断罪の堕天使、燃えて灰を纏う

 人の流れに逆らって今、エンテ・ミンテは走る。

 狭い艦内の通路を、完全武装の保安員たちが擦れ違った。きっと、エンテを助けてくれたリンル・リル・レイルが戦っているのだ。彼女の制服にはまだ、温もりと匂いが僅かに残っている。それに包まれ守られたエンテは、無言でうつむき走った。

 目深めぶかにかぶったベレー帽の下で、固く唇を噛みしめる。

 誰にも怪しまれずに辿り着いた格納庫では、変わり果てた愛機の姿があった。


「ウォーバット……データを吸い出されて! でも、あの機体なら」


 並ぶソリッドには全て、整備員が付いてメンテナンスを行っている。中にはまだ、パイロットが乗っているものもあった。

 反面、ウォーバットの周囲に人はいない。

 開け放たれたコクピットには、無数のケーブルとコードがなだれ込んでいる。

 物言わぬ黒い巨人は、己を守護する悪魔像ガーゴイルを失ったまま、片膝をついていた。

 迷わずエンテは、走る。


「ん? あ、こらっ! そこの士官、その機体は!」

「まて、あの女は……クソッ、騒ぎを起こしてるってさっき! 何故ここに!」


 ベレー帽が脱げて落ちたが、構わずエンテは低重力下の床を蹴る。鍛え抜かれた軽業かるわざで、ウォーバットの膝から胸へと飛び乗った。コクピットへ滑り込むと同時に、乱雑にあちこちに繋がるケーブルを引っこ抜く。それを外へと放り投げて、ハッチを閉鎖した。

 機体にはまだ、十分に推進剤が残っている。

 恐らく、あの男が乗り回してテストを重ねた直後なのだろう。


「ブレイズ、状況を! お願い、動いてブレイズ」


 周囲が騒がしくなる中、ゆっくりとウォーバットが立ち上がる。慎重に操作しながら、エンテは愛機に宿る見えない相棒へと呼びかけた。

 すぐに機械音声の返答が戻ってくる。


『コンディション、オールグリーン。モードセッティング、リコール。少尉、ご命令を』

「ブレイズ、艦のメインタームにアクセス。艦内情報を」

『了解……艦内で小規模な銃撃戦発生、反乱分子の制圧は完了しています。当方に死傷者なし、目標は射殺されました』

「リンル中尉……私は、私はッ!」


 微動で震えるコクピットで、AIであるブレイズは驚くほどに冷静だ。その無機質な声を聴いて、エンテは震える手で操縦桿を握る。

 自分をマーレン・サイビット大佐ののこした希望だと言ってくれた。

 不思議と初めて会ったのに、温かく接してくれた人。

 死ぬとわかっていて、それでもエンテを助けてくれた女性は……二度と再会の叶わぬ人間になってしまった。それは、エンテの愛する大佐のところにいってしまったんだと、はっきりわかる。わかれてしまうことだけが、必要以上に感じられて切ない。

 はちきれそうな胸の奥のたかぶりに、溢れる涙も構わずエンテは叫んだ。


「足元っ、どけっ! 踏み潰すぞ! ……マーレン大佐、リンル中尉。私は、希望になります。マスティマとかいうのでも、やってみせます。私は……!」


 ふと視線を走らせ、格納庫の隅に転がる悪魔像を拾い上げる。

 サイレンがけたたましくなる中、閉鎖されかけたハッチから強引に外へと出た。コロニーに入港していた艦を飛び立てば、周囲には港湾関係者の宇宙服が無数に漂っている。どの宇宙服も、軍用だ。

 そのままエンテは、コロニーの居住区側への隔壁を解放した。

 人工的なミラーの陽光に満ちた、緑あふれる世界が広がる。

 木星圏でも比較的新しいコロニーらしいが、正確な所在はわからない。

 だが、宇宙側への出口を塞ぐ無数の戦艦を振り返って、エンテは決断を下した。


「街に、低空に降りなければ……」


 重力の弱い高度を維持して、コロニーの硝子ガラスの空へと飛び出す。

 すぐに火線が走って、背後から無数のソリッドが追撃してきた。コロニー内での発砲にも躊躇がないことにエンテは驚いた。

 構わず飛んで振り切ろうとした時、ブレイズの警告音にエンテは戦慄する。


『警告、低空より反応接近。数は8……戦艦クラスの動力と推測されます』

「なにっ!? 馬鹿な、そんな……コロニーの中だぞ!? 街中なのに」

『周囲10km圏内に民間の居住区、および民間施設の存在を認めず』

「ここは、このコロニーは……なんだ!? どこなんだ、ここは!」


 やがて、眼下の景色が雲の切れ間から見えた。

 そこは、人類の叡智えいちが生み出したフラスコの中の大地ではなかった。見渡す限りに軍事施設が広がり、警報の音と共にドックから戦艦が上昇してくる。

 コロニー自体が丸ごと一つ、軍事拠点になっていた。

 U3Fにこんな基地があるなどと、エンテは聞いたこともない。

 すぐに迎撃のソリッド部隊が、地表からも舞い上がった。

 インターセプトタイプの、短時間なら飛行できるバックパックを装備している。


『反逆者エンテ・ミンテ! その機体はデータ収拾を終えたものの、計画の所在を示す危険なエビデンスである。廃棄処分が言い渡されてるため、破壊する!』

『尚、投降は認めない! マーレン大佐の無念、思い知れっ!』

『大佐のお目こぼしでかわいがられてた売女ばいたが! 飼い主を噛むなんて!』


 マーレン大佐を殺害した逃亡犯……それがエンテに背負わされた業だ。

 冤罪えんざいだが、エンテに身のあかしを立てる術もなく、機会すら与えられなかった。

 あっという間に包囲され、応戦する間もなく銃撃にさらされる。急激な制動と旋回を繰り返す中で、徐々にエンテのウォーバットは機動限界の中へと追い込まれていった。

 手練のパイロットたちは、数を活かした包囲戦で確実に撃墜するつもりだ。

 射撃武器を持たぬウォーバットにとって、それはなぶり殺しに等しい。

 それでも懸命に機体を操るエンテを、その時……予想だにしない驚きが襲う。そしてそれは、周囲に乱舞するソリッドへも伝搬でんぱんしていった。


『大尉! 見てください、奴の動きが鈍っています。今なら!』

『待て、様子が……なんだ? おいっ、この通信はなんだ!』

公共高域周波数オープンチャンネルです! 木星圏全域に……くそっ、電波ジャックか!? どこから!』

『司令部より入電……その機体です、ウォーバットから電波が!』


 木星圏に高らかに響く声に、エンテは目を見開いた。

 それは、懐かしい声音で、優しくエンテの鼓膜へ浸透してくる。甘やかな息遣いとなって、肌を撫でてくれたあの声が今……ウォーバットの中から世界に響いていた。


『公共の電波を個人的な理由で使用する無礼、どうか許していただきたい。私はU3F大佐、マーレン・サイビットであります。この通信が皆さんに届いている頃、私は生きてはいないでしょう』


 ウォーバットから、謎の通信が響き渡る。

 それは、コロニーの空という処刑場を凍らせた。


『遺憾ながら、我々U3Fの一部を私物化する人間が存在します。また、その影響で士気は低下し、木星圏の民に対する不当な弾圧を繰り返す部隊もあとを絶たない。そのことについて、同じU3Fの軍人としてお詫びします』

「大佐……? こ、これは……」

『本来、我々U3Fは民の生命と財産、平和を守るための軍事力であらねばなりません。そうした本来の姿を取り戻すべく、私は同志たちと立ち上がりました。御覧ください……このコロニーを。我ら木星の民が故郷とするコロニーそのものを、一つの巨大な軍事基地にしてしまった愚か者たちがいるのです』


 不意にウォーバットのメインモニタに、小さなウィンドウがポップアップする。そこには、包囲されたウォーバットと一緒に外の光景が映った。それが木星圏に全てに流れていることは明らかで、回線の向こう側では敵機のパイロットが混乱を叫んでいた。

 そして、エンテは最愛の人の最後の言葉を聴く。


『我々はここに宣言します。この非常時に、決して揺るがぬ武力として、民のための抑止力であり防衛力として……自警武装組織マスティマの設立を! 我々マスティマは、民を脅かす全てに対して武力で反撃します。民へと害なす全てが敵です。そのことを今……御覧頂いてる通り、私の最愛の者が世界に証明して見せるでしょう』


 放送は途切れた。

 そして、動揺が広がる中で……エンテに不思議な気迫が満ちてゆく。

 先程、リンルに言われた言葉のもたらした動揺が吹き飛ぶ。胸の奥に沈めて考えないようにしていた、小さな疑念が溶けて消えた。誰かに似ている自分、そういう自分を愛してくれたマーレンを疑った。そのことも今、決意の中に消えてゆく。

 そして少女は、名を捨てる。

 木星圏を守護する堕天使の乙女、マスティマが誕生した瞬間だった。

 涙声で呟く少女の声はもう、後の世に悪名を持って語られる魔女の言葉だった。そして、応答するブレイズの声が不思議な高まりと共に変化する。


「……大佐、それが私なんですね。私にそれをやれと……そう遺してくれたんですね」

『緊急コード受信、プロテクト解除……搭乗者をマスティマと承認。システム権限を移行。……ウェイク・アップ、

「私は、マスティマ……その組織を体現する女として、今! 私の戦いを始めるっ!」


 ウォーバットのツインアイにともる光が、真紅に燃えて機体を揺るがす。

 そして……混迷の時代で純粋な軍事力を宣言した蝙蝠こうもりは、漆黒の闇を脱ぎ捨てた。

 耳をつんざく金切り声は、まるで嘆きを歌うように響く。急激に高鳴るメカニクルノイズを奏でて、ウォーバットの動力部が強力な熱を発した。それは、初めて封印を解かれた試作実験機のフルパワー。

 あっという間に、放熱が表面の偽装塗料を溶かして蒸発させる。


『ええい、今の放送は虚偽、詭弁だ! 諸君、攻撃の続行を――』

『大尉、目標が! ウォーバットが!』


 ウォーバットの表面から、本当の姿を覆って隠した暗闇溶け消えた。

 そこには、巨大なE・クレイモアーを抜き放った、灰色の蝙蝠が浮かんでいた。

 右手に剣、左手に悪魔像……その姿が、瞬時に誰の目からも消え失せる。


『きっ、消えた!? 隊長、目標が、ガアアアアッ!?』

『ヨアキィィィィィムッ! くそう、ヨアキムがやられた!』

『どこだ、奴は……奴はどこだっ!』


 悲鳴と絶叫の連鎖を生み出しながら、彼女はウォーバットを操る。白く飾るには血に濡れて汚れ、黒く飾るには冷たい闇に穢れて堕した……それは、悲しいまでに怜悧な中庸を示す灰色だった。

 武力を持って民を脅かす全てを、武力を持って滅ぼす暴力装置。

 マーレン・サイビット大佐が掲げた理念を体現するマシーン。

 その玉座で死を振りまく少女は、既に組織と同義であるマスティマとなっていた。


「ブレイブ、敵を殲滅する。できるな?」

『肯定。当コロニーを不当な軍事拠点と断定します』

「U3Fを、本来の治安維持組織へと取り戻す。その時まで……私はマスティマをやる。再び悪魔を掲げて奉じ、私はマスティマになる!」


 次々とソリッドを撃墜しながら、ウォーバットが剣舞にぶ。

 その影は、常軌を逸したスピードと軌道で全てを切り裂き……そのまま逆側の宇宙港を突き抜けて飛び去った。駆けつけたU3Fの艦隊の誰もが、自分たちにすら秘密にされていた軍事基地の壊滅に目を疑う。

 それが、自警武装組織マスティマの最初の戦果となった。

 一人の少女が自分を殺して、断罪の堕天使となった瞬間だった。

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