蝙蝠の羽根を広げて

NEW ORDER THE WORLD

 西暦2281年……人類は木星圏まで進出し、その版図はんとを拡大していた。

 しかし、それは外惑星域への棄民政策きみんせいさくでもあった。結果、広がり過ぎた人類は、互いの惑星の距離以上に心が離れ、気持ちが遠のいていったのだ。流通と経済の格差は、そのまま貧富の差となって不平と不満を呼ぶ。

 自治権の要求を叫ぶコロニー独立運動『インデペンデンス・ステイト』が台頭、対する体制側もテロ鎮圧の名目で宇宙国際治安維持部隊『U3F』を設立……両者の対立は激化、既に局地戦とは呼べぬほどに戦闘状態を広げ始めている。

 十七歳のリット・スケイルが学ぶ歴史は、人のごうとでも呼ぶべき色に満ちていた。

 赤く、黒く、そして上辺だけは互いに白いと主張し合う。

 タブレットをスクロールさせるリットは、不意に肩を叩かれ顔を上げた。


「よぉ、リット! またお勉強か? お前も好きだなあ、ホントに」


 振り返るとそこには、親友のバリス・バッカードが笑っている。そばかすの浮いた人懐ひとなつっこい笑みは、リットと同じツナギの作業着だ。二人は今、我が家にして勤め先である惑星間輸送船『かりふらわあ308』の中だ。

 木星圏のコロニーまで、あとわずか……航海は順調に進んでいる。

 星の海を渡る少年たちには、政治や国際情勢がどこか遠くに感じられた。

 バリスはチューブのコーヒーをリットに渡して、隣に滑り込んでくる。乗務員用の待機スペースには今、休憩中の二人しかいない。壁一面の窓からは、厚さ5cmの特殊硬化プラスチック越しにいだ海が見渡せた。

 タブレットを仕舞うリットの横で、相変わらずバリスはいつもの笑みを浮かべている。


「お前、大学行きたいって本当かよ?」

「ああ。もうすぐ入学金も貯まるし、受験の準備だってしてる」

「かーっ、マジかよ! ……俺ら、この船に乗って何年になる?」

「八年か、九年か、それくらいかな」


 リットとバリスは、孤児だ。

 生まれは地球らしいが、親も母国も覚えていないし、知らされていない。

 ただ、自分たちが持て余された生命いのちだというのは知っている。だから、こうした労働環境に幼い頃から奴隷のように売られてきたのだ。生活に不自由はないし、一日三食と寝床にありつける。だが、教育も職業の選択も許されず、気付けば船乗りとして一人前になっていた。

 だが、それでも少年たちは夢を見る。

 忙しい日々の合間で、隙間を埋めるように希望を抱く。


「バリスは? このままずっとこの船で暮らしてくつもりなの?」

「まさか! 俺ぁ、軍だ……士官学校なんて御大層なとこにゃあ入れないがよ。U3Fに入って、テロリストと戦うのさ。……本当は平和で暇な内勤がいいけど、とにかく軍なら安定した収入で自由が手に入る。家族だって作れるんだ」

「この船にいたって、毎月の金に困ることもないだろうに」

「ここには金を使うとこがない。女の子もいない、そうだろ?」


 幸か不幸か、船長も船主も話のわかる良識的な大人だった。これはリットが大きくなってから知ったが、地球圏で身寄りのない子供をこの船は引き取っているのだ。いわば、巨大な宇宙孤児院である。労働は過酷だが、ちゃんとした賃金も払われていた。

 不満らしい不満は、ない。

 宇宙の船乗りという仕事に誇りも感じる。

 だが、それはリットが他の可能性を知らないからだ。

 選択肢がない、そもそも選択権がない状況で放り込まれた場所が、たまたままともな場所だったに過ぎない。だから、もう少し勉強して世界を知り、改めて生き方を決めたいのだ。それは恐らく、バリスも似たようなものだろう。

 とりあえず、次の休暇上陸の予定なんかを話していた、その時だった。

 不意に船内に、けたたましい警報が鳴り響いた。

 瞬間、リットもバリスと共に立ち上がる。


「アラート? こんなコロニーの近海でかよ!」

「バリス、コロニーの近くだからさ。ここいらには出るんだよ……自称革命家の海賊崩れが」

「インデペンデンス・ステイトってやつか!」

「独立運動も膨れ上がって巨大な組織になると、統制がとれなくなる。だから、末端は武力を持った瞬間に馬鹿をやらかす! ブリッジへ急ごう!」


 待機スペースを出ようとした二人は、目の前の通路を急ぐ船長と目が合った。勿論、会社の財産である貨物船の危機であるから、陽気な親父さんみたいな表情は影をひそめている。

 髭面の船長は、険しい表情に僅かな焦りの色を浮かべていた。

 それは、リットには初めて見る顔だった。

 そして、船長を背後から呼ぶ女の声が走る。


「船長、積荷つみにを! 連中には渡せないんです、すぐに爆破してください!」


 少し神経質そうな声で、リットには震えているのがすぐにわかった。

 そして、目の前で振り向く船長に小さな女の子が迫った。小柄で華奢きゃしゃだが、軍服を着ている。U3Fの軍人、それも佐官さかんクラスだ。階級章は少佐だが、どう見ても十代の少女……ことによってはリットたちよりも年下だ。

 だが、彼女は逼迫ひっぱくした声で船長に詰め寄る。


「インデペンデンス・ステイツの過激派には、積荷を渡せません! すぐに処分しないと。連中は大義を重んじる一派がいる反面……ただのチンピラ崩れだって!」


 無茶を言う……だが、リットは船長がぼやいていたのを思い出した。

 軍の依頼で、半ば強引に貨物が増えたらしい。厳重に密閉されたコンテナを、カーゴでリットもちらりと見た。軍用規格だが、中身を記載するデータなどが存在しない。あからさまに怪しい積荷は、仰々ぎょうぎょうしいシーリングに『H・R』とだけ走り書きされていたのを覚えている。

 そのコンテナを持ち込んだのが、目の前のお嬢さんという訳だ。

 船長はイライラと髪をむしりなが、詰め寄る少女へ怒鳴どなるようにいい放つ。


すでに救難信号は出してるんですよ! まあ、U3Fの連中も最近はいい噂を聞きませんからな。救援が来る前に撃沈されるってこともあるんです!」

「だったら、なおさら積荷を――」

「アンタ、うちの船をなんだと思っている! 船の中でコンテナなんか爆破してみろ、それこそ一巻の終わりだ!」


 だが、少女は尚も食い下がる。

 よく見れば整った顔立ちの美貌びぼうは、りんとした強い意志を感じさせた。同時に、わずかに震える唇が恐怖を噛み殺しているのも感じられる。

 バリスが急かす中、気付けばリットは二人のやり取りに見入っていた。


「特別な積荷なんです! 世界を変えてしまうくらいの!」

「なんだぁ? アンタ、俺の船に旧世紀の核爆弾でも積み込んだのか!」

「爆弾だったらどれほど始末が容易たやいか……爆発して終わりじゃないんです、この積荷は。とにかく、あたしが直接本隊に救援を要請します。かんを最大戦速で走らせて下さい」

「俺の船は軍艦じゃねえよ! どうしてくれるんだ、航路を外れたら推進剤だって」

「なら、今すぐ軍が……U3Fがこの船を買い上げます! お願いします、船長。積荷を――」


 瞬間、激震。

 激しく揺れる中で、船内の照明が非常灯に切り替わる。不安をあおる真っ赤な光の中、人工重力が切れた。あっという間に足元の感覚が失せる中で、第二波が襲う。先程より深く長い振動は、恐らく直撃ではないだろうか?

 咄嗟とっさにリットは、器用に宙で姿勢を安定させた。

 バリスは即座に、手近な端末へと泳いで船内情報を呼び出し始める。

 船長は舌打ちをこぼしながら、ブリッジへと行ってしまった。

 残された少女だけが、バタバタと両手両足を振り回している。暴れるから余計に、無重力の中で彼女は自由を失っていった。

 ブリッジも気になったが、見かねてリットは少女の手を掴んで引っ張ってやる。


「あ、ありがと。それより」

「軍人さん、ですよね? 積荷ってなんです? なにを積み込んだんですか」

「とても大事な、重要なものよ。インデペンデンス・ステイツに渡すくらいなら、適切に処分しなきゃ。ちょっとゴメン、どいて!」


 彼女はリットへの礼もそこそこに、バリスを押しのけるようにして壁の端末にかじりついた。小さなディスプレイへとタッチして、外部回線へ接続する。少女が持つ軍のIDを打ち込むと、緊急時にもかかわらず優先的に外へとアクセスが繋がった。

 こんな女の子が、どうして権限の強いIDを持っているかは謎である。

 だが、彼女は通話の向こうへと怒鳴った挙句、短い時間で一方的に切られてしまった。


「出撃できないって、なに? どういうことなのよ! ……ここまで組織の内部がグズグズだなんて」

「えっと、少佐さん。どうなんです? 軍は助けてくれるんでしょう?」

「当たり前でしょう? 軍人は、市民の生命と財産を守るのが仕事なの。も、もう一回、交渉してみるわ。大丈夫、大丈夫よ」


 不安を自分の中で握り潰すように、再び少女はIDを打ち込もうとする。

 ちらりとディスプレイに、カティア・カッティという名が流れていった。

 バリスが大声を張り上げたのは、そんな時だった。


「見ろ、リット! 少佐さんも! 軍が……U3Fのダイバーシティ・ウォーカーが!」


 ビリビリと船体を震わせ、急接近した鋼鉄の巨人が闇を裂く。

 窓の外を行き交う火線の中で、二つの勢力が戦闘を拡大させていた。リットにはどこか、窓の外の宇宙が現実感のない映像のように感じられる。

 窓に駆け寄る三人の視線の先で、開かれた戦端が最初の爆発を花咲かせた。

 どちらが撃墜されたのか、それはわからない。

 だが、リットでも知ってる機体が船を守るようにして、何度か窓の前を通り過ぎた。あれは確か、U3Fが制式採用機として量産しているLD-63ソリッドだ。

 だが、カティアという名の少女は目を見開いて小さくつぶやく。


「正規軍のソリッドじゃない……アーキタイプ? どこの部隊! ま、まさか」


 次の瞬間、三人は闇に包まれた。

 窓を覆うように、高速で巨大な影が通り過ぎたのだ。

 そう、影……灰色のDSWは、ツインアイの頭部に悪魔像ガーゴイルが輝いていた。そして、漆黒の宇宙でもはっきり視認できるグレイに塗られている。それは、何色にも染まらぬ中庸のカラーにも見えるし、どんな色をも乗せられる下地のカラーにも思えた。

 一瞬だがリットは、異様な圧力を発散する機体と目が合った。

 まるで悪魔をほうじる背教者はいきょうしゃのように、灰色のDSWは飛び去ってゆく。その先で無数に爆発が連鎖して、その都度つど船は衝撃波に揺れた。

 これがリットと、マスティマと呼ばれる組織との、邂逅かいこう

 太古の聖典に名を残す堕天使だてんしの名であり、自警武装組織の名……そして、おのれの全てを捨てた少女が名乗る、血塗れの聖女の名だと知るのは、この少しあとのことだった。

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