反逆者達の日常

 その船の名は、ノーチラス号

 木星圏のコロニー開発時代に建造された、巨大な資材輸送船だ。ノーチラスとは巻き貝の一種であり、有名なSF小説に登場する潜水艦の名前だ。

 リット・スケイルは読書が好きで、特にその作品は繰り返し読んだものだ。

 世捨て人の船長を乗せた、最強の潜水艦……ノーチラス号。船長の名は、ネモ。ネモとはいにしえの言葉で『誰でもない』という意味である。ネモは俗世ぞくせを嫌い、戦争や差別を憎んでいた。

 では、星の海をくこのノーチラス号はどうだろうか?

 それは考えるまでもなく、リットはすでに感じて答を出していた。


「よぉボウズ! いい腕だな、もう済んじまったのかい?」


 広大な船内の格納庫ハンガーは、そこだけが軍艦のようにダイバーシティ・ウォーカーが並んでいる。そこはリットにとって、先日保護されて以来の仕事場になっていた。

 大柄なツナギ姿の男の声に、リットはアーキソリッドのメンテハッチを閉じて振り向く。

 男の腕にもやはり、オレンジ色の布が結ばれていた。

 それを見詰める視線に気付いたのか、男は腕をでながら笑う。


「こいつか? 俺達マスティマの同志を表す色だ。楽観的な黄色イエローでもなく、戦火に燃えるレッドでもない。自ら中庸ちゅうようで公正な武力となった俺達は、情熱と覚悟をこの色にたくしてるのさ」

「ああ、それで」

「そう! 白でもなく、黒でもない。そのどちらとも必要があれば戦う。だが、灰色の悪魔付きと共に戦うにしたって、民衆にも少しはわかりやすさを見せたいのさ」


 そう言って男は、リットが整備したアーキソリッドを軽くチェックし、行ってしまう。今日の割り当てられた仕事は終わって、夕食までは空き時間になってしまった。

 このノーチラス号では、リット達は自由が許されていた。

 宇宙船の中では脱走は難しいが、不可能ではない。

 それでも、マスティマの人達は誰も拘束こうそく尋問じんもんをしなかった。それは、リットが知っている軍人や軍隊とは違う。自らを純粋な軍事力と言うだけあって、ただ武力行使をする力である以上のことはしないらしい。

 そんなことを考えていると、耳に痛い女の声が走った。


「返せっ、それは危険なものなのだ! 軍の財産であり備品、そして……ああもうっ! もっと慎重に扱えっ!」


 見れば、開封されたコンテナの前でカティア・カッティが怒鳴どなっている。相変わらずの幼女体型は今、エプロン姿でジタバタと無重力に浮いていた。

 彼女は正規軍の軍人で、勿論マスティマへの参加を無視した。

 よって、直接戦闘とは関係のない生活班に回されたのだ。

 ノーチラス号は慢性的まんせいてきな人員不足で、リットも要請という形で整備の仕事を引き受けていた。友人のバリス・バッカードは操船部門に回されブリッジにいる。

 そして何故か、キッチンにいるはずのカティアは矮躯わいくをジタバタさせていた。

 彼女が見詰めるコンテナは、例の『H・R』としか書かれていないものだ。


「おいおい、お嬢ちゃん。こいつはマスティマでいただいちまうって言ったじゃない?」

「丁度、試作中の支援メカにぴったりだ。というよりは……これが手に入ることを当てに設計していたとも言えるなあ」

「くっ、離れろ! それに触るな! ……これは、世界を変えてしまう……そういう代物だ。反乱軍ごときが手にしていい力じゃない!」


 いったい、あのコンテナの中身はなんなのだろう?

 世界を変えてしまう力とは、どのようなものか?

 リットには想像もつかないが、かつて人類は己の生活を一変させる発明を生み出してきた。石炭と鉄鋼は産業革命を産み、石油の大規模発掘は大消費時代を呼んだ。そして、飛行機や戦車といった兵器で大規模な世界大戦も経験したし、その後の世界を支配した核兵器などはその最たるものだ。

 そうこうしていると、突然リットは背中を強く叩かれる。

 振り向くとそこには、バリスの真剣な表情があった。


「よ、リット。今日はもうアガリか?」

「ああ、うん。バリスも?」

「このボロ船は酷いぜ。ほとんどマニュアルで運行してるから、猫の手も借りたい忙しささ」

「でも、よかったじゃないか。結構みんな、バリスの腕を褒めてたよ。いきのいい船乗りで助かるって」

「まあな! やるからには真面目に働くさ。でも……俺がなりたいのは軍人なんだけどな」


 木星圏ではまだ、軍人をエリートと見る風潮があった。

 それは、彼らが必要とされる環境であり、彼らに力があることを示している。

 そして、バリスは一年の大半を虚空の宇宙で暮らすより、軍人を志望していた。同じ船に乗るにしても、軍艦の方が割がいいと思っているのだ。

 まだまだ小さな生活圏である木星コロニー群では、軍人の給料は魅力なのだ。

 バリスは周囲を見渡すと、そっとリットに耳打ちしてくる。


「明日、この船を出る……カティアさんと三人で、DSWを奪って逃げるんだ」

「バリス!? お前――」

「チャンスなんだ、リット。カティアさんに協力すれば、俺も正規軍に入れてもらえる。DSWだって、全くの素人しろうとって訳じゃないだろ? 俺達なら、できる!」

「そりゃ、作業用のワーカーぐらいは。でも、勝手が違う。それに」

「それに? なんだよ、マスティマって反乱軍なんだぜ?」

「合法であるだけの正規軍と、行いは正しいマスティマ……二つに一つだっていうのか?」

「お前はいつもの日常に、平和な暮らしにもどらなきゃいけない。俺はそれを望むし、そういうお前みたいな人間を守るためにも軍に入りたいんだ。だから」


 バリスは本気だった。

 そして、長い付き合いでリットも知っている。

 本気になったバリスは、絶対に考えをひるがえさない。己の信念が定まってしまうと、バリスはテコでも動かないのだ。そして、やり遂げる強い意志で物事にあたる。その真っ直ぐさにリットは、今まで何度も助けられてきた。

 だが、今回だけは不安だ。

 再就職と言うには、軍隊はあまりにも危険過ぎる。

 そして、今の状況では失敗は立場を悪くするし、最悪は生命いのちに関わる。

 無事にマスティマとノーチラス号から逃げおおせても、U3Fの正規軍でどんな扱いが待っているかはわからない。それに、カティアは先日……襲撃された惑星間輸送船『かりふらわあ308』の救援に正規軍を呼んだが、応じてもらえなかった。

 そのことを言おうとした時、背後に気配が立つ。


「内緒話は終わったかね? リット君、そしてバリス君だったな」


 振り向くとそこには、ヒューロス・メルクーリオの笑顔があった。

 好々爺こうこうやという表現がぴったりだが、目だけが笑っていない。

 今の話を知られたと思ったのか、バリスが緊張に身を固くする。いざとなれば殴りかからんとする勢いを感じて、リットは双方から互いを守るために間に立った。


「お疲れ様です、ヒューロス提督。内緒話というか、まあ……下世話げせわな話ですよ。マスティマって組織の名を背負った、あの人……綺麗だったな、って。そういう話なんです」

「そうかね? それならわかる、大いにわかるな。私も若い頃は同じだったからねえ」

「どうしてあんな人が、悪魔付きに乗って戦ってるんです?」


 率直に思っていた疑問をぶつけると、ヒューロスは視線を遠くへと逃した。

 その眼差しの先には、灰色のDSWが立っている。

 悪魔付きことウォーバットだ。

 ウォーバットだけは、あのマスティマと呼ばれていた少女が専門スタッフとメンテナンスを行っていた。リットは触ったことがないが、既存のDSWとは別格のように思える。

 雰囲気がある、オーラがあると言ったら妙に思われるので、口にしたことはない。

 だが、悪魔像ガーゴイルいただき宇宙を馳せる灰色の機体は、不思議と華美で荘厳そうごんな印象を与えた。

 ヒューロスもウォーバットを見詰めて小さく溜息ためいきを吐き出す。


聡明そうめい健気けなげだ。だが、重過ぎる責を背負ってしまった。そして、彼女が重荷に耐えていられるうちに……我々は勝利せねばならない」

「勝利って? それはどういう」

「U3F内部の不正を暴き、腐敗を正す。そのためには、こころざしを同じくする者達……そう、インデペンデンス・ステイツの良識派や宇宙移民達の力を結集する必要がある」

「マスティマの名のもとに、ですか? 彼女にそれも背負わせるんですか」


 黙ってヒューロスは首を横に振った。

 彼自身が苦悩を抱えていることは、十分にリットには伝わった。だが、背後のバリスに老将の姿はどう映っただろう? それを確かめるすべは、今はない。

 そして、ヒューロスは小さな記憶媒体を胸ポケットから取り出した。


「悪いが一つ頼まれてくれないかい? 二人共。居住区に向かうついでに、これをマスティマの部屋に届けて欲しい。三人で一緒に夕食を食べて欲しいが、どうかな? ……この船には、彼女と同じ世代の少年少女は少なくてね。老人のおせっかいを聞き届けてくれると助かる」


 リットはバリスと顔を見合わせた。

 断る理由はなかったし、リットはあの少女に……マスティマに興味がある。それは、知れば引き返せない道とわかっていても、不思議な引力でリットを引き寄せてくる。

 逆に、リットもまたマスティマを引っ張っているようにも感じるのだった。

 バリスがこれ以上の会話を嫌ったのか、引き受ける。

 連れ立って居住区へ向かうリットは、見送るヒューロスの視線から逃れて安堵するのだった。

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