる。マスティマの女王にしては質素ともいえた。

 手元のパネルをタッチし、来訪を室内へ告げる。

 だが、返事はない。


「……いないのかな?」

「開けてみようぜ、リット」

「いや、レディの部屋にそんな――」

「すんません! ちょっと預かりものを……って、ありゃ?」


 プシュッ、と圧搾空気エアれる音が小さく響く。

 リットが止めようとしたそばから、バリスはドアを開いてしまった。ロックされてなかったのは意外で、リットは自然とマスティマという組織の理解度を深める。

 自称『善意の軍事力』をうそぶく反乱部隊。

 マスティマという美貌の女をいただく、自警武装組織じけいぶそうそしき

 そこは、頭目が自室に鍵を掛けず休んでいても安心な、奇妙な安心で包まれた組織だった。パイロットも整備員もおおらかで気さくだし、ノーチラス号全体の雰囲気もどこか心地よい。きっと、自主的に皆で生み出し共有している空気だからだろうか。

 そう思ってると、バリスが一歩部屋へと踏み入る。

 そこには、簡素なベッドと机しかない。


「っかしーな、いないぜ?」

「よそう、バリス。ひょっとしたら忙しいのかもしれない」

「でも、そのディスクを渡さなきゃさ。ちょっと俺、その辺を見てくるよ。お前はここにいてくれ、入れ違いになったらことだしな!」

「あ、バリス! 勝手に部屋に入ろうとしてる僕を見たら、彼女は! そっちの方がことだって!」

「はは、すぐに戻るさ! お前に妙な疑いなんざかけねーよ」


 すぐにバリスは、手近なハンドレールに掴まって遠ざかった。

 やれやれと肩をすくめつつ、リットは手の中のディスクを見やる。ごく普通の、木星圏ならばどこでも使われている媒体だ。いて言えば、少し古いフォーマットである。


「これを机においとくってのも、ありといえばありだけど」


 そう思った時には、無自覚に一歩部屋へと踏み入ってしまった。

 古い宇宙船だから、当然のように循環する空気はオイルや金属の臭いを忘れられない。それなのに、室内は不思議な清涼感というか、おごそかとさえ思えるような瑞々みずみずしさが感じられた。

 女性の部屋らしいものはなにもないし、外とダクトで繋がってる部屋の空気だって同じ筈だ。それなのに、不思議とリットは身を正してしまう。


「ま、まあ、その……お、お邪魔、しました……ん?」


 ふと、リットは机の上を見る。

 つけっぱなしの端末には、不思議な図面が広げられていた。

 すぐに興味の向く先が吸い込まれて、リットは状況を忘れてしまう。


「これは……さっき格納庫でも言ってた、支援機とかってのか?」


 それは宇宙戦闘機とでもいうのか、小型の宇宙船だ。鋭角的なシルエットは、鳥のような翼を広げている。そう、鳥だ……メインのスラスターとは別に、アクティブ可動のバインダーがサブスラスターを兼ねている。

 書き込まれた文字を読む中で、リットは自然と引き込まれてゆく。

 その機体の中央には、メインの動力部とは別のなにかが収まるような空白があった。


「なんだ、この空間は……それより、このサブスラスター。これ、左右一対の翼じゃないぞ……ここから分割されて、十二枚に。これは」


 その時だった。

 不意に声がして、リットは振り返る。

 だが、そこには誰もいない。

 開け放たれたドアの向こうにも、人影はなかった。

 そして、再度小さなつぶやきが空気を震わす。

 その声に、リットは視線をあげた。


「……マーレン、大佐……私、は」


 寝言が降ってきた。

 同時にリットは、見上げた天井にその人を発見した。

 膝を抱えて胎児たいじのように丸まり、一人の女性が浮かんでいる。どうやら寝ているようで、空調の静かな風が彼女の金髪を揺らしている。

 どうしてそんな場所で寝ているのか、それはわからない。

 そのことより、リットは改めて女性の格好にほおが熱くなった。


「マッ、ママ、マスティマさん!? なんだってそんなとこに」


 そこには、少女を脱し切れぬ美貌が浮かんでいる。恐らく仮眠を取る筈だったのだろう。作業用のツナギを上だけ脱いだままで、そでが腰の周囲に漂っている。あらわな肌はスポーツタイプの下着で、豊かな胸の膨らみを隠していた。

 マスティマはふわふわと眠りこけたまま、再度その名を呟いた。


「大佐……マーレン大佐。私に、やれて、ますか……」


 リットは意を決して床を蹴る。

 ふわりと浮いた反動で、今度は天井へと両手を添えて慣性を抑えた。

 間近で見れば、やはりティーンエイジャーにしかみえない。どこにでもいる普通の女の子だ。実際の年齢はもう少し上だろうが、純真な乙女に相応しい寝顔がそこにはあった。

 迷ったが、リットは意を決して肩に触れる。

 白い肌の柔らかさと温かさが、自分でもびっくりするくらいはっきりと伝わった。


「マスティマさん、あの! えっと、とりあえず起きてください」

「ん……んっ、君は……なんだ、君か。どうした?」

「いえ、お届け物です。それと、無断で立ち入った無礼をですね」

「……そうだな。少し休むつもりが寝入ってしまったらしい」


 ぼんやりと目を開いたマスティマの、大きな瞳に自分の顔が映り込む。酷く情けない自分が双眸そうぼうに並んでいた。だが、とがめる様子もないマスティマは、まだ半分ほど夢見心地のようだ。

 それでも、ツナギの上半身をそっと肩にかけてやり、リットは床へと降りる。

 マスティマは鈍い羞恥心を全く働かせずに続いた。


「これは?」

「ヒューロス提督からです。渡して欲しいと頼まれました」

「ああ、助かる。他には?」

「えっと、マスティマさんとご飯でも食べてこいって」

「ん、わかった。外で待ってくれ。着替える」


 こうして二人きりで対峙してみると、やはり妙だ。

 組織と同じ名を背負い、悪魔付きのカスタム機で戦う女戦士……マスティマ。それは古き悪魔の名であり、同時に天使の名ともされていた。

 神のために人を試し、神の名のもとに人を守りもする。

 その意味は確か、ヘブライ語で『敵意』や『憎悪』の筈だ。

 だが、彼女が脱ぎ始めたのでリットが慌てて外へ出てドアを閉めても、寝ぼけているらしくなんにも言ってこない。そう、彼女は確かにごく普通の若い女性でしかない。

 初めて会った時の、あの威厳に満ちた高潔な緊張感が嘘のようだ。

 そうこうしていると、バリスが戻ってきた。


「どこにもいないんだよ、マスティマさんはさあ。って、リット? どした、顔が赤いぞ」

「マスティマさんなら、中に今。着替えてくるって」

「なんだ、俺が入れ違いになったか。お前を置いてって正解だったな! ラッキースケベ、だろ?」

「……そうでもいいけど、まあ、そんな感じ」


 バリスは笑顔で小突いてくるが、リットとしては非常に落ち着かない。長い船旅に従事する船乗りにとって、異性の存在は特別なものだ。そしてリットはまだ、特別な存在がなにゆえ特別かを身体で確かめたことがないのだ。

 上陸しての休暇でも、バリスと違って彼はそうしたものを求めたことがなかった。

 それを思い出していると、ドアが開く。


「……先程は失礼した。リット君とバリス君、だったな。……ディスクは受け取った、ありがとう。食事だが、お礼も兼ねて付き合おう。私からごちそうさせてもらう」


 マスティマはようやく眠気を追い払ったのか、いつものりんとしたたたずまいに戻っていた。だが、それで彼女の恥じらいも働き始めたらしく、少し頬が赤かった。

 彼女はリットの視線から逃げるように、ハンドレールをつかまえて食堂へと向かう。

 その背中を追って、バリスも同じように流れに乗った。


「マスティマさんってさ、一人だけいいもの食べてる感じがないよなあ。そういう軍人てさ、俺の考えてる感じにドンピシャなんだよ」

「なんだ? バリス君、軍人は聖人君子ではないし、パイロットには必要なカロリーだってある」

「でも、反乱軍の大将が皆と同じ食事っていうの、嬉しいもんですよ。あ、俺も一応先日からこの船で働いてるんで、まあ、今だけ臨時の仲間ってことで」

「フッ、調子のいい奴だ。それと……私は私だけの特別なものを食べている。私だけの特権だが……今日は君達二人にも振る舞おう」


 そう言ってマスティマは、十字路でハンドレールを乗り換える。

 最後尾でリットが意外に思っていると、彼女は一度だけ振り向き真顔で言い放った。


「食後のデザートのアイスクリーム、これは私の、私だけの特権だ」


 なんとなくリットは、マスティマのことを理解し始めていた。自由な気風でこころざしを共にした、善意と良心で駆動する暴力装置……その力の源たる女性は、うら若き乙女でしかないのだと。

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