国と国との狭間で

 肌もあらわに走る霧沙キリサ・アレスターを振り返る余裕は、周囲にはない。

 皆、振りまかれる死から逃れるために混乱していた。

 遠くに響く金属音が、耳障りなメカニカルノイズをかなでて迫る。

 すぐに難民キャンプへの砲撃が本格化して、あちこちに火柱が吹き上がった。


「ッ……みんなっ! フェンスの方へ、国境へ逃げて!」


 叫びつつ、霧沙は愛機ダンタリオンへと駆け上がる。狭いコクピットに痩身そうしんを投げ込み、起動キィを突き刺してひねる。微動に震える悪魔の双眸そうぼうに、冷たい光が走った。

 チェック手順を全部すっ飛ばして、霧沙がダンタリオンを立たせる。

 普段の重装甲に加えて重武装の機体が、不思議と軽い。

 どうやらオーバーホールは完璧で、機体の全てが完調のようだ。


「この距離なら撃ってくる訳ね……なら、容赦しないよっ!」


 ダンタリオンが腰を落として、手に持つ長い長い砲身を両手で構える。 

 背負われた巨大なジェネレーターがうなりをあげて、粒子加速器が震え出した。

 そして、機体の全高を超える長砲身から、光がほとばしる。

 試作型の光粒子砲から、破壊の奔流が解き放たれた。

 真っ直ぐに空を引き裂く光条が、遠くで無数の爆発を連鎖させた。だが、同時に敵の動きがフォーメーションを崩す。各個に散開を判断した敵に、霧沙は舌打ちを零した。

 改めて身体をシートに固定するハーネスを装着し、改めて敵を睨む霧沙。

 数は多い。

 旧政府軍の残党、シリア軍の成れの果てだ。

 軽く見積もっても、二十や三十という数……とても一人では、一機では防ぎきれない。だが、霧沙は足元の難民たちに気を配りつつ、トリガーを操縦桿に押し込む。


「この先は行き止まり……そしてここがっ! あんたたちの、デッドエンド!」


 右肩の88mmカノン砲が火を噴く。

 ダマスカスでテスト中の時の、嫌な反動が軽減されていた。やはりダーインは、ドヴェルグで造った兵器のテストにだけは誠実なようだ。

 左肩のミサイルポッドも、迷わず全弾発射する。

 それで四、五機程吹き飛ばしたが、敵の勢いは全く衰えなかった。

 既に湾曲刀シャムシール状のフェンサーブレードを抜き放ち、横をすり抜けてゆく。突破を許したが、霧沙は迷わず火器を全て捨てた。乱戦の中では、それらは重いだけデッドウェイトだ。そして、国境のフェンス近くでは敵は火器を使わない。

 PKOで派遣された日本の国防軍を働かせないためだ。

 トルコ側へ逃げてフェンスに張り付き、泣き叫ぶクルド人を殺す。宗派が違うから、民族が違うから虐殺する。レヴァンテインでき殺し、すり潰して、フェンサーブレードで薙ぎ払うのだ。

 それを日本の国防軍は、ただ見てるしかできない。

 彼らはフェンスの此方側に、自分の判断では出てこれないのだ。


「行かせないって、言ってる!」


 一見して鈍重なダンタリオンが、暴力的な加速を爆発させる。

 すぐ横をすり抜けようとした敵を、身もせずに鷲掴わしづかみに吊し上げた。その豪腕には、外付けのパイルバンカーが光っている。

 迷わず霧沙は、ダンタリオンを疾駆させつつ、トリガー。

 焼けた空薬莢からやっきょうが宙を舞って、串刺しになった敵がオイルを撒き散らす。無残な残骸となったそれを投げ捨て、吠える悪魔は国境線に迫った。

 やはり、そこには地獄絵図が広がっていた。

 こちらへ銃を向けつつ、フェンスの向こうから動かぬ国防軍のレヴァンテイン。

 それを刺激することなく、難民を殺し始めたレヴァンテイン。

 神にも等しい暴力装置、現代の巨人がもたらす災いの最終戦争ラグナロクがここにはあった。その狭間で人は、無力なままに死んでゆく。

 咄嗟とっさに霧沙は、絶叫と共に愛機を押し出す。

 そのまま国境沿いのフェンスに、ダンタリオンは砲弾のように飛び込んだ。


「こんなもの……国境でなにが救えるっ! 国をかたどるただの線が、誰が助かるっていうの!」


 無限軌道キャタピラのレッグスライダーが、地面に砂嵐を巻き上げながら超信地旋回で悪魔を振り向かせる。霧沙は迷わず、両腕で掴んだフェンスを引きちぎった。それを引っ張り、根こそぎ取り払ってしまう。

 逃げ場を失っていたクルド人たちは、我先にとトルコ側に走り出した。

 だが、テロリストと化したシリアの旧政府軍残党は攻撃の手を緩めない。

 そして……無慈悲な攻撃が霧沙とダンタリオンを襲った。


「チィ、今度は後ろっ! ……そうよね。向こうから見れば、旧政府軍もあたしも一緒か」


 国防軍の円月タイプが、手にしたアサルトライフルを発砲した。

 フェンスを破壊して侵入したダンタリオンは、装甲の表面に無数の火花をおどらせる。

 全くダメージを通さぬ装甲の中で、霧沙の心が蜂の巣になってゆく。

 捨てた故郷は今、またも自分を銃火で追い出そうとしていた。

 ダンタリオンはゆっくりと、銃撃を浴びながら再びシリア側へ向かう。多くのクルド人が、祈りと感謝の言葉を叫びながら走っていた。その全てを足元で見送りながら……一人でも多く逃がすため、霧沙は覚悟を決めた。

 すかさず敵のレヴァンテインが、鋭い刃で斬りかかってくる。


「通さない……一機たりとも!」


 無造作に突き出した右手で、敵の頭部を握り潰す。無線越しに悲鳴が聞こえたが、構わずそのまま霧沙はパイルバンカーで打ち抜いた。その横に回り込んだ敵を、左腕に装着されたパワークローで挟み込む。

 巨大な鉄鋏シザースが、レヴァンテインの胴体を左右から圧縮し、圧搾してゆく。そして、圧壊。

 金属が歪んでたわむ音と共に、母親を呼ぶ絶叫が迸った。

 次々と敵をスクラップに変える中で、徐々に霧沙は悟り始めていた。


「ここが……あたしの終着点、か」


 ダンタリオンの戦闘力はまだ、いささかも落ちていない。

 しかし、脚を止めての戦闘しかできない。

 この先には、ようやく動き出した国防軍と、保護され始めた難民たちがいる。そして、足元にはまだトルコ側を目指して走る者たちがいる。

 自分が倒れれば、再び虐殺が始まる。

 そして、それを少しでも先へ延ばすために、霧沙は戦う。戦える。

 だが、敵はさらに二個小隊が増援で現れた。

 しかも、厄介なことに戦車を連れている。近代改修を施してはいるが、前世代型のMBTだ。その主砲が火を吹き、AP弾がダンタリオンを大きくよろけさせる。脚部に増設されたミサイルランチャーが吹き飛ぶ。

 国境のフェンスが破壊され、敵はもう躊躇なく重火器を使ってきた。

 次々と砲火が集中して、ダンタリオンを衝撃が揺さぶる。

 現行の通常火器で、ダンタリオンの装甲は抜けない。

 それでも、立ち尽くす的でしかないダンタリオンに、次々と戦車砲が浴びせられた。


「……灰児は、逃げたかな。逃げれる奴は、ちゃんと逃さないとね……それって、生きる選択としては正しいから。ちゃんと逃げない奴は、死んでしまう」


 ダンタリオンの装甲自体に損傷は全く無い。

 だが、強い衝撃を受け続けて、コクピットの中で霧沙は何度も揺さぶられた。

 この先、国防軍のキャンプは撃たせない。

 だが、もう一歩も動けない。

 不思議と静かな気持ちで、霧沙は操縦桿から手を放す。裁きの業火に焼かれる悪魔は、敵の無線通信を拾って響かせた。釣瓶撃つるべうちに火力を集中させてくる中に、違和感が聴こえる。


『奴は木偶デク同然だ! 火力を惜しむな!』

『近づく必要はない。アウトレンジでなぶり殺しだ……クソッ、さんざん派手にやってくれたなあ? 何人の同胞が殺されたと思ってんだ! クルドの雇った売女ばいため! 異教徒め!』

『……ん? 少佐、待ってください! 車両が一台そちらに!』


 その時だった。

 弾幕を張る戦列の向こうから……巨大なトレーラーが突っ込んでくる。全く減速せず、その車体は一番隅のレヴァンテインに激突した。

 背中から衝突されて、敵が僅かによろける。

 そのままトレーラーは横転して、派手に滑りながら動かなくなった。

 運転席からダーインが飛び出し、スーツ姿で逃げてゆくのが見えた。


『なんだぁ? おい、そのトレーラーをどかせ! 邪魔だ!』

『了解! へへ、なにかの輸送物資と見ましたぜ……どれどれ』

『まて! 高熱源反応! 離れろ、それは――』


 一機のレヴァンテインが、転がるトレーラーのコンテナに触れた、その時だった。突然、内側から外装がブチ抜かれた。軽合金の壁から生えた紅い腕が、反政府軍のレヴァンテインを掴む。その腕を、握り潰す。

 そして……形容し難い高音域で、嘆きの絶叫にも似た駆動音が割れ響く。

 開放されたコンテナの中から、燃え盛る怒を具現化したような悪魔が現れた。その双眸に光る黄金の光が、ゆらりと反政府軍を睨みつける。

 突然のことで霧沙は、呆気にとられて息を飲んだ。

 イエローのラインが各所に走る、紅蓮の炎のように真っ赤なレヴァンテイン。確か、ダーインがドヴェルグの試作実験機をもう一機持ち込んでいた……そういう記憶だけが思い出された。それは今、乗り手不在の失敗作という汚名を、自ら焼き尽くすように立ち上がっていた。

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