魔神咆哮

 アキラが辛うじて脱出した村の外には、多くの村人たちが集まっていた。その中には、はぐれてしまった村長や長老たちの顔も見受けられて、ホッとする。

 そして勿論もちろん大介ダイスケの姿はどこにもない。

 大介は文字通り、消えてしまった。

 消されてしまったのだ。

 一瞬で。

 永遠に。

 多くの村人たちと一緒に、明は燃える村を眺めることしかできなかった。他にできることは今、見つからなかった。


「クソッ、自警団はなにをやってたんだ! この日のためにレヴァンテインも買ったんだろうに」

「いやいや、正規軍にはかなうまいて。……これでいいんじゃ、武に武をもってこたえるなど、アラーの教えに反する。災いもまた試練と受け止めねばならん」

「けどよ、叔父貴オジキ! ……それじゃあ、俺たちウイグル族の自由と尊厳は!」


 うなだれる老婆に、泣きじゃくる子供たち。激昂する若者、そしてそれをたしなめる老人。そんな光景が今、燃える業火の照り返しで赤い。

 そして、村を灰にしたレヴァンテインの部隊が、ぞくぞくとこちらへ向かってくる。

 あの、レッグスライダーの駆動する金切り声は、ない。

 ただ土を踏み締め、火炎放射器の先端にほのおをちらつかせながら、歩いてくる。

 やはり殲滅せんめつ、皆殺しにするつもりだ。

 ここにウイグル族の村など、最初からなかったことにするつもりなのだ。それを続けていけば、この地球上からウイグル族は消滅する。あとには、漢民族が入植した新疆しんきょうウイグル自治区だけが残り、そこはやがて完全に中華神国ちゅうかしんこくの一部になるだろう。

 死を覚悟した明の手に、不思議と大介の残したカメラが重かった。

 その重さに意味を思い出させる声が、りんとして響く。


「みんなっ、下がって! ……世界の歪みを、あたしは見つけた。ここにも、一つ!」


 誰もが振り向く先で、牧草をしまいこんだ塔のようなサイロが爆発した。崩れる煉瓦れんがの中から……巨大な影がゆらりと歩み出る。

 それは、レヴァンテインだと気付くより先に、明に怒れる魔神デーモンを想起させた。

 自然と明は、絶句に忘れた言葉を思い出すのに数秒かかる。


「な、なんだ……あれは? あれも、自警団の? カシム君の用意した機体なのか? あれは、確か……それより! 今の声、まさか乗ってるのは」


 それは、漆黒に塗られた闇夜のような影だった。肥大化した手足に、ずんぐりとした胴体が、通常のレヴァンテインより大型に見える。ソリッドな外観でスピードを感じさせる、見慣れたシルエットではなかった。

 圧倒的な重装甲を、明は知っていた。

 以前、とある軍産複合体から、テロ組織に不正に金品が流出しているというネタをつかんだことがある。その証拠を押さえながらも、彼は記事にできなかった。現代の死の商人、軍需産業はどこも新型の試作実験機をデータ収集したがり、実戦で運用したかったのだ。そこで、製造番号や部品型番等を潰した上で、テロ組織にばらまいたのである。

 目の前の黒き魔神も、その中の一機だ。

 友人の軍事アナリストの説明では、時代に逆行したコンセプトが生み出した、一種の奇想兵器ゲテモノだという。機動性と運動性をもって、高速移動での電撃戦を可能とするレヴァンテインの、その長所の全てとトレードオフした……圧倒的な装甲とパワー。

 その名は、ソロモンの悪魔からこう呼ばれた。

 ――、と。


「村長、カシムは死んだわ。無謀と知って、勇敢に戦って、死んだ。でも、これは仇討あだうちじゃない。これはあたしの戦い……歪んだ世界がある限り、あたしは世界の敵になる」


 マイクに叫ぶ声は、先程の霧沙キリサのものだ。

 そして、地の底から湧き上がる猛獣の咆哮のように、唸りをあげてダンタリオンが動き出す。それはどこか、嗚咽おえつに泣く乙女のようであり、狂ったように笑う老婆の声にも似ていた。

 ダンタリオンを目視した政府軍の王虎七◯型ワンフウナナマルがたは、すぐに火炎放射器を捨てた。

 変わって腰の後部ラッチからアサルトライフルを手にする。

 軍用レヴァンテインの一般的な武装で、40mmの銃口が一斉に火を吹いた。

 たちまちダンタリオンが着弾の音に包まれる。

 だが、村人たちが逃げ惑う中で明は、目撃した。


「全部、弾いてる? ……そうか、距離だ! 距離と口径と……とにかく、確かダンタリオンの装甲は、レヴァンテインの現用火器では抜くことができない!」


 銃撃を浴びながらも、ゆっくりとダンタリオンは崩れたサイロへと片手を突っ込んだ。その姿は、背に無数の武器を背負っている。腰にはパンツァーファウストがぶら下がり、背後には長大なバズーカ砲、ロケットランチャーにグレネード、そして対物アンチ・マテリアルライフル。

 それはまるで、主君を守って仁王立ちに憤死した、武家時代の武蔵坊弁慶むさしぼうべんけいだ。

 だが、ここは五条大橋ではないし、笛を吹く美しき貴公子はいない。

 それでも、刀の代わりに命を狩る悪魔が、吠え荒ぶように瓦礫の中から腕を引っこ抜いた。そのいかつい手は、巨大なガトリング砲を握っている。イージス艦に搭載されているような、ファランクスだ。


「この子を撃ち抜きたきゃ、光粒子砲こうりゅうしほうでも持ってくるのね。そんな鉛玉じゃ、ダンタリオンの装甲は抜けない。こんどは、こっちの番っ!」


 ダンタリオンの両足で、無限軌道キャタピラの巨大なレッグスライダーが唸りをあげる。舞い上がる土煙は、魔神の両足に生えて羽撃はばたく翼のよう。

 その鈍重な外観を裏切る加速力で、ダンタリオンは疾駆しっくする。

 両手で構えたガトリング砲が、ヴン! と唸るや殺意のつぶてを吐き出した。

 射線上で散開が遅れた数機が、あっという間に蜂の巣になって崩れ落ちた。政府軍の精鋭らしく、対応は的確で素早かった。しかし、相手が悪すぎる。

 あの声の主がパイロットなら、村を焼いた者たちは恐怖に凍っている筈だ。

 レヴァンテイン大国日本を、奈落アビスの深淵にも似た恐怖へ叩き落としたテロ組織、アカツキの門……その構成員の中で、もっとも独立治安維持軍に被害と損害を与えた女。それが今、魔神の生贄となって一体化し、この地の民に代わって怒りを吐き出していた。

 我に返った明は、周囲の村人たちに叫ぶ。


「と、とにかくっ! 逃げましょう、ここは戦場になる! いや……もう既に戦場だ!」


 ダンタリオンは灼けた空薬莢からやっきょうを、黒煙が舞う空へ次々と吐き出す。両腕で保持したガトリング砲は、逃げ惑う敵機を次々と物言わぬ鉄屑ジャンクへと変えた。ミシンの縫い目のように火線が走れば、その先にある命が散ってゆく。

 政府軍が反撃に転じても、その銃撃が虚しく魔神の装甲を歌わせるだけだった。

 ならばと、フェンサーブレードを抜刀した数機が突出してくる。

 丁度弾切れになったガトリング砲を捨てると同時に、無造作にダンタリオンが手を伸べた。

 そして、衝撃。激突。……圧縮。

 ダンタリオンは左右の手でそれぞれ、敵の頭部を握りしめるや吊し上げた。過給器タービンで暴力的なパワーを絞り出す動力部が、規格外のパワーを与えていた。そのままダンタリオンは、襲い来る敵へと左右の哀れな犠牲者をブン投げる。

 同時に、背に背負った重火器がばらまかれ、次々と灼けた大地に突き立つ。

 無数に並ぶ、それは墓標のようだ。


「ここから出ていきな……この土地は未来永劫、ウイグル族のものだ。ここだけが、ウイグル族の約束の地。出ることは許されても、入ることはまかりならない聖地メッカだから」


 スピーカーを通じて、静かな霧沙の声が響く。

 同時に、ダンタリオンは周囲に無数に突き立つ重火器を引っこ抜く。拾って撃つそばから撃ち尽くし、捨ててはまた次を手にして撃つ。

 無数の銃弾と砲弾が一斉射撃でばらまかれ、政府軍は潰走を始めた。

 二個中隊規模の戦力が、たった一機のレヴァンテインに全滅したのだ。

 のこった一機が、アサルトライフルを捨てて逃げ始める。

 擱座かくざうずくまる僚機を避けるように、回避運動を交えながら走り出す。そのレッグスライダーの音を見送りながら、ダンタリオンは最後の一丁を手に取った。

 長い長い対物ライフルを向け、その照星の先に最後の獲物を捉えた。

 そして、遠くに衝撃音が響いて、爆発音を連れてくる。

 あっという間の鏖殺劇おうさつげき……ダンタリオンは無数の着弾で全身から白煙を巻き上げているが、貫通弾は一発もない。さながらその姿は、白い闘気を吹き上げる魔神そのもの。

 ダンタリオンのコクピットが解放されると、先程の女が……霧沙が顔を出す。


「村長! いい、よく聞いて。あたしの名は霧沙・アレスター……それが本当の名前。今までかくまってくれてありがとう、世話になったわ。カシムに弟みたいになつかれるのも悪くなかったし、貴方の娘の名を借り、娘同然に暮らした三ヶ月……楽しかった」


 村人は皆、立ち尽くしている。

 村長は顔を手で覆って泣いていた。


「いい? もうすぐ政府軍の第二波が来るわ。降伏して、抵抗しては駄目。そして、こう言うの……霧沙・アレスターというテロリストにおどされ、人質を取られていたと。無理矢理言うことを聞かされていたと言って、あたしに関する全てを話して。あたしは世界中から指名手配されてる咎人とがびと、当局も事情を察してくれるし、情報を提供すれば見返りだって。いい? 生きて……この土地でまた、暮らして。生き抜いて」


 それだけ言うと、彼女は再びハッチの奥に消えようとする。

 明は咄嗟に、ダンタリオンを見上げる側へと駆け寄った。


「待ってくれ、霧沙! 霧沙・アレスター!」

「……なに? 確か、ブンヤさん、だよね?」

「君のことは知っている……これからどうするつもりだ!」

「次の戦いに行くわ。決まってるでしょ? あたしは過激派、テロリスト……こう見えてもアチコチにコネはあるし、地下に潜伏することだってできるわ。でも、この村の人たちは違う。ここしか、ここにしか村人たちの暮らしはないから」

「わ、わかった! 最後に、聞かせてくれ! 君は」


 ――君は、知っているのか?

 知っているのだろうか……かつて日本での最後の戦い、仲間を逃がすために単騎で戦ったあの日を。その時に既にもう、仲間たちに裏切られて、売られていたことを。

 真実は残酷で、その全てが万人に利する有益なものとは限らない。

 だが、明はジャーナリスト……真実のみを伝えることを己に誓った人間だ。

 それでも、言葉は勝手に違うことを喋り出した。


「……政府軍はウイグル族を根絶やしにするべく、村を襲った。そして君は、そんな連中から村人を守った! 違うか? 真実はこうだ! それを君は、自分が悪名を着て、真実を……中華神国の政府の陰謀を隠してしまうのか! 真実を!」

「そうよ」


 即答だった。

 そして、明は察した。

 彼女は知っている。

 かつて暁の門と呼ばれた仲間たちが、そろって自分を裏切ったことを。あの死闘が徒労に終わっていたことを。多分、恐らく……確実に。知っている、そんな目で彼女は見下ろしてきた。


「あたしはテロリスト、世界の歪みを正す術を暴力しかもたない。それしか表現方法をしらないの。でも、あんたは違う。だから、真実とやらはあんたに任せるわ。……あたしは、この村の人たちに生きててほしい。それだけ」


 気付けば頭上に、一機のヘリが滞空していた。そこからケーブルが降ろされ、それをダンタリオンが掴む。ハッチは完全に閉じられ、現代に蘇ったラ・ピュセルを連れてゆく。信仰を持たぬ悪逆のジャンヌ・ダルクは、愛機と共に去ろうとしていた。

 恐らくヘリは、彼女の戦力を欲する組織の手のものだろう。

 ずしりと重い感触を残しながら、ダンタリオンがゆっくりと浮かび上がった。

 村人たちは皆、膝を突いてその姿に祈る。それは、虐げられし民にだけ許された偶像ぐうぞうかもしれない。偶像崇拝を禁じられたイスラムの教徒でさえ、祈りを捧げる姿に明は言葉を失っていた。

 そして明は、気付けばカメラを構えていた。

 ファインダーに写る黒い魔神へと、シャッターを切る。

 やがて、村が燃え尽き炎がくすぶりながらも鎮火する頃には……霧沙を乗せたダンタリオンの姿は、西の空へと消えていたのだった。

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