平和を呼ぶ黒き戦争

闇を纏って暗黒を照らすなら

 漆黒の宇宙うみに走る、光。

 連鎖する爆発の輝きを並べて、巨大な宇宙船が沈もうとしていた。見守るはユピテルの瞳にも似た、巨大な木星……ゆっくりとコントロールを失い停止する、一隻の戦闘艦。そう、軍艦だ。

 そのデッキに今、半開きのハッチから一つの人型がゆっくりと現れる。

 白亜の船体と真っ赤な炎にえるのは、闇よりも深く濃い暗黒だ。

 黒い影は、巨大な人型……ダイバーシティ・ウォーカー。人類が木星圏まで生活の場を広げてなお、捨て切れず忘れられない戦争の代弁者である。人が人の形に兵器を象るということは、とどのつまりそういうことなのだ。

 ゆっくりと漂うその機体は、その深奥に涙の音を閉じ込めていた。


「大佐っ! マーレン大佐……返事をしてください、大佐!」


 泣き叫ぶ少女の声が、コクピットの中に虚しく響く。

 彼女だけを乗せた巨大なDSWのコクピットだけが、味方が生き残ることの可能な領域……広がる光景は死ばかりだった。

 それでも、必至に回線の向こう側に叫ぶ少女に応える、声。


『エンテ・ミンテ少尉、脱出しろ。その機体ならば……可能だ』

「大佐! 今、助けに行きます。外側から艦橋部ブリッジを」

『古来より、艦長は艦と運命を共にするものだ。それより、聞け! 聞くんだ、少尉』

「嫌です……嫌ですっ! どうして大佐が」


 少女にとって、父であり兄であり、そして恋人だった人。マーレン・サイビットとは、そういう男だった。そして、男がしてくれる全てが、エンテを女でいさせてくれた。厳しい父、優しい兄……愛しい恋人。

 数時間前まで裸と裸だった、その温もりと匂いを舌が覚えている。

 粘膜同士が奏でる和音の並びが、鼓膜の中に反響するような錯覚。

 だが、それも今は紅蓮のほむらに飲み込まれようとしていた。


『いいか、聞け……反撃、迎撃するんだ、少尉』

「大佐、私は」

『この木星圏で、我々U3Fの存在意義を証明しろ! 奴らの跳梁ちょうりょうを許すな……反撃するんだ、意思を示せ!』

「……大佐」

『我々は治安維持のために生み出された暴力装置、純粋な軍事力そのものであることで、平和に貢献する抑止力だ。わかるな、少尉。ならば、我々が暴力という因果に応報する暴力であることを、そういう人類に必須のシステムであることを証明せねばならない』

「それは……そうでもありますが、大佐。私は」

『大丈夫だ、少尉。俺のかわいいエンテ……その実験機は少尉との相性が一番よかった。出処のよくわからんLOCAS.T.C.ルーカスティーシーの新型だが、性能はお墨付きだ。全知全能を搭載する平和の死天使……その母体となった、堕天して罪に穢れた悪魔。フッ、我々U3Fにはお似合いだな。さあ、エンテ……俺の、俺たちの――』


 刹那、無音の宇宙で真空の闇が震えた。

 光が広がり、爆発が無数の敵機を浮かび上がらせる。

 その爆心地の中で、エンテは声にならない絶叫を張り上げた。

 母艦が、沈んだ。仲間が全員、死んだ。自分のあらゆる感情に寄り添ってくれた、あの人が消えたのだ。

 それでも、高温と衝撃の嵐で揺れる機体が、敵意を拾ってレーダーに光点を浮かべる。

 シートに固定されてむせくエンテの、その瞳で生まれた涙が水の星と浮かんだ。

 そして、広域公共周波数オープンチャンネルで拾う声が彼女の中で殺意の撃鉄に指を当てる。


『撃沈を確認した、引き上げるぞ! 我らの勝利、大勝利だ!』

『同志諸君、よくやった! これは制裁の鉄槌、我々木星の民の怒りだ。不遜なU3Fに対して、自由の尖兵たる我ら、インデペンデンス・ステイトの大義を示す聖戦なのだ』

『見たかよ、とうちゃん……見てたよな、かあちゃん! 仇は取ったぜ、俺。俺……』

『全機、帰投せよ! 民の解放のため、革命の凱歌を歌う時が来たのだ』


 連中は、インデペンデンス・ステイトと名乗っている。

 この木星圏でしいたげられる、全ての宇宙移民……宇宙棄民の代弁者だと名乗っている。その名の通り、独立運動の闘士と自らを称する過激派だ。

 それは、体制側から見れば勿論、レジスタンスでありテロリストだ。

 そして、U3Fはそうした武力による政治主張を拒絶、これを抑制する使命がある。U3Fとは、暴力を暴力で抑えるカウンターなのだ。

 そして、エンテに優しかったあの声は確かに言った。

 U3Fが平和のための暴力装置である、その意味を示せと。

 それしかもう、エンテには意義のある行動が理解できない。


「大佐……私、やります。やっつけます……やってしまいます、やれてしまうから……!」


 エンテには難しい話はわからない。木星圏で生まれて捨てられた、孤児だから。返済無用の奨学金が出るから士官学校を選んだし、そこでは文学や探求といった学問とは無縁のスキルが叩き込まれた。

 でも、それで今日食べるかてが得られたし、明日を待つ寝床が与えられた。

 そうして組織の一員としてパイロットになることで、ようやくエンテは多くを知ったのだ。

 共に治安を守る、仲間。

 自分たちを苦々しく思う、守るべき民。

 果てなき闘争という内情と、その外側で回る政治と経済。

 そして、自分が女で、そうさせてくれた男の存在。

 だが、全ては今、消えてゆく。

 紅い業火の中に薄れてゆく。


「……モードセッティング、リコール。ミリタリーパワー、マキシマム。、状況を」


 小さく呟く声が、周囲のモニターに無数の数字と文字列を灯す。

 乱舞する光の中で、エンテの声に電子音声が応えた。


『敵勢反応、6。状況、極めて不利』

「わかった、ブレイズ……状況開始コンバット・オープン。テロリストの排除を始める」

『了解』


 この黒き邪神に宿る電子の妖精が囁く。

 同時に、絶対零度の真空に消える炎の中からエンテは飛び出した。光の尾を引く流星となって、彼女を内包する黒きDSWが疾駆する。

 操縦桿スティックを握るエンテの喉から、全てを呪う怨嗟えんさ憎悪ぞうおの声がほとばしった。


「この木星圏で、民主的な手続きにのっとらぬ政治主張、武力による不当な意思表示は、これを全力で排撃はいげき撃滅げきめつする……きます、大佐。征きます……このなら!」


 ――ウォーバット。

 それは、既存のDSWとは一線を画する奇妙な機体だった。U3Eで運用される、あの野暮やぼったいソリッドとは違う。優美な流線型のラインに、黒き復讐の女神ネメシスを彷彿ほうふつとさせる美術品のような優雅さ。ツインアイのセンサーが並ぶ頭部には、悪魔像の装飾が見下ろしていた。まるで、古代の教会や城塞を見守るガーゴイルのように。

 それは、とある機体の開発のため、生み出された。

 謎のシステムを乗せた専用機を建造する、テストベッドとしてデータ採集用に造られたのだ。そして、エンテたちの部隊に回され、多くのテストを繰り返した。

 過敏とも思えるほどに繊細な操作性は、エンテだけが運良く馴染めたじゃじゃ馬だ。


『ん? た、隊長ッ! 敵が、敵機が! ……ソリッド、じゃない?』

『生き残りが、こちらに……ウワアアアアッ!?』


 またたきすら忘れて加速に耐えながら、奥歯を噛み締めエンテはモニターをにらむ。その先で今、インデペンデンス・ステイトの一般的な量産機であるギム・デュバルが挙動を乱した。

 その僅かな間隙に、エンテは持てる全てを投げ捨てるようにぶつける。


「ここからいなくなれ……あの世で大佐にっ! ごめんなさい、って! わびて、きてッ!」


 双眸そうぼうを輝かせるウォーバットの手が、五本の指を開いて振りかぶられる。同時に、手首の内側から射出された筒状のユニットが、同調したセンサーによって握られた。

 そして、エンテの絶叫が咆哮ウォークライとなる。

 相手へと腕を振り下ろしたウォーバットの手から、ほとばしるエネルギーの奔流ほんりゅうが刃となってひるがえった。実験機故に、武装もかなり野心的なものが搭載されている。数十メートルもの巨大なエネルギーブレードを数秒だけ展開する、それはEクレイモアーと呼ばれていた。

 他にも無数のオプション兵装があったが、今は母艦と共に星屑になってしまった。

 エンテは真っ二つになったギム・デュバルから離脱するや、次の獲物を求めてぶ。


『隊長、なんですか! アレは、アレはぁーっ!』

『ジョリオンがやられた、クソッ! リョリオンが……おばさんになんて言えば、いいんだ、よぉーっ!』

『待てオリンズ! 早まるな!』


 瞬く間にエンテは、手にする巨大な光の大剣で命を星と散りばめる。

 気付けば敵の数は、最後の一つになっていた。

 エンテの燃やす復讐の怒りで、ウォーバットはその名の如く戦争の権化となった。まるで、を生み出すことで、互いの存在を立証する合わせ鏡のようなダークネス……その機体は、頭部に邪神像デーモンを戴く異端の狂騎士だ。


『ええいっ、悪魔飾あくまかざりめっ! あんな機体はデータには……ある? あるのだと? どういうことだ、上層部はアレの存在を……くっ!』


 隊長機のギム・デュバルが回避運動に入る。そのランダム機動を、ウォーバットはデタラメな動きで追いかけた。死に魅入みいられた悪霊のように追いすがる。

 そのコクピットで自分を殺して敵意に純化させながら、エンテは血走る目を見開いていた。ブロンドヘアの美しい表情は今、悪鬼羅刹の如く激昂している。皆が妹のようにかわいがった可憐な少女パイロットは、復讐の業炎インフェルノに自らかれる修羅だ。


『ヘッジホッグなら! エネルギースピアでもってしてっ!』

「そういうのはぁ……効かないんだよぉ! Eソード・ブレイカァァァァッ!」


 反転して反撃しようとした敵機に、ウォーバットが左手を伸べる。その無手が開く五本の指から、不可視の波動が広がっていった。

 そして、敵機の放つ光の槍が霧散する。

 Eソード・ブレイカー、それはウォーバットだけが持つ特殊な試験兵装。敵の剣を叩き折る古代の刃になぞらえた、エネルギー力場を拡散して消滅させる装置だ。


『ばっ、馬鹿な!』

「殺してやる……殺してやるっ! 私の全てを奪って、お前はぁ!」

『ひっ、く、来るな……悪魔飾り、来るなあ!』


 柄だけの剣をエンテが、ウォーバットに突き出させる。それは、ギム・デュバルのコクピットを強力な衝撃で押し潰した。コクピットが何層もの装甲と構造物の中で潰れて、合金がひしゃげる感触が操縦桿に伝わってくる。

 即死だ、中で肉塊となって圧縮され……敵は、死んだ。

 だが、迷わずエンテはトリガーをスイッチ。

 敵を貫き伸びるEクレイモアーの光が、膨れてそのまま全てを飲み込み爆発を呼んだ。

 白く輝く爆光が宇宙を染める。

 その光さえ吸い込む、暗黒のDSWを浮かび上がらせる。


『敵の全滅を確認、状況終了。パイロットの呼吸、脈拍の上昇……異常を検知』

「ブレイズ、次は……次の敵はどこだ! 私の敵は!」

『状況終了、状況終了……味方の艦、反応アリ』

「敵は……私の、私たちの……大佐の敵はぁ! どこ、なん、だ……ッ!」


 エンテは頭をむしって、長い長い金髪を無重力に解き放つ。ゆらゆらとたなびく豪奢な黄金の中に、紅い涙の粒が無数に浮かび上がった。黙ってしまったウォーバットの制御用人工知能、ブレイズの無機質な無言だけがコクピットを満たす。

 友軍の艦が近付き呼びかける声にも応えず……エンテは幼子のように泣きじゃくるだけだった。

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