理想は血に濡れ、現実は汚れて

 エンテ・ミンテを独房に閉じ込めたまま、U3Fのふねはコロニーへと入港した。小さな丸い窓からは何度か、数機のソリッドと飛ぶウォーバットが見えた。

 テストを繰り返す中で、データを吸い上げられる愛機。

 愛しい者の形見にすら感じる戦争の蝙蝠こうもりにはもう、自らを守る悪魔像ガーゴイルはない。

 目に映る風景が殺風景な辺境のコロニーになっても、エンテは閉じ込められたままだった。取り調べは始まらず、今になってようやく軍服姿の男が現れる。

 U3Fの正規軍ではないことは、見るまでもなく明らかだった。


「ようし、外を見張ってろ。どれ……へへ、そう怖い顔をするなよ、お嬢ちゃん」


 独房へと入ってきたのは、恰幅かっぷくのいい将校だ。階級章は少佐で、恐らく情報部の人間だろう。だが、正規のU3Fの指揮系統で動いてるようには見えない。

 膝を抱えてうずくまるエンテの前まで来て、彼はベルトの金具をカチャカチャと鳴らす。


「わかってると思うが、取り調べも軍法会議もねえよ。お前はこのまま、秘密裏に処刑されるんだ。だから」

「……だから?」

「少しくらい最後に、楽しませてやろうって言ってんだよ!」


 覆いかぶさるように、巨漢がエンテにのしかかってくる。

 あらがうエンテも訓練された兵士だったが、体格が違った。あっという間に床へと組み敷かれて、身体の自由を奪われてしまう。乱暴に衣服を引き裂かれて、収監用の粗末な着衣は紙くずのように取り払われた。

 重力と弾力で拮抗して揺れる乳房が顕になり、荒々しい手つきで揉みしだかれる。

 恥辱に奥歯を噛み締めながら、エンテは必死でみさおを守って抵抗した。

 もう、誰にもからだを許したくない。

 愛しいマーレン・サイビット大佐以外に、女である自分を重ねたくない。

 だが、無理矢理に唇を重ねてくる男の不快感が、逃げるエンテの舌を舌で捉える。

 迷わずエンテは、牙をいた。


「ッ! このガキャァ、噛みやがった! ……自分の立場がわかってないようだな!」

「だれがお前なんか! 大佐は優しくしてくれたんだ、私に!」

「あんな堅物のなにがいいんだ? ええ? ナニがよかったんだろうに、女はそれだけで簡単に動かせる。そういう動物だって思い出させてやるかよ!」

「……大佐を侮辱するなと、あれほど言わせておいてっ!」


 エンテは思いっきり、自分を組み伏せ上になった男の股間を蹴った。

 容赦せず、全力で蹴り上げた。

 カエルが潰れるような感触と声とが、湿った吐息を満たす独房に広がる。

 震えて動かなくなった男の下から、すぐにエンテは這い出した。口元を手の甲で拭えば、おぞましさが込み上げて酸味が込み上げる。だが、震えながら男が内股気味に立ち上がり、とうとう腰の銃を抜いた。

 はだけた胸を手で隠しながら、エンテは身を固くする。

 だが、不意に外が慌ただしくなり、短い悲鳴が連続して叫ばれた。

 そして、独房のドアが開かれる。


「そこまでです、少佐。情報部の人間はこれだから困るわ……金に目がくらんだ連中のやること、珍しくもないけど。でもね……そのはマーレン大佐が残された希望なのよ」


 拳銃を手に、女性士官が入ってきた。

 年の頃はエンテより一回り上くらいだろうか? 大人の女性で、凛とした眼差まなざしを眼鏡の奥から覗かせている。すらりと細身で背が高く、軍人というよりはまるで女優のようだ。

 彼女は慌てて身構えようとした男へ、銃口を突きつけて凄む。

 そして、真実がエンテの前で語られ始めた。


「木星圏の治安維持のために設立されたU3F内部に、LOCAS.T.C.と癒着して動く部隊がいることは知っているわ。大佐が危惧されてた通り、事態が動きつつある」

「チィ! 貴様、まさか」

「エンテ・ミンテ少尉! 覚えていて……貴女は一人ではないわ。そして、マーレン大佐ののこした意思が、貴女を一人にはさせない」

「大局も読めぬ女風情が!」


 銃声が響いた。

 そして、銃を構えたまま男がドサリと倒れ込む。

 女士官は硝煙しょうえんくゆる拳銃を仕舞うと、エンテに駆け寄り上着を脱いだ。それを肩に羽織はおらせられて、ようやくエンテは震えが込み上げその場に崩れ落ちる。

 だが、純情な少女でいられるほど現状は甘くはなかった。


「しっかりして、エンテ少尉! 私はリンル・リル・レイル中尉。マーレン大佐の意思を継ぐ者たちの一人よ」

「大佐の……意思?」

「そう。残念ながらU3Fは今、一部の者たちの暴虐によって機能不全を起こしているわ。LOCAS.T.C.の私兵になりつつあるの。……でも、軍隊ってそうじゃないでしょう?」

「……大佐は私におっしゃった。純然たる暴力装置として敵の攻撃にのみ反撃の意思を示し、平時は静かにただありつづける。……抑止力」

「そうよ。軍隊なんて予算を食うだけの無駄飯ぐらいで丁度いいの。軍人が忙しく働いてる世界なんてぞっとしないわ。それが、大佐が私たちに示してくれた世界でしょう?」


 無言でエンテは頷く。

 すぐにリンルはシャツもスカートも脱ぎ出した。

 目を瞬かせるエンテの前で、彼女は下着姿になる。


「私の軍服を着て、脱出して」

「しかし! 中尉は」

「今、貴女を失うわけにはいかないわ。私たちの組織、に合流して」

「マスティマ? それは」

「マーレン大佐が有事に備えて、同志たちを集めた極秘部隊よ。U3Fに自浄作用が働かなくなった時、決起することになってるわ。それは、今」


 ――マスティマ。

 堕天使だてんしの名で、確かヘブライ語で敵意、憎悪の意だ。昔ベッドで、そんなことをマーレンが教えてくれたのをエンテは思い出す。

 それは、迷走し傀儡かいらいとなったU3Fを正す者たちの名に相応しい。

 自ら白い羽根を捨て、堕天した御使いたち。

 伝説によればマスティマは、自ら人間を害することで神への忠誠心を試すという。

 そんなことをエンテが考えていると、リンルは軍服を押し付けてきた。


「さ、着替えて。ここには私が残ります」

「でも」

「貴女には申し訳ないと思ってるわ。大佐を許してあげてね」

「そんな、とっくに! 私は、大佐に許されてる、から」

「……本当にそっくり、瓜二うりふたつね。大佐が言ってたわ。目に入れても痛くない、って。これは地球の東洋の言い回しで、本当に愛してやまない者への賛辞よ」

「瓜二つ? それは」

「あら、聞いてないのかしら? 貴女は大佐の――」


 その時だった。

 艦内にけたたましいサイレンが鳴り響く。

 恐らく、先に蹴散らされた外の見張りが意識を回復したのだろう。

 混乱の中でエンテは、言われるままに着替え始める。

 少し胸がきつかったが、リンルの服を身につけると、銃を渡された。


「さあ、行って。格納庫に今ならあの機体が……ウォーバットがあるわ」

「リンル中尉、私は」


 リンルは最後に、一度だけエンテを抱きしめてくれた。そして、背を優しく叩いて送り出してくれる。

 それは、もう決して生きて会えぬとエンテに伝えてきた。

 初めて会ったまま、二度と再会はかなわない。

 エンテの知らないマーレンを知る女は、瞳に強い光を灯して頷いていた。

 後ろ髪を惹かれる思いで、エンテは独房を抜け出る。

 振り向かずに走れば、銃を手に独房へ向かう保安員たちと何度も擦れ違った。

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